三話 前任者が辞めた理由
結局、昼食はカップラーメンとおにぎりで済ませる事にした四条。勤務先のビル1階にあるコンビニで購入したのはカップ麺、おにぎり、微糖の缶コーヒー。時間がない時頼りになる安定のラインナップ。
エレベーターでオフィスフロアまで上がって給湯室でお湯を注ぎ、自分のデスクで麺が柔らかくなるのを待つ。最近運動不足気味だったので魔王との戦いは良いエクササイズになった。
……とはいえ、その直後にカップラーメンを摂取してれば台無しだが。
「うわーせんぱーい。何すかぁ? その身体に良くないランチは! だからワタシとパスタ食べに行くべきだったんですよ。サラダとかもありますしぃー」
向かいの席の三ツ橋が、PCモニターを避けるようにしてニヤニヤと四条のランチメニューを覗き込んできた。
「うっさいぞぉ。俺も行けるなら行きたかったわ」
本来なら今日のランチは美味しい大盛りのお蕎麦を流し込むように食す予定だったので、コンビニ飯を揶揄われるのは四条も面白くない。大量の蕎麦を喉越しで味わう快感をお預けされ、むしろ不機嫌でさえある。
「え!? ……そう……っすか。行きたかったんですね」
三ツ橋は何故かこのタイミングで目を見開く。
「ん? ああ、行きたかったってば」
「ふーん……? ですよねぇ。いやいや、それはまあ、言われずともわかってましたけどねっ」
驚いていたかと思えば。突然立ち上がってわざわざ四条の方までやって来て肩をポンポンと叩く三ツ橋。
「素直な先輩、いいっすね。好感度高めです!」
白い歯を見せて笑い、上機嫌で廊下に消えていった。三ツ橋の心の機微は、急な呼び出しで心身疲れた状態の四条には感じ取れず。
「あん? 変なヤツだな……俺が立ち食いそば行きたがるのがそんな嬉しいのか?」
残念ながら、謎の感想しか出て来なかった。
後輩社員のよくわからない感性に困惑しつつ、ズルズルとラーメンを啜る。お昼ご飯抜きで魔王と戦ったので身体がカロリーを求めて仕方がない。今日この後は報告書を作成し、あの世界の引き継ぎも充実させなくてはならず。特にエイリーンの人柄あたりは実際に接触した四条にしか情報を残せない。次にあの世界へ行く人にもわかりやすい資料を作る必要があるのだ。でないと、さっきの四条みたいに魔王をキレさせるようなミスに繋がってしまう。
魔王は自分の名前を知らない人にキレます! 注意!
という一文は、既に引き継ぎに記入されている。忘れないうちに大切なところだけ入れておくのは重要なのだ。
缶コーヒーはいつもブラック派な四条が今日は微糖を購入したのも、デスクワークの際脳に栄養を行き渡らせる為。
「ま、三ツ橋が変なのは入社してからずっとか」
腹が減っては戦はできぬとばかりに、カップ麺を勢いよく啜っていると。
「変なのは君のほうよ? 四条くん。女の子にあんな事言われて、何平然とワカメ入りらーめん食ってるのよぉ」
ポスッ……!
背後から丸めた用紙で背中を叩かれた。
「課長……!? しょうがないでしょ、さっきまで客先訪問してたんですからっ。今やっと昼飯なんです」
後ろにいたのは課長の桜井春華。長い髪が特徴的な、四条が入社した頃からの先輩であり今は上司。大人びた雰囲気や話し方で、男女問わず若い社員から絶大な人気を誇る。
なんなら、若くないおじさん社員からも人気だ。
「昼休憩をズラしてるのは責めてないわよぉ。佳奈ちゃんの発言聞いて、何とも思ってない無神経さを言ってるのっ」
「……三ツ橋がなんです?? 発言?」
昼ごはんを笑われたのと立ち食いそばの話。それがどうしたのか、今の四条には本気でわかっていなかった。そんな様子に桜井は無駄に色っぽくため息をつくと
「この男終わってるわねぇ、佳奈ちゃんが可哀想」
やれやれ……といった具合に首を横に振る。
「ま、いいわぁ。さっきイスタルテさんのとこへお邪魔してたのよね? その報告書はある?」
「ええと。今から作成して、後日郵送かメールで送ります」
「そ、なら出来たら持って来てね。鈍チンくん」
最後にもう一度紙の筒で肩を叩き、桜井も三ツ橋のように廊下へ出て行った。
「なんで皆んな肩を叩く……?」
最近は女子の間で肩を叩くようなダンスでも流行ってるのか? などと的外れな推測をして、スープまでキッチリと飲み干す。塩分過多では? と一瞬躊躇したが、欲望には抗えず。
それから1時間。
微糖缶コーヒーをお供に作り上げた報告書を課長に持っていくと。
「……ねえ。結果的に魔王軍の幹部を倒したのなら、その分くらいはお金もらっていいんじゃなーい?」
魔王の名前が記載されていないことや、本来は有償の作業も無償にしていることを案の定つめられてしまう。
