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仮面を外す日

作者: 斎藤はるき

スカッとするようなザマァではありません。

この後この二人はどうなっていくんでしょう? そんな終わりにしてみました。

ふんわりやんわり。


誤字脱字ご承知下さいませ。



書籍化◇『ハンドメイド・ジュリ』は今日も大変賑やかです◇の書影公開記念です。

※『ハンドメイド・ジュリ』とは無関係の全く別のお話です。そこだけごご注意下さい。

 


 シュライトス侯爵令嬢の人生が大きく変わったのは間違いなく8歳の時。

『シンシア、シンシア!!』

『お父さん、嫌だ!! 助けて!!』

『お願いです、娘を返して下さいっ、私はどうなろうとかまいません、お願いです!!』

『嫌だぁぁぁ!!!』

 単なる他人の空似。

 黒髪に、紫の瞳。美しい無垢な笑顔。

 その三つを持っていた彼女は父親と二人慎ましい生活をしながらも住まう街の人々と共に確かに幸福な日々を送っていた。

『これからあなた様はリリアーナ・シュライトス侯爵令嬢となるのです』

 突然やってきた大人達に父親と繋いでいた手を無理矢理引き剥がされ抱えられた。物のように強引に抱き抱えられて腹部に痛みが走って、悲鳴をあげたが見向きもされず苦しい程無理矢理押さえつけられ暴れて逃げ出すことも出来なかった。

 目の前で父親は床に男3人に押さえつけられながら娘の名を喉が潰れんばかりに叫んで、涙を流している姿に彼女も何度も何度も父親に手を伸ばした。

『あなたの生活はシュライトス侯爵家が保証しますので』

 父親の目の前に、袋が無造作にいくつも投げ捨てられた。そこから溢れた丸い金色の物が金貨だと彼女が知るのはこの少し先のことになる。

『大丈夫ですよ、大事に大事にお育てしますからね。安心して下さい』

 この悪夢のような出来事で。

 シンシアはリリアーナ・シュライトス侯爵令嬢となった。











 シュライトス家には三人の子供がいた。

 リリアーナはその三人の真ん中、長女として生まれた。

 夫人が長子である男児を産んでから女の子を切望していた中で生まれたリリアーナはそれはそれは大事に育てられた。

「リリアーナ様おはようございます」

「おはよう」

「本日は殿下とのお茶会でございますからお食事後にお召し物のご相談をさせていただきます」

「ええ、お願い」

 特に母親の侯爵夫人は溺愛した。

 ところが。

 三人目の子供、末っ子の次男が四歳になる頃シュライトス家に悲劇が襲いかかる。

 リリアーナが亡くなったのだ。

 社交界シーズンも終わりを告げ王都から領地へと帰るその旅路での不慮の事故だった。通過点である街を抜けてしばらく、緑豊かな一本道を進んでいたそこへ野生動物が飛び出して。驚いた馬が暴れ御者は手綱を制御する間もなく振り落とされそのまま馬車は数十メートル暴走し道なりに自生していた木々をなぎ倒し、そして大きな石に乗り上げて馬ごと転倒した。

 乗っていたのは夫人と子供達。

 馬車が大破するほどの事故でありながら、奇跡的に『三人』は命に別状はない怪我で済んだ。一人、リリアーナを除いて。

 以降、夫人は領地に帰らなくなった。

 馬車も殆ど乗らなくなった。

 王都にある屋敷から、出なくなった。

 娘の死を受け止めきれず、自ら命を絶とうとした。

 リリアーナの死で夫人がどんどん正気を失っていくその様は、シュライトス侯爵家に暗い影を落とし続けた。

 そんなある日。

 とある貴族が侯爵に囁いた。

『リリアーナ様によく似た少女がいますよ』

 と。


 ただその一言で一人の少女は何もかもが変わった。


「まあリリアーナ、綺麗だわ」

「お母様、ありがとうございます」

 淡いピンクのドレスに白いレースのストールを羽織り、リリアーナは母親の前で微笑んで見せた。

「王子殿下に相応しいあなただからこそ似合うドレスだわ」

 幸福の絶頂にいるかのような笑みを浮かべる侯爵夫人に頬を撫でられながら、リリアーナはその手に己の手を被せた。

「お母様がそう仰ってくれて嬉しいです」

 それに侯爵夫人はうっとりとした夢見心地な微笑みを返す。

 十歳にはこの国の王子の婚約者になっていた。己の身分と王子に相応しい令嬢になるため厳しい教育が施された。

 侯爵夫人は初めて会ったその日から何一つ質問もしてこなかったし、リリアーナに見せている今の笑みを当たり前のように向けて『私のリリアーナが帰ってきたのね!』と少女のように無垢な笑顔で出迎えて以降、『実の娘』と疑う事なく、厳しい教育に泣けば『侯爵令嬢なのだから』と慰め、王子殿下との婚約が嫌だと言えば『これほどの幸せはない』と諭された。

