ラグエル~エンゼルン~
「今日はこの人達の魂です」
そう言って渡されたのはいつものリスト、今日命を落とす人間の名が30人分も書き込まれているただの紙。
死ぬ運命の人間は時に不浄な魂となって現世を彷徨う。するとソレに魔物が反応して凶暴化する。そして人間を襲って不浄な魂を生む。だから私は完全に魂を天に導く為にこうして今日死ぬ予定の人間を迎えに行くのだ。
しかし、今日死ぬ人間自身が、自分の天命が今日で尽きるなんて知っている訳もない。御陰で私達も魔物と同じように楽しくて人間を殺しているように誤解されている…それに最近になって魔法石とか言うやっかいな武器まで開発し、魂を導くのにこっちも命懸けとなったのだった。
元々は人間が魔物に襲われないようにする為に始めた事なのに、恩を仇で返された気分なのは言うまでもない。
「お~い、また眉間に皺寄ってるぞ?」
リストを眺めながら色々考え事をしていたせいなのか、私はまた険しい表情をしていたらしい。
額を小突かれて顔を上げると、優しげな笑顔のルシフェル様が目の前に立っていた。
「私達はいつまでこんな事をしなければならないのでしょうか?」
人間を導く事を始めたのは、誰でもない人間の為。なのに魔法石で倒されてしまった天使がいる中、まだ人間の為に働く意味があるのだろうか?
抗うのなら、いっそ放っておけば良いのに。
「長の思考が変わるまで、じゃないか?」
ルシフェル様は天使族の中で1・2を争う実力を持つ御方。前長の寵愛を一身に受け、誰よりも人間に対する救いの気持ちが強い御方。
本来なら人間を導くだけの、こんな下っ端の仕事などしなくて良い身分だと言うのに、長がリストを作って配り始めてから“大変だろうから”と手伝ってくれている。
「魔法石のせいで危険な仕事です。続ける意味はなんなのですか?」
分からない…長の考えている事が私には理解できない。
こんな導き方をして、人間は本当に救われているのだろうか?
「ほ~ら、また皺。あのな、魔法石で攻撃されるって事は、人間が自分で考え、行動し、進化してる証拠。そこは喜ぶべき所だろ?」
喜ぶ、ですって?
「魔法石で倒された天使がどれだけいると思いですか?!」
人間の為だと行動して、そして無情にも攻撃された天使がどれだけ…それを喜ぶ所?
「攻撃されるだけの事を俺達はしている。違うか?」
それは…。
前長の時には考えられなかった導き方を今はしている。そして人間が魔法石で攻撃を始めたのは、この導き方を始めてからだ。
「ま、今日も頑張ろうな!」
私の肩をポンと叩いたルシフェル様は、大きな鎌を手に飛び立った。その後ろ姿は天使族ではなく、まるで死神のようだ。
今日導く人間が住む町に着くと、そこでは既に魔物が町を襲っていた。
30人…確実にそれだけの犠牲が出る魔族の襲撃に抗う奪う者が数人、その手には魔石と、魔法石が握られている。
「天使族まで来やがった!!」
1人の人間が私を指差すと、魔物と戦っていた奪う者が1人、こっちに向かって走って来た。
さっさと仕事を終わらせなければ。
私はリストを広げ、そこに書かれている人物の名を呼んだ。
名を呼んだ人間が既に倒されている場合は問題なく導く事が出来るのだが、まだ生きている場合は…魔物にやらせる。放っておいたってリストに載っている人間は今日ここで倒されるのだから。しかし奪う者がその場にいる場合は少々違ってくる。早くその場を去りたいが為に自ら手を下すのだ。
人間が魔法石をまだ持っていない時から、天使の何人かは早く仕事を終わらせたいという理由で手を下していた、それを思うとルシフェル様の言う事は確かに間違ってはない。
リストを配る事で導く事がただの作業となり、ノルマとなり、効率が求められるようになった。その結果、天使自ら人間を倒して導くと言う今のスタイルになってしまった。
「ぎゃ~~~!!!」
「助けてぇ~!」
「御慈悲を!!」
次々と狩らなければならない私はこんな人間の言葉を聞いている余裕はない。聞いてしまうと振り下ろす剣に迷いが生じ、楽に死なせてあげる事が出来ないからだ。それに、奪う者達の攻撃も交わさなければならない…リストに名前が載っている奪う者なら反撃出来るのだが、載っていない者に手出しは出来ない。
毎日毎日コレの繰り返し。
こんな思いをしてまで、こんな苦労をしてまで導いた人間、それなのに時々蘇ってしまう魂がある。それは決まって奪う者だ。
世は神より奪う者を欲していると言う事なのだろうか?しかし、そんな不浄な魂、狩らない訳にもいかない。
