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夜会の後、アリシア・ローゼンベルクは王宮での存在感を急速に増していった。
彼女は男爵令嬢でありながら、聖女としての力を持つ。そのため、王宮では特別な待遇を受け、貴族たちからも一定の敬意を払われていた。もちろん、王族に近づくことも許されており、特にレオナルトには何かと理由をつけて接触を試みていた。
「王子さま、お疲れではありませんか? 光魔法には癒しの効果もありますので、少しでもお役に立てれば……」
「王子さまの剣技は素晴らしいと評判です。もしよろしければ、今度ぜひ拝見したいです!」
「先日、書庫で素敵な本を見つけました。王子さまもお好きかと思いまして……」
そうやって、彼女は健気で控えめな態度を取りながら、さりげなく距離を縮めようと試みていた。
——素晴らしい! その調子よ、アリシア!
セレスティーナは、にこにこと満足げにそれを見守っていた。
(順調ね! このままレオナルトが彼女の魅力に気づいてくれれば、私は自由になれるわ!)
そんな期待を胸に、日々の王宮生活を過ごしていた。
しかし——
「はぁ……」
ある日の午後、セレスティーナは自室のソファに腰掛け、目の前に立つレオナルトを見上げた。彼は滅多に見せない疲れた表情で、ゆっくりと息を吐いていた。
「どうかしたの?」
「少し、疲れた。」
「まあ。」
セレスティーナは優雅に微笑む。
(王宮での仕事が忙しいのかしら? でも、この人なら慣れているはず……)
そう思いながら、彼の様子をよく観察してみると、どうもいつもの疲労とは違う気がする。
「……もしや、アリシアのことで?」
問うと、レオナルトは静かに目を閉じた。
「正直、少ししんどい。」
(……え?)
意外な答えに、セレスティーナは目を瞬いた。
まさか、アリシアのアプローチにうんざりしている?
「別に害があるわけではない。だが、あまりにも近づかれると……対応に困る。」
(困る? いや、そこは惹かれるところでしょう? なんで困るの?)
乙女ゲームの記憶では、レオナルトはヒロインに次第に心を開き、彼女の純粋さに惹かれていくはずだった。だが、現実の彼はむしろ、ヒロインの接触に辟易している。
(……どうして、こうなるのよ。)
本来なら、ここで彼がアリシアに惹かれることで、婚約破棄への道が開ける。しかし、彼はむしろセレスティーナのもとへ「癒されに来た」状態だった。
ソファに腰掛けたまま、彼女は小さくため息をついた。
「それで、私のところに?」
「お前のそばは落ち着く。」
(……ちょっと待って。)
セレスティーナは軽く目を見開く。
(それって、悪役令嬢のポジションにある私よりも、ヒロインよりも、私のほうが居心地がいいってこと!?)
何かが、決定的にゲームのシナリオと違っている気がする。
戸惑いながらも、レオナルトはため息混じりに呟いた。
「お前は、余計なことを言わないし、気を使わなくていい。」
「……それはどうも。」
(あのね、私としてはむしろ、アリシアに惹かれてもらったほうがありがたいんだけど!?)
このままでは、婚約破棄の未来がますます遠のく気がする。
だが、レオナルトは静かに彼女を見つめたまま、微かに微笑んだ。
「少し、ここで休ませてくれ。」
そう言うと、彼はソファの隣に腰を下ろした。しばらくセレスティーナのそばでくつろぎ、いつもの調子を取り戻した彼は言った。
「今度、幼馴染たちを交えて、気楽な茶会を開こう。」
レオナルトはそう言い残し、満足げに微笑んで立ち上がった。
「茶会?」
セレスティーナは、目を瞬かせた。
「王宮の空気も窮屈だろう。たまには、肩の力を抜いて話せる場が必要だ。」
まるで当然のことのように言う彼の表情は、来た時よりも穏やかで、どこかすっきりしたようにも見える。
(いや、私はむしろあなたにアリシアのほうを向いてほしいんだけど……)
そんな内心の叫びを押し殺しながら、セレスティーナは優雅な微笑みを浮かべるしかなかった。
「楽しみにしている。」
彼はそう言い残し、静かに部屋を出ていった。
扉が閉まる音が響くと同時に、セレスティーナは小さくため息をついた。
「……こんなはずじゃ。」
思わずこぼれた言葉。
(おかしいわ。どうしてこうなるの? 私の計画では、アリシアがレオナルトの心を射止めて、私はお役御免になるはずだったのに……)
そもそも、レオナルトはヒロインに惹かれ、婚約破棄に向かうのがゲームのシナリオ通りの展開のはずだった。なのに、彼はむしろアリシアを避け、私のもとで癒しを求めている。
これでは婚約破棄どころか、逆に絆が深まってしまうではないか。
「なぁ。」
ぼそりと、隣から声がした。
「最近、お前なんか変だぞ?」
護衛として日々付き添っているカイル・ブレイザーが、じろりとセレスティーナを見下ろしている。
「変?」
「そうだ。つーか、さっきから何をそんなに落ち込んでるんだ?」
カイルは腕を組み、怪訝そうな表情を浮かべていた。
「普通なら、第一王子が『お前と過ごすと落ち着く』って言ってきたら喜ぶもんだろ? なのにお前は、まるで世界の終わりみたいな顔してる。」
「……そんな顔してた?」
「してた。」
即答だった。
「最近のお前、妙に生き生きしてるし、たまに訳わかんねぇ顔するし、どう見てもおかしい。」
「……たとえば?」
「夜会のとき、アリシアがレオナルトにハンカチ落としたときの顔。あれ、どう考えてもおかしかったぞ。」
カイルは呆れたように言う。
「普通なら、婚約者が他の女と仲良くしそうになったら、嫌な顔するか、冷静に対応するもんだろ? なのに、お前はあのときめちゃくちゃキラキラした目でふたりを見てた。」
(見られてた……!)
セレスティーナは微かに顔を引きつらせたが、カイルはさらに畳みかける。
「お前、あの時、『もっといけ!』って思ってただろ。」
「…………」
「……いや、何の反応もないの逆に怖いな。」
カイルは、眉を寄せてため息をついた。
「何考えてるのか知らねぇけど、妙な動きはやめとけよ? レオナルト様はお前を大事にしてるし、下手に変なことしたら、余計に囲い込まれると思うぜ。」
(そんなの、分かってるわよ……!)
むしろ、何としてでも私は逃げたいのに、レオナルトが全然逃がしてくれそうにないのが問題なのだ。
「……カイル。」
「なんだよ。」
「いっそ、私をどこか遠くへ連れ去ってくれないかしら。」
「却下。」
即答だった。




