赤い髪の天使
貴方はレイン。貴方はレイン。
延々と聞こえてくる声に息を殺し、恐怖に耐えながら目を閉じ続ける。
呪いの言葉が頭の中を回り、本当に俺はレインなのかも知れないと、そんなありえない事まで考えてしまえるほど俺の精神は可笑しくなっていた。
「よ~う。お前また読書?」
広場で本を読んでいると肩を叩かれ、顔を上げてみると幼馴染が立っていた。
「やぁ、リッチ」
さっきまではガチガチに固まっていた心がジワリと温かくなって、自然と笑顔になる。
「お前って、いつから読書家になったんだ?」
読んでいた本が歴史書だった事を知ったのだろう、リッチは物凄く嫌な顔で本に視線を落としている。
「少しでも兄さんに近付ければ、父さんも喜んでくれると思うから」
兄さんは頭が良くて、父さんにとっては自慢の息子だった。だから、俺は兄さん以上に頭が良くならないと駄目なんだ。
歴史は俺だって苦手だし、教科書を眺めるだけで睡魔がやってくるよ?だけど、頭の悪い俺が兄さんに近付くには、歴史書を丸暗記しなきゃならない。
「まだ、レインって呼ばれてんだな」
隣に腰を下ろしたリッチが空を見上げるから、俺も釣られて空を見上げると、空の色はオレンジ色になっていた。
広場に来たのは朝なのに、いつの間に夕方になっていたんだろう?そんなにも必死で本を読んでいたのか…そりゃ、心配もされるよ。
「呼び名くらい、なんだって良いよ」
レインと呼ばれたって、ただのあだ名みたいなものだって思えば、なんて事はない。
「そっか…まぁ、あれだ。嫌になった時とか遠慮なく俺ん所来いよ?」
またな。そう言って笑顔で去っていくリッチの姿に手を振りながら、今スグに遠慮もなく行ったらビックリするだろうな。なんて考えて、少しだけ笑った。
空の色が徐々に夕方から夜に変わり、重い足を家に向けて歩き出してスグ、道端に落ちている黒い石が目に入った。
宝石と言う感じでもなく、ただの石と言う感じでもなく。なんか、不思議な石。
触っても良いのか、拾い上げて良いのか、立ち止まって少し考えていると、突然頭上から声がした。
「それは魔石だよ」
見上げると、そこには2体の天使が飛んでいて…。
赤い髪と、深い緑の瞳の天使…何故だろう?何処かで見た事があるような気さえしてくる。始めて会うのに、懐かしいとまで感じる。
その天使は、呆けている俺にお構いなく魔石の説明を細かくし始め、最後に、
「魔法石ってのは知ってる?」
と、質問をしてきた。
魔法石…。確か本に書いてあった。
天使が人間を狩るようになり、人間がそれに対抗するために作り出したアイテム…。
天使は人間を助けていた筈なのに、何故急に狩るようになったのだろう?もしかしたら、先に人間が魔法石を使って天使を攻撃し始めた?
本を読んでいても、分からない事ばかりだよ。
「魔法石の名前は知っているよ。天使を攻撃するアイテムだって事もね」
それで本当に倒された天使がいるのかどうかは、分からないけど。
「サクリアは魔物だけど奪う者の素質がある。だから魔石を魔物に向けちゃ駄目だからね。魔物が奪う者になったら、魔物の島での居場所がなくなっちゃうよ」
確かに、魔物を封じてしまうアイテムを魔物が使う事になったら…レインだと思われていようとも罰を受ける事になるだろう。
とは言っても、今だって俺の居場所なんか何処にもない。
魔石を使う事が、自由になれる切欠になるかも知れない。レインからサクリアに戻る切欠になるかも知れない。
でもね、赤い髪の天使は今、レインである筈の俺をちゃんと本名で呼んでくれた。たったそれだけなんだけど、凄く嬉しくて…父さんに話をしようって勇気がわいたよ。
「あまり助言し過ぎるのは違反になりますよ?それ以上降格したいんですか?」
長い黒髪の天使が軽く重要そうな事を言いながら赤い髪の天使を担ぎ上げると、赤い髪の天使は俺に向かって手を伸ばしながら、まだ何か言おうとしてきた。
伸ばされたその手に触れてしまっても良いのだろうか?懐かしさを感じるこの天使の手を握っても良いのだろうか?
