悪魔と餌
カンカンカン。
威勢の良いトンカチの音があちらこちらで鳴っている。
それは、今にも崩壊しそうだった屋敷の修復作業をしている音で、その作業も後少しで終わろうとしている所。
そろそろ、エドの様子を見に行きたいんだけど、ラミアが次に来た時…ディルクは確実に餌として魔界に連れ込まれてしまう。
餌認定すると言う囁きがどんな術なのかも分からないし、ラミア自身の事も、時間と記憶を食べるって事以外は良く知らない。どんな術を使うのか、どんな戦い方をするのか…。
あ、そうだ。
出て来る前に俺が魔界に行って、直接ラミアを説得すれば良いんじゃない?でも待てよ…俺は何度もラミアと喋ってる。囁きを使われた可能性はゼロじゃない。それなのにこのまま魔界に入るのは危険だ。
安全に魔界に行く方法…。
「そうだ」
良い方法があるじゃないか!そうだよ、初めからやろうと思っていた事を今やれば良いんじゃないか。エドの事は気にかかるんだけど、下手に関わらない方が良いんだ。少なくともあの町の連中は、自分達以外の者を敵対視している。それなのに天使である俺がエドに会いに行ったら、天使の仲間だ。とか言いがかりを付けられて、下手をしたら…倒されてしまう。
「何か良からぬ事を考えていますね?」
そう断言したのは“魔石”から出てきたピヨ。
「で、何するんだ?」
続いて出てきたのはポチ。ペペは呆れた表情を浮かべながらも無言で出てきた。
目立ち過ぎるルシフェルは俺が町の中にいる間は遥か上空で待機しているから、作戦を立てるにはこの状況は非常に都合が良い。
「階級全部落とそうと思うんだ」
残った階級をズドンとマイナスにする勢いで爽快に落とそうと思う。そしたら人間か悪魔に堕ちる。悪魔になれたら、安全に魔界にいける筈!
「はぁ!?」
「何を言っているのかしらぁ?」
ポチとペペから同時に抗議の声が聞こえて来る。ピヨは無言だけど、同意してくれている訳ではなくて、ただ呆れて声が出ないだけのようだ。
「着いて来てなんて言ってないでしょ?行って来るって挨拶だよ」
悪魔になっちゃったら、その先どうなるか分からないしね。そんな不確かな事に皆を巻き込みたくないし、これ以上迷惑をかけたくない。
「はぁぁ!?」
「なぁにを言っているのかしらぁ!?」
再びポチとペペから、さっきよりも大声で、声の低い抗議の声が聞こえた。ピヨは無言だけど…目付きが怖い。
どうして怒るのさ!もう良いよ!自己責任だからね!
「一緒に悪魔になっても良いって思う者だけ“魔石”に戻って」
俺の前から3人の姿が瞬時に消えて、その代わり青く光る“魔石”が足元に転がった。悩む時間0秒って!
3人の“魔石”を拾い上げ、薬草を摘みに行く振りをして町から出て草原に向かうと、遥か上空からルシフェルが降りてきて隣を歩きだした。大天使が、隣を歩いている。
「今日も傷薬を作るのですか?」
飽き飽きした風に溜息を吐くルシフェルに頷いてしゃがみ込み、丹精込めて傷薬を調合した。いつもなら10個分は同時に作る所、1個だけ。
出来上がったばかりの傷薬を手渡した所で“魔石”から出てきたポチは、ルシフェルの後ろに立つと羽交い絞めに。すると今度はピヨがルシフェルの右足を掴み、ペペが左足を掴んで、完全にルシフェルの動きを封じた。とは言っても、ルシフェルはポカンとしたまま暴れもしなかったんだけど。
暴れてくれないと、ただの遊びと判断されて階級が下がらないかも?いや、殴ってしまえばそれだけで反逆になるし、それを手助けしているポチ達も漏れなく同罪だ。でも、それじゃあ主犯の命令に従っただけだから、そこまで重い罪にはならないかも?だったら…やるしかない。
「今からルシフェルを攻撃するから。それが嫌なら攻撃されないように逃げてね」
残り階級2の俺が、大天使を攻撃する。その意味が理解出来た時、ルシフェルは恐ろしい表情で暴れる事、暴れる事。
「何ボォーとしてんだよ!3人がかりでも限度があるっての!」
あ、うん。ルシフェルを押さえ付けるのは確かに大変だ。じゃあ、行くよ!