「そうですね。しかし、イスタルテさんからは【伝説の剣:LS-80】を追加注文して貰っているので。そのくらいならギリ無償で良いかと」
四条はどうにか課長を宥めようと、剣を二本買って貰えた点を推す。
「そうねぇ。本当は今日納品出来るのをメリットに【LS-100】をもうちょっとプッシュして欲しかったけど……仕方ないわね。今ってイスタルテさん、別の世界が大変みたいだし」
どうにか無償対応は許して貰えた。
(ラッキー。今日は定時で帰れるな)
小さくガッツポーズ。
「そういえば。さっき行った世界の前任者……吉田さんなんですけど、なんで辞めたんでしたっけ?」
ここでふと、昼間から気になっていた事柄を課長に質問してみた。
四条が別の世界へ出張している間に来なくなった男性社員、吉田。あまり話す機会も無かったし、フロアも違うので顔もうろ覚え。もしかして、さっきの世界が何か関係あるのかと勘繰ってしまう。魔王の名前がデータに残っていないのはそもそも吉田に非があるので、まだ会社に在籍していれば苦言の一つも言いたかったのだが。
もしもあの世界が原因で辞めてしまったのなら、そうした注意点も引き継ぎに書かなくてはならず。魔王に苦戦したとか、女神イスタルテに夜間、休日も電話されたとかが退職理由なら他人事では無いのだし。
「あの吉田くんね? イスタルテさんとは関係無いわよ」
あっさりした回答。
「そうですか……」
自身の考え過ぎだとわかり四条は胸を撫で下ろす。その返答から、退職理由は引き継ぎ資料作成に書かなくて良さそうだ。じゃあもう聞かなくて良いですと課長へ伝える前に。
彼女は何故吉田が辞めてしまったのかを教えてくれた。
「彼はねぇ。【貞操逆転世界】へサービスマンとして赴任して、そのまんま帰って来なくなっちゃったのよ。現地の女性と幸せになるんですって」
「……え!?」
つい反射的に声を出してしまう四条。ただ退職したのではなく、よりにもよってお客様が担当する世界へ永住してしまうとは。
大きい声では言えないが、【異世界サポートセンター】の規定によっては日本での記憶を消されるレベルの大失態である。
「ね! ビックリよねぇ。私達の仕事で1番気をつけなきゃいけないのが、現地人へ情を移す事。そんな初歩の初歩な部分でベテランの吉田くんがミスるだなんて。ウチの信用も落ちちゃうわよぉ」
大して残念そうでも無いし、会社のイメージがダウンするのもそこまで気にして無さそうな桜井課長。
「偽りの身分として高校の用務員にしたのが駄目だったわね。転生者がそこの男子生徒だったから、サポートするにはうってつけだったんだけど……。貞操観念が逆転するって怖いものね。用務員の冴えないおじさんにさえ、可愛いJKが毎日何人もアプローチしてきたそうよ。途中までの彼の報告書、読む? 用務員室に戻ったら、下着姿の女子生徒が5人ほど待ち伏せしていたトラブルもあったんですって」
そういうサポート内容もあるのだなと、四条はシンプルに勉強した気分になる。魔王に滅ぼされそうな世界には何度か短期で出張した経歴はあるものの、男女の貞操観念が逆転した世界には日帰りでさえ行ったことは無い。担当女神が違うだけで、サポート内容も多岐にわたるのだ。
ただ、課長の話にはおかしな点があるように感じた。
「それはおかしく無いですか? 貞操観念が逆転しただけですよね? この世界で考えれば、下着姿の男子生徒が複数人で女教師なりを待ち伏せしてた事になります。……普通に犯罪ですよね」
「そうねぇ。それは、確かに異世界でも犯罪よ。だからこそ、冴えない吉田くんですら性犯罪の対象となってしまう危険な世界とも言えるわ。異世界転生した男子生徒なんて、ウチがサポートしないと数日で失踪しちゃうんじゃない?」
辞めてしまった社員に随分な言い方だった。
「なんつー世界ですか。もしもいつか僕が行く際は、【伝説の剣:LS-100】を携帯させてくださいね」
「んふふ。戦闘力は単なる女子高生な相手に、そんな許可が降りるわけないでしょ。というかぁ、帯刀なんてしてたら四条くんが捕まっちゃうわよー?」
「……そりゃ、そうですね」
モンスターとかがいる世界をメインに担当している四条は、いまいち日本と殆ど変わらない異世界がイメージ出来ない。貞操観念逆転世界は、それ以外はほぼこの世界と同じだという。なら、確かに剣なんて持ち歩いていれば即座に逮捕だろう。
「待ってください課長。ということは、吉田さんは装備も無く抵抗できなかったのでは……?」