蘇った人間を狩るには武器では無理で、聖水を飲ませなければならない。つまり、自発的に飲んでもらうしかない。それでも蘇った者には生前の記憶がない上に肉体も腐食していて、町から魔物扱いされて追い出されるか、攻撃を受けているかのケースがほとんど。だからうまく言えば素直に飲んでくれる場合が多かった。
今日の仕事が無事に終わり、その報告を長にしに行く途中、私は止むを得ず武器庫に向かっていた。
町にいた全ての奪う者の名前がリストになかったから、反撃も出来ずに攻撃を受けるしかなく、受け続けた剣が壊れてしまったのだ。
「あれ?どーした?」
武器庫の中にはルシフェル様がいて、2本の鎌を手にしていた。
「私の剣が折られてしまって…新しい武器を見に来たんです」
剣を打ち直しても良かったんだけど、奪う者によって折られた縁起の悪い剣は、この際手放してしまおうと、そんな理由で剣以外の物を探すと決めた。
「それは、丁度良かった」
ニコリと笑ったルシフェル様は、2本の鎌を手にしたまま歩いてくると、少し小さい方の鎌を、はいコレ、と言わんばかりにグイグイと差し出してきた。
「あ、あの・・・」
どう言う事なのかいまいち理解出来ずに首を傾げていると、
「この間俺も武器壊れてさ、新しい鎌を作ってもらったのは良いんだけど、こっちは俺にはちょっと小さ過ぎて。だからあげる」
と、笑顔を崩す事無く説明した。
差し出された鎌を見ると、確かにルシフェル様には小さいし、装飾も鮮やか過ぎて似合わない。でも、だからってこんな立派な物を貰ってしまって、本当に良いのだろうか?
いや、位の高いルシフェル様が私の為にと言ってくれているんだから受け取らないと逆に失礼に当たる。
「ありがとうございま…」
両手で受け取ったにもかかわらず、その鎌はズシンと重く、お礼も最後まで言い切れないまま終わってしまった。
「重い?」
心配そうに顔を覗き込まれたまま、何度か鎌を振ってみる。
重いのは、確かに間違いなく重いけど、さっきまで持っていた剣と比べて2倍ほど、扱えないって程でもないし、鎌での戦いに慣れればこの重さすら強みになる筈。
「どうやら、気に入ってもらえたみたいだな」
「はい。ありがとうございます」
ルシフェル様は満足そうに何度か頷くと、まるで親しい友人にするかのように手を振り、笑顔のまま飛んで行ってしまった。方角から察すると行き先は長の部屋、窓から入室と言う手段が通用してしまう程にルシフェル様の存在は大きい。私達下っ端天使の間じゃあ長よりも慕われているのだから、前長が退いてすぐにルシフェル様が長に選ばれると多くの天使は本気で信じていた。
なのに、ルシフェル様は長には選ばれなかった。
詳しい理由なんて想像すら出来ないけど、長はルシフェル様を良く思っていないという事実だけは確か。その理由だって詳しくは知らない。でも、3人ものお供を従えて姿を晦ませた前長が関係しているんじゃないかと聞いた事がある。
ただの噂話程度の知識では到底真実になんて触れられないのだから考えるのは止めよう。
「何を考えている!!」
長に今日の仕事が終わった事を報告に向かっていた私の耳に、珍しく声を荒げる長の声が入って来た。
今長の部屋の中にいるのは間違いなくルシフェル様の筈で、私はなにか急かされるように扉を開けた。
ノックもせずに開けてしまった私の無礼など些細な事のようで、長はなんのリアクションもないままにルシフェル様を怒鳴り続けている。そんなルシフェル様は無言ではあるものの、ギラギラとした目で長を睨み付けていた。
「これは重罪だ!!」
長は1枚のリストをルシフェル様に叩き付けた。
私の位置からはそのリストに何があるのかは見えないが、それは明らかに先月の物だった。長は月毎にリストの色を変えるから、それは確かだ。
「何とか言ったらどうだ!!」
再び怒鳴った長に対して、ただ只管に長を凝視しているルシフェル様。嫌な予感がする、このままじゃなにか、とんでもない事が起きる気がした。
「きょ、今日の報告に参りました!」
2人の間に割って入り今日のリストを長に提出すると、あからさまな溜息を吐いた長は無理に気を落ち着かすようにこめかみ部分を軽く押さえ、いつものように椅子に腰掛けた。そして先月の色をしたリストに視線を落とすと、
「今から1人、導いて欲しい者がいます」
と、そのリストを私に見せた。
そこにはキリクと言う名の奪う者の名が記されていて、その人間を導く日付から今日で3週間。
ルシフェル様が担当していると言うのにまだ生きているなんて、この奪う者はそれほどまでに強いのか?だったら何故リストに…否、リストに名が記されている者は必ずその日に死ぬ筈、なのに何故3週間も生きていられた?まさか、ルシフェル様が守って…?