 ―――リリアーナ・シュライトスは生きている―――

 その言葉によって、シンシアという一人の少女がこの世から消された事に、侯爵家の人々は何も言わなかった。誰よりも侯爵が妻が幸せならば些末なことだと考えた。

 それがシュライトス家の幸福になるならば、と。


 リリアーナと王子の関係は婚約してから一切変わっていない。

 会って世間話をする、夜会でパートナーとして出席する。

 ただそれだけだった。

 同い年で同じ学園に通っているのにすれ違ってリリアーナが会釈をすれば王子がそれに僅かに頷いて返すだけ。

 二人の関係は、『婚約者』という言葉で繋がっているだけ。

 周囲もそれを理解しているし、リリアーナもそれで良かった。

 望んだ婚約でもなければ、王子と結婚したいと思ったこともない。侯爵令嬢として相応しい結婚相手の一人だったに過ぎない。その婚約だって侯爵夫人が言ったから侯爵家が王家に打診して決まったこと。王家もリリアーナが『誰なのか』分かっていて資産家である侯爵家とのつながりを強固なものにしたいから。

「本当にいつ会ってもつまらない女だな」

「それは申し訳ございません。今後は努力致します」

「それもいいかげん聞き飽きた。いいなぁ、人形は。何もしなくても王子の婚約者になれるんだから」

 王子であるエドワードにこうして初めて皮肉を言われた日は落ち込んだリリアーナだが、今では麻痺して何も感じなくなっていた。何を言ってもエドワードは『偽物』『人形』と侮辱するためリリアーナは返すだけ無駄だと思うようになって、必要最低限の言葉以外は殆ど発しない。

「まあそれも今日までだ」

「え?」

「生まれがはっきりしないくせに侯爵令嬢などと持て囃されているな。この私に偽物など相応しいわけないだろう、お前と夫婦になるなんて考えるだけでゾッとする。こんなの終わりだよ終わり」

「それは、どういう……」

「婚約破棄だよ、婚約破棄!!」

「え」

 エドワードは侮蔑的な笑みを浮かべ、手にしているティーカップをゆらゆらと揺らした。

「来週の卒業パーティーは既に婚約者候補のエレンと約束してある、お前じゃない。お前とこうして会うのも今日で最後だよ!!」

「殿下」

 唖然として言葉を失っているリリアーナの目の前、エドワードは後ろから声をかけられ舌打ちをした。

「なんだよ」

「発言の無礼お許し下さい。リリアーナ様と婚約破棄ということですが、私にそのような話は届いておりませんでしたが……」

 リリアーナがエドワードと会う時、同行する人物が互いに数名いる。リリアーナの場合は侯爵家の侍女か執事、そしてエドワードは護衛騎士と執事が二名、未婚の二人が密室に二人きりになったりしないためにも少なくとも合計三名が常に同席することになっている。

 エドワードに話しかけたのは、護衛騎士の一人ディオスという男だ。

「なんでお前ごときが知る必要があるんだ。これは王族の問題だろう、出しゃばるんじゃない」

「……失礼致しました」

 苛立って額に青筋を浮かせそうな表情のエドワードに対して護衛騎士ディオスは謝罪し一礼したが、リリアーナはもう一人の同行者である執事の青冷めた表情に婚約破棄の話はエドワードの独断で行われたことなのだろうと察する。

 だがここで彼女が何か言った所でどうにもならないことは知っている。それに、エドワードは元々ディオスのことをあまり良く思っていない節があり、今も敢えて話を引き伸ばしてディオスを侮辱する言葉で意味のない叱責を続けた。

「しかし殿下」

「あー、あー、うるさいんだよ!!」

 パシャ!!

