宇宙帆船レース
宇宙帆船レース
それは一匹の白い仔猿だった。
人工的に造りだされたスペース・コロニーの世界で、めったに見かけない生きた小動物の姿に、少年は目を奪われた。
「どうしたの、大地?」
いっしょに歩いていた友達が彼の様子に気づいて尋ねた。
「ごめん、フィービー。先に帰ってて」
大地と呼ばれたその少年は、そう言うなり仔猿を追いかけて駆け出した。
人工太陽の光が調節されて、町に夕暮れが訪れようとしていた。
辺りが暗くなってゆく中で、仔猿の姿は白くくっきりと浮かび上がって見失うことはなかった。
高層ビルが立ち並ぶなかで、唯一緑がある空中公園へ仔猿は向かった。
大地のはきなれたスニーカーが、公園の土をふみしめて、そして立ちどまった。
街灯の明かりに照らしだされたベンチに一人の男が座っていた。仔猿はその男の肩の上にするするとのぼった。
「どうかしたのかい?」
男が大地に気づいて声をかけた。
「いえ、あの…、その猿、あなたのですか?」
大地はおずおずと尋ねた。
「ああ…。俺の友達、ヴァンだ」
男はそう言って仔猿の頭をなでた。
「ここではめったに見られない動物だったから、つい後を追いかけてきちゃったんです」
「そうか。たしかにめずらしいだろうなあ。普通の猿じゃないし…」
大地は男の隣に座ると仔猿を近くから観察した。
アルビノ(先天的に色素が欠乏して、全身が白くなったり、赤い目をした生物のこと)特有の不思議な姿をした仔猿だった。
「おじさんはどうして夕暮れ時にサングラスをかけているの?」
大地は不思議に思って尋ねた。
「ははは。”おじさん”はひどいなぁ。これでもまだ若いんだよ。…サングラスをかけているのは、世の中を色眼鏡でみたら、現実が違って見えるからなんだ」
「ふうん…」
大地にはなんだかよく理解できなかったけれどその男の言葉にあいづちをうった。
「あれを見てごらん」
ふいに男が街頭ビジョン(大きなテレビみたいなもの)を指さして言った。
「ちょうど、今度俺がやる仕事のCMを流しているよ」
男のサングラスが街灯の光を鈍く反射した。
街頭ビジョンは同じ宣伝をくり返し流していた。それは新製品の宇宙船の内容だった。
『…このたび最新型の宇宙船が開発されました。A=E=V=ライト博士の独自の理論によるエネルギー発生装置を搭載した、宇宙帆船です。スペース・コロニー政府はこの宇宙帆船を使用した、宇宙レースを開催することに決定しました…』
「ライト博士という人は、光量子を特殊な装置で集めて、増やして、それをエネルギーに変換する方法を考えついたんだ。…けれど、地球からこのスペース・コロニーへ向かう途中の宇宙船が事故にあって、博士は生死不明の行方不明になってしまった」
男はそう言って大地のほうを見た。
「もうそろそろかえらなきゃ、家の人が心配するよ。俺の名前はアルフレッド。君は?」
「大地。大空大地。…また会える?」
「ああ。きっとな」
大地は立ち上がり、アルフレッドとヴァンに手をふって家へ帰った。
☆
「あのぅ、宇宙帆船レースの開催事務所はこちらでしょうか?」
受付のカウンター越しに顔をのぞかせて、大地は一生懸命に尋ねた。
「はい、そうですよ」
受付嬢はあいまいな笑顔を浮かべて言った。
彼女は、ここはこんな子どもが出入りするところではないし、誰か関係者の息子さんかなにかだろうか、と考えていた。
「それじゃあ、そおいうことで」
大地は、にかっと笑うと、さも当たり前のようにすたすたと奥の部屋へ歩いていった。
一瞬あっけにとられた後、受付嬢はあわてて内通の立体映像電話で奥の責任者と連絡をとった。
「あ、あの、ジラルドさん。今、男の子が一人そちらへ…」
「男の子?」
責任者のジラルド=フィリップ=ロッシーニはちょうど大事な客人との会談中だった。彼は不快そうに眉根を寄せてジェスチャーで追い払う真似をしてみせた。
「あの、でも、もうそちらへ…」
受付嬢は困惑して言った。
「ははははは…。どうやら新しいお客が来たようだね。君は忙しそうだから、俺はおいとまさせてもらうことにするよ、ジラフ」
客人が気をきかせて言った。
ジラルドはとても背が高く、親しい友人からはジラフ(きりんのこと)という愛称で呼ばれている。だからこの客人は彼とかなり親しい間柄らしかった。
「そうかい?それは残念だ」
ジラルドは本当にがっかりした様子でその人物を送り出した。
一つのドアが閉まったその途端、別のドアが勢いよく開き、入れ違いに大地がやってきた。
「なんだなんだ、君は?」
ジラルドは上の方から圧倒するように大地を見下ろして言った。