これ以上この奪う者を生かしておけばルシフェル様が裁かれる事になる。そんな事、この私がさせない!
「分かりました」
ルシフェル様は、リストを受け取った私を長に向けていた表情そのままに睨んでは来たが、キリクが住んでいると記されている町に飛び立っても追いかけて来る事はなかった。だからこれがどれだけ大変な事なのかを充分理解しているのだろう。
人間の運命を変える事は、堕とされても不思議ではない程の重罪なのだから。
堕とされた天使族は全ての権限を失い、悪魔として人の住む世で彷徨い続ける…野蛮な魔物となってしまう。そして行き着く先は奪う者の持つ魔石の中。
町に着くと人々は逃げ惑いながらも“帰れ”だの“人殺し!”だのと声を荒げ始めた。
「キリク、キリクはいますか?」
出来る限り優しく微笑みつつ聞いてみると、途端に町の人は、
「あんた達が殺しちまったよ!!」
「キリクがあんたらに一体何したってんだ!!」
と、口々に怒鳴り始めた。
これから察するにキリクは誰からも愛される人物だったようだ。しかし…殺された?可笑しい、キリクはまだ導かれていない。
ルシフェル様がキリクを連れ去り、かくまっていると考えるのが自然。でも、一体何処に?ただの人間が運命に抗える場所なんて何処に存在すると言うのか?例えルシフェル様がかくまっていたとしても、それだけの理由で生き残れるほど運命は軽くない。
なら、どうしてキリクは3週間も生きて?
「…まさか…」
一瞬頭に浮かんだ可能性は酷く気分の悪い事だったのに、パズルのピースが綺麗にはまったような、ズット思っていた疑問の答えを見つけたような、そんな合点の行く事だった。
天使に直接手を下させると言う今の導き方は、予定にはない人間を暗殺するために仕組まれた長の陰謀なんじゃないだろうか?
天使族で、しかも長と言う立場なのに、たかが人間を暗殺しようと言う理由は分からないし、人間を暗殺させようと言う第3者がいたとしたって、それを長が手助けする理由も分からない。でも、そう考えるとそうとしか考えられない。
とにかく、一旦戻ってルシフェル様に確認を取らないと。
「あのっ!」
急いで城に戻っていると、丁度城の門前でルシフェル様を見付け、思わず大声を上げた。
「あ、あぁ…お帰り」
キリクを導きに行くと言って城を出た私を、あんなに激しく睨み付けていたと言うのに、今は気まずそうな態度で落ち着きのないルシフェル様。自身が大罪を犯しているという罪悪感からなのか、それとも私がキリクに辿り着いていないと確実に知っているからなのか。
「お答えください。キリクの天命は、まだ尽きる予定ではないのですか?」
流石に、リストに名前のある人間は確実にその日に死ぬ訳ではなく、何人かは長によって無理矢理に導かれているのですか?とは言えずにキリクと限定して問いた。
「俺は今からキリクの所へ行く」
今から導きに行くって事?今から手を下しに行くって事?それじゃあ本当の天命かどうかなんて分からない。3週間も見守ってきたキリクを、自らの手で導こうというのですか?
「答えになってません!」
私が知りたいのは長が、天使達に暗殺させてるんじゃないかと言う疑問の答え。
「天使族の正解は、長の意に従う事。そうじゃないのか?」
確かに、前長の時はそうだった。
いや、従うとかじゃなくて人間を救いたいと言う意思に天使達は同意し、自らの意思で動いていた。今みたいに疑問を抱きながらリストにある人間を狩っているだけとは全く違う。前長の意思を受け継いだルシフェル様にこそ私達は長になってもらいたいと願っているのに、その当人が長の意に従えと言うのですか?
