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二十四話 ぬくもり



 アプロディテの世界では、魔族と人間の争いは長い歴史の中で幾度も繰り返されて来た。基本的な生き物としてのスペックは人間よりも魔族の方が遥かに高い。強靭な肉体、長い寿命、高い知性。

 そもそも、魔族にとって人間はひ弱、短命、学習が遅い、脆い……侮る要素が盛りだくさん。魔族同士ならば500歳の差があっても同盟が結べるが、人間はあっという間に死んでしまうのでそうもいかず。対等な関係性を築けなければ、思想や文化にも根本的な差異があった。

 魔族にとって人間は、家畜にも等しい存在だった。寿命は魔族の十分の一、魔力は百分の一、再生能力も知性も劣る。

 共に国家を築いたり、同盟を結ぶには短すぎる生であり、文明の進歩速度も噛み合わない。

 だからこそ、魔族にとって人間を【対等】とみなす文化は歴史上ほぼ生まれなかった。それが、争いが千年単位で終わらなかった最大の理由でもある。


 グラナダが産まれて、物心をついてしばらくした頃。いよいよ魔族は人間を支配しようと攻め込んできてしまったのだ。

 リシェル家の屋敷に火を放ち、兵士や使用人を羽虫のように潰していく魔族達。幼い姉妹を隠し通路から逃がしてくれた両親は、その後命乞いをする事なく魔族の手で葬られた。逃げる娘達に恐怖を与えないよう、断末魔さえ噛み殺して。


「ミディアお姉様! 足のお怪我は大丈夫ですかっ」


 幼きグラナダは、自身の手を取り先導してくれる姉、ミディアの具合を心配していた。ミディアは、両親が忙しく家を空けることが多いリシェル家で、常にグラナダの手を引いていてくれた唯一の家族だった。


 息を切らし、懸命に酸素を取り込みながらあてもなく駆ける姉妹。

 ミディアは屋敷から逃げ出す際に、右足を挫いていた。それでも止まるわけにはいかなかった。父親から手渡された家宝の指輪。詳しくはわからないが、この指輪に秘められた力があれば魔族にも対抗出来ると説明されたのだ。両親に代わって、リシェル家の誇りにかけてこの家宝だけは魔族に奪われまいと必死に走り続ける。

 家宝の指輪……それは、かつて女神の加護を受けた初代リシェル当主に授けられたものだと伝えられていた。魔族の猛攻に晒された今、その伝承だけが二人の心の支えだった。


「大丈夫よ、グラナダ。貴女こそ……辛かったら早く言ってね。物陰に隠れて休憩するから」


 とりあえず王城を目指しているが、子供の足では遥か遠くに感じる。最も戦闘が激しい地点なので、辿り着けたとしても保護してもらえるかどうか。

 燃え盛る家屋、立ち上る黒煙。逃げ惑う人々の悲鳴。敵味方関係なく積み上がる死体。この光景が地獄で無いのなら、一体なんだというのだろう。


 しかしミディアの心は、どれほど絶望を積み重ねようとも折れなかった。まだ守るべき妹がいる。魔族がどれほど強かろうと、二人でなら生き延びられる。

 そう信じていた。


「ごめんなさい、お姉様……少しだけ……休んでもいいでしょうか」


 随分と屋敷から遠くへ来た二人。ここまでよく走ったグラナダだったが、いよいよ限界を迎える。平時とは違い、死の恐怖に怯えながらではスタミナの消費も早い。


「勿論よ、あそこの倉庫の陰で休みましょう」


 足を止めたポイントは、幸いまだ戦闘の気配が少ない。リシェル家の未来を託された二人は、倉庫の壁に寄りかかるように座った。へたり込んだと言う方が正しい。一度足を止めてしまえば、先ほどまで動いていたのが信じられないほど筋肉が硬くなっていく。再び歩き出すのに、一体どれだけ休む必要があるのだろうか。


「グラナダ、後ちょっとだけ頑張りましょうね。もう少しで王城につくわ。そうしたらきっと、王様が護ってくださるはずよ」


 妹を元気づける為の言葉。


「はいっ! お姉様」


 懸命に笑うグラナダに、ミディアはなんとしても妹だけでも王城へ届ける決意をする。


 その瞬間。


 ズンッ!! と、地面が揺れた。魔族の戦士が地面を踏み締める衝撃。体長2メートルほどの、赤黒い皮膚をした悪魔。両腕は返り血に染まっていた。


「人間の子供か。悪いが、死んでもらうぞ」


 魔族にとって人間は家畜。わざわざ捕虜にする価値も無い。流れ作業のように、ミディアとグラナダを殺すため近づいていく。


「グラナダ、目を閉じていなさい」

「駄目ですっ! お姉様、一緒に……!」

「大丈夫だから。……ね?」


 グラナダは泣きながら姉の背中にしがみつく。ミディアは震える手で、懐に隠した家宝の指輪へ触れる。


 父の声が蘇る。


【これはリシェル家の誇りだ。いつか、必ずお前たちを守ってくれる】


(お父様……お母様……! ミディアが、必ずやグラナダを守り抜きますっ)


