七話 板挟みはつらいよ
魔王の娘とはなんぞや。異世界サポートセンター社員の二人は、それを聞かずには帰宅しても枕を高く寝られない。
「お二人とも……お疲れ様でした……夜間対応、ありがとうございました」
エイリーンの誘いを断り帰還した四条と三ツ橋を、覇気のないイスタルテが出迎えてくれる。平時はハキハキとした喋り方で愛想も良いのに、今はジメジメした空気を身に纏う。女神然とした慈愛に満ちた眼差しも、今は光が失われている。目は合わせず、四条達の足元付近に視線を彷徨わせるその陰気さはまるで、大通公園のベンチでうな垂れていた四条みたいだった。人間も女神も、やらかした時に落ち込むのは変わらないのだ。堕天使と言われても違和感が無い。
「あの、四条さんに三ツ橋さん。よかったらコーヒーをどうぞ。缶で申し訳ありませんが」
震える指で差し出される無糖ブラック。
差し入れまでくれるだなんて。これはもう、魔王の娘を把握していなかった謝罪のクッションとみて間違いない。入手経路不明な缶コーヒーはしっかりと冷やされており、仕事終わりには嬉しい一品。
「冷えてますねっ!」
三ツ橋が顔を綻ばせると
「一度、神界に戻って冷蔵庫から持ってきましたので」
ポツリとイスタルテが呟く。
三ツ橋は神界にも冷蔵庫あるんだと言いかけ、更にメーカーまで気になったものの、失礼かもしれないので飲み込んだ。
差し入れをあげるのでお手柔らかに、という意思が透けて見えなくも無い。しかしそこはちゃんと追求しないと、イスタルテにとっても不利益にしかならない。
「これはこれは……有り難く頂戴します。ところでイスタルテ様、魔王の娘についてなのですが」
最短で帰って寝たい四条がアイドリングトークなど知らぬとばかりに本題に入る。
「ひぃっ」
イスタルテは、あまりの容赦ない単刀直入さに小さく悲鳴をあげた。複数の世界を受け持つ偉い神様とは到底思えず、四条は小さい女の子を叱っている気持ちにさせられる。せめて堂々と、魔王の娘の存在を掴めていなかった事実を恥じる事なく告白してくれた方がマシだった。神様には信仰するに足る威厳を感じさせて欲しいという考えは人間のエゴだろうか。
ただ、イスタルテが怯えるのにも相応の理由はある。彼女もまた神界では中間管理職に過ぎない。更に上位の存在が指定した世界の管理を任されているだけで、今回のような監督不行届は彼女も上司から叱責されてしまうのだ。サポート内容変更によって上乗せされる金額を上に報告するのも恐ろしい。
「ひぃって。女神様でも怯える事あるんすね……」
普通の職業では、女神のこんなカッコ悪い姿を見る機会は何度生まれ変わっても訪れない。教会の神父やシスターでさえ。ある意味、異世界サポートに入社していたからこそ女神の裏側を覗けたと言える。神様の苦労を知ったとして、人生が豊かになるわけでもないのだが。
「お恥ずかしい話、魔王の娘を今まで発見できなかったのは私の不手際です。そのせいで四条さんへは計画の変更等のご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません」
「イスタルテさんに非は無いのですから、頭を下げられるとこちらも心苦しいです。おっしゃる通り計画は見直さなくてはなりませんが、弊社としてはその分の費用さえいただければ何も問題はありません」
四条から費用の話が出た際イスタルテが「うぐっ」と呻いたが、聞こえなかったフリをするのが優しさだ。
「無論、追加の料金はお支払い致します。魔王が死んだ今……転生者の田中さんをこの世界で確固たる英雄の地位に押し上げるには、彼の手で魔王の娘を倒して貰わなくてはなりません。達成するまでの間、引き続き御社に全面的なサポートをして貰えれば幸いです」
イスタルテは俯きがちに早口で言い切ると、ぐっと唇を噛んだ。魔王が本気で娘の存在を秘匿していたので、仮に他の神がこの世界を監視していようと見つけられなかった筈だ。この件、イスタルテに落ち度は無い。だとしても、担当者というだけで責任の一端を負わされるのは世の常。四条にはイスタルテの気持ちが手に取るようにわかる。
「……お辛いですよね。貰い事故みたいな失敗で、あたかも自分のミスかのように上から怒られるのは」
四条が苦笑いを浮かべる。
「えっ?」
「私も課長に詰められて報告書やり直しとかしょっちゅうですよ。お互い、苦労が絶えませんねぇ」
「……四条さん」
「魔王をついつい正当防衛で痛めつけてしまったので、明日も朝イチで課長からの呼び出し確定ですし」
「ふふっ、あれが正当防衛ですか」
だとするなら、どこまでいくと過剰防衛なのか。
「でも確かに朝イチでの呼び出しは、その日のテンションが下がっちゃいますね」
イスタルテの目に、ほんのわずか光が戻る。人間と神。立場は違えど共通する悩みもあるのだ。
「女神様とリーマンが同じ愚痴で共感するなんて、異世界ひろしと言えどイスタルテさんと先輩くらいのもんすよ……」
三ツ橋の眼前で繰り広げられる疲れた社会人同士の会話。この二人をそのまんまガード下の焼き鳥屋にワープさせても違和感は無い。四条は正真正銘疲れた社会人に他ならないので、イスタルテが人間味溢れ過ぎているのかもしれなかった。