「私は、ルシフェル様について行きたい」
リストに名前が載ったキリクを3週間も生かしている、そう考えている長にとってはルシフェル様は確かに大罪を犯している。でも、天命がまだ尽きていないキリクをリストに載せたと考えている私は、長の方が大罪を犯しているとしか考えられない。なら、これを理由に長を辞職させ、ルシフェル様を新たな長として向かえ、前長の時みたいに穏やかに人間を見守りたい。そう、心から……
「俺の犯した罪も知らずに慕われても迷惑だ」
え…?
「ルシフ…」
「お前らが慕っているのは前長であって俺じゃないだろ」
何を…前長を慕っているからこそ、その意思を受け継いだルシフェル様を慕っていると言うのに、それを何故分かっていないのですか!それに、罪ってなんの事?キリクを生かしている事だと言うなら、それだって長の陰謀なんだからルシフェル様が悪い事には決して…長の意に反しているから?
「キリクがリストに載せられた理由を、長に問いに行きましょう」
そうすれば確実に答えが出る。
「俺の罪は、前長をこの手で導いた事、だ」
到底信じられないような話なのに、なんの感情も伝わって来ない坦々とした口調、だからどうした?と言わんばかりの態度、鎌を構えている挑発的な仕草を見ると、少しだけ頭の隅で信じそうになっていた。
そんな訳ないのに、前長の寵愛を一身に受けていたルシフェル様が、まさかその相手を自らの手で導くなんてありえない。
そうですよね?
それに前長はお供を3人も従えて姿を晦ませているのだから、いくらルシフェル様が導こうとしても前長だけをって事にはならないだろうし、そうなればお供だって報告に戻って来る筈。それに今自分で言いましたよね?自分の罪は前長を導いた事だって。お供の3人が出て来ませんでしたよ?
「信じませんよ」
えぇ、到底信じられる話ではありません。
「1つ良いか?名前、なんての?」
何故このタイミングで名前を?冗談を言う時間が終わったって事…なのかな?
「私はラグエルと申します」
一礼して跪こうとした私の行動を阻止したルシフェル様は、
「…俺は今からキリクの所へ行く。ラグエル、その報告を長にしておいてくれるか?」
と、真剣な表情で頼み事をしながら少し重たい箱を押し付けるように渡してきた。それを受け取ってしまった私には、もう拒否権はないようだ。
「はい、分かりました」
分かったと返事をしたのだから、すぐに長の所へ行くのが当然の行動だというのに、私は何故かキリクの所へと向かうルシフェル様の後姿を見えなくなるまで見送っていた。どうしてなのか、そうしなきゃいけない気がしたから。
「ルシフェル様はキリクの所へ向かいました」
長に対しての疑惑が晴れないままでは、どうしたって頭を下げる気にはなれず、それでもノックをしてから入るという最低限のマナーを持って入った長の部屋。
「…どうして…」
ガタンと音を立てて立ち上がった長は俯き、両手を机に置いて少しだけ震えていた。
どうしたと言うのだろうか?キリクの所に向かうと言う事は、長の思惑通りにキリクを導きに向かったと言う事。それなのに今の長は…打ちひしがれているよう。
「これを、預かりました」
俯いている長にも見えるようにと机の上に預かっていた箱を置き、居心地の悪いこの部屋から出ようと数歩下がった所で長は箱を開けた。
私の位置からでは箱の中に何が入っているのかは見えないが、長はそれを見た瞬間テーブルに付いていた両手で思いきりテーブルを叩き付けた。1回や2回じゃない、何度も、何度も。
長の行動を止めようと近付いて目に入った箱の中身、そこには天使の輪が、入っていた。
何度もテーブルを叩き付けている両手は赤く腫れているのに、長はそんな事もお構いなく力いっぱいに叩き付ける行動を止めず、泣きじゃくっている。
そんな騒ぎを聞きつけた大天使が部屋に入ってきて簡単に説明してくれた。
私以外にもキリクを導きに向かった天使がいた事、そしてあの箱の中に入っている天使の輪は、その天使のものである事。
何の感情もなく、ただ淡々と告げられる言葉は、割とすんなり私の中に入ってきて、不思議と納得がいった。
ルシフェル様は、キリクと言うただの人間を守る為だけに同志である筈の天使を倒し、自ら堕ちた。自ら進んで魔物に成り下がったのだ。長はこうなる未来を知っていたんだろう、だから天命の尽きる前のキリクをリストに載せたんだ。
「ルシフェルは堕ちた!見つけ次第始末なさい!!これは堕ちたからと言って見逃せるレベルの罪ではない!!」
大天使が宣言をする横では、長がまだ泣いていた。
私達の使命はたった1つ、ルシファーとキリクを見つけ出して確実に殺す事だ。
全ては、長の為に。