しかし大地は全然気にする様子ではなく、熱心に彼を見上げて言った。
「僕、宇宙帆船レースに興味があるんです。…いやそうじゃなくて、レースに出場したいんです!」
ジラルドはしばらくぽかんと口をあけていたが、しょうがないな、という感じで鼻先で笑いとばした。
「レースに出場だって?君が?…いいかい、新型宇宙帆船は従来の宇宙船よりずっと性能もよくなったし、操縦もある程度はコンピュータが自動的に行ってくれる。…けれど実際に宇宙船を操縦するのにはそれなりの資格と経験が必要なんだ。しかもレースに参加するとなると、ライバルたちを出しぬくだけのかけひきが必要だ。よほどの知恵と勇気と運の良さが君にはあるかい?…そもそも君はいったい何歳なんだい?十年たったらもう一度おいで。さぁ、帰った、帰った」
大地がジラルドに追い返されそうになったその時、さっきの客人が部屋に戻ってきた。
「いやぁ、うっかり書類を忘れたよ」
「あれ、アルフレッド」
大地が驚いて声をあげた。
「おや、大地じゃないか。こんなところで何をしているんだい」
久しぶりに会ったアルフレッドはあいかわらずサングラスをかけていて、肩の上に仔猿を乗せていた。
「こちらの小さなお客さんは例のレースに出場されたいんだそうだ」
ジラルドが肩をすくめてそう言った。
「この前ので興味持ってくれたのか、嬉しいな」
「えへへ」
アルフレッドと大地は顔を見合わせて笑った。
「駄目に決まってるだろ」
ジラルドが言った。
「おや、彼は出場できないのかい?」
「この年齢でできるわけないだろう」
アルフレッドはしばし考えこんでいたが、ふいに手をポン、と打って言った。
「そうだ。俺がこの子の保護者、ということで一緒に参加させてもらえないかな?」
「君が保護者?…いやそれはだな、しかし」
ジラルドは何やら言いよどんだ。
「俺はとりあえずレース参加資格を満たしているはずだ。ちょっとした問題はあるけれどね。…けれどその問題も、君の力があればすぐに解消する程度の事だと思う」
アルフレッドはにっこり笑って言った。
「しょうがないな。君は言い出したら聞かないやつだから」
ジラルドはしぶしぶレース参加申し込み手続き用紙を準備してくれた。
「それはお互いさまじゃないか」とアルフレッドは笑った。
「ねえ、ちょっとした問題って何?」
大地がこっそりアルフレッドに尋ねると、彼は人差し指を一本立ててにやりと笑い、「それは秘密だよ。…レースが無事に終わったらその時にわかるかもしれない」と言った。
☆
「今話題の宇宙帆船レースに出場するんですって?」
学校の帰り道。大地の友達のフィービーがびっくりして言った。
「うん。いいだろう?」
「ずるいわよ、一人だけ。…私もつれていってよ」
「え、いや、あの…。僕一人だけでもやっと許可してもらえたんだ。だからフィービーは無理…だと思う」
大地はしどろもどろで答えた。内心、これは他の友達とかにも内緒にしとかないと大騒ぎになるかもしれない、と考えながら。
それから毎日フィービーは大地に「つれていって」とくいさがった。
大地は学校が終わるとすぐフィービーをなだめながら帰り、その足で宇宙帆船の操縦訓練を受けに行かねばならなかった。
日がたつにつれ、そのうちフィービーもあきらめたのかレースの話題をひかえるようになった。それで大地は胸をほっとなでおろした。
そしていよいよ宇宙帆船レースが開催される前日、フィービーはやけに大地にちやほやした。
「必要なものはそろってる?足りないものがあったらなんでも私に言ってね」
大地はこの時ちょっと嫌な予感がした。
☆
レース開始まで残された時間があとわずかしかない時、アルフレッドが民間放送局のチャンネルをつけた。
『リゲル恒星系スペース・コロニー発、宇宙帆船レース!いよいよ待ちに待ったこの日がやってきました。勝利の栄冠は誰の頭上に輝くのでしょう。白熱のバトルをお楽しみください!』
大地は緊張で、何も手につかない様子でいたが、この放送には注目した。
映像の中では、美人レポーターが出場チームの紹介をしていた。
「あっ、僕だ。僕が映ってる」
大地は思わず身を乗り出して画面を指さした。
ほんの数時間前にレース用帆船に乗り込んだときの映像が流れた。
「テレビっていうのは、いつも見ているばっかりで自分が何かやるのを放送されるのも、それを見るのも初めてなんだよなぁ…」
大地はしみじみと言った。
「もうすぐ出発だ。準備はいいか?…逃げ出すんなら今のうちだぞ」
アルフレッドがにやにや笑いながら言った。
「じょおだん。こんなおもしろそうなことをやめるだなんて」
