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逃げたい悪役令嬢と、逃がさない王子  作者: つむぎ


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2

「——あのっ!」


アリシアの声が、王宮の廊下に響く。


去ろうとするレオナルトを引き止めるように、彼女はわずかに身を乗り出し、期待に満ちた瞳で彼を見つめた。金色の髪が揺れ、光魔法の加護を受けた薄衣がふんわりと広がる。


セレスティーナはそれを見て、心の中で拍手した。


(そうよ、その調子! ここでしっかりと彼の興味を引いて、婚約破棄への第一歩を踏み出すのよ!)


きっとレオナルトも、彼女の可憐な様子に心を動かされるはず。これこそが、乙女ゲームのヒロインの力。


……だというのに。


「何か?」


レオナルトは軽く視線を向けたものの、その声音にはまるで興味が感じられなかった。


「えっ……」


アリシアの表情が、一瞬、揺れる。セレスティーナも、まばたきをした。


(……あれ? なんでこんなに素っ気ないの?)


乙女ゲームの記憶では、レオナルトはアリシアの純粋さに触れ、ほんのわずかでも彼女に心を惹かれるはずだった。けれど今の彼は、単に「礼儀としてハンカチを拾った」だけのようにしか見えない。


アリシアはなおも必死に微笑み、なんとか会話を続けようとした。


「えっと……王子さまのことは、いつもお噂で……その、尊敬しております。」


完璧なセリフ。ゲームならここで彼が「そんなに畏まることはない」と言って微笑むはず。


しかし、レオナルトの答えはあまりにもそっけなかった。


「そうか。」


それだけ言うと、彼は興味を失ったかのようにアリシアから視線を外した。


そして次の瞬間——


彼はまっすぐセレスティーナのもとへ歩いてきた。


(えっ?)


突然の展開に、セレスティーナは思わず硬直する。


「セレスティーナ。」


彼は自然な動作で腕を差し出し、落ち着いた声で続けた。


「そろそろ行こう。」


まるで、彼女以外には関心などないとでも言うように。


セレスティーナは一瞬、理解が追いつかなかった。まるでゲームのシナリオが、大きく軌道を逸れていく音が聞こえるようだった。


(ちょ、ちょっと待って。どうして私のところに来るの!? 今はアリシアに惹かれる流れでしょ!?)


驚きと混乱の中、カイルが横で「えぇ……」と小さく声を漏らしているのが聞こえた。


しかし、レオナルトの腕は迷いなく差し出されたまま。


セレスティーナは、動揺を隠すように微笑みを浮かべると、彼の腕にそっと手を添えた。


(……仕方ない。とりあえず、今はこの場を収めましょう。)


けれど、その指先はほんのわずかに力が入っていた。





王宮の夜会は、いつものように華やかで、そしてどこか冷ややかだった。


シャンデリアの光が大理石の床を照らし、貴族たちは上品な微笑みを浮かべながらも、慎重に言葉を選びつつ会話を交わす。音楽は軽やかに流れ、ワインが静かに満たされていく——だが、最も目を引くのは、会場の奥に並んで座る国王夫妻の姿だった。


国王、アルベルト・アシュレイ。

王妃、エレノア・アシュレイ。


ふたりは並んで座っているものの、互いに目を合わせることはない。


国王はどこか気怠げな表情を浮かべ、手元のワインを傾けていた。一方、王妃は冷たい笑みを湛えたまま、淡々と社交に応じている。まるで国王の存在など意識していないかのように——それが彼女なりの誇りなのだろう。


(この夫婦の関係が冷え切っていることは、貴族社会ではもはや公然の事実。)


セレスティーナはグラスの縁を指でなぞりながら、彼らをちらりと見た。


国王はかつて、王妃以外の令嬢に心を奪われ、その女性を側妃として迎えた。しかし、自身の後ろ盾である王妃の家門を失うわけにはいかなかったため、正妃の座はエレノアに据えたままだった。


結果、王宮の中で王妃の立場は揺るがなかったが、王と王妃の関係は決定的に冷え込み、それに伴って王家の権威も次第に弱まっていった。


(このせいで、私の家もレオナルトとの婚約には消極的だったのよね……。)


エヴァンジェリン公爵家は、もともと王家の最も強力な支持者であり、絶大な影響力を持つ一族だった。しかし、国王の軽率な行動によって王家の信頼は揺らぎ、そんな状況で娘を王家に嫁がせることに、セレスティーナの両親は強く反対した。


けれど、王家はどうしても彼女を王妃に迎えたかった。王妃の家門からの支援を得られず、貴族たちからの信用も薄れつつある国王にとって、エヴァンジェリン公爵家の支えはどうしても必要だったのだ。


「王妃として迎えたい」


そう懇願され、公爵夫妻はしぶしぶ婚約を認めた——それが、セレスティーナとレオナルトの婚約の経緯だった。


(……まあ、私はその婚約を破棄されるつもりなんだけど。)


セレスティーナはワインを軽く口に含みながら、隣に立つレオナルトに視線を向けた。


彼はどこか遠くを見つめているような表情だったが、黄金の瞳には王家の未来を見据える冷静な光が宿っていた。


彼は、決して父王のようにはならないだろう。


それは分かっていた。


——だからこそ、セレスティーナは思う。


(そんな立派な王に、私なんか必要ないでしょう? 早くアリシアに恋をして、私を解放してくれればいいのに。)


しかし、レオナルトは今日も変わらず、彼女の傍に立っていた。


この婚約を手放す気など、微塵もないというように。

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