道場破り
天国の宮本武蔵は、夢想権之助の物語を書き終えた。
「次は、何をしたものか」
あくびをしながら考える。
「そうだ。道場破りがいい」
しばらく机に向かっていたので、体を動かしたくなったのである。
早速、彼の世から此の世へと、移動した。
吉岡一門と決闘はしたが、道場破りというものではなかった。
その頃は、まだ道場というものは、無かった。吉岡の家には、ちゃんと本業があって、それとは別の、剣術だった。当時は未だ剣術を教えるという事は少なかったのだ。
それで吉岡の家が評判になる。ただし、道場という訳でなく、庭で教えていた。
武蔵は此の世を歩いている。
道場が見あたらない。それどころかビルばかりが立ち並んでいる。
それでも武蔵は歩く。思ったことを簡単に諦めてしまうような人ではない。
すでに夕暮れとなった。と、袴姿の老人が歩いている。此の世では、初めて見る着物である。しかも手には、竹刀袋。ただし、四尺はある。
「まさか、物干竿でもあるまい」
物干竿と言えば、佐々木小次郎の刀だが。無論、そのはずはない。
武蔵は後をついて行った。ビルの三階。板敷きの一室であった。稽古着の姿の面々。手には、棒。
杖道の教室であった。
武蔵は嬉しくなった。ところで、武蔵は魂であるので、その姿は見えはしない。
さて、稽古が始まった。
武蔵は驚いた。杖と呼びならわす棒で、木刀を受け止める稽古を始めた。武蔵は仰天である。
棒で刀を受け止められるはずがない。叩き落とされるか、もしも達人なら切り落とされる。
棒の使い方は、受けるのではない。とにかく振り回すことだ。出来ることなら、手首を狙う。
腕力の有る者なら、刀の横に当てるとよい。折れる可能性がある。刀は横からに弱い。鉄の十手などで横から打てば、かなりの確率で折れる。
父宮本無二斎の得意技であった。
もっとも、棒の様に長くない十手で、刀の間合いに入るなどは、達人だからこそ出来たことだ。
一般人の棒の利点は、遠くから振り回せること。もしかしたら、何処かに当たる。
ところで、武蔵は巌流島で、小次郎の長刀、物干竿に対して、舟を漕ぐ櫂を使った。櫂は、要するに、超ぶっとい棒だ。
長刀の間合を制するに容易である。さらには、物干竿を受け止めるとして、それは、さすがに、ぶっとい櫂なら食い込む。普通の棒なら、達人小次郎の長刀に切り落とされる。しかしさすがに舟の櫂は切れない。
ただ、何れにしろ、重い櫂を、ただの棒の様に振れるのは、常人離れの握力の宮本武蔵にのみ可能な得物(武器)である。
しかし、そこまで考えて、また杖道の稽古に、目を戻す。
杖道は、夢想権之助の創始と伝わる武道となっている。つまり、武蔵の、嘘とは言わないが物語からでたまことだ。
可愛いものだと思う。
「まあ、棒で刀に向かい合う事があるような此の世でもあるまい」
彼の世からの武蔵は、信じられないぐらい丸くなっている。
「しかし、皆の衆。過信は、いかんぞ。棒で真剣に勝つなど、達人にのみ実現可能な事だ」
一言、付け加えた。
これは作者から一言。
夢想権之助は創始した杖術を広めたと言い伝えられるが、実は生没年、身分、禄高、更には氏名すらも一切、資料としては残っていないという事は事実である。
それはそうだ。宮本武蔵が記した物語の中の人物に過ぎないからだ。