 リリアーナ付きの侍女とエドワードの執事が出そうになった悲鳴を飲み込み奇妙な息遣いをした。流石のリリアーナも咄嗟に立ち上がってしまう。エドワードがティーカップをディオスに向けたのだ。

 殆ど減っていなかった紅茶がディオスの顔と肩に掛かったが、ポタポタと滴る紅茶を動じることなく手で拭ったディオスは表情を崩さず再びエドワードを真っ直ぐ見つめる。

「殿下、このような行為は王族としての品位に関わりますのでどうかご自重下さい」

 動揺一つ見せず冷静に諭したディオスが気に入らないのだろう、エドワードは勢いよく立ち上がると彼の肩を手で思いっきり突いた。

「私は帰る。お前は一人で帰ってこい」

 フンッと鼻を鳴らし、エドワードはリリアーナに対して挨拶もせずに執事と共にその場から立ち去った。

「ねぇ、騎士様のお召し物を用意して」

「は、はいっ!」

 エドワードの姿が見えなくなったのを見計らいリリアーナは侍女に指示を出す。

「それから湯あみの用意も必要ね、直ぐにできるかしら」

「お任せ下さいませ」

「リリアーナ様、私は大丈夫ですので」

「そうも参りません。このシュライトス家の中で起きたとこですからきちんと対応するのが筋でしょう」

「しかし」

 リリアーナはテーブルの上の呼び鈴を手にして他の侍女を呼ぶためゆっくりと振った。

「殿下からの婚約破棄について、私だけではなく騎士様からも父にお話下さいますか。私自身知らずに今日の定期茶会に殿下をご招待しましたから、おそらく両親も知らぬ話かと……直ぐに父の予定を確認し時間をとってもらいますので」

 ディオスは逡巡し、ややあって恭しくリリアーナに一礼した。

「承知致しました」

 侯爵家は起こった問題に少しざわついたが直ぐ様優秀な執事長によって統制が敷かれ、ディオスが湯浴みを断り服だけ借りて着替えた頃には侯爵がディオスに話を聞くため待機していた。

「殿下の発言については私からも国王陛下に責任を持って伝えますのでご安心ください」

「その必要はございません騎士様」

「……なぜ、ですか?」

 侯爵夫妻の怒りは相当なものだった。特に夫人は座るソファの上で身を屈め、『リリアーナを傷つけるなんて』とブツブツと呟く姿は異様でディオスは眉を顰めたほど。

「両親は、王家に抗議すると言っておりましたが……私としては、婚約がなくなっても、構いませんので」

「申し訳ありませんが、報告しないわけには参りません」

「そうですか」

「はい」

「では、お気をつけてお帰り下さいませ」

 早々に話をきり上げたリリアーナに驚きつつもディオスは一礼した。

「はい、失礼致します」

 馬車に乗り込み、走り出して直ぐ門の奥に目をやった。ディオスが見たのは既に背を向け屋敷に入ろうとするリリアーナの後ろ姿だった。


 ◇◇◇


 学園の卒業パーティーはパートナーがいるものはその者との参加が認められている。婚約者がいる貴族は例外なくその婚約者と共にこの日のための衣装を纏いエスコートにて入場口から並んで会場へと入ってくる。

 エドワードがリリアーナではない貴族の令嬢をパートナーに登場したことで、会場内は奇妙な緊張感が広がり、本来なら賑やかで明るい談笑が至る所で聞かれるパーティーはヒソヒソとした少し耳障りな声が聞こえ、門出を祝うパーティーには不釣り合いな雰囲気に包まれていた。

 奇妙な緊張感の原因はエドワードがリリアーナ以外の女性をパートナーにしたことだけではない。

 エドワードがパートナーにしたのが一学年下の子爵家令嬢エレンという女学生であることと、そのエレンが纏っているドレスだ。

 このエレンという女学生は以前から高位貴族の令息と恋仲にあるという噂が絶えなかった。幸か不幸か、その令息には婚約者がいなかったため学園でも問題視はせずに静観する姿勢を貫いてはいたが、相手が二人いるという噂が流れつい最近学園が本人を呼び出し事情を確認するということがあった。その件について学園も本人もダンマリを決め込んだが、リリアーナが知った範囲では少なくとも令息二人はエレンと付き合っている、という趣旨の話をしたことを把握していた。

 そしてもう一つの問題は、エレンが着ているドレスだ。エドワードのストロベリーブロンドを思わせるピンクのドレスに、青い瞳に合わせたであろう水色のレースが使われているのである。これは自分がエドワードのパートナーですと言っているようなものだ。エドワードのパートナー、いや婚約者はリリアーナのはずなのに、エレンが共にパートナーとして入場し、エドワードを思わせる色を纏っているということは、()()()()()()|になってしまう。

 しかし今この場にそれを素直に祝福する者はいない。正確には出来ない。

 なぜなら誰も『リリアーナと王子が婚約破棄してエレンが新たに婚約者になった』という話を、ほんの少しも聞いていないのだから。


「お迎えに上がりました」

「……騎士、様?」

「はい」

 一方で、それよりも2時間前に侯爵家ではちょっとした混乱が起きていた。王子がリリアーナを迎えに来ないだけでなく子爵令嬢エレンを迎えに行って既に会場近くで待機しているという情報が入り急遽リリアーナの父がパートナーを務めることになりその準備に追われる中、ディオスが現れたのだ。