大地はにかっ、と笑い返した。
『出場チームは全部で7チーム。スペース・コロニー宇宙港をスタートした後、規定の場所に設置されたチェックポイントを通過し、再びコロニーへゴールするまでのトータル時間を競いあいます』
繰り返し、レースの説明がなされた。
『なお、このレースの優勝者には、多額の賞金と記念のトロフィーが授与され、以後、宇宙帆船レースの名誉会員として登録されます』
大地たちの乗る宇宙帆船《サンダー・ソニア号》の出発は三番目だった。
アルフレッドが操縦席で、大地はレーダーを監視して報告する補佐役だった。
宇宙港近くに浮遊する信号機が三段階の変化をとげ、発進許可の合図が送られた。
計器類の異常なしを大地が報告すると、船はゆっくりと動きだした。
宇宙帆船は宇宙空間へでると、青白い恒星の強い光に照らされて、輝いてみえた。まもなく船体に特殊な帆が広げ張られた。(この帆が空間内にあるどんな小さな光の粒子であろうと集めて内部で光粒子を増やしてそのエネルギーで宇宙船本体を動かす特別なものだった)
船の状態があらゆる意味で基準を満たすと、アルフレッドと大地は操縦をコンピュータの自動操縦に切り替えた。彼らはそこで一息つくことができた。
時折、前方スクリーンに亜空間投影で軌道を指示する赤い光文字がちかちかと輝いた。
「最初のチェックポイントはリゲル恒星系第五惑星のリーランドだ。そこまで三時間くらいかな」
「…思ったよりずいぶん暇なのね」
ふいに聞きなれた声がした。大地が振り向くと、そこにフィービーが立っていた。
「どうしてここにいるんだよ」
「ふふん。どうしてでしょうねぇ」
「どうしてでしょーねーって、あのなぁ」
「だから忘れ物はないかって尋ねたでしょう。肝心の私を忘れてもらっちゃ困るわ」
「どうしよう、アルフレッド」
大地がアルフレッドに助けを求めると、彼はまじめくさった顔で答えた。
「とりあえず、定員オーバーだから誰か一人を宇宙船の外へ放り出す」
「ええ?」
「…ようなことにはならないから安心しろ」
少年少女はその場にへたりこんでしまった。
☆
惑星リーランドに到着すると、チェックポイント通過証明を受け取りに向かった。元々この惑星には大気がなく、人工的に造られたドームの中に都市リランディアがあった。
「ねぇねぇ、大地。あの人といったいどこで知り合ったの?」
フィービーが大地の服のそでをひっぱって、こっそりと尋ねた。
大地は前を歩いていくアルフレッドの後ろ姿をみながら「スペース・コロニーの空中公園」
と答えた。
「もしかしてえらい人なんじゃないの?」
「へ?なんでそう思うんだい」
「だって…」
フィービーは無断でレース用帆船にのりこんでいたのに、それを途中でほかの星や船に預けたり追い返したりせずに、ただレース主催者に連絡をとっただけで参加者名簿にフィービーを加えてくれたのだった。それで彼女はアルフレッドのことをそう考えたようだ。
「きっとアルフレッドが大人だから僕らより話がとおりやすかっただけじゃないのかな。どうせ保護者やるのなら子どもの一人や二人ってかんじでさ。…僕にはあの人が特別えらい人には思えないんだけど…」
「そう…?」
「二人とも何してるんだい」
遅れがちになった二人を、先の方でアルフレッドが気づいて呼んだ。あわてて二人は彼に追いついた。
「ここが第一チェックポイントだ」
全面ガラス張りの建物がそこにあった。外壁が街の風景を青く映しだしている。
「なんなのよ、これ」
中に入るなりフィービーが声をあげた。
「ミラーハウスの豪華版だ」
合わせ鏡の中に無限に自分たちの姿が映しだされていた。たまに歪んだ鏡があったりして、彼らは不格好な自分の姿と対面したりした。
四苦八苦しながら鏡の迷路を抜けていくと、中間地点にコンピュータが設置してあった。
そこで身分証明カードとレース参加許可カードを提示すると、コンピュータの確認後、カードと小さなコインが受け口から出てきた。
「チェックポイント通過証明ってどんなもの?」
大地が尋ねると、アルフレッドはプラスチックでコーティングされた小さなコインをみせてくれた。
「コインの表側に刻まれている人物の横顔はこの惑星を初期に開拓した中心人物で、リーランドという人だよ」
「…ああ、それでその人の名前からこの惑星のリランディアっていう名前がついたのね」と、フィービーがうなずいた。
「こんな、誰でも簡単に手に入れられそうなコインが通過証明?」
大地はコインをつまみあげてしげしげとながめた。
「この惑星でしか採れないレアメタルでできているんだ。リゲル恒星系じゃあんまり価値
