十九話 戦乙女の血涙(ヴァルキュリア・ブラッティラメント)
阿鼻叫喚の中央大広間。王でさえ……王だからこそ真っ先に逃げ出した空間からは、他の王族や貴族も我先にと散り散りに脱出していく。城を守る兵士でさえ武器を置き、アンナベルと戦いもせずいなくなってしまった。残った兵はみな魔族との戦いを経験した古参のみ。
どのみち、駄弁りながら訓練する兵士にロスト特典の相手は荷が重すぎる。魔法の光を見るや、顔色を失い武器を投げ捨てたのだから。理屈より先に身体が動いたのだ。
そんな中で、アンナベルは隣のマティアスがその場を一歩も動かなかったのを見て薄く笑う。
「殿下? あまりのショックにおかしくなっちゃいましたか。それはそうですよね、婚約者がいきなりこんな行動をしたんですから。ですが……一歩も動けないだなんて、いくらなんでも情けないですねぇ?」
大広間の一角にはロートシルド家を守るように四条と三ツ橋が残っている。アンナベルは四条だけは逃さないよう目線をやりながら、逃げ遅れた間抜けな王太子を嘲笑う。しかし
「次代のエルドリア王が最初に背を向けてどうするのだ。私には、この国に降りかかる災いを見届ける責任がある」
マティアスは冷ややかに言い放った。いの一番に逃げ出した現国王へ思うところもありそうな表情で。逃げ去る王の背は各国使節の目に焼きついた。数刻後には、王都の外でもその噂が歩き出すだろう。
「アンナベル。お前の狙いがこちらであったのなら、逃してはくれなかっただろう? それに、先ほどの攻撃はなるほど強力だが、予想の範疇。別段ショックという程の衝撃は無い」
「……なんですって」
「先の戦争で没落したリシェル家台頭の裏で、各諸侯を牽制していた不可解な【力】がどのようなものか以前から気になっていたが、こうも早くこの目で見られるとはな」
マティアスはこの惨劇を前に冷や汗ひとつかいていない。婚約者の裏切り、暴走、王国の立場。全てが自身の人生を狂わせかねないというのに、三ツ橋に守られたセラフィーナを見て微笑むのみ。彼女が無事であれば、立場が揺らごうが構わないとでもいう風に。
「まさか……! リシェル家がどのように今の地位を築いてきたのかご存知だったのですか!?」
知恵者としてのマティアスを知らぬアンナベルは、特典の存在にまで気づかれていた事実に愕然とする。裏で指輪の力を使っているのを把握しておきながら、セラフィーナとの婚約を破棄したというのか。王国を堕落させるための障害となる貴族や役人の更迭をアンナベルに言われるがまま行っていたのも演技だとすれば、手のひらで踊らされていたのはアンナベルということになる。
「当然だ。とはいえ、父上達は知らないがな。リシェル家の正体に気づくものが多いほど、お前達にも悟られかねん。私は愚か者を演じながらリシェル家の出方を伺っていたのだ。狙いを知るためにも、な」
マティアスは淡々とアンナベルに語る。お前達の隠しもつ何かには気がついていて、目的を知る為にあえて泳がせていたのだと。無論、グラナダもアンナベルも、指輪を使用する際は証拠を一切残していない。
愚かな王太子、この認識は改めてなくては。
「ふ、ふふ……そうですか。では殿下がセラフィーナと婚約破棄したのも?」
「ああ、彼女を守る為だ。リシェル家は手段を選ばないだろう?」
マティアスの言う通り。婚約破棄が無ければセラフィーナも指輪の餌食になっていた。
となると、まだ王太子の気持ちはセラフィーナに向いているのだ。
「アンナベル・リシェルよ。お前の目的はニッポンか? その力を警戒されずに使用出来る貴重な機会に、狙ったのはカーナ殿の執事。これまで長年巧妙に手口を隠して来たリシェル家が、大罪人となってまで殺したい程の理由が? 交易には、この場では挨拶程度にとどめるべきだったのではないか」
優れた技術力、文化を持つニッポン。リシェル家がどのようにニッポンを知ったかはわからないが、何かしらのアプローチで恩恵を得たい気持ちはわかる。が、相手は他国だ。エルドリア内で貴族を始末するのとはスケールが違う。下手に関係を拗れさせれば敵対するのみで、あの素晴らしい特産品を手中に収めることは叶わない。武力で言うことを聞かせようとしたのなら、マティアスは少々アンナベルを買い被ったようだ。