 騎士の中でも限られた者だけが許される聖騎士という称号を持つディオスはその聖騎士の正装である真っ白に金の装飾が美しい騎士服で侯爵家に現れていた。

「リリアーナ様がお許しくださるなら、私にエスコートをさせていただけますか。勿論国王陛下から許可は取りました」

「……それ、は」

 戸惑い顔がこわばるリリアーナの前、ディオスは滅多に見せない笑みを薄っすらと浮かべリリアーナの目を見開かせた。

「私に、リリアーナ様をエスコートする栄誉をお与え下さい」

 跪いて、手を差し出したディオス。しばし無言を貫いたリリアーナ。

 そこへ小走りでやってきたのは侯爵夫人だった。

「お待ちになって騎士様」

 彼女はリリアーナの隣に並び、彼女の腕を掴んだ。

「リリアーナは侯爵令嬢ですわ、いくら聖騎士とはいえ、家格が……申し訳ないけれどお断りさせてくださいます? ねえリリアーナもそう思うでしょ?」

 ディオスはピクリと眉を僅かに上げた。そしてリリアーナは。

「お母様」

「なあに?」

「お母様が決めることではこざいません」

「え?」

 そしてそっと、リリアーナは己の腕を掴む侯爵夫人の手を外した。

「この方は私に問うております。私が決めることです」

「え、え……リリアーナ、でも」

「お母様」

 リリアーナは侯爵夫人の手を外した手を、ディオスに向けて差し出した。

「行ってきます」

 ディオスがその手を取り、立ち上がる。

「責任を持ってエスコート致します。それでは侯爵夫人、失礼致しました」

「ま、って、リリアーナ? どうして? どうしたのリリアーナ」

 そのやり取りを侯爵夫人の後を追いかけてやってきて見ていた兄弟二人は、呆然としてリリアーナを見つめるしか出来なかった。侯爵は少し離れた所から観察するように静観していることにディオスは違和感を感じつつ、引き留められると面倒そうだと考えリリアーナをエスコートしてさっさと歩き出した。

 迷わず屋敷の扉を出たリリアーナの手を握るディオスはチラ、と彼女を横目で見ると彼女が薄っすら笑んでいることに驚いて立ち止まる。

「どうしました?」

「あ、いえ……」

「参りましょう、騎士様」

「はい」

 迷わず馬車に乗り込んだリリアーナはやっぱり笑んでいる。その顔は所謂ご機嫌と例えられる表情に近い。

「騎士様もご存知の通り、私はリリアーナではありません」

「……」

 突然始まったリリアーナの独白。

「リリアーナという仮面を被る、平民です。ああ、でも『お父さん』は男爵位を持つ神父なので一応令嬢と言っていいかもしれませんが、領地を持たない一代限りの爵位ですから私はどのみち平民ですね」

「……何故、今その話を」

「そうですね……何故と問われると自分でも分かりませんが、言いたくなった、ただそれだけです。これからしようとしていることを騎士様が知ったらきっと阻止されるでしょう。でもそれでも構いません、そう思ったんです」


 会場入りした瞬間リリアーナは予想した通りの反応に笑いそうになった。ただ思った展開ではなくなりその原因がリリアーナの予定にも無かった聖騎士が隣にいるせいで、彼女自身が驚いていることを吹聴して回りたい気分になってしまって、余計に笑いそうになり慌てて扇子で口元を隠す。

「おいディオス!! 貴様何をしている!!」

 リリアーナがいるのにまるで彼女が見えていないかのようなエドワードの態度に一切動揺することなくディオスは一礼した。

「ご覧の通りリリアーナ様をエスコートする栄誉を授かりこうして参りました」

「はぁ?! なに馬鹿なことを!! そんなニセモノをエスコート、何の意味がある」

 鼻で笑い、エドワードは隣で己にしがみつくようにして体を寄せるエレンの頬を撫でた。仲の良さを見せつけているつもりなのだろう。

「殿下、失礼ながらリリアーナ様のエスコートは国王陛下から許可を得ております」

 しかしディオスのその言葉でその場が騒然となった。

「なん、だと」

「私の望みで、リリアーナ様をエスコートしております」

 そこで一拍置いたディオスはリリアーナに目を向けた。

「殿下が婚約破棄を望んでおられる。そして私はリリアーナ様をお慕いしている」

 リリアーナは目を見開いた。

「ただ、それだけのことです」

 手を離そうとした。リリアーナはディオスの腕に添えていた己の手を外そうとした。その手を包んだのは他でもないディオスだった。

「どこにも行かないでください、せめて私が私の思いをあなたに伝えきるまで、どうか……」

 懇願する切なげな声色だと思ったのは勘違いか、それとも本心か。動揺し言葉が出てこないリリアーナはそれでも精一杯その動揺を隠して僅かに頷いた。ホッとした小さな小さな息を吐き出したディオスの手が、ほんの少し強まってリリアーナは表現し難い感情が込み上げて俯いた。

