三十三話 箱入り娘とくたびれたお姉さん
王都の片隅、貧困街を歩くローブの少女。深々と顔を隠すようにフードを被り、早足で寂れた路地を行く。不衛生な街の一角から眺める壮大な王城は、貧富の差を象徴するかのようだ。
「オラッ!とっとと歩け奴隷ども」
ロープで両手を縛られた幼い子供達が、醜く肥え太った男に連れられていく光景は無関係な立場の少女からしても許し難い。
「痛いよ……お母さん……どこ」
奴隷の子供達は素足で不潔な地面を歩かされている。足の裏は擦り切れ、血が土に滲む者までいた。
目を逸らすように路地の反対側を向けば。
廃屋の壁に寄りかかる老人は体全体が細く、今にも餓死してしまいそう。寂れた酒場の看板前にはくたびれた娼婦が客を捜す様子も。
「これが、人間の国なのね。王都といえど貧困街はこの有様……」
ローブの少女……魔王の娘ノクティアは嘆息した。ここが人間にとっては文明の中心。魔族を目の敵にし、父である魔王をも手にかけて守りたかった暮らしがこれだと言うのか。同胞を奴隷にするなど、それも未来を担う子供でさえ労働力として見るとは。魔族の常識では考えられない。その先に果たして人間の繁栄はあるのだろうか。
「お父様はこの人間達を正しい方向へ導こうとしていたと、じいやは言ってたわね」
てっきり魔族だけを目の敵にしているのかと思えば、護るべき同族までもを虐げる残虐性。人間にとっては力なき者、理解し合えぬ者、自分たちより強い者、全てが敵だと言うのか。
ノクティアは奴隷商人を斬り捨ててしまおうか迷ったが、それが目に見える範囲にいる子供達を救うだけでしか無いのは理解出来る。もっと根幹、この国を治める王族や貴族の考え方を変えなければ解決するまい。だからこそ、前魔王は王城を陥落せんとしていたのだ。武力に頼るのは時として犠牲を最小限にする。この、明日を迎えられるかもわからない貧困街の人間達を見て、悠長に話し合いで魔族と人間の共存を唱えるゆとりは持てなかったのだろう。
「ねえ、そこのお姉さん。ちょっとだけお話したいんですけど」
ノクティアはくたびれた娼婦に話しかけた。
「なんだいお嬢ちゃん。生憎、私は男しか相手にしないのよ。他あたってくれる?」
フードの奥を警戒する女性。こんな貧困街でも、いや貧困街だからこそ子供一人でウロついているのは怪しい。弱者ならば弱者なりに数人単位で行動するのが基本だ。女児一人では、奴隷にしてくれとアピールするようなもの。
「そんな事言わずに。お話してくれたら、お金は支払いますから」
ノクティアは言いながら銀貨を一枚差し出す。
「なっ!?銀貨……ですって。お嬢ちゃん、ここの産まれじゃないわね?それは少し話するだけの報酬にしちゃ多すぎるよ」
目を丸くする女性に、人間界の通貨に疎いノクティアがしくじったと笑みを歪ませる。この場合、銅貨数枚が相場だったようだ。
「んー。でも、お姉さんが色々教えてくれるならいっか」
怪しさが先立ち、銀貨を受け取ろうとしなかったお姉さんの手を掴み、無理やり銀貨を握らせた。
「ちょっと!これに見合う情報なんて持ってないわよ?受け取れないったら」
「良いんですよ。情報に価値を付けるのはこちらなのですから、お姉さんは何も気負いせず報酬として受け取ってください」
手の中にある数週間分の稼ぎ。女性は本心ではこのまま懐に納めてしまいたい。
ローブの少女は何者なのか。貧困街で銀貨をチラつかせるなど、命知らずもいいところだ。相手がゴロツキだったなら、殺されて身包みを剥がされていただろう。更に悪どい相手であれば、命は取られず売り飛ばされていたかもしれない。
「お嬢ちゃん……あんた、私と話したら早いところおウチに帰りなさいね」
「ノクティアと言います」
「はいはい、ノクティアちゃんね」
「お姉さんのお名前は?」
見知らぬ少女に名を聞かれ、女性は久しく誰にも名乗っていなかった事に気がつく。お金の関係で身体を重ねる相手にさえ名乗らないのだから、話を聞かれるだけの相手に名を明かすのはなんだか違和感。
「……ティーナよ」
「ティーナお姉さんですね!」
口元を綻ばせる少女に、どうにも調子が狂う。思えば、この街で誰かとジックリ話すなどいつぶりだろうか。
「で、何が聞きたいんだい?ノクティアちゃん」
こうなったら、知ってる事なら答えてやろうとティーナは手近な縁石に座って会話モードに入った。
「どれもあまり気分の良い話題じゃありませんが……まず、先ほどここを通った奴隷商人の男がいましたよね?何故、彼はこの国の未来を担う少年少女を奴隷にしているのでしょうか」