はないけれど、地球にもっていったら、たしかそれ一枚で小型宇宙艇が一隻買えるんじゃ
なかったかな…」
大地は思わず手にしたコインを取り落としそうになってしまった。
「そんなに大事なもの、なくしたりしたら大変じゃない」と、フィービーが大地からコインをとりあげた。
「なんだよ。フィービーが持ってても、同じで安心できないじゃないか」
「それは…、そうだけど」
助けを求めるようにフィービーはアルフレッドの方を見た。
「…それじゃあこうしよう」
アルフレッドはコインを受け取ると、肩の上の仔猿の首輪の裏にしっかりと固定した。
「一番安心して預けておける場所だよ」
「確かにそうかもしれない」
大地たちは笑った。
都市リランディアのスーパーで三人は食料などの物資を買い込んだ。
「小麦粉、卵、バター、牛乳。フィービー、ケーキでも焼くつもりかい?」
「ケーキでもクッキーでも、ホットケーキでも良いわよ。あ、あとチョコレートも買って」
「おかし大会か…。でも悪くはないな」と、アルフレッドは仔猿のヴァンを指でからかって遊んでやりながら言った。
宇宙港に戻ると、ほかのレース用宇宙帆船が並んで停泊している。レースの勝敗はまだまだわからない。
それぞれの時間差はあるけれど、おそらくほかのチームもチェックポイント通過証明のコインをもらったり、街で用事を済ませたりしているのだろう。
「おかえりなさい。船のメンテナンスはできていますよ」
宇宙港サービス係がアルフレッドに言った。
「おかしいな。整備を依頼した覚えはないんだが…」
「宇宙帆船レース開催者側から、すべての参加船のメンテナンスを依頼されています」
「そうか…。いやに気がきいているな。…で、それは人間がやったのかい?作業用ロボットかい?」
「ロボットです」
「そうか」
アルフレッドはなにやら思案げだった。
サンダーソニア号にもどっても、アルフレッドはなかなか出港しようとしなかった。
「どうしたの?ほかのチームに先をこされちゃうよ」
大地がむずむずしながら言うと、アルフレッドは、「レース開催者がメンテナンスを依頼するなんて話、聞いていないんだ。なんだかいやな予感がする。もう少し待ってくれ。メンテナンスの確認をとるから…」と言った。
その時だった。
どこかで爆音が聞こえた。
三人があわてて下船すると、宇宙港は上を下への大さわぎになっていた。
今しがた出港しようとしていた別のチームの帆船が爆発したのだった。幸い乗っていた乗員にも、他の人間にも死傷者はでなかった。
「皆さん。係留中のレース用宇宙帆船すべてのチェックを行ないますので、しばらく待機をお願いします」と、宇宙港サービス係が呼びかけた。それで、みんなはひとまず安全な場所に避難して、そこで待つことになった。
しばらくして宇宙港サービス係が戻って来て、
「何者かが、メンテナンスロボットのプログラムを故意に書き変えており、すべてのレース用帆船に起爆装置が取り付けられていました。これは宇宙帆船が動き出すと爆発するしかけになっています。これよりただちに撤去にあたります」と、まじめくさった顔で言って立ち去った。
「レースを妨害しようと考えている人間がいるのは確かだな」と、アルフレッドはにがにがしく言った。
「もう少しで僕らの船が爆発していたかもしれないんだね」
「すごい。…でもどうしてこうなりそうだとわかったの?アルフレッド」
「わかっていたわけじゃないさ。ただ、ひとつには、宇宙帆船の整備が予定されてないことだったのと、もうひとつは…」
「?」
「昔の知り合いがよく言っていたんだ。機械やロボットは便利だけど、それに甘んじていてはいけない、って。人間も間違えたり失敗したりすることがしょっちゅうあって信用できないんだけど、本当に重要なときには人間が自分の五感で確認しなくちゃいけない、ってね」
「なるほどね。だからロボットがメンテナンスしたって聞いて、出発をとどまっていたのか…」
まもなく宇宙港管理局から出港できるという連絡がはいり、大地たちサンダーソニア号は惑星リーランドを無事に離れることができた。
☆
次のチェックポイントはリゲル恒星系第二惑星の衛星コペルにあった。
「なんだ、これ…。巨大迷路?」
スタンプカードを手渡され、三人は奇妙な部屋に通された。まず最初にその部屋にあるスタンプを一個押した。そこになぞなぞが出題されていて、答えが三つあるドアそれぞれについていた。
「第一問。(英語のなぞなぞです。)朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足。これはなに?Aろうそく、B人間、C椅子…」