「ディオス様ぁ」

 俯いたリリアーナの顔を上げさせ、エドワードの目を丸くさせ、ディオスに険しい顔をさせたのはエドワードにベッタリと張り付くエレンだった。これ見よがしに上目遣いでディオスを見つめ、エドワードから離れると決して上品とは言えないドレスで谷間がはっきりと確認できるその胸を自らの腕でキュッと押し上げた。

「その人、死んだリリアーナって人の代わりに拾われて来た平民でしょ? ディオス様がエスコートするような人じゃありませんよ」

 媚びる甘ったるいその声は彼女独特のもので、学園では敬遠されている。貴族子女が通うこの学園でこんな話し方をする者はいない。それでもエドワードがリリアーナを捨ててこのエレンをエスコートするまでの仲になったのは、淑女が決して許さない距離感と、互いに何でもかんでも褒めちぎり煽てて気分良くさせるだけの軽い中身のない会話で済むことと、見た目に自信があるからこそのその見せ方が完全に異性向けに振り切れているからだ。

 それらには品性や貞淑といった言葉は存在しない。そして、それを平然と武器に出来るからこそ言える暴言。

『死んだリリアーナって人』。

侯爵家の令嬢に対してこんな言い方をしていい立場の人間など数えるほどだし、なりより立場が上だとしても幼くして不慮の事故で亡くなった侯爵令嬢をそう表現する者など存在しない。

 流石のエドワードもギョッとした顔でエレンを見つめる。加えて自分がいるのに目の前の男に媚びているその姿が信じられず言葉を失っていた。

「そんな人をエスコートするくらいならエレンと今度お茶しませんか? ディオス様とお茶したらみんなに自慢できちゃう! あ、私お話し上手ってほめられるんですよっ、きっと退屈しませんよディオス様」

 あまりの出来事に、リリアーナは額に手を当てがった。エレンの噂はそれなりに知っていたがまさかここまでとは思っていなかったのだ。それを目の当たりにしたことで衝撃的過ぎて頭痛がしてきた感覚に陥ってしまう。

「私はあなたの声が既に煩わしいので誘われてもいきませんね」

「ふぇ?」

 ディオスの発言とエレンの反応にリリアーナは一瞬ポカンとし、ゆっくり額から手を下ろし急に笑いがこみ上げて緩みそうになった口元をその手でそっと隠した。

「え、え? なんでですか?」

「なんで? 今言いましたよ、声が煩わしいって。煩わしい、です。意味が分からないんですか? そんな事も分からないなんて尚更嫌ですね。それとエドワード殿下にエスコートをされているにもかかわらず他の男をお茶に誘うなど……不敬というか、無礼というか。もう少し勉強されることをお勧め致します、お茶に人を誘うのはそれからですね。それでも私は誘わないで下さい、あなたに全く興味ありませんから」

 その場は少し前から静まり返っていた。だがディオスのその発言からほんの数秒後、『ぷっ』と吹き出し笑いが聞こえた。それに釣られるように、クスクス、ふふふ、と笑い声がじわりじわりと会場に広まっていく。