恐る恐る手を伸ばすと、黒い天使が嫌悪感剥き出しの表情で俺を睨みつけ、暴れている赤い髪の天使を連れて行ってしまった。
こんなにも、名前を聞けなかった事を後悔するなんて初めての経験だよ。
天使の姿が完全に見えなくなるまで空を見上げていると、辺りはもうスッカリと暗くなっていた。だから急いで帰らなきゃいけないんだろうけど…そんな気分になれない。
帰りたくないっていうのも勿論なんだけど、今はまだ、もう少し天使に会えた余韻に浸りたかったんだ。
魔石を拾ってから家に帰ると、父さんが酷く怒っていた。
兄さんは成人した立派な大人だったんだから、ちょっと帰りが遅くなったくらいで怒るのはかなり不自然。
もしかしたら父さんは微かに覚えているのかも知れない…兄さんが、帰って来なくなった事を。
それを受け入れられなかったから、父さんは俺を兄さんだと思い込んだ。そうする事で自分を保ったんだ。でも、半年も経った。兄さんを溺愛していたのは知ってるよ?だけど、そろそろ俺を見て欲しい。思い出して欲しい。
「貴方にはもう1人、サクリアと言う息子がいるではありませんか」
貴方の息子ですよ?こうして、目の前にいるじゃないですか。少しだけでも良いから、俺にも期待して欲しいんです。
父さん…。
「サクリア?私にもう1人息子がいる?お前…どこかに隠し子がいるのか?」
不思議そうな目で俺を見る父さんは、隣にいる母さんにとんでもない疑いをかけてしまった。
「いません!レイン、今日はもう早く寝なさい」
夕食も食べずに部屋に戻り、そのまま明かりを消してベッドに入って目を閉じる。微かに聞こえて来る足音は、ゆっくりと扉を開け部屋の中に入ってくると、寝た振りをしている俺のすぐ近くまでやって来て…僅かに感じるのは母さんの香り。
睡眠不足ではあるのに、目が冴える。恐怖と悲しみで支配されていく脳内。なのに声も上げられないし、目も、開けられない。
耳元で囁かれている言葉は、やっぱり延々「貴方はレイン」なんだ。
朝になり、リビングに行くとそこには真剣な顔をしている父さんがいて、
「レイン。昨日お前が言っていた事なのだが…私に息子がもう1人いるとか?」
だって。
きっと母さんがいないうちに“隠し子”について詳しく聞きたいのだろう。つまり、父さんの中に2人目の息子である俺の事は跡形もなく消えていると言う事。
「サクリア…良い名前だとは思いませんか?」
困った顔をしている父さん。その様子から、良い名前だとも思ってなさそうだ。そうしているうちに朝食を持ってきた母さんが食卓に着いた。
「それで、そのサ…なんとかがどうしたのだ?」
どうしても“隠し子”の事が知りたいのだろう父さんは、母さんに睨まれながらも焦りながら小声で尋ねてきたから、俺はとりあえず母さんにかけられている疑いを晴らす事だけを考えた。
「…弟が出来たら…つけて欲しいと…思っただけです…」
裏返りそうになる声をどうにか抑え、俺は急いで玄関に向かい、何処に行くのか?と尋ねてくる声には答えずに家を飛び出した。
俯いて、走って。誰もいない森の中の、更に奥にある湖まで。
「は…ハハハハ…ぅぅ…くっ!う、うはははははは…ぁぁ、あぁ!ぅ~~~っあはははははは…」
俺は誰?俺は、なに?サクリア?誰だよそれ。可笑しいよ、誰も期待していなかった俺が生きて、愛されていた兄さんが、兄さん?誰だよそれ。レインは俺だろ?
可笑しいよ、本当に笑える。なのに苦しくて、涙が止まらない。
誰か…誰か助けて。
ふふっ、誰かって、誰だよ。
「…よぅ。あんまり良い朝じゃねーな」
涙が止まって、笑いが収まった頃、リッチが木陰から出て来て俺の隣に座り込んだ。
参ったな…こんな顔、見られたくないんだけど…今更隠したって無駄だよね。
「おはよ…。もう、平気だよ…」
全部、ちゃんと納得できたから。今日は少し取り乱してしまったけど、今からはちゃんとできるから、だからもう大丈夫。
「平気そうには見えねーんだけど?なぁ、サクリア」
何を言うかと思ったら…俺はレインだよ。毎晩毎晩母さんがそう言うし、父さんなんか俺を1人息子だって言ってる。
サクリアなんて人物、本当は初めからいなかったんじゃないかな?父さんが可笑しいんじゃなくて、俺が可笑しいんだ。なんらかの原因で俺は自分をサクリアという別人だと思っていただけ。そうでなきゃ可笑しいよ。そうでなきゃ…あんまりだ。
「俺はっ…俺はレインだ!」
出来の悪い息子なんて、初めからいなかったんだ!だから、もっと、もっと頑張って偉くならなきゃならないんだ!
「…一気に老けたな」
え?なに?どう言う事?
