1:夜見回りにて
逓何25年8月7日。
樂草の国の巳秦の地方にて。
夏が始まって、蒸し暑い日が続いていた。
時間的には、もうすぐ真夜中に差し掛かる時だ。
木造の高い建物の中には、天上にある光る石から柔らかな光が行き届いていた。
外は夜だから真っ暗だというのに、この建物の中だけはまるで昼のような明るさだった。
ここは巳秦と呼ばれる街にある夜警団「黒鯨隊」の集会所である。
「命花。今日はお前と美寧が南区の担当だぞ」
一人の中年男性が何やら書類を持って話をしていた。
がっしりとした体躯の持ち主で、剃り損ねたのか、ヒゲが少しばかり顎に残っている。
不精そうだが、口調と相まってそれが”人当たりの良さそうなオッサン”という雰囲気を出していた。
彼の名は「スゥ」と言った。
ここ集会所の受付を担当している黒鯨隊の人間である。
建物はおおよそ3階ほどの階層があって、内部はかなり年季が入ったつくりになっていた。
古くなった椅子やら丸机やらが、古びた雰囲気を感じさせるが、手入れが行き届いている為か、それほどボロな感じはしない。
中では、多くの人々が何かに追われるように、せわしなく行き交っている。
ここ集会所は、魔獣を倒すための街の守護隊が集まる場所であり、主に夕方から朝までが仕事の時間であるため、そこで働く者たちは「夜警団」と呼ばれていた。
「はいはい、わかってるわよ」
スゥの言葉に、受け付けのカウンターの前に居た黒髪ショートの少女がダルそうに返事をした。
「全く……いつになったら外に出る任務につけるのかしら」
「まぁまぁ、メイちゃん。ぶつくさ言わずにやろーよ」
黒髪ショートで、いかにも活発そうな少女は「鈴命花」、茶髪にパーマっぽいミドルヘアの少女は「馬美寧」と言った。
二人はここ巳秦の街の女学生であり、黒鯨隊の一員である。
大きな街にある夜警団は、国から直接やってきている軍人たちが街の治安維持や、魔獣からの街の守護任務を担っているのだが、ここ巳秦のような小さめの田舎の街では、人手が足りないため、危険度の低い雑用の仕事は街の学生にも手伝いを頼んでいるのだった。
「手抜きはしちゃいかんぞ。何せ夜警団の仕事は、街の平和を守る重要な仕事だからな」
「そりゃ、それはわかってるけど……」
世界は三つの巨大なる国に分かれている。
巨大なる大陸国家”翡慶”。義と歴史を重んじる”樂草”。そして小さな国の集合体である”文囲”。
これら”三国”は発展していく中、各地で争い、多くの血が流れた。
「また大国同士でドンパチやり始めたりはしねーだろうけど、野盗やら盗賊やらはまだまだ地方に居やがるからな。ほんと、警護は大事なんだぜ? わかってるかぁ?」
今、翡慶、樂草、文囲の三国は今の所は平穏な関係を保っている。
しかしそれは形式上であって、戦乱が明確に終わったという区切りはついていない。
そういう意味では、治安は非常に不安定なものとなっていた。
有事に備えて都市部に多く守りの為の軍人やら術士が配置されているため、まだ地方には山賊やら夜盗やらが蔓延っており、防衛の要として夜警団はどこの街でも欠かせない存在となっている。
そのような荒れた世の中だが、さらに大きな不安の種があった。
それが、”魔獣”と呼ばれる存在だ。
「でも最近は壁もちゃんと出来てるから、魔獣もそんな寄り付く事ないじゃない」
「そりゃそうだが、だからって手を抜いていいわけじゃない。夜ってのは、もう人の支配する世界にはなってねーんだからなぁ~」
ある時、各国々に突如として異形の怪物が現れるようになった。
巨大なるトカゲのような激しき気性を持つ”龍”と呼ばれるもの。人のような獣のような”獣人”。小さな建物ほどの大きさを持つ”魔狼”。
彼ら通常の獣をはるかに越えるサイズを持つ怪物たちは、陽が沈んだ後に活動的となり、人々を襲った。
たちまち、夜は魔の世界と化し、人々は高い城壁で村々を囲うようになり、陽の光が消えた闇の世界では、街中に籠もり、ただただ襲撃に震えるようになった。
皮肉にも怪物たちが現れたおかげで、戦乱の渦は収まり人々は壁に囲まれた街や国の中で、一応は静かに日常を過ごせるようになったのである。
「いっつも簡単な見回りばっかりだもん……愚痴のひとつぐらいいじゃない」