 顔を強張らせたエドワードは辺りを見渡した。

 エレンはムッとした顔でディオスを一瞥し、そしてエドワードのように周囲を見渡した。


「リリアーナ様!!」

「あら、騎士様。どうかしました?」

「どうって、あなたをお屋敷までお送りします、最後までエスコートさせてください」

「それですが」

 リリアーナは一人会場を抜け出し門に向かって歩いていた。

走って追いかけて来たディオスが直ぐ後ろにいるが振り向く事なくそのまま歩き続ける。

「私、屋敷には帰らないのでここでお別れしましょう」

「帰らないって、どういう事です」

「そのままです。侯爵家には帰りません」

「では何処へ」

「家に帰るんです。父のところへ」

 ピタリとディオスは立ち止まる。その気配を察したリリアーナも立ち止まり振り向いた。その振り向いた顔を見て、ディオスは目を見開く。


 とびきりの笑顔。


「侯爵令嬢をやめます。元の私、シンシアに戻ります」

 彼女は履いているヒールを脱いで手に持った。

「もうこんな靴履きません」

 そしてそのままディオスに背を向け歩き出す。

「裸足で歩くと石畳って痛いんですね」

 軽やかで躍動的な歩調は今纏っている淡い黄色のふわふわしたドレスには似合わない。

「このドレスもここを出たら知人の家で脱ぎます。私こういう可愛い色、好きじゃないし」

 ヒールを持った手でドレスの裾を持ってわざとひらひらと揺らす姿ははしたない。

「卒業したら帰っていいって言われたので故郷に帰るんです、まさか真っ直ぐ帰るとは思っていないでしょうね『あの人たち』。卒業祝いのパーティーを家族でしようって言われてましたけど、そんなの望んでないし、あんな所帰りたくもないし、そもそも私は家族として扱って貰ったことなんてないので家族とのパーティーじゃないんですよ。流石にそれは強引な言い訳になりますか?」

 楽しげな、溌剌とした声は令嬢らしくない。

「あなたは侯爵家令嬢として、大切にされてきた訳ではないのですか」

「私は仮面を貼り付けられていたんです。リリアーナ・シュライトスという仮面」

「仮面……」

「殿下の言う通りでしたよ。一人の人間を模した仮面を付けられた操り人形でした。私が何を言っても訴えても、誰も何も聞いてくれません、それはリリアーナ・シュライトスの言葉ではないからと。私が発することを許されたのはあの人たちの想像の中にいるリリアーナ・シュライトスの言葉だけでした。あの家で私が人間だったことはありません」

 そして門に到着し、リリアーナは振り向いた。

 今度は穏やかな、落ち着いた顔をしていた。

「嬉しかった。騎士様に思って頂けて。でもあなたが慕ったリリアーナ・シュライトスはリリアーナという仮面を被った操り人形。私じゃないんです。……だから、ごめんなさいも、ありがとうも言いません。ただお別れしましょう」

「まっ、てください」

「騎士様、私、もう苦しくて」

 今度見せた表情は、苦しみ。

「だから、ここでお別れします。もう全部、いらないの、今あるもの、全部、いらない」

「……それは、私も含みますか」

「はい」

「引き留めることは、許されませんか」

「はい。だってあなたが慕ったのはシンシアじゃないでしょ?」

そう言った彼女は美しかった。



 ◇◇◇



 リリアーナ・シュライトスについての報告書を王太子から手渡されたディオスは読み進めていくうちにどんどん青ざめ、読み終えた頃には怒りに震え、落ち着くまでしばらくの間言葉を発することもできずにただうなだれるしかなかった。

「お前からリリアーナ・シュライトスが侯爵家で虐待されている可能性があると報告を受けてから直ぐに調べさせた結果がそれだ。たった数日で出て来た証言でそれだから実際にはもっと壮絶な思いをしてきただろうな」

 なかなか話せずにいるディオスに王太子がそう言葉をかけるとようやくゆっくりと重そうに頭を上げたがディオスの目は報告書に落とされたままだ。

「エドワードが彼女に全く興味を示さない事に対して何度か注意をしてきた。だがエドワードが『人形みたいで気持ち悪い』と言って嫌悪したのも正直に言えば……今は頷ける」

 エドワードの兄、王太子はだからと言って勝手に婚約破棄を宣言して他の女をエスコートするなどもってのほかだと非難した上で更に続ける。

「本当に、人形扱いされていたんだ」

「……彼女は」

 ディオスは手で目元を覆う。

「仮面と言っていた」

「……仮面、か」


 朝の挨拶から夜のおやすみの挨拶まで、徹底的に教え込まれていた。それは度を越した、侯爵夫人が『リリアーナならこう言う』というただそれだけでまるで役者がセリフを覚えるように決められた言葉を返すことを強要するものだった。

 甘ったるいお菓子は苦手なのに、リリアーナは好きだったと毎日デザートは紅茶で流し込まなければならないものばかり。さっぱりとした飲み物を欲しても温めたミルクや果実水しか出てこなかった。落ち着いた色味が好きだと言ってもピンクや黄色、白やアイボリーの服やリボン、部屋の内装や家具に至るまでただの一色も選ばせて貰えなかった。

 シュライトス侯爵家の人々が考えるリリアーナであることを常に求められ、表情一つまともに自分の意思で決められなかった。

 憐れんだ使用人たちがこっそりと彼女の好みを聞き出して食事やティータイムの軽食をなるべくそれに近いものにしてあげる努力をするくらいには、彼女は『仮面を被らされ操られる人形』だった。