長い間使っていなかった短剣を鞄の中から取り出して構えると、ポチ達まで驚いたように目を開いた。
まさか、適当に数回叩くだけだと思ってた?そんな軽い攻撃で階級が落ちる程天界も厳しくないよ。だからね、もっと、ちゃんと、本格的に攻撃しなきゃならないんだ。
「この後、傷薬使ってね」
「止めてください!どうして貴方が堕ちなければならな…」
プスリ。
力を込めて思いっきり刺すと短剣の根元まで突き刺さり、腕を貫通して剣先が向こう側から見えた。
グッと剣を引き抜いて、腹部を切りつけてから最後は太もも。流石に貫通はしなかったけど、それでも出血が酷い。
傷薬1個じゃ足りないかな?いや、多少ダメージが残っている方が回復の為に天界に帰るだろうし、これで良い。
さて、階級が見事にマイナスになったんだけど…特にどうにもなってない…よね?これ一旦天界に戻って「堕ちろ」とか天使長に言われないと駄目なのかな?
今の俺はまだ天使なのだろうか?
羽織っていた上着を脱いで後方に見えるのは自分の羽。綺麗な天使の羽じゃなくて黒く変色した悪魔の、羽!
え?こんな無症状で悪魔になれるものなの!?もっとこう…頭が痛むとか、羽が変わるんだから背中が痛むとか…何もないんだ?
そう思ってポチ達を見ると、ポチの肌の色が少し濃くなっているし、ピヨの羽も何時の間にか黒になってるし、ぺぺの爪と牙が伸びている。
皆、微妙な変化だ…。
それで、ここからどうやって魔界に行けば良いのやら?悪魔になったら勝手にいけると思ってたんだけど、ここは天界と同様に何処かに門があるのかな?でもラミアは町の中で堂々と魔界の入り口を開けていたから…もしかして!
ラミアが魔界の入り口を閉じていたあのジッパーを下ろすような動き。それを真似するように手を上げて、宙を摘まんで下に引いてみた。すると、グニャリと空間が歪んで、真っ黒な空間が目の前に現れた。ちょっと怖かったけど、頭だけ中に入れて周囲を確認してみると、中は意外と明るい。丁度夕焼けみたいな感じ…かな?綺麗な夕焼けじゃなくて、ちょっと天気が悪くてドンヨリと暗い感じの。それでも真っ黒な入り口を見た後だと明るく感じられた。
特に、危険はなさそうなので中に入って、今度は顔だけを外に出してポチ達に手招きをした。
次々に魔界の中に入ってくるポチ達と、泣きそうな顔で倒れたまま動かないルシフェル。
「早く傷薬飲んで。それと、良いって言うまで着いて来ないでね」
本当は着いて来るなって言おうと思ってたのに、あまりにも可哀想になって余計な言葉を足してしまった。こんな言い方をしたら、ルシフェルはいつまでも俺を待ってしまう。
「なにか…考えがあっての事…なのですね?」
急に表情がキリッとするんだもんなぁ…だったら、もう少し言葉を足そうかな。
「何もないのにこんな事しないよ!とにかく、ルシフェルは天界で待機ね」
これでルシフェルは天界で大人しく暮すだろう。天使長の兄だし、きっと副長になって、自分を慕う多くの天使を目の当たりにする筈だ。そうなったら悪魔になった俺を待つよりも大事な事を見付けるだろう。
ルシフェルが傷薬を飲むのを見届けてから笑顔で手を振り、魔界の入り口を閉じて振り返ると、ポチ達が物珍しそうに周囲を見渡していた。
草原なのだろう、建物も何もない空間がズット遠くまで続いている。見上げた所で太陽も、月も、星もないから方角が分からない。
「それで、ここからどうするのかしら?」
爪が急に伸びたとはいっても、そこまで不便でもないのか、普段と同じように腕を組みながらペペが言った。
これから何をするのかなんて決まってる。
「ラミアを見つけて、見張るよ」
まだ魔界に来たばかりで何処に行けば何があるのかも分からないけど、ラミアの気配を辿れば問題ない。
気配を辿りながら走って移動する事少し。急に走るスピードを落としたポチがポツリと言ってはいけない事を呟いた。
「腹減った…」
朝から何も食べていない俺も、お腹は空いてる。でも、こんな赤黒い場所に食べる物があると思う?まだ魔界の住人にさえ出会えていないんだよ?