「なんか言ったか?」
「別に~」
夜警団が結成されている主な理由は、街の治安維持のためだが、その役割は山賊やら夜盗やらから街を守るよりも、”魔獣”と呼ばれる存在から街を守るためという事の方が大きい。
街は現在、周りはぐるりと壁に囲まれているのだが、時折、その外側に人を食らうために怪物がやってくるのだ。
夜警団は、それらから街を守るのが本来の仕事だ。
「今日もそうそう魔獣がやってきたりはねぇだろうけど、気をつけろよ。おめぇ、まだ大した術は使えねぇだろう?」
人々は魔なる存在と戦う為に、魔獣から取れた物体を用いて魔道具を作り出し、”術”と呼ばれる力を使って戦うようになった。
魔獣は口から火や電気を吐き出したりするが、その源は生命あるもの全てが持つ「煉」と呼ばれるエネルギーであり、
そして、魂から生まれ出でる「魄」と呼ばれる力の源だった。
人は彼らに対抗する為に、様々な奇跡を操っていく力を磨くようになった。
その力を専門に扱う人間を「術士」と言う。
それは、メイファが憧れている職業でもある。
「はいはい。わあってるってぇの~」
「それ、もしかしてボーファンの真似?」
「そー。似てるでしょう?」
ミーネが訊ねると得意げにメイファは言った。
ボーファンというのは、同じ学校に通っている同級生の男子生徒だ。
スゥほどではないが、身体が大きく、がっしりとした体つきの男子で、夜警団の中でも、もうすぐ前衛へと上がる手前ぐらいの仕事を任されている期待の隊員である。
「てっめぇ! 俺はそんな間の抜けた声出さねぇっつーの!」
「わっ! きっ、来てたのボーファン!?」
入り口からメイファが出ていこうとすると、前方から当のボーファンがやってきていた。
今日から本格的に夜警団の外周防衛員として経験を積むために、槍を持ってきていたので、それでメイファを突くフリをする。
「ったく……明日てめー憶えてろよ。体育の時間に集中狙いしてやるからよ」
「へぇー? やれるもんならやってみなさいよ。面白いじゃない。売られた喧嘩は買うわよ」
「ちょ、ちょっとメイファ……やめようよ」
ボーファンは捨て台詞を吐くと、身に着けている鎧をアピールするように一度胸を張ってから出て行った。
鎧は、薄いながらも質のいい鉄の鱗が張り合わせられている為、ギラギラと集会所の灯りに反射して綺麗に光っていた。
あの鎧は戦闘要員が身に着けるもので、魔獣たちと直接戦うことになるため、薄いながらもかなりの強度がある。
「おいおい、いい加減にしろよ。見回りは遊びじゃないんだぞ」
「わかってるわよ」
「ったく……ホント、気をつけろよ。街中っつったって魔獣は絶対に出て来ないって保障はないんだからな。芝原じゃあ、”アレ”が出たとかまで言うし、ここらにも出る可能性があるんだ」
スゥがメイファを嗜めながら、嫌そうに呟いた。
「あれって……僵尸のこと?」
「そうだ。芝原の集会所が全壊された事件。お前も知ってるだろ? 13人も殺された。しかもどれも腕利きの戦士と術士が……っていう奴だ」
「いくらなんでも……僵尸なんているわけないじゃないの。芝原の件だってまだ本当かわからないんだし、そんなものただの作り話よ」
「しかし……」
「ミーネ、行こ!」
これ以上は長くなりそうだ、と感じたメイファはスゥの言葉を遮るように、ミーネの手を引っ張って夜の街へと出ていった。
出て行く途中、メイファの脳裏に噂話で聞いた話がよぎった。
スゥが言っていた「僵尸」の話を。
■
事の発端は、芝原と呼ばれる街で、夜警団の集会所で、凄惨な殺人事件が起きた、というものだ。
朝方、芝原の住人から通報があって、夜警団の集会所の中が”凄惨”と言うしか形容しがたいような状態となっていたからだ。
事件の調査には、樂草の防衛省から監査官が一人派遣されてきており、「タグラ」と呼ばれる中年の男が当たっていた。
「うへぇ……こいつはひでぇ」
派遣されてきていたタグラはうんざりしていた。
現場となった集会所は、どこへ視界を移しても、赤黒い血飛沫がこびりついており、その跡は壁のみにあらず、一部は天上へと広がっていた。
事件当時はまだ、そこらに肉片やら身体の一部やらが飛び散っていて、さすがにそれらはある程度回収されていたものの、血の臭いは凄まじく、一呼吸で口の中に鉄の嫌な香りが充満するほどだった。