「特産品とかはどうでも良いのです」
「ほう」
あれほどの品が眼中に無いとアンナベルは言う。
「我がリシェル家の目的は、あの男を殺すことなのですから……」
「ニッポン国の執事と、お前達に何か関係が?」
王族のマティアスですら、ニッポンを知ったのはつい先ほど。それを殺したいほどの理由がリシェル家にあるとは、一体。
「だって、我がリシェル家の没落はあの男が原因なのですからっ!!」
アンナベルが四条がいる方向を指差し、指輪を使用して赤い斬撃を飛ばすも透明なバリアに阻まれる。
「……ちっ。流石は英雄様、といったところね」
マティアスは隣で強大な力が振るわれても、マイペースに腕組みをする。
「あの防壁もニッポンの技術か。リシェル家の没落、そして英雄様……よもや、あのお方が先の戦いの」
四条の正体に瞬時に辿り着く。ただ、リシェル家の没落と英雄になんの関係があるのか。また、ロートシルド家を真っ先に庇う動きを見せたのは何故か。わからないことも多い。
マティアスにしてみれば、この状況でセラフィーナの横に物語の英雄がいるのは望ましいが。
「アンナベルよ」
「そろそろお喋りはお終いにしましょうよ、マティアス殿下。私はあの男を殺さないといけませんので」
いっそ、マティアスをこの場で殺してしまおうか。アンナベルは指輪にエネルギーが戻ったのを確かめる。こうなったら、内政で国を衰退させるのでは無く武力で王族を滅ぼさなくては。今マティアスを殺すのも、後で殺すのも大差は無い。
「それなんだが、死にたく無ければ私を殺さないことだ」
「……命乞いですか。聡明ではあっても、やっぱり死ぬのは怖いですよねぇー」
最期にがっかりさせてくれる。アンナベルは堂々とこの場に残ったマティアスを見直したのだが、また株を下げられた気分。
「命乞いでは無く、アンナベル……お前を守る為なのだ」
「はぁ?」
これだけ強力な力を持ったアンナベルを守るとして、丸腰のマティアスに何が出来ると言うのか。そもそも、この惨劇を作り出した犯人など殺すしか無いのではないか。
「すぐそばに王太子がいれば、あちらも攻撃を仕掛けられないだろう。皆のように私が逃げ出していれば、恐らくお前は既に無力化されているはずだ」
「……じゃあ。貴方は、話をしながら盾になってくれていたと?」
あり得ない。意味がない。
しかし言われてみれば。完璧に不意をついたはずの初撃を四条に避けられた際に、アンナベルは驚きで身体が硬直してしまった。あれが決まらなかったとなれば、英雄と正面から戦う必要があるからだ。向こうにも遠距離からの攻撃手段は存在するはず。英雄相手に隙を見せてまだ無事なのは、マティアスの言う通りだからなのかもしれない。
「ですが何故! リシェル家が何をしてきたか掴んでいる殿下ならば、私がこの後どうあっても死罪になるのがわかるでしょう。守られる理由がありません」
アンナベルが指輪をマティアスへ向けて光らせる。紅い光が天井の金箔に反射し、二人の顔を照らした。
「見くびるな。このマティアス・エルドリアは、偽りの婚約相手と言えど見捨てる男では無い」
正面きっての言葉。
「そう、ですか。生まれながらにして貴方との結婚が約束されていたセラフィーナ様が羨ましいですわ。……本当に」
アンナベルは心の底からセラフィーナを羨望して、指輪を起動する。
「殿下。貴方の犠牲で、我がリシェルの復讐は成るでしょう」
◇
防壁の内側でセラフィーナは肝を冷やしていた。
「マティアス様……どうして逃げないの」
アンナベルは人を簡単に殺せる力を持っている。二人で何かを話している様子だが、いつまでも隣にいてはあまりに危険だ。
三ツ橋もマティアスが邪魔で攻撃に転じれず。
「殿下邪魔すぎっす! これじゃあ防戦のみですよ」
【透盾:β】に一発攻撃を受けたが、まだ耐えれはする。アンナベルの指輪は斬撃を放つまでにクールタイムがあるらしいが、それでも悠長には構えていられない。
「邪魔というより、あえてアンナベルを守っているのか?」
四条はマティアスという男ならやるだろうと考える。
「自分がアンナベルに殺されかねないのにですか」
「そこは殿下にしかわからないが……案外アンナベルにも情があるのかもな」