だから我慢してたし、考えないようにしてたのに…焼肉が食べたい!
あ~も、考えちゃったよ!肉の焼ける音も脳内再生されちゃったよ!
「ラーメン…塩で」
そしてピヨは具体的に食べたい物を発言し、俯いてしまった。
「そうね…午後のティータイム、と行きたい所かしらね。さぁ、行くわよ」
ぺぺはサラッと言うと落ち込んでしまっている俺達の背中をバシバシと叩いて足を前に出させる。
そうやって中々離れない焼肉の残像をどうにか誤魔化そうとして、ふと思った。
俺達は悪魔になったんだ。それなのに焼肉?ラーメン?ティータイムって…それで良いの?もっと、なんと言うか…悪魔っぽい食べ物じゃなくて良いの?
「人間を頭から食べたい!とか…記憶を食べたいとか…そんな感じはない?」
尋ねてみると、今度はペペも立ち止まって振り返ってきた。
俺は、焼肉が食べたいよ?だけどそれは人の肉じゃなくて、牛が良い。豚も美味しいし鹿も良いよね!
「人間を食べる、まるで妖怪か悪魔のよう…あぁ、私達は今悪魔だわ」
自分が悪魔になった事を忘れてしまう程、普段通りだもんね。俺だけかと思ったけど、皆そうなら、悪魔になったからって突然変異はしないんだね。
「食べ物の好みってのは悪魔になった所で変わらないんだな」
それはそれで大変だけどね。
俺はお肉が食べたいけど魔界にあるのかな?ポチが好きな魚も、ピヨが食べたいと言ったラーメンも、ペペが言ったティータイムも地上に行かなきゃ手に入らないのかな?
ラミアと話が付いたら、魔界の事を色々聞かなきゃね。もしかしたら市場があって、そこでは美味しそうな食料が売っているかも知れないし、通貨があるなら働いて稼がないと。
再びラミアを目指して移動を開始させていくと、微かに多くの人の気配も感じるようになって来た。
それは良く知っている気配で、ディルクだけじゃなくてエルナさんや、町長さんの気配もあるし、恭治もいる。
カンカンカン。
そして聞こえて来る威勢の良いトンカチの音。
修復途中の屋敷周辺に魔界の入り口が開いたのだろう。開けた人物は、ラミアに違いない。なんの為に?ディルクを魔界に連れ込むためだ!
急げ、急げっ!
俺は立ち止まって地上への出口を開け、外を確認してみた。するとそこは町の入り口の近くで、一気にラミアに近付けた。だから地上に出てから再び走り出した。
カンカンカン。
トンカチの音が聞こえる作業場の外れに、魔界の入り口が開いている。その前には何かを引き摺ったような跡。
入り口が閉じていないのなら、まだ間に合うかも知れない!
ゆっくりと閉じて行く入り口に手を突っ込んで中に押し入ると、ただの餌であるディルクの傍にはラミアがいて、記憶でも生きた時間でもなく、肉体を食べようと大口を開け、肩を押さえ込んで首に噛り付いていた。
色んな事が頭から消えて、ただ、ディルクを守りたい事しか考えられなくなっていた。
ラミアはきっと、悪魔になっていた俺を見てビックリしただろうし、同族なのだからと安心したのかも知れない。だから、無防備だったんだ。武器も手にしてなかったし、気配だって穏やかなままで…。
悪魔にとっては普通の食事。それは分かっているのに、それがディルクだったから見過ごせなかった。じゃあ、知らない人間だったらどうなってた?
