仲良し家族
午前七時。まだ過ぎ去り切っていない冬。身体を突き抜けるような北風に晒されながら、柊刻矢は広大な敷地を持つ洋館の前で静かにその時を待っていた。飼い猫であるクロエが、従者の如くぴちっとした背伸び姿勢で刻矢の横に座っている。刻矢は呆れと退屈の混じった溜息を小さく吐きつつ、「女の子の支度は長いな」と控え目に笑う。クロエの柔らかで温かい毛を掌でそっとなぞった。
正直なところ、刻矢は家の中でゆっくりしていたかったが、妹の姫陽に何故か笑顔でクロエごと追い出されてしまった。隣の豪邸も見てみるが、もう一人の待ち合わせしている人物――幼馴染みの神宮寺麗那が出てくる気配はない。
「なあクロエ。俺達の扱い悪くないか?」
刻矢がクロエに聞くが、当のクロエは軽く鳴いてから足元に寄って来るだけだ。
「まあ、お前に聞いても解らないよな」
刻矢が微笑みながらクロエを顔まで抱き抱えると、クロエが刻矢の顔に優しく頬擦りする。更には、刻矢の腕から肩へと飛び乗り丸くなり欠伸し始める。
「もう子猫じゃないんだから――まあ悪くないか」
刻矢はクロエを肩に乗せつつ、待ち合わせている少女二人が来るまでクロエと遊ぶ事にした。
しばらくすると、洋館の柵状の門から姫陽が出てくる。
「ごめんなさい兄さん、クロエちゃん」
「問題ないさ」
刻矢は遅れた姫陽に対し、責める事なく優しく言う。その言葉に安心したのか、姫陽はにっこりと刻矢に笑顔を見せる。
「白のワンピースか、可愛いよ姫陽。ただ、吊り下げているとはいえ背中や肩、袖が省略されてるのがいただけないな。春なのに見るだけで寒そうだし、まるで誰かに見せつけているみたいじゃないか」
刻矢が姫陽の服装にダメ出しすると、姫陽が涙目かつ赤面しながら刻矢に訴えかける。
「誰かに見せつけているって、それは……兄さんに……ですよぉ」
「何か言ったか?」
「い、いえ、何でも、ありませんっ!」
やれやれと刻矢が首を軽く横に振りつつクロエを一度地面に置き、姫陽に自分の着ていた薄い上着を無理矢理着せる。
「え、ええっ!?」
「これでよし」
刻矢の行動に、姫陽の顔が更に赤くなっていく。更には自分の頬に両手を当て慌て出す。
「どうした?」
「い、いえっ! ありがとう……ございます」
姫陽が心の中でも喜んでいる反面、クロエが恨めしそうに見ていた。どうやら、刻矢を奪われたと思っているらしい。
「ク、クロエちゃん?」
クロエが「別にー?」とでも言わんばかりに、不機嫌そうな鳴き声を発する。
「仕方無い、おいでクロエ」
刻矢が肩に登るようにと右手を差し出し促すが、クロエは右腕を強く噛む。愛情表現の甘噛みなんてレベルではない。
「いたっ……おいクロエ。まさか、嫉妬してるのか?」
その言葉を肯定するかの如く、クロエが噛み付きながら軽く唸る。
「何が気に障ったんだ? 人の言葉を喋れたらなあ」
「ごめんごめん遅くなった! ……ってあれ?」
隣の屋敷から、刻矢達が待ち合わせていた神宮寺麗那がやって来る。やはりお嬢様と言うべきか、ウェーブを掛けた腰まで届く艶のある黒髪とお人形の如く端正な顔。スタイル抜群という美少女だ。
ただ、長袖の左袖を肩の部分ごと省略し、紫のスプレーで模様を付けた白のシャツ。色褪せたダメージジーンズという服装が、育ちの良さを相殺している。
「ごめん姫陽。こいつもこいつでダメだった」
「オイコラ喧嘩売ってんの?」
麗那が刻矢を睨み付けるが、すぐに右腕に噛み付いているクロエに気が付く。
「刻矢、またクロエをいじめたの?」
「俺がいじめた事なんてないだろ。クロエから勝手に噛み付いてきたんだ」
「えっとですね――」
姫陽が麗那に事情を説明する。聴いている麗那はうんうんと頷きながら刻矢とクロエを交互に見比べる。
「あー、刻矢が悪い」
「何でそういう結論に至った」
「クロエは刻矢が好きなのよ。だから、ひなちゃんに独り占めされたと思った事くらい察しなさい」
「ごめんなクロエ」
刻矢が撫でながら謝ると、クロエが噛むのを止めて擦り寄ってくる。どうやら、許してくれたらしい。
「クロエちゃんって乙女ですね」
姫陽の言葉を肯定するかの様にクロエが優しく鳴く。理解してもらえて嬉しいようだ。
「さて、うちの姫も機嫌が良くなった事だし一緒に出掛けるか」
こうして三人と一匹は家を後にした。