犯罪者でもエルドリア国民には違い無いとか、一応は婚約者への義理だとか、そのような理由で庇っているのかもしれない。
「四条さん、三ツ橋さん。お願いできる立場ではありませんが、どうかマティアス様だけは助けてください。そうでないと、私はただ彼に生かされただけの人生になってしまいます」
セラフィーナは三ツ橋に縋る。
「そういえば……セラフィーナさんは例のボイスレコーダーを聴いたんでしたね」
四条がバーナードを見ると、頷きでの返答が。無事にセラフィーナへマティアスの言葉が届いたようだ。彼女にとって守られ、生かされただけの人生が幸福で無いとすれば、マティアスをここで死なせるのはサポート失敗かもしれない。
「あの婚約破棄が、マティアス様自身苦しんだ末に決断したものだったなんて……このまま彼と言葉を交わさず別れるのは耐えられません」
セラフィーナはマティアスに謝罪したかった。婚約破棄された時点で、彼を軽薄で考え無しと決めつけてしまった事を。
幼少から共に成長し、この世界で最もマティアスを理解しているはずの自分が信じてあげられなかった事を恥じて。そして今、彼は命をかけてセラフィーナを守ろうとしてくれている。のみならず、敵となったアンナベルさえも救おうとするほどの器のデカさ。
「四条さん、三ツ橋さん。私の幸福は……マティアス殿下と共に生きる事です。どうか、この望みを叶えてはくれませんか?」
不透明だったセラフィーナの幸福の形が、ここに来てようやく確たるものになる。
「あの、ヨジョウ様。これは一体全体なにが起きているのでしょうか?」
スケルツォが恐る恐る四条に問う。今宵は婚約破棄された娘を好奇の目から庇う為に覚悟を決めてきたのだが、斜め上の事態に理解が追いつかない。
「そうですよ、先輩。なんでアンナベルはいきなり先輩を殺そうとしたんすか?」
襲われた理由も気になるし、四条がどうやってアンナベルの攻撃を避けたのかも気になる三ツ橋。
「……んー。理由は俺にもわからないんだよなぁ」
きっと50年前に何かあったのだろうが、細かい部分までは思い出せない。
ピロンッ!
殺し合いの最中には相応しく無い受信音が四条と三ツ橋の端末から鳴った。
「これ! 技術部から来たアンナベルさんの指輪の詳細っすよ!?」
三ツ橋がメール画面を見せてくるが、四条も同じ画面を見ているので不要だ。
「【戦乙女の血涙】……? あまり聞き馴染みが無いアイテムだな。廃盤か?」
四条の脳内データベースにはヒットしない。画面をスクロールしながら詳細情報に目を通すと。
使用者の恨み、悲しみの感情が大きいほど効果が強まる指輪型アイテム。
血の刃、血の盾、身体能力上昇……
ここまで読み進めて。
そういえば一昔前に、予期せずパーティメンバーに裏切られた転生者へのバックアップとしてオススメしていたアイテムには、こういう性能が多かったっけと四条が思い出していると。
「うわっ!?」
三ツ橋が悲鳴をあげる。四条が画面から顔をあげてアンナベルに振り返ると、まさに今、マティアスが紅の凶刃によって倒れる瞬間だった。
「マティアス……!!?」
セラフィーナが口元を両手で覆う。
マティアスを守る。
たった今、セラフィーナと交わした契約。ものの数秒で不履行はまずい。即死でなければまだ治療出来る可能性はある。指輪による次の攻撃まではラグがあるので、それまでにアンナベルを無力化出来れば勝機が見える。
しかし……
「あーあ。この手で婚約者まで殺しちゃうの? 私。ほーんと、何の為に生まれてきたんだか」
大罪人となった自分にさえ手を差し伸べてくれた婚約者を、自ら手にかけた。この絶望が、アンナベルの指を一層激しく光らせる。
(光が溜まる速度がさっきより早く、輝きそのものも強い。クールタイム短縮に、威力増強……!?)
四条は光を見るや三ツ橋へ叫ぶ。普段の余裕は微塵も無い。
「三ツ橋!!! 【透盾】では無い【アズールバリア】をアンナベルの目の前に……ッ!」
指示するよりも早く。
アンナベルが放った【戦乙女の血涙】は十数枚の巨大な赤き刃となって、三ツ橋の【透盾:β】を粉雪のように粉々に打ち破った。
【愚か者の王太子マティアス】を殺していても、指輪の光は増さなかっただろう。アンナベルに対するマティアスの慈悲が、ロスト特典の効果を高める最悪の展開となってしまった。