ABCどのドアを開いていくかで、通路が変化する仕組みになっているらしかった。
「答えはBだな。人間は小さいころは四つん這いで歩き、やがて二本足で歩き、年をとったら杖をついて三本足で歩く」
「ふうん…」
正解のドアを開くと、次のなぞなぞの部屋へ続く通路に出た。間違ったドアを開くと、通路は回り回ってもとの部屋へ戻ってきた。
「ここで時間をだいぶ使っちゃいそうね」
「でも面白いからいいや」
「おいおい」
三人はけたけた笑いながら進んでいった。途中、ほかのチームと出くわすこともあったが、みんなあまり焦っている様子に見えなかった。
大地は、他のみんなも自分と同じく今の状況を楽しんでいればいいな、と思った。
問題を全てクリアしたら迷路のゴールに着いた。
ここでは全てのスタンプを押したカードがチェックポイント通過証明になった。
「さぁ次だ、レッツゴー」
喜び勇んでいる大地とは対照的に、フィービーは何やら物思いにふけっていた。
「あの時。宇宙港でアルフレッドが言ったことは本当だったのかしら?もし、もしも起爆装置があることをあらかじめ知っていたのだとしたらどうかしら。そうだとしたら、彼はレースを妨害しようとしている側の人間かもしれない。でも、そんなことをして、彼にどんなメリットがあるというの?あの時のあの態度からするとそんな心配はないのかも…」
「どうかしたのかい?」
アルフレッドが彼女に気さくに声をかけた。
フィービーは困惑顔から笑顔に変えて「いいえ」と言った。
「誰かさんがあんまり脳天気過ぎて余計な心配しちゃうわ…」と内心思い、フィービーは苦笑いした。
アルフレッドの肩先で仔猿のヴァンが小首をかしげるしぐさが彼女の気持ちをなごませた。
「第五惑星のリーランドと第二惑星の衛星コペルのチェックポイントは無事クリア、と。次は第四惑星だね」
(注意・リゲル恒星系の惑星の公転位置によってチェックポイント通過の順序が決まっているので第二~第五惑星の番号順ではない。ちなみに第一惑星は恒星に近すぎて人類が近寄ることのできない惑星である。)
「…あれ、でも何で第三惑星はチェックポイントに入ってないの?」
星図表を見ながら大地が尋ねた。
「これは大きな声では言えないんだが、第三惑星には異星人が住んでいるんだ。それで外敵を防ぐために惑星の周囲に小惑星帯を人工的に配置して、うかつに近寄れないようにしてあるんだよ。…だからとりあえず今回のレースのコースから除外されたんだ。今後友好関係がよくなったらあの惑星に降りることもできるようになる日がくるかもしれないね」
「異星人ってどんなの?こーんな風に目がつりあがっていたりするとか、半魚人だとか」
「いやいや、みかけは俺達とかわらないよ。太陽系じゃない恒星系の地球じゃない惑星で発生した人類だ。色覚が非常に発達していて、可視光線以外の赤外線や紫外線の外側の光の色を見分けることができる人たちだ。…科学的にも優れている」
「まるで会ったことがあるみたいに詳しいのね、アルフレッド」
「ああ。あそこの星で以前、いろんな冒険があったのさ」
アルフレッドはそう答えながら、ふと、かけていたサングラスをはずした。そうして昔のことを懐かしむようなしぐさで周囲を見渡した。
「色彩があるってことは素晴らしいことだ。人によって同じものでも見え方が異なるように、色彩にもいろんな要素が含まれている。俺がサングラスをかけている訳は、ときどきこうして世界を再確認するためなんだ」
アルフレッドは内心、そんな風に考えた。
この時、フィービーは初めてアルフレッドの瞳の色を見た。落ち着きをたたえた、湖の底のような色だった。
☆
第四惑星のゾナロームに到着すると、宇宙港にスペース・コロニーの民間放送局取材陣が待ちかまえていた。
「いかがですか?調子は?」
美人レポーターからマイクを向けられて、アルフレッドは困惑して黙り込んでしまった。
「ばっちりだぜ。優勝は僕らがいただき!」
Vサインを出しながら大地が割って入った。
フィービーは顔を赤らめて、大地と他人のふりをきめこんだ。
「おいおい、何言ってやがる。優勝は俺達ハングリースパイダーのものだぜ」
大地と報道陣の間に、少しがらの悪い連中がわりこんできて言った。
「いいや、僕たちサンダーソニアだ」と、大地ががんばると、険悪な雰囲気がたちこめた。
けんかになりそうだと見てとったアルフレッドが仲裁に入った。
「まあまあ、誰が勝つのかはどちらにせよ、無事にレースが終了してからわかることですから…、ここは気をしずめて…」