 そして昨年頃からは長子であり彼女の義兄となる侯爵令息が侯爵夫妻の目を盗み深夜に彼女の寝室に忍び込むという問題も何度か起こしていた。貞操の危機に手を差し伸べたのは恥を忍んで彼女が相談した使用人達だ。彼女は最初侯爵夫人に相談したのだが、あろうことか『兄が妹と親睦を深めるためにした事なのだから』と笑って流したという。そして彼女は侯爵夫妻の目を盗み使用人の部屋に逃げ込んで夜を明かすことが何度もあった。

 これが決定打となり耐えきれず彼女シンシアは侯爵に告げた。


「人間に戻りたいんです。リリアーナ・シュライトスという仮面はいずれ私を殺します。どうか、仮面を捨てて人間に戻ることを認めてください。それが出来ないのなら、死なせて下さい」


 と。

 その一言に侯爵は言葉を失い体を震わせ、頭を下げたという。


「彼女……シンシアの侯爵家からの絶縁については侯爵が密かに手続きを進めていたそうだ。卒業のあの日には、籍は抜かれシンシアに戻っていたが侯爵夫人と嫡男がな。厄介だから隠していたらしい」

 王太子は苦笑した。

「侯爵夫人は実の娘が亡くなって以来心が病んでいたから仕方ないと言える部分はある。だがなぁ……嫡男は完全にシンシアを始めから妹とは見ていなかった可能性がある」

「……それは、一度考えた事があります」

 ディオスは深い深いため息をついた。

「おそらく彼女が似ていたのは、黒髪と紫の瞳、本当にただそれだけでしょう」


 黒髪に紫の瞳。

 愛らしい天使のようなリリアーナ。

 シンシアも黒髪に紫の瞳だ。

 だが全く違う。

 ディオスが知る限り、彼女程の凛とした美しさをもつ女性はいない。

 シンシアは十歳になる頃には既に大人びた顔立ちのずば抜けた美貌を兼ね備えていた。

 美麗さに、烟るまつ毛の下から見える紫の瞳が妖艶さを加えてしまう。作られていた表情だと分かった今でも、彼女のその美貌に涼やかで人を寄せ付けない高潔さは学園は当然のこと社交界でも高貴で稀有な一輪の花と賞賛されていた事実は変わらない。

 リリアーナという少女が生きていたら、きっと侯爵家の人々がよく知る侯爵と侯爵夫人に似た子になっていた。特に幼い頃から母親に似ていたと言われるリリアーナなら、庇護欲をかき立てる柔らかで朗らかで愛らしくそれこそ甘い砂糖菓子のような、深窓の令嬢と呼ばれる類の女性になっていた。

 きっと嫡男は本能的にシンシアを妹として見ることはなかったのだろう。

 黒髪で紫の瞳なだけで、妹とはまるで似ていなかったのだから。

「……それで? お前はどうするんだ?」

 王太子の問いにディオスは再び俯いた。

「お前が惹かれたのは誰なんだ?」

「それは……」

「気にしなくていいぞ。侯爵夫人はリリアーナがいなくなったと毎日泣いて徘徊しているらしいが領地にある屋敷に押し込んだそうだし、嫡男には既に婚約者があてがわれてシンシアを追いかけることが出来ないようにしたそうだから」

「しかし」

「まあ、なんだ。私から言えるのはお前は真面目でもっと休んでも誰も文句は言わないぞ、ということだ。使っていない休暇で確かめにいったらいい」



 ◇◇◇◇◇



「お父さん、おはよう!」

「おはようシンシア」

 毎日毎日飽きるほど梳かれ手入れされた長い髪は肩より上でバッサリと切り落とした。

「んー、ちょっと濃い!」

「あはは、上出来だよ」

 侯爵から持っていくようにと言われたものは数日のうちに全て売り払った。

「お母さんのお墓参りのお花、どうしよう? 何がいい?」

「シンシアが選んでくれたらきっと何でも喜ぶよ」

 学園で学んだ事を活かして父親の運営する教会で子供達だけでなく大人達にも読み書きや計算を教えるようになった。


「シンシア、お客さんだよ」

「え、私に?」

 一度だけ、侯爵が様子を見に行きたいと、償いたいと手紙を寄越したけれどシンシアは『もう構わないで下さい、それが償いになります』と返信した。以降手紙は届いていない。

 エドワードは本来リリアーナとの茶会や招待を受けた夜会等で必要になる身支度品に使われるべきお金をエレンに使っていた挙句、学園で禁止されていた賭け事にもそのお金を使っていたことが発覚、婚約破棄を無許可で告げただけでなくエレンとの肉体関係も発覚、王族に名を連ねる資格はないと王位継承権を剥奪され、王都から遥か遠くの環境厳しい王領に一代限りの爵位を与えられ事実上追放となった。

