おうちはどこ?
暖かい夜だった。
こんな夜なら、見張りも辛くない。ダギュールの若い兵士は、静まり返った砦をぼんやり眺めた。星明かりの下、建物が黒く浮かび上がるだけで、灯りは一つも見えない。だが、あの中に追跡対象は潜んでいる。
姿を見たことはないが、幼い王子と王女だと聞いている。今頃、二人とも眠っているだろうか。
日中、どこにも逃げ場は無いから一晩だけ静かに過ごしたいと、王子の側近である若い男が一人で乗り込んで、隊長に直接申し入れてきた。彼はその様子を直に見ていた。隊長は剣で男を斬り伏せるかと思っていたのに、申し出を受け入れた。それでは今晩は見張りは立てないかもと思っていたが、甘かった。彼は当番通りに見張りに立って、昏い想いで、何も動かない闇を眺めている。
「ん?」
夜明けまであと少し。闇が、少しだけ濃くなってきた時、星が動いた。
呼び子笛を鳴らすかどうか、若い兵士は一瞬だけ迷った。迷った一瞬で、星は彼の目の前に現れた。
「――気持ちのいい夜ネ」
舞い降りた星が囁いた。いや、星は落ちないし、囁かない。正体不明の手のひらサイズの光の玉は、ふわふわと彼の目の前に浮かんでいる。
「な、なんだっ!?」
取り乱したせいで、彼は尻餅をつき、手の中の呼び子を飛ばしてしまった。小さな笛をこの暗闇で探し出すのは困難で、彼は声を上げることにした。声の届く範囲に、別の見張りが立っている。居眠りしないように、一定の時間が経ったら場所を交代するようになっている。
「誰か――」
そのとき、無数の星が落ちてきた。いや、星は落ちないし、ふさふさしていない。
「へ?」
地面に付いた彼の手を、星が踏みつけて通り過ぎていった。その感触が、長毛種の小動物のようにしか思えない。
「……なんなんだ?」
叫ぶことも忘れて、彼は星を見送った。遠くから、誰かの驚く声を聞いた気がした。
「あなたのおうちはどコ?」
「うわっ」
顔を戻せば、まだ一つ星が、いや、正体不明のしゃべる光が彼の前に留まっていた。
「なんなんだ、おまえ!」
「わたし? わたしは、召喚されしもノ」
光の玉は応えた。意思の疎通はできるらしい。今すぐ危害を加えられることは無いと悟って、若い兵士は少しずつ落ち着きを取り戻す。ゆっくり手を動かして、地面の上を探る。呼び子笛は、近くに落ちていないだろうか。
「召喚されしもの? そりゃなんだ?」
「召喚された異界の存在。召喚したものの意のままに力を示す存在」
「召喚って……昔話の、アレか?」
子どもの頃に聞いたおとぎ話と、軍に入団してから学んだ大昔の歴史に、召喚術は存在した。巨大なドラゴンや魔法を操る獣を呼び出す術なんて、彼は未だに信じられない。
「昔ではなイ。いま、われらは喚ばれタ。あなたのおうちはどコ?」
「意味わからねえ。おい、誰か来てくれ! 変な奴が出た!」
光の玉が言うことは彼には理解できなかった。呼び子笛も見つからない。彼は諦めて立ち上がると、応援を呼びながら剣を抜き放った。
「おしえテ。あなたのおうちはどコ」
「うるせえ! 俺のウチなんか聞いてどうするんだよ!」
上から下に、剣を一閃させる。光の玉はふわりと避ける。
「わたしは召喚したものの意に従ウ。召喚者はおうちをあなたの仲間に奪われタ。召喚者はあなたのおうちを奪うことを命じタ」
「なに?」
ふわふわと、彼の周りを舞いながら、光の玉は囁き続ける。
「あなたのおうちはどコ? たいせつな物はおうちにあル? たいせつなものも全部奪うことも命じられタ」
「知るか! どっか行きやがれ! おい、誰か来てくれ!」
彼は無闇に剣を振り回した。光の玉にはかすりもしない。焦る彼の耳に、別の声が届いた。
「――援護を頼む!」
声のした方を見ると、遠くで星が瞬いている。
「まさか、向こうにも?」
「いル。わたしたちはたくさん喚ばれタ。あなたと、あなたたちの仲間のおうちを奪うためニ」
「バカを言うな!」
彼は剣を振り回すことを止めて、仲間の元に走った。思ったとおり、不可解な光の玉にたかられている同僚を見つける。
「おい、大丈夫か!」
「お、お前か。なんなんだこれ!?」
「知らん! とにかく、報告しよう」
「そ、そうだな!」
味方が増えたのは心強いが、正体不明の光の玉も増えた。しかも交互に「おうちはどコ?」と囁いてくる。耳を貸さないようにして、二人の見張り兵は本隊の方に向かって走った。
「……え?」
本隊にも無数の星が落ちていた。夜明け前の闇の中だというのに、お互いの顔がはっきりとわかるほどの大量の星が瞬いて、囁いている。いや、あれは星ではない。得体の知れない、不吉なことをしゃべる光の玉だ。
「ねえ」
「あなたのおうち」
「おうちはどコ?」
「教えテ」
光の玉の玉はもはや囁いていなかった。これだけ大量にいるのだから当然だ。合間に、隊長達の怒声が響くが、まともな指示になっていない。
「ねえ」
「おうち」
「教えてくれないノ?」
「教えてくれないなら」
「ぜんぶ奪えばいいっテ」
「……え?」
囁き声がぴたりと止まった。次の瞬間、声は同時に言った。
「ダギュールに属するものは全部奪いとれって」
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