その間にフィービーは大地を人ごみの中からひっぱりだした。
「自己主張も大切だけど、ほどほどにしてよね」
「だけどさぁ…」
大地はぶちぶちとひとりごちた。
「いやぁ、あのレポーターのお姉さんの美人なこと…」
アルフレッドがそう言いながら二人の方へやってきた。
「それは僕も同感」と大地は笑った。
「何よそれ。二人ともやんなっちゃうわ」と、フィービーがふくれっつらになった。
ハングリースパイダー号のリーダーはサザビーという名前で、本職は貨物輸送宇宙船の船長をやっている男だった。
また、美人レポーターの名前はマリラといい、現在独身の二十五歳だそうだ。
「とりあえず、最後のチェックポイント通過証明を受け取りにいかなきゃな…」
三人は惑星中央管理局に出向いた。
「通過証明は、コンピュータとチェスの試合をしていただいて、勝ったらお渡しします」
係官がすずしい顔でそう言った。
「チェスなんてやったことないよ…」
「初心者向けで練習していただいてから挑戦されれば問題ないでしょう」
「…どうせ勝てないようにプログラムを入れてあったりして…」
ぶつぶつと大地が言うと、ふいに係官の表情がかわった。彼はクリスタルでできた白のキングの駒を大地に手渡した。
「ここでの課題は、どんなささいなことでもいかさまを見破ることなんですよ。だから通過証明の駒をお渡しします」
「へ?」
あまりのあっけなさに三人は口をあんぐりと開いた。
「まぁなんだな…、なんでも言ってみるものだってことかな?」
大地は半信半疑のまま手の上の駒をみつめた。
「おしいな大地」
「何で?」
「チェスの上達のチャンスだったのになぁ」
さも残念そうにアルフレッドが言った。
「また今度機会があったら勉強するよ」
「そっか。そうだな。そしたらいつか二人でチェスの対戦しような」
「って、アルフレッド。チェスできたの?」
「いいや。全然」
「なんだそりゃ」
大地は眉根を寄せた。
「…それにしても、もし気づかなかったら、レース終了までえんえんとチェスをやっていたのかしら…」
フィービーがぽつりと言った。
「そうかもしれない」
大地は駒をぎゅっと握りしめた。
☆
『さぁ、先頭の数チームいよいよ全チェックポイントを通過したもようです。残るはゴールのスペース・コロニーへ帰還するまでが勝負です』
サンダーソニア号のテレビをつけていると、マリラレポーターがレースのもようを中継していた。
「僕、マリラさんのファンになっちゃおうかな…」
大地は画面に見とれてうっとりと言った。
「大地のばか」
なぜかフィービーが怒って言った。
「そうそう。ここにも将来有望な美人が一人いるんだもんな」
アルフレッドがフィービーに言った。
「ほっといてよ」と、彼女は逃げるように簡易キッチンの方へ走っていった。
数分後。
「ババロアだぁ」
スプーン片手に大地は目を輝かせた。
フィービーの作った、ミルクババロアストロベリーソースがけを前にして、彼はほかのものは何も目に入らない様子だった。
「どうやら大地は君のとりこだね」とアルフレッドが言うと、
「私の作った『ババロア』のとりこなのよ」
とフィービーは言った。
「でも見てなさい。もっともっといろんな物作って食べさせてそしてぎゃふんと言わせてやるんだから」
「怖いな…」
「そうよ。怖いんだからね」
この二人のやりとりに大地は気づいていないようだった。
☆
スペース・コロニーへの帰還ルートは、第三惑星とその周辺を取り巻く小惑星帯を大きく迂回する形をとっていた。
「あそこに小惑星帯さえなければ、直線コースをとって絶対優勝間違いなしなのに…」と、大地がぼやいた。
「ははははは。しかたないよ。あそこへ近づくには、操縦を手動に切りかえて、移動する巨大な岩塊を避けながら進むむこうみずさがないと…。…って、え?」
まさか、というようにアルフレッドが通信装置に目をやった。
「SOS信号だ。それも小惑星帯の中から、レース用宇宙帆船のものだ」
「アルフレッド。あれ、ハングリースパイダー号だよ。サザビーたちだ」
「とはいえ、一番近い位置にいるのは俺たちだし、放っとくわけにはいかんだろう」
二人は操縦を手動に切りかえた。
サンダーソニア号はコンピュータでセットしていた軌道を大きくそれて小惑星帯へ向かった。
「いいかい?宇宙ではとにかく人命優先なんだ。たとえそれがどういう相手だろうとね」
と、アルフレッドがいつになく真剣に言った。
小惑星帯に突入しようとした時、民間放送局のレッドアロー号から通信が入った。