 利用価値のなくなった途端エドワードをあっさり捨てたエレンも、既に貞淑とは程遠い身になったことが広まってしまい条件のよい嫁ぎ先を見つけることは不可能になっていた。父親の子爵も手に負えないとエレンを見限り、規律厳しい修道院に送り込んで絶縁してしまう。行き場を失ったエレンは生涯その修道院で過ごすことになる。

 そんなもうどうでもいい、シンシアには無関係な出来事を教えてくれる人物。


「ディオス様……?」

「お久しぶりです。……髪を切られたんですね」

 定期的に手紙をくれたディオス。最初は生まれ故郷に戻って不自由していないかと心配する内容だった。それに対して心配してくれてありがとうという感謝の返信をしたらどんなところなのかという内容の手紙が返ってきた。そんなことが続いていくうちに、気づけは一年が経っていて、シンシアの手紙をしまっておく箱は大半がディオスからのものになっていた。

「敬語はやめてください。今のあなたは私からしたら雲の上の人です」

「……では、シンシア。今の君の方がずっと魅力的だ」

 シンシアは目を細めた。

(眩しい人)

 そして苦笑した。

 自分との差に。

 相変わらずかっちりと着崩すことなく騎士服を纏い、だらしなさとは無縁の立ち姿。

「こんなところまでわざわざどうしたんですか?」

「君に会いに来た」

「私に?」

「会って確かめたかった」

「……何を、確かめるんですか?」

「私が惹かれたのは『誰』なのか」

 シンシアは目を見開いた。

 ディオスが泣きそうな顔をしたから。

「どうしても、自分の目で確かめないと、諦められそうになかったんだ」

 苦しげに、けれど彼は笑った。

「すまない、忘れられなかった。手紙の中の君は、私の知る人だったから。気遣いを感じる言葉も、丁寧な説明も、どこか人を寄せ付けない距離のある文章も、そのチグハグさも含めて、ずっと手の届きそうで届かない所にいた君だった、シンシア」

 シンシアは、どう返していいのか分からず戸惑い無意識に一歩後退った。

「眩しいです」

「……え?」

「今のディオス様は、眩しくて、住む世界が違う人で、今の私には遠い人です。だから、困ります……」

「そう、だな。分かっている、困らせると分かっていてきたんだ。本当にすまない突然こんなこと」

 小さくなる声と俯いてしまったディオスの姿に、フッと小さくシンシアは笑ってしまった。後退ったことを後悔するほど、彼の一面を直接知ることで心がふわりと熱を持つ。

「……友達になることは出来ますか?」

 俯いたディオスの顔が勢いよく戻る。

「ディオス様との手紙のやり取り、嫌いじゃないです。もう貴族の言い回しもマナーも使いたくないし、必要ないんです私。これからは手紙の言葉遣いも簡単でちょっと下品になっていくかもしれません。それでもよければ、書きます。また、手紙くださいますか?」

「……あぁ、勿論」

 シンシアは微笑んだ。ディオスがそれにつられるように微笑んだ。


「宿は取りました?」

「まだだ、大きな街だから夜遅くとも取れると聞いていたし」

「それじゃあ南の少し丘を登ったところにある赤い屋根の宿おすすめです。お食事も美味しいしお部屋も綺麗です」

「そうなのか、じゃあそこに行ってみるかな」

「はい、是非に。あ、いつまでここに? もし数日滞在するなら案内させて下さい」

「嬉しいな、お願いするよ。でもいいのか? 働いているんだろ? 迷惑は掛けたくないんだ」

「友達ですよ、遠慮なんてしないでください」

 なんとも言い難い表情になるディオスを、シンシアは顔を華やぐような表情に変化させ笑った。






必ずしも恋が成就し結ばれるハッピーエンドにする必要はないかな、と思いながら執筆したことで最後がこんな感じに終わりました。


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― 新着の感想 ―
うーん 一代限りの爵位まで与えて 見かけは追放っていっても全然ペナルティになっていないし、結婚までさせているのはセイ加害者へのペナルティになってないと思います。 他の方(過激派)だと中身を引っこ抜いて…
恋が実らない結末も良いですね。悲恋でもなく未来では結ばれる可能性があるくらいの程程の結末で。 エドワードはこいつが王族とかやべえと思ってたので納得の顛末でした。 シンシアに起こったことの1番の元凶…
侯爵家が、家ぐるみで誘拐事件を起こしているうえ、それが王家にバレているけど問題にならかったのかな。まあ侯爵家であれば、適当にもみ消せるのか。王家にちょっと借りというか弱みにはなったかもしれませんね
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