「銀貨払ってまで聞きたいことかい?それが」
ティーナは訝しむ。あんな光景はこの国のどこにでもある。
「王国の貴族らに高く売れるからだよ。力も無く、社会的立場も無い子供なんて奴隷商人からしたら攫い放題、良い食いもんってわけさ」
「貴族が……?一体何故。守るべき国民を奴隷にするなど、意味がわからないです」
「そりゃ、私も貴族の考えなんて知らないよ。でもまあ……観賞用だの愛玩用だの、碌でも無い目的なのは確かだね。特に下級貴族ほど酷いみたいで、奴隷を多く持つのは富の象徴なんだとかほざいてるそうだし」
「観賞、愛玩……?」
ノクティアにはわからなかった。それらは小動物に向けるものでは無いのか。貴族とは、魔族でいう魔王軍幹部のような立場の筈。ひたすらに同族の安寧を考える彼らは、魔族の子供を奴隷にするなんて発想がまず無い。てっきり貴族に見つからぬよう、悪党が子供を良いようにしているのかと思いきや。まさか黒幕が貴族そのものだとは。
「なるほど。ならば、ここのような貧困街を放置しているのも納得です。全ての国民が豊かになってしまえば困る存在がいるわけですね」
「そうねぇ。この辺りじゃ身寄りのない子供も多い。子供が連れ去られて気にする人間もいないからね。言いたか無いけど、良い仕入れ先ってわけ」
「なんて……野蛮な」
話を聞くほど、メスを入れるなら王侯貴族からだ。これではノクティアとしても王城に攻め込むのが如何に効率的だったのかを思い知らされる。
「次の質問です。ティーナお姉さんは、魔族についてどうお考えですか?」
「ああ、最近なにやら揉めてるって噂だね。それこそ貧困街で暮らす人間には関係無いよ。こっちは毎日の食事にありつくのも苦労してんだ。どうお考えも何も、考える余裕さえ無いってところかな」
「……魔族ってだけで、人間とは相容れないですよね?」
「それはそうなのかもしれないけど、私からすればこの国の貴族だって相容れないからねぇ。案外、魔族の方が話が通じたりして。どっちも実際に会ったことも無いからなんとも言えないけれどさっ」
魔族も貴族も会ったことが無い。故に違いも知ったことか、というティーナ。奴隷を得て喜んでいる分、貴族の方が嫌悪の対象かもしれない。貧困層の人間にとって、魔族イコール悪では無いらしい。
まともな教育を受けた上流階級ほど、よく知りもしない魔族を悪として知識を叩き込まれていそうだが。
「ここに来たのは間違いではなかったようね」
人間という存在を学ぶため、ノクティアは部下に無断で王都へ潜入した。父親である魔王の仇を捜すのも理由の一つだが、その父が支配しようと考えた人間の本質。眼前のティーナに限っては、殺さなくても良い存在だ。こういった人間達を選別していく事で、父の野望。魔族と人間の共存に近づくだろう。
「ティーナお姉さんと話せて良かった……」
「もう満足したってのかい。銀貨分、まだまだ質問しても良いんだよ?もっとも、私はずっとこのあたりにいるからね。また聞きたい事があれば訪ねてくれれば会えるけど」
ティーナは立ち上がり、服の砂をはらう。
「待ってください。ティーナお姉さんさえ良ければ、数日の間だけ私の案内人になってくれませんか?なにぶん世間知らずなもので……お姉さんに街の暮らしをもっと教えて欲しいの。もちろん、その分お金も支払うからっ」
ノクティアがティーナの手を握る。
「……ノクティアちゃん、正気?よりによって私なんかに街案内させようだなんて。もっと良い相手がいるってば」
「いないから言ってるんですよ。数日で良いんです!どうかお願いします」
ティーナは困惑しつつ、この世間知らずが銀貨片手にその辺の悪人に同じ申し出をした場合を想像する。明日には姿を消すか、裸の死体が付近に転がっている羽目になるだろう。
なんと無く、そうなっては居心地が悪い。ここで断った自分のせいにされても困る。
「……ま、いいけどさ。どうせただ生きてるだけで、目的なんかも無いしね。風変わりなノクティアちゃんの相手する方が、まだ面白いかも」
「ありがとうっ。ティーナお姉さん!」
「抱きつくんじゃ無いよっ!全く、どこの箱入り娘なんだか」
言葉では嫌がりつつ、無邪気なノクティアにハグされて悪い気はしないティーナだった。
「お腹が空きましたね。まずはご飯でも食べませんか?ティーナお姉さん、どこかお店知ってます?」
