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第十二話 話す側の女

その噂は、あっという間に広がった。




「ねえ、聞いた?」




 その一言から始まったものは、形を変えながら、確実に浸透していく。




「あの子、何か見たらしいわ」




 最初は、小さな囁き。




 だが——




 昼には、ほとんどの者が知っていた。




 夕刻には、“事実”になっていた。




 誰も、確かめない。




 誰も、疑わない。




 ただ、受け入れる。




 それが、この場所のルール。




 お雪は、その流れを静かに見ていた。




 止めることもできたかもしれない。




 否定することもできたかもしれない。




 だが——しない。




 する理由がない。




 その必要もない。




 なぜなら。




 これは——自分が選んだことだから。




 あの女は、徐々に孤立していった。




 視線が変わる。




 距離が生まれる。




 言葉が減る。




 そして——




 誰も、近づかなくなる。




 昨日までと、同じ光景。




 違うのは。




 それを作ったのが、自分だということ。




 夜。




 静寂が落ちる。




 いつものように。




 何事もないかのように。




 だが、お雪は知っている。




 今夜——




 何かが起きる。




 そして。




 それが何かも。




 ——コト。




 小さな音。




 障子の向こう。




 気配。




 もう、驚かない。




 もう、震えない。




 ただ——分かる。




 来たのだと。




 “処理”が。




 お雪は、静かに目を閉じた。




 耳を澄ます。




 音は、ほとんどしない。




 足音も、声も。




 ただ、わずかな気配だけが動く。




 やがて。




 すべてが、静かになる。




 終わったのだ。




 何もなかったかのように。




 最初から、存在しなかったかのように。




 翌朝。




 その女は、いなかった。




 誰も、何も言わない。




 誰も、触れない。




 それが、答え。




 お雪は、ゆっくりと立ち上がった。




 周囲を見渡す。




 女たちは、いつも通り動いている。




 笑い、話し、日常を繰り返す。




 その中に——




 自分もいる。




 同じ顔で。


 同じ動きで。




 何も知らないふりをして。




 そのとき。




「よくやったわね」




 背後から、声。




 振り向かなくても分かる。




 あの女だ。




「……ありがとうございます」




 自然と口が動く。




 感情は、乗らない。




 ただの言葉。




「これで、あなたも“こちら側”よ」




 その一言で、すべてが確定する。




 こちら側。




 つまり——




 消す側。




 お雪は、何も答えなかった。




 答える必要がない。




 もう、分かっているから。




「これからも、期待しているわ」




 足音が遠ざかる。




 それで終わり。




 短く、あっさりと。




 お雪は、その場に立っていた。




 何も感じない。




 何も思わない。




 ただ、事実だけがある。




 自分が、一人の女を消したという事実。




 直接手を下したわけではない。




 だが——関係ない。




 結果は同じ。




 それでも。




 心は、動かない。




 動かないように、している。




 そうでなければ——




 壊れるから。




 ふと、鏡が目に入る。




 そこに映る女は、もう見知らぬ存在ではなかった。




 よく知っている顔。




 だが。




 昔の自分ではない。




 完全に、別の何か。




 お雪は、静かに鏡に近づいた。




 指で、その頬に触れる。




 冷たい。




 生きているのに、どこか死んでいる。




 そんな感覚。




「……これで、いい」




 小さく呟く。




 誰に聞かせるでもなく。




 ただ、自分に言い聞かせるように。




 これでいい。




 そうでなければ、生きられない。




 ここでは。




 優しさも、迷いも、すべてが命取りになる。




 だから——




 捨てた。




 全部。




 その代わりに、手に入れたものがある。




 “生き残る側”という立場。




 それだけ。




 それで十分。




 お雪は、ゆっくりと背を向けた。




 もう、振り返らない。




 振り返る理由もない。




 ここは——




 戻る場所ではない。




 最初から、そんなものは存在しない。




 ——大奥。




 人を消し、生き残る者だけが残る場所。




 そして。




 お雪は、もう——




 消される側ではない。

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