四話 夜間当番
札幌市には東西線、南北線、東豊線、3つの地下鉄路線がある。降雪量の多い札幌において、冬に雪で遅延しない地下鉄は移動手段として人気が高く、札幌の住みたいエリアランキングにおいても地下鉄駅がある街が上位にランクインしてくる。
その3つの路線は全て大通駅を中心としており、職場が大通にある四条は比較的通勤に恵まれていた。それでも、朝と夕方の通勤ラッシュは耐え難いが。
最寄りの地下鉄駅に直結するスーパーで晩ご飯の材料を買い、どこにも寄らず直帰した四条。職場から歩いて10分、15分ほどで狸小路やすすきのといった繁華街があり飲み歩くのには適しているのだが、次の日が休日ならまだしも、翌日も朝から元気に出社しなくてはいけないと思うとお酒の楽しさが半減してしまう派だ。それもあり、普段の日に外で呑むことは珍しい。結構な頻度で後輩の三ツ橋から呑みに誘われるものの、年齢を重ねるごとに「平日に呑みとか、若いなぁ……」とだけ言って断ることが増えてきている。
「先輩はコーラでもノンアルでもいいっすから! なんなら、美味しいもの食べるだけでも満たされませんかっ!?」
と、最近は三ツ橋が懸命に食い下がるシーンがよく見られる。それも
「んーでも、三ツ橋とサシ飲みはコンプラがなぁ……」
などと、あまり乗り気になって貰えず。つい最近ハラスメント研修を実施した会社を恨む三ツ橋であった。ハラスメント研修が行われる前は、もっと付き合い良かったのに! と。
「やっぱ、異世界疲れには自宅で風呂浸かりながらようつべ見るに限る……。呑むにしても宅飲みだよな」
駅から徒歩10分ほどの1LDKが四条のアパート。浴槽にお湯をはり、風呂ぶたの上に置いたタブレットで動画を見つつ疲れを癒す。入浴しながらのアルコールは危険なので、相棒はもっぱらガラナだ。
ガラナとは。
1960年頃、コーラが本州から北海道に上陸するよりも3年ほど早く広まった炭酸飲料。道民の心を掴み、ひと足先に定着したガラナは今でも道民に愛され続けている。コーラに似ている部分もあるが、甘さは控えめでやや風味が強く、スッキリとした味わい。入浴で乾いた喉を潤すにはもってこいだ。
「明日こそは一日中社内にいれるよね、きっと」
異世界に行く業務は主に2パターンある。一つは前月くらいから予定を組んで、アフターサービスとして異世界の様子をチェックしに行くもの。そしてもう一つが今日のように突然呼ばれて緊急対応に向かうもの。疲労度でいえば圧倒的に後者のほうがメンタルを削られる。心の準備も無く予定外の異世界訪問は極力遠慮したいのが社員みんなの共通認識だ。
「呼ばれても、【伝説の剣】が届くまではA-27はもうどうしようも無いけどな」
イスタルテ案件……社内的にはA-27と呼ばれるあの世界は、最終的に転生者の【タナカ】が【伝説の剣:LS-80】を用いて魔王を倒さなくてはならない。そうすることで後世まで【タナカ】の名が語り継がれ平穏が訪れる。可能なら王女と転生者が婚姻し、子孫をもうけて【伝説の剣】を家宝に受け継いでいけば、長きに渡り安泰だろう。それが顧客であるイスタルテから提示されたシナリオだ。
神様達はイスタルテのように通常幾つかの世界をかけもちで担当する。四条がいる地球を管理する神も存在しており、この世界で亡くなる人の寿命はその神様が決定している。しかし、ごく稀に神様のミスで本来亡くなるべきでは無いタイミングで人を死亡させてしまう場合がある。当たり前だが、そのミスは神の存在を揺るがすほど重い。だからこそ。そうした人への償いに、平和な異世界に健康な状態で転生させて第二の人生を楽しんで貰う方法があるのだ。神様サイドの救済措置ともいえる。
「現状、イスタルテさんの受け持ちはどこも大変らしいからなぁ」
