十六話 マティアスの理(ことわり)
セラフィーナはマティアスに婚約者破棄された。この事実はまだエルドリア内でしか広まっていない。今日行われる、スケルツォやセラフィーナも出席する予定の夜会には他国からの貴族も参加する為、そこでマティアスとアンナベルが夫婦としての姿を見せることで全世界への周知となる。なので三ツ橋ことカーナが婚約破棄を知らずにセラフィーナへ謁見したいと申し出るのは何も不自然では無い。
「セラフィーナへ……ですか。実は、我が国は少々難儀しておりまして。詳しくは話せませんが、この場にセラフィーナを呼ぶ事は出来ないのです」
マティアスはこう言う他ない。なにせセラフィーナは既に王太子妃ではなくなっているのだから。
「まあっ! セラフィーナ様は、もしやお身体の具合でも……? ではせめて、彼女への贈り物だけでも渡してはくださいませんか」
他国の貴族としてセラフィーナを案じる完璧な演技。更には贈り物を渡してもらう前提で話を進める事でマティアスの誤魔化しを打ち消す。ここでマティアスが乗っかり、セラフィーナが体調不良という嘘をついてニッポンからの贈り物を受け取ったとしても、後の夜会でアンナベルとの婚約をお披露目した際に不義理がバレる。
贈り物を受け取らなければ傷は浅いが、あれだけ見事な特産品を持参したニッポンへはマティアスも誠実に対応したい。予定より少々早いものの、セラフィーナと婚約解消した事実をカーナへは話すべきだと判断する。
「懐中時計を貸与して下さったカーナ様へは、話しておくべきですね」
手元で正確に動き続ける文字盤を見ると、まるで神に見守られている気になる。マティアスは、教会で懺悔するようにセラフィーナとの婚約破棄を語る。
「実は、セラフィーナとは婚約を解消したのです。故に、そちらの贈り物は受け取るわけには参りません。あなた方がセラフィーナの為に準備してくれたのなら、彼女の手に渡らない以上持ち帰っていただくのが道理です」
「婚約破棄……ですか。知らなかったとはいえ、大変失礼致しました。マティアス様の口からそのような発言をさせてしまい」
カーナは結果として踏み入った話題にしたことを謝罪。そして、マティアスが贈り物を受け取らなかったのを意外に思った。代わりにアンナベルへ渡すとか、軽薄な行動を取るのではと予想していたのでこの誠実さは驚きだ。
むしろこれだけ出来た人物がセラフィーナを悲しませたのかと。
「……セラフィーナ様とは婚約を解消なさったのですね。お二人は、たいへんお似合いと伺っておりましたのに」
カーナの声音はあくまでも他国の令嬢としてのもの。哀れみも詮索も含まない、品の良い悲嘆。本心ではテーブルに片足のせて「なんでだコラッ! セラフィーナ様を悲しませんじゃねぇ」とドスを効かせてやりたいのだが。
マティアスはしばしの沈黙。懐中時計を手に取り、針の動きを見つめた。規則的な音が静寂を支配する。
「この時計は、本当に……本当に美しいですね。まるで心臓の鼓動のようだ。止まらずにただ時を刻む。私達人間がどんなに栄えようと滅びようと、時間はこのように過ぎてゆくのですね」
(急にポエム!?)
時計を初めて見た人間の本心からの発言をポエマー呼ばわりする、少々失礼なカーナ。独白めいた呟きのあとマティアスは視線を戻し、正面のカーナをまっすぐに見た。
「貴女には、もう一つの事実をお伝えせねばなりませんね」
「もう一つの事実ですか?」
もしやアンナベルを妃とした事も言ってくれるのか。ならば、【お手軽地球の威光】は効果絶大だ。
「はい。……私はリシェル家の令嬢、アンナベル・リシェルと新たに婚約を結びました」
案の定、知っていた情報なのでカーナの表情は崩れない。ただ、一応は驚愕したように目を開いておく。
マティアスは、苦笑を浮かべた。
「驚かれるのも当然でしょう。セラフィーナとは幼少よりの縁、アンナベル嬢とはまだ数ヶ月。ですが……王太子として、国の安定を優先せねばならぬ時がある。王族の婚姻は個人の幸福ではなく、国家の均衡を繋ぐ鎖でもあるのです」
「つまり、セラフィーナ様との婚約破棄は政略の一環として……?」
アンナベルの色香にやられたのでは無かったらしい。
「そう取られても仕方ありません。だが私は、アンナベルを嫌っているわけではない。むしろ彼女の強さには敬意を抱いています。彼女の家は、この国の財政を長らく支えてきた名門。その血筋と影響力を軽んじれば、国全体に亀裂が入る。だからこそ、彼女を敵に回せば真っ先に狙われるのはセラフィーナだった。彼女を守るためには、あえて表向きに距離を取るしかなかったのです」
「セラフィーナ様を守るため、ですか?」
カーナの問いに、マティアスは言葉を選ぶようにわずかに目を伏せた。
「ええ、彼女との婚約は幼少からの約束。それを守れぬのは、ひとえに我が国の問題を解決出来ぬ私の力不足…… 。いっそ、彼女を連れて遠くへ行けたらどれほど良いか。……だが、王族という檻からは逃れられない」
その声音には、明らかな苦渋が滲んでいた。
「殿下のご決断、よく理解いたしました」
カーナは静かに頭を下げた。