 指輪が赤く光る。屋敷を燃やし、みんなを襲った魔族を思い出すほど、その輝きは増していく。


「娘……! なんだその光はっ!?」

「このミディア・リシェルが、絶対にリシェル家を復興させてみせます!!」


 魔族の戦士が脅威に勘づくより早く、紅き斬撃が放たれた。圧倒的強者が、無力な人間の少女によって一刀両断、二つの塊に。


「ぐぉっ……! こんな、ガキが……ぁ!?」


 全くのノーマーク。戦える人間は大人も子供も王城に集められている。こんなポイントに、魔族を一撃で倒せる人間がいるわけ無い。魔族の戦士にとって、ここが死に場所になるだなんて想像もしていなかった。


「ミディアお姉様……すごいですわっ……!」


 子供ながら、グラナダには姉の凄さがわかった。屋敷を襲った化け物と変わらない存在を、二つにしてしまったのだから。


「怪我は無いかしら、グラナダ」


 指輪を使い、体力をごっそり持っていかれたミディア。ここまで走りっぱなしだったのもあり、疲労は限界だった。滝のような汗をかきながらも、妹を心配する。


「はいっ! どこも痛くはありませんっ。お姉様こそ、その汗……少し横になったほうが良いのでは」

「そうね。そうしようかしら……」


 本当は、戦闘が起こったので誰かが来る前に移動しておきたい。だが、もう一歩も動けない。


「グラナダ、念の為この指輪は貴女が持っていてくれる?」


 ミディアは妹に指輪を手渡す。


「この家宝を、私が……?」

「後で……体力が回復したら返して貰うけれど、今は私よりもグラナダの方が元気ですからね」


 現時点でわずかでも生き残る可能性が高い者に宝を渡すのは当然の判断。父親、母親、そして姉。家族みんなの想いがこもった指輪は、実際よりも重たく感じるグラナダだった。


「ガ……キ……ども……道連れに、して……やる」

「……なっ!?」


 真っ二つになった魔族が、最期の力で倉庫に風の魔法を放出した。爆風のような威力を受け、姉妹に向かって瓦礫が崩れ落ちる。ミディアは咄嗟にグラナダを突き飛ばし、瓦礫の落下から守った。自分が下敷きになる事を厭わずに。


 わずか数秒の出来事。魔族を倒した安堵から一転、グラナダは最愛の姉が瓦礫に埋もれる、悪夢を目の当たりにしてしまった。


「お、お姉様っ!? ミディアお姉様ぁぁ!!?」


 グラナダを突き飛ばした片腕だけが、瓦礫の山から逃れている。その手を握り、叫ぶ。


「リシェル家を……頼んだわよ……グラナダ」


 瓦礫の隙間から聞こえる姉の声は、あまりにか細かった。生きようとする意志が、もう指先ほどの灯しか残っていないのが分かる。


「ダメです! 今助けますわ! 今すぐ……!」


 グラナダは瓦礫を掴み、必死に持ち上げようとする。小さな手ではびくともしない。爪が割れ、指が石に擦れて血が出てもやめなかった。


「お姉様……お姉様……っ!!」


 世界は火と煙に包まれていくのに、グラナダの視界にはただ瓦礫の隙間に見える姉の影しか映らなかった。いつしか瓦礫を持ち上げるのを諦め、ただ冷たくなっていく姉の手を握りしめていた。


 四条がグラナダの元へやって来たのは、それから少し経ってからだった。


 ◇


 片腕を失い。痛みのあまり床に倒れたままのグラナダは、姉との別れを思い出していた。倉庫の崩壊から救ってくれたミディアの最期を。当時、姉だってまだ子供だったというのに、妹であるグラナダをまさに命懸けで助けてくれた。皮肉にも、このタイミングで最愛の姉が死ぬ直前になんと言ったのかも思い出してしまった。


「ミディアお姉様……グラナダは、愚かな妹でした」


 リシェル家を頼むと姉は言ったのだ。父と母から授かった家宝、魔族に対抗する唯一の希望を自分に託して。

 しかしグラナダはその指輪を自分勝手な復讐に使い、これからのリシェル家を担う筈だったアンナベルさえ道具として扱ってしまった。こんな事をさせるために、姉は自分を生かしたわけでは無い。


