第二話 まぶしい世界
バス停で時刻表を調べて見ると、バスはついさっき出たばかりだった。わたしは仕方なく、国道に沿って歩き始めた。
午後二時。快晴の空からは日の光が惜しげもなく降り注ぐ。このところひきこもっていたわたしは、まぶしくてよく目が開けられなかった。
少しだけ開いたまぶたの間からでは、視界がずいぶんと遮られる。まるでカメラのファインダーから覗いているようだ。のぼりが立っているガソリンスタンド、角のコンビニ、少し傾いたポスト……狭い視界に映像が映り込み、ピントを合わせていく。そしてわたしは、いつのまにかあの頃と変わらないものにだけシャッターを押していた。無意識のうちに、ひたすら『三年前』を探している。そんな自分に気づいて、わたしは苦笑するしかなかった。
高校を卒業すると、わたしは他県の大学に行き、それと同時に実家も引っ越した。花宮とは縁が切れる。あの時は本当にそう思った。
確かに最初の頃、わたしは花宮のことを思い出しもしなかった。日々の生活に一生懸命で、それなりに楽しんでいると思っていた。なのに三年経って、わたしは突然前に進めなくなった。思いつくことはなんでもやってみたが、なに一つ変わらなかった。
―花宮に戻ってみよう。
それ以外にはない気がした。わたしはきっと、どこかで何かを間違ったのだ。だとしたら、わたしは人生の分岐点まで戻らなければならない。そう思った。忘れ物を回収し、借りていたものがあれば返し、そしてやり直せる事があるなら、もう一度やってみるために。
「麻奈……だよね」
突然後ろから声をかけられて、わたしは心底ぎょっとした。こわばった顔で振り返ると、そこにはあまりにも見慣れた明るい笑顔があった。
「……理沙」
「もう!やっぱり麻奈じゃん」
理沙は両手を広げてわたしに跳びついてきた。わたしより10cm背の高い理沙は、わたしの視界をすっかり塞ぐ。理沙は暖かくて、甘い日向のにおいがした。
「帰ってくるんなら連絡してよ。一瞬、幻覚見たのかと思っちゃったじゃん」
理沙はわたしを解放すると、少しだけ怒った顔をしてみせた。
「ごめん……。着いてから連絡しようと思ってたんだけど」
「着いてからって、どこに?ホテル?」
「ううん。おばあちゃんが家具付きで人に貸してた家。いまは空いてるから、しばらく使わせてもらえることになったんだ」
「どの辺?」
「…和坂の上の方にあるんだけどね」
「和坂か。春樹のとこよりもっと上になるんだね」
「…うん、だいぶ上だよ」
『春樹』という名前が出て、わたしは正直びくりとした。あの逆三角形の小顔とか、華奢な肩とか、驚くほど大きな目とか、そんなものが一気に蘇ってくるような気がした。
「あっ、やばい。時間ない。わたしこれからバイトなんだ。もうっ、麻奈が連絡くれてたら、シフトずらしてもらってたのに」
「ごめん。今夜電話するよ」
「八時には家に戻ってるからね。電話、待ってるよ」
理沙はわたしの背をぽんと叩くと、それから駅に向かって走って行った。相変わらず無駄のないきれいな走りだ。わたしは、理沙が建物の陰に隠れてしまうまで、その走りに見とれた。
『理沙は美術部じゃなくて陸上部に入ればよかったんじゃないかな。絵よりも才能がある』
『春樹、あんたが言うとしゃれになんないわよ』
『そう?僕は絵しか描けない偏った人間だから、理沙がうらやましいと思うよ』
『はあ!?むかつくよ、この天才!!』
頭の中で、勝手に理沙と春樹の会話が再現された。二人はいつでもこんな調子だった。お互いにぽんぽんと言い合ったが、それが後に引くということはなかった。
春樹は理沙が『うらやましい』と言っていたが、わたしの方こそ二人がうらやましかった。三年間同じ美術部に所属していながら、春樹を前にした時だけわたしは常に怖気づき、思ったことの十分の一も口にすることができなかった。わたしは情けない小心者だった。