思わずタグラは口元を手で押さえながら言う。
「一体、何があったってんだ?」
その場に現場検証へと来ていた警部が、タグラへと言った。
「目撃者の話では、今日の深夜2時ごろに騒ぎがあったらしく、大きな叫び声を聞いて、近所の人間が駆けつけた時には誰かが出て行く姿が見えた、と言う話です」
「それで集会所の中へ入ったら皆殺しだった……っていうのか?」
タグラが言うと顔をしかめながら警部は「はい」と答えた。
彼もあまりに酷い血の臭いにうんざりしているようだった。
「魔獣とか獣人の類が侵入してきたってわけか? 今まで街の中にはそう入ってこなかったってのに」
「いえ……それが、目撃者の話では、一瞬だけ懐中灯を当てることが出来たらしく、犯人の姿が見えた……と言うのですが」
「なんだ。何がやったのかはわかってるのか。で、ホシは何だったんだ?」
「人間だったそうです」
「人間ね……うん? 人間だって? 馬鹿な。ここは夜警団の集会所だぞ? 武装してるやつが何人もいるし、術士だっている。普通の警察署より下手すると襲うのが大変だぞ」
「それが……証言では薄く暗い青色の肌をしていて、口からは外側に剥き出しになった鋭い歯が見えた、とのことです」
「鋭い歯……?」
「それで、目撃者が言うには”僵尸”だったのではないか、と」
「キョンシーだと……? ンな馬鹿な。獣人やら魔獣やらならまだ信じようもあるが、そこまで行くと完全に空想上の怪物じゃねぇか」
「う、嘘じゃない!! あれは、間違いなくキョンシーだった……」
「ん? 誰だ?」
タグラが皮肉めいた感じに言うと、現場の奥からボロボロの服を着た男が出てきて言った。
「目撃者のスンです。検証の手助けになるかと思い、来てもらいました」
タグラは警部にそう言われ、改めて目撃者の男「スン」を見た。
ズボンの裾は、わずかに黒い血痕がついており
男の手先が震えているのが目に入った。
「ズボンの血は……」
「こ、こ、ここに入った時に着いたんだ。今よりも酷くて、血の海としか言いようがなかった……」
スンは”命からがら逃げてきた”という雰囲気でいた。
よほど恐ろしかったのだろう。
証言する事すら怖がっているようで、口元に手を当てて話しをし始めた。
「あれは間違いなく僵尸だ。お、俺は……一度だけ、明連の方で僵尸の絵ってのを見た事があるが、あれにそっくりだった……!」
「しかし……そんな絵空事みたいな怪物が出てくるわけが……」
「ほっ、本当だよ! 俺は……とんでもない形の死体も見た。あ、あんな事を出来るのは僵尸しか居ない……あ、あれは化け物だ。獣人なんか比にならない。本当の化け物だ……」
スンは最初、犯人として疑われていたが、発見された死体の形状から、犯人ではないだろうと除外されていた。
死体は、どれも四肢を凄まじい力で捻り切られていたのだ。
まるで腕白な子どもがオモチャで遊んだ跡のように、犠牲者の身体はどれも千切れ、バラバラにされていた。
そればかりか頭だけ見つからなかったり、手だけが残されていたりしていた。
(……あんな事を、か……)
僵尸というのは大国の内の一つ「翡慶」では「ゾンビ」とか「グール」とも呼ばれている怪物で、生きている時に悪行を重ねた人間、もしくは強い恨みを抱いて死んだ人間が、死した後も冥界へと行く事ができずに、蘇った化け物であるという。
僵尸となった人間は、苦しみながら現世をさまよう事となり、その苦しみを少しでも癒そうと命あるものから精気を奪おうと……つまりは喰らおうと襲い掛かってくるのだ。
死後硬直した身体で動くため、飛び跳ねながら移動する姿が有名で、書物にはそちらの姿が描かれている事が多い。
「こっ、これから……夜はどうすればいいんだ……?」
スンはおののきながら、呻くような声で言った。
タグラは、本当に絶望している時に、人間の声はこのような感じになるのだろうな、と思った。
「とにかく、急いで夜警団の再組織をしなくちゃならんな」
結局この事件は犯人が今も見つからず、解決しないままで、「僵尸」が現れた、と人々の噂になることとなった。
それが丁度、一ヶ月ほど前のこととなる。