「まずは、ねぇ。そしたら私の馴染みの店でも行くとするかい。世間知らずの女の子から銀貨なんてもん渡されちゃったし、支払いは任せて」
「やったぁ!人間の食事、楽しみですっ」
「人間の?」
ティーナが眉をひそめる。
「じゃなくて、あまり外で食事した事が無くて!」
「……ふん、変な子だね」
危うい言い間違いをしたノクティア。慌てて言い直し、誤魔化すよう早歩きする。
「さあ、早く行こっ。お姉さん」
「ちょ、この辺は物騒なんだからあまり離れるんじゃないわよ!」
ティーナは焦り、舌打ちしながらも箱入り娘を追いかけた。
貧困街を抜けて城下町までやって来た二人。歴史あるレストランが並ぶ中で、輪をかけて古い店の前でティーナは足を止めた。
「ついたわよ。見た目はボロいけど、味はそこそこ美味しいから安心して」
馴染みの店らしく、ティーナは帰宅するような気軽さで木製のドアを開ける。カラン……と鈴が鳴り、来客を知らせた。
「おっ、ティーナじゃないか。元気しとったか」
店主は品の良い老齢の男。孫娘が来たかのように笑顔で出迎えた。他に客はおらず、お茶を飲んで一服していたようだ。
「久しぶりね、おじさん。またおばさんと喧嘩中?」
老夫婦で経営するこぢんまりとしたレストラン。婦人は留守らしく、その場合は買い出しか喧嘩中のどちらかのパターンが多い。
「ばあさんなら買い出しだよ。そちらの女の子は連れかい?初来店の子の前で変な事は言わないでおくれ」
「ごめんごめん。この子、お腹を空かしてるの。ちゃんとしたものある?」
ティーナの問いかけに、店主は顎髭を撫でながら少し考え込んだ。
「そうだな……今日は肉は切らしとるが、豆と根菜の煮込みなら出せるぞ。腹に溜まるし、体も温まる」
「十分よ。それでお願い」
ティーナは迷いなく頷いた。その様子を、ノクティアは興味深そうに眺めている。
「それじゃあ、二人分だな。少し待っとき」
厨房へ消えていく店主の背を見送り、ティーナは空いている席へ腰を下ろした。ノクティアもそれに倣って椅子に座るが、背筋は真っ直ぐで、どこか落ち着かない。
「……ノクティアちゃん」
「はい?」
「さっきからずっと思ってたんだけどさ。あんた、貧困街の子にしちゃ妙に行儀が良すぎるし、怖いもの知らずすぎる」
「そう、ですか?」
きょとんと首を傾げる仕草は年相応だが、ティーナの目は誤魔化されない。
「普通はね。あんな場所で銀貨を出したりしない。話しかける相手も選ぶ。生き延びたいなら」
「……なるほど」
ノクティアは小さく息を吐いた。確かに、あのまま一人でいれば早晩奴隷商人に絡まれていたかもしれない。魔王を超える強さが、貧困街の危険性を感じ取る邪魔をしてしまう。ノクティアは真の意味で奴隷の子供たちやティーナの恐怖を理解は出来ない。それでも、あの街での暮らしがどれほど不安かは想像がつく。
カチャカチャと食器の音。店主がトレーで食事を運んできた。
「お待たせ。熱いから気をつけなさい」
運ばれてきたのは素朴な煮込み料理。湯気と共に、豆と香草の匂いが広がる。
「これが……人間の食事」
思わず口に出してしまい、ノクティアは慌てて口を塞ぐ。
「……あ、いえ。家庭的な、という意味で」
「変な言い方だねぇ」
ティーナは肩をすくめ、スプーンを手に取った。
「さあ、早いところ食べな。冷めるよ」
「いただきます」
一口含んだ瞬間、ノクティアの目が僅かに見開かれる。
「……美味しい」
「でしょ。決して豪華じゃないけど、これはこれで良いもんよね」
その言葉に、ノクティアは静かに頷いた。
「ティーナお姉さん」
「ん?」
「……私は、この国を知らなすぎます」
スプーンを握る手に、力が籠もる。ノクティアは世間知らず。それはティーナもこの短いやり取りだけで十分わかっていた。
「だからこそ、ちゃんと見たい。良い所も、悪い所も」
セリフだけなら国民の暮らしを視察に来た貴族や王族の娘でしかなかった。ティーナは一瞬、冗談めかした言葉を返そうとして……やめる。
「……あんた、本当に危なっかしいわ」
「はい。よく言われます」
それでも、ティーナは小さく笑った。
「この案内役は数日だけ、って約束だからね。ノクティアちゃんの素性は探ったりしないけどさ、ガラの悪い連中とかが来ようもんならあんたの手を握ってすぐ逃げるけどいいわね?」
「もちろんです!」
「さっきの銀貨だけでも良いけどさ、もし可能なら追加料金のお金も忘れないでよ」
こうして、魔王の娘と貧困街の女は奇妙な同盟を結んだのだった。