風呂をあがった四条は冷蔵庫から缶の札幌黒ラベルを取り出して、プシュッ! と栓を切る。キンキンに冷えてやがるビールの、麦の旨みと苦味がほてった身体に染み渡る。
イスタルテが担当する世界はどこも大変。といった課長の発言があった。
顧客であるイスタルテに「貴女の担当する世界、全部ヤバいっすよね? 笑」なんて確認はしていないが、会社へのアイテム発注やサポートの依頼内容からイスタルテの世界がいずれもうまくいってないのは容易に判断可能。つまり、彼女が現地人を誤った寿命で死亡させた場合、わざわざ他の神様に頼んで平和な世界に転生させなくてはならない。言い方は悪いが、神としては結構恥ずかしい状況。
なので、今最も優先しているのが転生者による魔王撃破。自分が受け持つ世界を一つでも平和に出来ればいちいち他の神に頭を下げる必要が無くなる。忙しいとミスが起きやすい上に、ミスしてはいけないという気持ちは更なるミスを招く。異世界サポートセンターとしても早いところ解決してさしあげたい。剣の発注ミスも忙しさやプレッシャーからきているのだろう。
こうして書くと危険な世界に転生させられている田中という少年は人身御供かと思われそうだが、元々は魔王すら簡単に屠れる剣を渡された上で可愛い王女と楽に結婚出来る想定だったので、発注ミスが無ければ苦労は無かったのだ。
異世界サポートの社員が……つまり四条が魔王を倒しても平和は訪れるけれど、結構いい金額をいただく上に別料金のアフターフォローまでセットになってしまう。やはり現地にいる人間で安く済ませるのが最善だ。
「剣はもうちょいで届けるんで、せいぜい頑張ってくださいよ。田中様」
転生者に届くことのないエールを送る。
キッチンに立つ四条はフライパンでもやしと味付きジンギスカンを炒めながら、焼けた肉から頬張りビールを流し込む。柔らかいラム肉と、肉を漬け込んでいたタレで煮込まれたもやし。ビールが進んで仕方がない。
女神からの呼び出しに怯えることなく四条がジンギスカンを楽しめているのには理由がある。
異世界サポートセンターには待機当番というシステムが存在する。交代制で、月に一日くらいの頻度で毎日誰かが夜間待機し、お客様からの緊急呼び出しに備える。今日は違う課の人が当番だったので四条はすっかり安心してお酒を堪能していたのだが。
ブー、ブー。
会社用の携帯にメッセージが届く。
「……マジかよ」
嫌な予感しかしない。ここで携帯を見ずに、明日の朝まで気づかなかったと主張しても責められる事はない。だって、当番では無いのだから。だが、内容くらいは確認しておかないと落ち着かないもので。四条は嫌々ながら携帯をチェックする。
案の定コールセンターからのメッセージが一通。内容はこうだ。
『四条さんへ、夜分にご連絡し申し訳ありません。本日札幌エリア当番の山本さんがA-27でぎっくり腰の為応援要請がありました。世界担当者の四条さんへ、まずご連絡しました。【クロノスタシス】にて時間のズレは抑えていると山本さんから報告がありました。お手数ですが対応可能かどうか、コールセンターまで返信をお願い致します』
山本は現在定年後の嘱託として働いているベテランだ。最近現場へも滅多に出ておらず普段は当番も免除されているのだが、今日はたまたま誰かに当番を頼まれてしまい、優しい性格ゆえに引き受けてしまっていた。
文面にある【クロノスタシス】というのはアイテムの名前で、日本と時間の進み方が違う異世界とのズレを抑える効果がある。お客様の要望で使用する際には非常に高い料金を頂戴するが、今回のぎっくり腰のようにこちらに非がある場合は無償で使用し、応援が来るのを待つのが決まり。
山本さんが当番をしていたのも驚きだし、A-27から緊急対応依頼が来ていたのも驚きで、四条はダブルパンチをくらった気持ちになる。