分からない…。
ラミアから聞こえて来る苦しそうな呼吸音は徐々に弱くなり、フワッと体から飛び出した魂は真っ黒な空を上昇していく。
体からはシュー、シューとガス漏れのような音。
妙に聞き覚えのあるその嫌な音と共に、ラミアの体は黒煙を上げながら少しずつ溶けていき、着ていた服だけを残して消えてしまった。
「……」
色々思うのは後にしよう。それよりも先に餌として連れて来られているディルクを地上に戻してあげないと、他の悪魔に見付かったら…。
え?
ディルクが、いない?さっきまではそこに倒れていた筈なのに…ちょっと、どうしてポチ達までいないの!?
変だ…気配も感じない。それに、可笑しい…さっきまで魔界は赤黒くて、こんな何も見えない程の暗闇じゃなかった。
俺は、目を開けているのだろうか?そう思ってみると、閉じている気がする。それに…立っていない気もしてきた。
背中に感じるひんやりとした感触は、風ではなく地面?
ザワザワザワ。
急に聞こえ始めた音と、顔に感じる風。
大きく吸った空気は澄んでいて、感じる風は心地が良い。熱くなくて、寒くもなくて…背中が、ビックリする位痒い。
1度痒さを意識してしまうと、実は彼方此方が痒い事に気付く。
全身をくまなく掻き毟りたい衝動に駆られるものの、まだ起き上がろうと言う気分にはなれない。
「うぅ~」
いや、それでもとにかく背中が痒い。
ちょっと姿勢を変えて腕を伸ばせば届くような…あぁ、もうちょっと上だ。
「あら、おはよう。まだ掻かない方が良いんじゃないかしら?」
気配もないのに腕を掴まれ、慌てて目を開けてみると、そこには何故か泣きそうな顔をしたペペと、満月よりも少し欠けているけど綺麗な月が見えた。
月が見えるって事は、魔界ではなさそうだ。じゃあ、ここは何処?
体を起こして見えたのは自分の体。長袖から出ている色の悪い手は所々皮膚が捲れている。それなのに痛みは感じなくて、痒い。こんな大怪我をしているのに、どうして痛くないのだろう?全身が痒いって事は、全身こんな怪我をしてるって事?
「そんなに自分の体が珍しい?って、キリクにとっては、ガイコツ姿が自分の顔だったものね」
俺を見ていたペペがそう言って少し笑っている。けど、それ所じゃない。ガイコツ姿が自分の顔だった?どう言う意味?
俺ってガイコツ…もしかして、ガイコツンだったって事…?どうしてペペがガイコツンだった頃の俺を知ってるんだ?
ヒントを探すように周囲を見渡したのに、視線の先でポチとピヨが俺の方を見ながら泣いているから、余計に頭が混乱する。
何処を見たら良いのかも分からずに視線を下げると、俺の横には1つの汚れた鞄があって、その中にはガスマスクと、緑色のアフロのカツラが入っていた。
もう1度空を見上げてみると、大きくて綺麗な月。遠くには山があって、木、木、木…ここは、樹海?どうしてだろう、覚えがある。記憶の何処かにこの景色と、この強烈な痒みがある。
「…今日は、月が綺麗だね」
思い浮かんだ言葉をそのまま発音すると、
「そう言えば、今日は十三夜だったわね。十五夜に続いて月が綺麗に見える日とされているのよ」
軽く息を吐いたペペが話に乗ってくれた。
十三夜、聞き覚えがある。確か…そうだ、片見月は縁起が悪いんだっけ?
「んでもお前…十五夜見てねーじゃん…片見月は…縁起わりぃーんだぞ?」
鼻を啜っているポチが説明をしてくれた。
やっぱり、そうだ。