 50年もの歳月。ミディアが生きていれば、きっとグラナダを糾弾するだろう。今のグラナダの姿を見たら、あの優しく、強かった姉をどれだけ落胆させてしまうことか。


「お姉様……お姉様……!」


 自然と涙が頬を伝った。あの地獄は終わり、せっかく平和になった世界で、一体自分は何故こうも非道な行いをしたのかと。


「お姉様に謝罪するのも結構ですが、まずは道具として扱った娘さんに頭を下げるべきではありませんか?」


 姉を助けず、グラナダの腕を切り落とした四条が見下ろしながら言葉をかけてきた。あれだけ殺したかった存在なのに、今のグラナダは四条に怒りがわいてこない。目の前の男が、50年前の地獄を終わらせたのは事実だ。


 四条が示した方向を見ると。


「アンナベル……!」


 自分の指示によって副毒自殺した、愛すべき娘。グラナダは腕の痛みも忘れ、駆け寄る。どれだけ愚かな母親だと、今すぐ柱に頭を打ちつけて死んでしまいたくなる。まさにアンナベルこそが、姉ミディアの願い。リシェル家の未来だったというのに。


「愚かな母を……どうか、どうか許して……」


 この場の全員が、許すわけないだろと内心思う。【愚か】どころか、魔族でさえドン引きする所業をしておいて。


「いいえ、許せないのは当然ですね。……せめて、せめてもう一度だけ目を開けて……」


 グラナダは片腕で娘の手を握る。あの日、姉の手を握った時と同じ感情。死にゆく家族と別れたくないという一心。娘の手を握った瞬間、胸の奥底に燻っていた【憎悪】は不思議と静まった。……完全に消えたわけではない。あの国を滅ぼしたい衝動は、まだどこかに残っている。それでも、それ以上に強く湧き上がってきたのは、ミディアとアンナベルに顔向けできないという羞恥と罪悪感だった。


「まあ……アンタみたいな親は、アンナベルさんともう一度言葉を交わしたいと願う資格すらもありませんけどね」

「こら三ツ橋! 本音が漏れてるぞっ」


 異世界サポートセンター二人の言葉も、今のグラナダにはスッと入ってくる。


「そうですよね。私がアンナベルの人生を奪ってしまったのです。この子の親を名乗るのも烏滸がましい」


 アンナベルの手を惜しむように離したグラナダは、マティアスに向き直る。


「この子に罪はありません。全て、このグラナダ・リシェルが指示した事。裁かれるのは、私一人でよろしいですね?」

「……全責任を負えば、死罪は免れぬ。それでも良いのだな?」


 マティアスが手をあげると、広間に残っていたベテラン兵士達がグラナダを拘束した。


「無論です」


 抵抗する事なく、広間から連れ出されるグラナダ。


「……先輩の【殺すよ】って、現地の人が死刑にするよって意味だったんですか?」


 三ツ橋が隣の四条を横目で見る。


「いやいや。普通に俺が手を下すつもりだったけど……案外弱くてすんなり無力化出来たからさ。それなら現地で裁いてもらうべきかなって」

「うわっ。強者の余裕っぽくてむかつきますねぇ」


 などと言いつつ。三ツ橋は目の前で四条が人殺しする所を見ずに済んで安堵したのだった。



「……お母様と、お話しなくて良かったの?」


 セラフィーナは床で眠るアンナベルに問う。服毒し、一瞬心肺停止していたアンナベルは、セラフィーナのアイテムによって治癒を施された。【幸福への誓い】の光は、「まだ魂が身体に留まっている者」なら辛うじて引き戻せる。

 その結果、アンナベルは本当にギリギリのところで命を繋ぎ止めたのだ。

 アンナベルは答えなかった。ただ、良くも悪くも自分という存在の全てであった母親との、今生の別れを噛み締めるように目を閉じたまま。


 グラナダを連行する兵士が、廊下を歩きながらグラナダに尋ねる。


「あれだけ恨みに囚われていたのに、随分あっさりと死罪を受け入れたじゃないか。どういう心境の変化だ?」


 グラナダは答えない。先ほどアンナベルの手を握った時……。ミディアの時とは違い、確かな、人間の体温を感じられた。アンナベルの手は温かかった。


 あまりに温かすぎて、胸が痛んだ。


 ……こんな温もりを持つ子を、道具として扱っていたのか。


 その事実だけが、どれほど四条よりも自分を殺したか。


 アンナベルが生きているとわかっただけで、復讐から解放された今、この世に未練は無くなったのだ。復讐の炎は、もう自分の中では燃えきってしまった。

 ……焼け跡には恥しか残っていない。生き続ける方が、姉にも娘にも申し訳なかった。


「……これから先、あの子の人生に私がいてはいけませんもの」


 グラナダがアンナベルにしてあげられる、最初で最後の母親らしい行い。


 それが済んだら、向こうで両親や姉に謝るところから始めなければと、グラナダは自嘲気味に唇だけで笑った。

 自分が赦される未来など、どこにも想像できないままに。

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