「さてイスタルテさん、本題に入ります」
四条が意識して笑顔を貼り付け、声のトーンを落とす。仕事モードへの切り替えスイッチだ。
「はいっ」
イスタルテも愚痴モードから、シャキッと背筋を伸ばして応じる。
「今後の私共の対応ですが、まずは予定通り【伝説の剣:LS-80】を最短で納品致します。それで田中様が魔王の娘を倒せれば全て解決……倒す対象が魔王からその娘に変更になっただけで、イスタルテさんや我々の仕事は増えません」
四条は簡単にサポートの方向性を示す。イスタルテも、隣の三ツ橋も黙って頷いてみせる。
「懸念すべきは娘の強さです。魔王は【LS-80】で問題無く倒せるレベルでした。ですが、死に際の魔王の話を信じるのであれば娘はそれよりも強いそうです。可能な限り田中様には【伝説の剣】を利用し、高レベルなモンスターを倒してご自身のレベルアップも終えてから征伐に向かっていただければと思います」
どれだけ強い剣も、それを振る本人が弱くては十全の効果は発揮しない。武器を手に持つ限りは、剣が使用者の肉体を強化してくれる。とはいえ、田中に24時間年中無休で剣を握らせるのも不可能。寝込みや休息を襲われた際、せめて咄嗟に【伝説の剣】を握れるくらいの力はつけて欲しい。
剣が届いた! チート武器でレッツゴー! を転生者にさせている神も中にはいるが、その結果転生者が死んで「御社の製品はどうなってる!」とクレームを入れてくるまでがワンセット。剣の他にちゃんと防具も購入してくれれば良いのだが、どうしてか神様は「この中から好きな装備を一つ選ばせてあげましょう」と、製品を一つだけしか渡さない傾向にある。
イスタルテと四条のやり取りからわかるが、主に金銭的理由とは転生者達も思うまい。イスタルテが今からでも、例えば三ツ橋が先ほど使用した防御アイテム【透盾:β】と同じシリーズを田中に購入してあげれば安全性はかなり上がる。【伝説の剣】を納品後の田中次第で、苦戦するようならイスタルテに売り込んでみるのもアリだ。あくまでも田中が確実に勝つために。利益だけが目的では無い。
「かしこまりました。レベル上げなど、そのあたりは私が女神として助言しておきます」
「くれぐれも、よろしくお願いしますね」
田中少年が女神様からのアドバイスを無視して突っ込むほど血気盛んでは無い事を願う四条。時々いるのだ。最強武器を手にした万能感から無茶な行動に出る人間が。今回、ずっと気を失っていた田中の人となりは四条達にはわからないので、そのあたりは全てイスタルテにお任せする。
「我々異世界サポートセンターも、この世界を【掃討案件】にはしたくありませんので」
掃討案件。この単語に三ツ橋がピクッと眉をひそめて
「田中様が負けたら、もうそんな段階ですか? 【終末対処部】が出てくるだなんて……ワタシ、存在しか知らないんですけど、下手したらこの世界の生態系が捻じ曲がっちゃうんじゃ」
終末対処部が動けば、世界には最短距離で平和が訪れる。過程は選ばない。
「そうだ。それは避けたいよね? だからこそ、我々は全力でサポートするぞ、三ツ橋。田中様に英雄になっていただく為にっ!」
「……ですから私は担当では無いんすが」
終末対処部なんて物騒な人たちが出てくる前にA-27を平和に出来るのか。鍵となる田中少年の武勇にかかっている。
「御社の終末対処部というと、戦闘のエキスパートが集まった部署ですよね……? そんな方々に魔族を掃討してもらうって、一体幾らかかるんでしょう」
四条は営業スマイルを心からの笑みに変えて
「時価でございます」
深い深いお辞儀をした。
帰りの車中。運転しながら三ツ橋が口を開く。
「ワタシ、時価なんてお寿司屋さんくらいでしか聞いたことないっすよ」
それも、回らないお寿司に限るだろう。
「イスタルテさんの予算はオーバーキルだろうね、確実に。そもそも、【掃討部】の連中が出てこなきゃダメな時点でイスタルテさんは神様失格の烙印を押されちゃうんだ。それも気の毒だろ?」
終末対処部は、社内的に掃討部と呼ばれている。彼らによる世界の掃討は、異世界サポートセンターとしても最終手段。これ以上は異世界の文明が滅ぶと判断された場合にのみ実行されるのだ。
神界的に、そうなった時点で世界を救えなかった女神と見做されてしまうらしい。
「厳しいっすねー」
「俺がイスタルテさんなら、そうなる前に予算を注ぎ込んで我々サポート課に直接戦闘を依頼するけどね。こっちも高いけど、時価では無いんだし」
神様でいられなくなるよりはマシな方法だ。結果、他の世界に予算が割けずそちらが掃討案件になる危険もあるが。
「今日はありがとうな、三ツ橋。出来ればちょいちょい田中くんのバックアップを手伝ってくれ。暇な時にでもっ」
「先輩、眠すぎて深夜のテンションになってません?」
そういえば四条にはアルコールが入っているのを思い出し、それでよく魔王と戦ったなぁと感心しながら、三ツ橋は四条が部屋に消えていくのを見守ってから帰路についた。