「国を想うお心を、セラフィーナ様もきっと理解されるでしょう」
「そうであれば良いのですがね。ただ、セラフィーナは私などよりもずっと強い。私と婚約せずとも、きっと幸せを掴んでくれるでしょう」
マティアスは懐中時計を閉じ、柔らかな音を立てて卓上に戻した。
「……時とは、こうも無慈悲に流れるのですね。過ぎた選択も、戻らぬ約束も、すべてを刻み続ける。それでも私はこの針の音に誓いましょう。この国がどうなっても、セラフィーナだけは守ると」
その決意を目にしたカーナは、わずかに胸を打たれた。二度目のポエムを馬鹿にするつもりは、もう無かった。
この王太子は決して愚かではない。
「あー、マティアス様ぁ。こんなところにいたぁ」
バンッ! と重厚な扉が開け放たれた。室内に流れ込む香水の香りが、空気の温度を変える。
三ツ橋は反射的に身を引き、懐の社員証に手を伸ばしかけて、止めた。
敵襲ではない。だが敵よりも厄介な存在。
フリルだらけのドレスを揺らしながら入ってきたのは、件のアンナベル・リシェルだった。頭には宝石を散りばめたような髪飾り。唇は熟れた果実のように紅く、笑みの奥に毒が見え隠れする。甘ったるく、男を惑わす声。いかにも頭が空っぽそうに見せかけて、瞳の奥は計算高い。
この女こそ、今回の混乱の元凶。
(来たっすね。……厄介なのが)
マティアスの話によれば、彼女の家はセラフィーナを暗殺してでも王太子妃の座を狙うほど狡猾だという。
油断は許されない。
「アンナベル……! 来客中だぞ」
マティアスは眉間を押さえた。
「えぇっ? だってぇ、殿下に会えないと寂しくってぇ」
アンナベルの軽やかな声色。だがその瞬間、三ツ橋は背筋に悪寒が走った。
さっき扉が開いたとき、空気が一瞬だけ震えた。異世界サポートの社員証が、身につける三ツ橋にだけわかるように振動する。【製品探知】がオートで作動したのだ。
(……もしかして今の、アイテム反応?)
視線をわずかに動かす。アンナベルの左手。レースの手袋の下で、赤い何かが微かに光を反射した。
(あの指輪は……)
飾り気のある貴族の装飾品に見えるが、違う。
(まさか……昔この世界にいた転生者の特典!?)
三ツ橋は静かに呼吸を整えた。表情には出さず、ただ微笑みの仮面を保ったまま。
通気口の外、社員証を初期化した四条にはアンナベルがアイテムを保有しているのを感じ取れない。三ツ橋は極力アンナベルを刺激しないよう、細心の注意をはらう。
(レベルも何もわからないけど。あの指輪が発動すれば、この場の誰も無事では済まないかも)
三ツ橋は紅茶のカップをそっとソーサーに戻した。微かな音すら、火種になりかねない。
かつて一度掃討案件となった世界に、あるはずのないアイテム。これは間違いなく、【掃討後監査課】による不手際に他ならなかった。【掃討課】の四条と桜井が魔族を滅ぼした後で、異世界の状態を総チェックした部署のケアレスミスが考えられる。
(監査課のチェックリストは千項目もあるのに、肝心な現物確認は【書類上完了】で済ませたんすかね……)
なんにせよ、今、三ツ橋のすぐそばにアイテム持ちがいる。それがどのような効果なのか、本部の操作で無効化出来るのか。全てはこの場をやり過ごしてからでなけらば判断出来ない。
戦闘になっても負けは考えにくいものの、周囲の被害は予測不可能。もしもセラフィーナが巻き込まれればアプロディテとの契約は不成立だ。
通常ならば転生者の反逆に備えて、アイテムは即座に無効化できるよう全てモニターされている。しかし、当時の監査課が見落としているとなると、現在もモニター対象から外れているかもしれない。
現地人が使用可能なアイテムの回収は、戦闘に特化した装備が望ましい。それはもう【回収・封鎖課】の領分であり、三ツ橋達としては一度出直すのがセオリー。
リシェル家がどうしてマティアスやセラフィーナの間に割り込めるほど発言権を得ているのか。アンナベルの指輪があれば明快だ。
「マティアス様。夜会には、我が国の文化をお披露目する機会としてぜひ参加させていただけませんか」
表向きは外交的な要請だが、狙いはただ一つ。アンナベルの監視。
アイテム持ちのアンナベルがいる夜会にセラフィーナ達を無防備に参加させるわけにはいかない。三ツ橋はどうにか表立って夜会に入れるようマティアスへ頼み込む。当然セラフィーナを警護する為に。
「こちらからお誘いしようと考えておりました。是非とも、今度はエルドリアの産物をお楽しみください。夜会の準備が整うまでは迎賓サロンにておくつろぎください。城の者がまもなくお茶と軽食をお持ちいたします」
「ありがとうございます、マティアス殿下」
二つ返事で了承してくれる。
アンナベルが所持するアイテムをどうにかすれば、此度の依頼は全て解決するかもしれない。夜会への参加は攻守において最適。
三ツ橋は退室しながら四条へ迎賓サロンで合流しようとメッセージを送る。
アンナベルが【遺残特典物】……かつて転生者が残していった危険なアイテム、通称【ロスト特典】を所持している可能性がある。
まずは、その話を共有しなくてはならないだろう。