「小惑星帯に近づくのは危険です。これはレース妨害ではなく、人道的立場からの警告です」
画面に美人レポーターのマリラの顔が映った。
「ハングリースパイダー号から救難信号が出てるんだ。僕らは救助に向かうんだよ」と大地が言うと、
「なんですって?…でも、いいえ、これは特ダネだわ。絶対放送しなくちゃ。…私たちもついていきます」とマリラが言った。
「冗談じゃない。レッドアロー号は高速操縦に耐える構造には出来ていないんだろう?下手をすれば君たちの方が危ないかもしれないんだぞ。これ以上犠牲者を出したくない」
滅多に怒らないアルフレッドが怒って言った。
レッドアロー号内では乗員たちが言い争いを始めた。どうやら他の乗組員たちはマリラを止めようとしているらしかった。
「うるさいんだよ、このおたんこなす。私が行くって言ったら行くのよ」
髪を振り乱してヒステリーをおこすマリラの姿に、大地もアルフレッドも口をぽかんとあけたまま、あっけにとられてしまった。
そしてレッドアロー号からの通信はぷつりととだえた。
「せっかく美人なのに、『おたんこなす』だってさ。…百年の恋もさめるねぇ…」
「それだけ彼女は、あの仕事に情熱を持っているんだろうよ…」
二人は同時にため息をついた。
「さてと、本番行くか」
「そうだね」
アルフレッドが手動で操縦し、大地がレーダーで小惑星の位置と大きさを確認して伝えた。
それは神経のはりつめる仕事だった。
一度岩塊と接触してしまった時、一時的に船内が無重力状態になった。
「ちょっと、どうなってるのよ」
フィービーが簡易キッチンの方から船内連絡してきた。
「小麦粉が部屋中に舞っちゃって、料理できないわ」
「フィービー。すぐその場所から離れて」
「…どうして?」
「限られた空間…室内に燃えやすい物質の粉が充満しているときに、ほんのちょっとした静電気なんかの火花が引火すると、爆発が起こることがあるんだ。だから急いで」
「…わかったわ」
フィービーが船内通路に出たことを確認すると、アルフレッドはキッチン周辺のブロックを一時的に閉鎖した。
まもなく船内に人工重力がもどった。
フィービーも操縦室へやってきた。現在の状況をみてとると、ヴァンを抱っこして席についた。
サンダーソニア号は、一つの巨大な岩塊に停留しているハングリースパイダー号を発見して、接近した。
『船内の空気が漏れているんだ。至急乗員の収容を請う』とサザビーから申請があった。
「大地、接舷用意」
「接舷用意完了」
「ハングリースパイダー号乗員の収容完了」
「収容確認。接舷解除」
サザビーとあと二人の男が宇宙服姿で操縦室までやってきた。
「ようこそサンダーソニア号へ」と、アルフレッドは握手しようと手を差し出した。
ところが、サザビーたちは顔を見合わせて肩をすくめた。
「助けてもらっておいてなんだが、あいにくと友好関係は結べそうにないな…」
「なぜ?」
「こういうわけさ」
それが合図だった。サザビーたちは武器をつきつけて、アルフレッドたちをおどした。そうして三人を使っていなかった小部屋に監禁した。
つまりサンダーソニア号はサザビーたちに乗っ取られてしまったのだ。船の出す識別信号を変えてしまえば、この船はハングリースパイダー号になってしまうことも可能だった。
「人命優先?どんな相手でも?」
大地がアルフレッドに聞き返した。
「いやぁ、これは一本とられたな」
ははははは、とアルフレッドは相変わらず笑っていた。
「何か対策は?」
「この部屋の扉は電子ロック式だ。鍵の代わりに何か金属板があれば、スロットを通して電気を流し、内側からも開けることができるかもしれない」
三人は室内を見回したが、見事に何もない部屋だった。
「金属の板か…。あ、そうだ。惑星リーランドのコインがあったよね。あれはたしか…」
三人は仔猿のヴァンに注目した。
ヴァンの首輪の裏側からコインをとりはずし、プラスチックのコーティングをはずしてから鍵のスロットに通した。扉は無事に開いた。
「やったぁ」
大地とフィービーは手をとりあって喜んだ。
外見からはわかりづらかったが、アルフレッドは内心ものすごく怒っていたので、扉の前の見張りを軽くのしてしまった。
見張りから奪った武器を持ち、操縦室で油断していたサザビーたちをとりおさえると、船は再びアルフレッドたちのものになった。
「どのみち、小惑星帯はコンピュータまかせじゃ乗り越えられないよ」
「高性能の新型宇宙船なんだろう?どうしてだ」
サザビーの問いに大地がこう答えた。「コンピュータより人間の方が優れているってことだよ」
「しかし、そうまでして優勝したいわけはいったい何なんだい?」