いや、確かに兄さんになろうと思ったら一気に歳を重ねる事になるけど…いや、兄さんになろうってなんだよ。俺は初めからレイン。まだ成人してないけど、大人であるレインで…あぁもぅ!折角「初めからレインだった」って納得できたのに、辻褄が合わなくなっちゃったじゃないか!
「兄さんは、そんな年寄りじゃないよ」
また最初から考え直しだ…また、苦しい思いをしなきゃならないんだ…。
「うん、知ってる。で、どーしたよ?あんな泣き方、そうそう出来るモンじゃねーぞ?」
酷い顔だけじゃなくて、泣いてる所まで見られていたとはね…ここまで全部見られたんじゃあ、誤魔化す必要も何もない。俺に残されたものは、きっとリッチの存在だけなのだろうから…。
「父さんには、息子が1人しかいないんだってさ。母さんも寝てる俺の耳元で、毎晩だよ?毎晩…貴方はレインって言いに来るんだよ…笑っちゃうよね…」
声にして説明すると、たったこれだけの事。だけど、毎晩来るから怖いし、寝不足になるし…精神的に壊れてくるんだ。
「話の腰おって悪いんだけどさ…そのポケットん中からイヤ~~~な気配がすんだけど、なに入れてんだ?」
本当に全く関係ない話をするとは、さすがリッチ。
俺、これでも結構重い話しをしているつもりだよ?それなのにそんなにもこれが気になるの?って、それはそうかも知れない。だってこれは魔石。魔物にとっての脅威となる石。
「昨日拾ったんだ」
そう言ってポケットの中から魔石を取り出した所で、魔物に向けると駄目だという言葉を思い出し、慌ててポケットの中に入れた。
「今の魔石じゃんか!お前触って大丈夫なのかよ」
あんな一瞬で良く分かったね!それ程までに嫌な気配でもあるのかな?俺は特になんともないし、嫌な気配っていうのを感じないんだけど…寧ろ、赤い髪の天使との思い出って考えたら、大事な物のような気さえしているくらいだよ。
「天使がさ、俺には奪う者になる素質があるんだって言うんだ」
素質があるのに、奪う者にはなるなって忠告をしに来てくれた。そのせいで階級が落ちてしまった…のかな?天使事情なんて、どの本にも書いてないから分からないよ。
リッチは呆れたような顔をしながらも、もう1回魔石を見せろ。といわんばかりに手を出して催促してくるから、俺はポケットから魔石を取り出すと、それをリッチに向けないよう注意しながら地面に置いた。
拾い上げた魔石を色んな角度から眺めていたリッチは、不意に握り込むと大きく振りかぶり、湖に向かって投げてしまった。
バシャンと湖に沈んだ魔石。そこまで深い湖じゃないから拾いに行こうと思えば行けるんだろうけど、俺はその場から1歩も動かなかった。
赤い髪の天使との、貴重な思い出の品。そう考えると勿体無いんだけど…
「今日お前がなんか変なのって、魔石からの嫌な気配が作用して~とかじゃねぇの?魔物なのに奪う者~とかも謎過ぎるし」
とか長文を言われてしまっては、そうとしか思えなくなってしまったんだ。
「考えてみたら、そうだよね…」
奪う者になるなって赤い髪の天使も言っていたし、魔石を直接持っていない方が良いのかも?
「名前はレインで良いじゃん。母さんも怖い呪文唱えずに済むから喜ぶぞ?」
急に話を戻すの!?しかもなに?怖い呪文って!兄さんの名前だよ!でも、それを毎晩と考えると、言われている俺もそうだけど、言っている母さんも辛かったのかな?
「うん……」
俺がレインになれば、少なくとも平和な夜が戻って来る。俺がレインと言うあだ名を受け入れるだけで睡眠不足から解放されるんだ。
そう考えると、なんて事もない。寧ろ、どうしてさっきまであんなにも絶望していたのかが分からない。リッチの言うように魔石の影響で精神が不安定になっていたのかな?いや、俺の精神は初めから少し可笑しかった。
今が、不自然なほど清々しいんだ。
「んでさ、改名したからってレインさんっぽく生活する必要ないんじゃね?一気に倍も老けさせられた恨みだって言えば、大概の事は許されんだろ」
老けたって言うな老けたって!
もー…なんなの?
「リッチと喋ってると、悩んでた自分が馬鹿馬鹿しくなるよ」
もうね、父さんの期待に答えなきゃーとか、勉強しなきゃーとか、今どうでも良い。俺は俺の夢を追っても良いような気さえしてきた。
「はははっ!じゃあさ、久しぶりに思いっきり剣の稽古しようぜ!」
暢気な顔で何を言うのかと思ったら、稽古?思いっきり?
「ふふっ覚悟してね?ここ最近運動不足で凄く暴れたいんだ」
「わ、わ~い…」