「まさかもう魔王さんが攻めて来た……? あれだけ力の差を見せて差し上げたのに?」
ビールで気持ちよくなっているので、言葉にはやや驕りが見える。ぎっくり腰の山本さんは四条と面識もあり、色々と恩がある為向かってあげたいのは山々なのだが……アルコールが入っていては運転も出来ず。
「行きたいけどなぁ……どうしようかなぁ……」
嘘だ。本当は行きたく無い。このまんま布団に入りたい。
ただ……脳裏によぎるのは、昼間会ったエイリーン王女の嬉しそうな顔。あんな世界で、あの若さで、戦えるという理由だけで戦わされている少女。A-27で緊急対応が必要な状況は、魔王軍が攻めてくるくらいのもの。なら、狙われたり対処させられるのはあの世界最強のエイリーンか、次点の転生者タナカだ。
現地人への思い入れは御法度。そんなことは理解している。貞操逆転世界に消えた吉田の件もある。
だとしても。
「全然行きたく無いけど……王女様には、田中君と結婚してもらわないとだしなぁ」
アルコールの入った頭では理性がうまく働かない。四条はスマホを操作して、ある人物に電話をかけた。何回かのコールが鳴ってから通話状態に。
「な、なんすか先輩! こんな時間に」
かけた相手は後輩の三ツ橋佳奈だった。誰かに車で送って貰わないと、今の四条は異世界へ行けず。社用携帯のナビ機能があれば社用車じゃなくてもゲートへ辿り着けるので、車を取りに会社に向かう必要はない。三ツ橋が電話に出なければ課長にかけようかと考えていたが、応答して貰えて一安心。ただ、こんな時間に車を出してくれるかはまた別だが。
女子社員に夜電話をかけるなど、シラフの四条ならまずしない行動。実際、三ツ橋も先輩社員からの急な電話に驚いている。
「悪い三ツ橋。今から出てこれるか?」
「えっ!? 今から……っすか。ちょっと、身支度に時間かかっちゃうんすけど、それからでも大丈夫なら……行けます」
【クロノスタシス】により、ある程度は時間がかかっても問題は無い。
「大丈夫だ。申し訳ないけど、車で俺の家まで来て欲しい」
「せ、先輩の家に!? ……わかりました。今から準備するので、その間チャットで住所送っといてくれます?」
「わかった」
「あの、ワタシまだお風呂も入ってないんですけど、それでも大丈夫っすか……?」
さっぱりした性格の三ツ橋でも、やはりお出かけする際には身だしなみが気になるのだなと四条は思う。
「ん? そんなこと気にしなくていいよ。こっちが急に呼び出したんだしね。気をつけて、安全運転でな」
「は、はい……なるべく早く、行きますね」
そうして通話が切れた。いつもと違う後輩の態度に気が付かないのはアルコールのせいか。それとも、お酒を飲んでいなくても【鈍チンくん】と言われる察しの悪さ故か。
「さて。俺も準備しないとだな」
ジンギスカン臭くなったので、お客様に不快感を与えないようもう一度軽くシャワーを浴びる。その後、戦闘に備えて動きやすい服装に着替えた。昼間はスーツ着用だが、夜間対応なら私服でも怒られない。会社から装備を色々と持っていきたいものの、生憎そんな時間も無い。【社員証】だけは忘れずに携帯して、あとは三ツ橋が迎えに来てくれるのを待つ。
四条と三ツ橋は普段の会話でお互いの自宅がまあまあ近い事が判明している。なので四条はまず彼女に電話をかけたのだが、時間にして20分くらいで三ツ橋は到着した。夜間の急な呼び出しにしては相当早く、結構申し訳ない。
チャイムが鳴り、三ツ橋を招き入れる。
「よっ。急に悪いな」
「い……いぇ。大丈夫……っす」
ドアを開けると。そこには、可愛らしいミルク色のニットと細身のデニムコーデの三ツ橋が立っていた。普段見慣れない私服に四条は心臓が小さく跳ねたものの、褒めたらハラスメントになりそうなので堪える。