アルフレッドが疑問を口にした。
「スペース・コロニー政府議員のリスターという男から依頼されたんだ。レースを妨害する手助けをするか、レースに優勝するように。今回のレースに優勝すれば、次回からはレースに参加できないけれど、レースの開催者の一人としてレースに関与できる。宇宙帆船レース自体をやめさせるのがリスターの目的なんだ。もし俺たちが成功したならば、報酬として惑星間の貿易で優遇してもらえる筈だった」
サザビーはどうにでもなれとばかりにやる気をなくしたようだった。
「船に起爆装置までつけるなんて…」
「あれは俺たちじゃないぜ」
「他にも似たような輩がいるってことか」
アルフレッドは頭をかかえこんだ。
「黒幕はリスター議員か。確か保守派だったな…」
しかしとりあえず今は小惑星帯を抜けるのが先決だった。
「いろいろあったけど、レース再開だ」
「オッケー」
うれしさに三人と一匹は飛びはねた。
☆
小惑星帯をまともにのりきったおかげで、サンダーソニア号はどのチームよりも早くスペース・コロニーに到着できた。
船からおりると、大勢の報道陣がつめかけた。
小惑星帯を迂回してようやく追いついたレッドアロー号の乗員が姿をみせた。
「優勝はサンダーソニア号です」
マリラレポーターがマイクを片手ににっこりと微笑んだ。大地はその笑顔をもう特別魅力的だとは感じなかった。
「このレースに異議あり」
しかめつらしい年寄りの男が、人混みをかきわけてやってきた。
「リスター議員」
アルフレッドのつぶやきに、大地はこの人がサザビーたちをそそのかしたのか、と思った。
「そのサンダーソニア号のリーダーは、この宇宙帆船レースの主催者側の人間だ。レースに関係者の参加は認められていない。だから優勝は認められない」
集まった人々はざわめいた。
「いいえ、それは違いますよ」
レース主催者席からジラルドがやってきて言った。
「彼はレース主催者側の人間ではありません。彼、アルフレッド=エルトン=ヴァン=ライト博士は、今回のレース用帆船の考案者なのです」
「ええっ。あの地球からやってくる途中で行方不明になったライト博士がこの人だって?」
みんなが驚いたが、大地とフィービーは特に驚いた。
「そんなことよりもリスター議員。あなたの方こそ問題がありそうですね。サザビーたちは捕らえられてパトロールにひきわたされました。あなたにもおって沙汰があるでしょう」
「くそっ」
リスター議員はそう吐き捨てるように言って、人混みの中に消えて行った。
「どうしてあの人はレースを妨害したかったんだろうか」
「リゲル恒星系はまだまだ開拓の途中なんだ。それを宇宙に広めて発展させるのがこの宇宙帆船レースの目的だった。リスター議員は、あまりに急激に発展することに不安を覚えたのかもしれない。…それに彼から見たら、ふざけ半分でやっているように見えたのかもしれないね」
「でも僕らは真剣だった」
「そう。俺たちはね」
アルフレッドはしばらく考えていたが、「俺は優勝者の権利を辞退することにするよ。大地、君がサンダーソニアのリーダーとして優勝の権利を受け取りたまえ」と言った。
「えっ。いやだよ」
「ええっ?」
その場にいる誰も彼も(テレビ放送を見ている人たちも含めて)がことのなりゆきについてゆけずにいた。
「だって、一度優勝したら次からのレースに参加できなさそうなんだもの。今回のレースはいろんな原因でこんなふうになっちゃったけれど、正々堂々とレースをやってはじめて優勝者が決まるのでなければ意味がないよ」
大地はみんなを見渡して言った。
「僕はいつか自分の力でレースに参加してその時こそ本当に優勝してみせます。だから今回の宇宙帆船レースは優勝者なしです」
会場はてんやわんやの大騒ぎになった。
☆
「アルフレッド、君にはいつも驚かされてばかりいるが、今回はあの子どもにもずいぶん驚かされたよ」
騒ぎが静まった後、ジラルドが言った。
「子どもはみんなびっくり箱だよ。いろんな可能性を持っているからね。そうして大人になってからも多少選択肢は限られてくるけれどその可能性は残されていると思う」
「あの子が『見ていろ十年後には自力で優勝してやるぜ』とか言ったものだから、最低でも十年は宇宙帆船レースを続けなければならなくなったよ」
「喜ばしい限りだ」
宇宙帆船レース主催者の本部ではいつまでも笑いが絶えなかった。
10年後に小説家になっているぞ!というつもりでしたが、実際には20年以上経過してしまいました。(苦笑)できれば今からでも小説家(SF作家)として認められたいです。