どこかの廃屋や倉庫に監禁でもされてしまったんじゃと心配になる。心身消耗し、判断能力さえも無くして帰れなくなったパターンも考えられる。
「そこはちゃーんと確認済よ。退職するには携帯や社員証を返してもらわないといけないからね。彼は、彼の意思で女性達に迫られる世界を選んだ。そこに間違いは無いわ」
「さようで」
良かったんだか、良くないんだか。
「上層部でも、後任をどうするか決めかねている最中よ。男性社員だと二の舞を演じるかもしれないし、かと言って昔女性がサポート担当をした際には、女性に言い寄られて増長した転生者がサポート要員をも手籠にしようとする事件があったし……」
(そんなん、女性担当者にLS-100持たせろや)
銃刀法の話はどこへやら。脳内で乱暴な解決策を導き出した。
四条はこれ以上吉田についての話を聞きたくも無いし、あまり貞操観念逆転世界について情報を得てしまうと担当にされる恐れもある。
この辺で切り上げ、残った事務処理を片付けたほうが賢明だ。
「では課長、僕は事務処理に戻りますね」
軽く会釈し、その場を離れる。
「ふふっ、四条くぅん。君にはイスタルテさんの世界を含め、吉田くんの担当エリア幾つかを引き継いで貰うつもりだからね」
恐怖そのものな課長のセリフ。しっかり聞こえていたが、ここは敢えての無視を決めこんでおいた。
◇◇◇
「じゃあ吉田さんはJKに迫られてイチャイチャして、中途半端な引き継ぎを残して消えたわけか! なんじゃそりゃっ。なまらムカつくー」
自分のデスクに戻って事務処理する四条だが、怒りでタイピング音がいつもより大きくなってしまう。
「ヨジョー先輩、なんか課長に言われたんすか? えらく不機嫌ですけどぉー」
「……三ツ橋。俺は、吉田さんを許さん」
「吉田さんって……誰です?」
「お前も知らんか。俺もあんまり知らん。ただ、貞操観念逆転世界へ短期出張してそのまんま辞めたんだってさ。現地の女性と暮らすとかなんとか」
課長から聞いた話をそのまんま教えてあげた。
「あー、さもありなんっすね。あの世界の女子は男性に飢えてますから」
苦笑いする三ツ橋。どうやら、彼女は四条よりもその世界に詳しい様子。過去に担当でもしていたのだろうか。
「詳しいのか?」
「何度か担当したくらいっすけどぉ、女性が男性くらい性にオープンな世界ってイメージですね。教室でえっちな本を読む女子を、男子が嫌がるみたいな」
「謎の世界すぎるなぁ」
まったく意味不明な世界である。そんな世界で何をサポートするのか、逆に興味がわく。
「女子高生5人が下着で待ち伏せしてるトラブルとか、そんなんToLOVEるじゃん!」
羨ましい。けしからん。こっちは魔王とかいう恐ろしい存在と戦わされたんだぞ。と、怒りをキーボードにぶつける。
「もしかして、課長から吉田さんの後任を任されたとかですかっ!? 先輩が貞操逆転世界行くとか、駄目っす!! 絶対!!」
三ツ橋はガタッと立ち上がる。
「なんで俺じゃ無くお前が焦る?」
「だってぇ。ヨジョー先輩、JKに弱そうだし? 下着姿で迫られたら誘惑に負けちゃうんじゃないかなって。そしたら……困るじゃないっすか」
「そりゃ、ご心配どーも。そもそも任されて無いし、行きたくも無いぞ。そんな世界に転生したお客様をサポートするとか、考えただけで面倒いじゃん?」
つーか何をサポートするんだよ、というのが本音。現地にわざわざ行かずとも、問題が起こった時だけ対象すれば充分だろうと四条は考える。
「JKに弱いのは否定しないんすかぁ?」
ちょっとムッとする後輩。
「いや、そんなこともないよ?」
「怪しいー。だって先輩、前のすすきのでの飲み会帰り、【みりおんだらー】のバニーガールに客引きされそうになってたじゃないすか!いい歳してデレデレして、みっともなかったんですからっ」
札幌のすすきのには、客引きのバニーガールが手を振って微笑んでくるお店が存在する。その名を【みりおんだらー】という。街が活気付く夜はもちろん、昼間からおじさんを吸い寄せる程人気のお店だ。
「それは……ほら。お酒も入ってたし会釈くらいはしないと感じ悪いし……」
若干、否定しきれていないのは自分でもわかったので、ここは話題を変える。
「むしろ三ツ橋。俺が魔王と戦闘するのは心配してくれないのか?」
どちらかと言えば、絶対にイスタルテの世界へ行く方が危険だ。聞かれた三ツ橋は少しだけ考えてから
「そっちは全然心配しないっす。だって、戦闘で先輩に勝てる人なんかいませんよね?」
全幅の信頼があった。
「……まぁね。わかってるじゃんか」
後輩女子に面と向かってそう言われると、流石に気恥ずかしくなってモニターに意識を集中する四条だった。