「先輩、髪濡れてます?」
視線を四条の頭へやる三ツ橋。
ドライヤーの時間が短かっただろうか。支度を急ぎすぎたかもしれない。自然乾燥して変に束になった髪だと、異世界サポートセンターがだらしなく思われそうだ。
「すまん、三ツ橋が来るまでにシャワー入ってた。もうちょっと乾かしてくるから上がって待ってて」
「はい……。お邪魔します」
四条が髪を乾かす間、三ツ橋はリビングで借りてきた猫のように正座する。
「ここが先輩の部屋なんだ」
キョロキョロと、つい部屋を見回してしまう。独身サラリーマンの生活感がある空間。初めて入る先輩社員の部屋は落ち着かない。男の髪はすぐ乾く為、ものの数分で四条が戻ってきた。
「お待たせ。じゃあ、早速いいかな?」
四条は、異世界の入口までついたら三ツ橋には先に帰って貰おうと考える。こんな時間に労働するのは自分だけで充分。呼び出しておいてなんだが、先輩として少しでも彼女の拘束時間を減らしてあげたい。
「もうっすか!? あの、せめてワタシもシャワー借りたいんですけど……」
「いや、そのまんまで大丈夫だよ」
三ツ橋は(汗もメイクも直さず……?)と受け取り、頬が熱くなる。
突然の呼び出しにも関わらずとてもオシャレな服装で来てくれた為、このまま顧客対応しても問題無いと四条は判断した。また、後輩女子に自宅のシャワーを浴びさせた話が職場に広まるとマズいのもある。第一、彼女にはゲートの前で帰って貰うのだから正直すっぴんにスウェットだって構わない。ここは申し訳無いが我慢して貰おう。
しかし当の三ツ橋は自分の身体を両腕で抱えるようなポーズをとり
「そのまんまって。昼間働いて汗もかいてるのに……先輩って……ヘンタイ……?」
微かに顔を赤らめ、少し瞳を潤ませながら呟いた。これには四条もギョッとする。
「何故俺がヘンタイ呼ばわりされるんだよっ!? 後輩女子に自分家のシャワー浴びさせる方がヘンタイでしょ!! てか、別にA-27のゲートまで送ってくれるだけで良いから! こんな時間に呼んでそれはマジごめん。今度お礼する。ただ、異世界には俺だけで行くんで、三ツ橋は送ってくれたら帰って良いからさ」
後輩の女の子にヘンタイとまで言われてしまえば、弁明が捲し立てるようになるのも無理ない。
「……は……? ゲートって、何の話です??」
まだ潤んだままの、ジトっ……とした目。
ここに来てようやく、両者ともに何か勘違いしているのではと気がついた。ぎっくり腰の山本さんから応援依頼があったものの、アルコールを摂取してしまった旨を説明した時の空気たるや。自分の部屋だというのに、四条は居心地が悪すぎて帰りたくなるほどだった。……ここでは無いどこかへ。
「先輩のバカッ。主語行方不明男! デリカシー無し男! シャワー禁止ヘンタイ男っ!!!」
ボロクソに言われて悲しくなったものの、自分にも非はあるので甘んじて受け入れた。最後の罵倒だけはいくらなんでも言いがかりだが。お酒が入っており、まさかの呼び出しでテンションが萎え、急いで向かわねばと焦る気持ちから言葉足らずだったのは見逃して欲しい。
「流石は三ツ橋さん。車がフィアット500とは、服装も含めてお洒落さんだなぁー」
送って貰う助手席で、どうにか許して貰えないか車選びのセンスを褒めてみたものの
「あ、気が散るんで黙っててもらっていいすか?」
「……はい」
先輩の威厳など、もうどこにも存在しなかった。
「三ツ橋さん。このまんま道進んで競馬場越えたら、右折して桑園駅のジャスコの方へお願いします」
「イオンっすよ、おっさん」
「……すみません」
初夏だというのに、車内は真冬の朝くらい冷え切っていた。




