紅蓮会の縄張り
数軒先の居酒屋から怒鳴り声が響いた。
「酒だ! もっと持ってこいって言ってんだろ!」
「金? あとでいいんだよ!」
のれんの奥では、酒に酔った五人のチンピラが机をひっくり返し、店主に絡んでいた。
粗暴な人間が三人、刃物を振り回している。
鱗の浮いた小柄なハーフリザードマンは舌を鳴らして下卑た笑いを漏らし、若いワーウルフは牙を剥いて椅子をへし折った。
その様子を睨みつけ、ラグナが一歩前に出る。
「……グレイブスの連中か。俺の縄張りで騒ぐとはな」
その声の主は、紅蓮会を束ねる会長――紅蓮龍ラグナ。
裏社会に生きる者なら誰もがその名を知り、恐れと敬意を抱かずにはいられない存在だった。
低く吐き捨て、背後の白矢たちへ振り返る。
「ここは俺に任せろ」
言い切ると、ラグナは居酒屋へ足を踏み入れた。
「ここは紅蓮会の縄張りだ。――この地で騒ぐなら、覚悟してもらうぞ」
その一声で、場の空気が凍りつく。
重苦しい圧が押し寄せ、店内の客すら息を呑んだ。
「はっ、イキがってんじゃねぇぞ!」
人間のひとりが強がって叫ぶ。
「俺たちのバックにはグレイブスがいるんだ! 紅蓮会だろうが関係ねぇ!」
ラグナの瞳が細められる。
灯りに照らされた眼は縦に裂け、爬虫類めいた光を宿した。
額には一瞬、鱗のような紋様が浮かぶ。
「り、龍……!? 紅蓮龍のラグナだ!」
チンピラのひとりが蒼ざめ、後ずさった。
「な、なんでこんな所に……!」
「ひっ……!」
恐怖に怯む声が重なる。だが若いワーウルフが酒に酔った勢いで牙を剥き、飛びかかった。
「……出て行け」
ラグナの声が低く響く。
次の瞬間、男の腕がひねり上げられ、のれんの外へ放り出された。
残りのチンピラも肩や背を掴まれ、次々と店の外へ叩きつけられる。
皿や酒瓶が床に散らばったが、店内の被害は最小限に収まった。
店先に出たラグナが、倒れた五人を見下ろす。
紅蓮会はただの徒党ではなかった。
ラグナの威光は裏社会の秩序を縛る鎖でもあり、無用な抗争を抑え込む防波堤でもあった。
その存在を崩すことは、街そのものの均衡を揺るがすに等しい。
「……紅蓮会の地で暴れるなら、命で払ってもらうぞ」
「て、てめぇ……ッ!」
人間のひとりが刃物を振りかざして飛びかかる。
ラグナの拳がそれを迎え撃ち、一撃で男は石畳に沈んだ。
さらに二人が地面に叩きつけられ、リザードマンは蹴り飛ばされて通りに転がる。
圧倒的な力――わずか数呼吸で四人が動かなくなった。
その様子を眺めながら、白矢がにやりと笑う。
「……ほらね、勝負なんて始まる前から決まってるでしょ」
視線を横に流し、肩を竦める。
「でさ、見てよ。あの店、まだあのグロいコロッケ出してるんだ。僕、絶対行かなーい」
顔をしかめる白矢に、清太郎が真顔でうなずいた。
「……あれは確かにキツかった」
「見た目アウトだろ、食欲失せるわ」
飾折が呆れ顔で言い捨てる。
「でも、意外と好む人もいるのではなくて?」
獬崎がさらりと返すと、
「いやいや、かいちゃん、それは食べてないから言えることだよ!」
白矢が即ツッコミを入れた。
そんなやり取りの最中、ラグナは最後の人間のチンピラへ歩み寄る。
「……これで終わりだ」
だが刹那、古傷が疼き、胃の奥が灼けるように痛んだ。
「……ッ!」
膝が崩れ、口端から血が滲む。
「おおっ、血を吐いた!」
白矢が片目を細めて口笛を鳴らす。
「あれ能力かな?」
「へぇ……俺みたいに肉体でなんかやるのかね?」
清太郎は腕を組み、妙に納得した顔で頷く。
「格好つけてんのかと思ったら、意外と派手だな」
飾折が鼻で笑う。
「ふふ……そういう演出も神秘的ではありませんこと?」
獬崎は余裕の笑みを浮かべた。
ラグナは苦悶の息を吐き、勘違いを正す余裕もなく拳を握る。
その隙を突き、最後のチンピラが目を見開いた。
「ひっ……! た、助かった!」
踵を返し、暗がりへと逃げていった。
ラグナは歯噛みし、膝を押さえる。
「……しくじったか」
鱗の紋様は消え、縦に細まった瞳も戻っていく。
残ったのは、荒い息と内臓を焼くような痛みだけ。
「ねぇねぇ、ラグナさん」
白矢がにやにや笑いながら歩み寄る。
「今の血、やっぱ能力? 『紅の咆哮』とか名前つけたらカッコよくない?」
「……能力じゃねぇ。ただの古傷だ」
ラグナが渋い顔で吐き捨てる。
「えー、ガチで体悪いだけ? だいじょぶそ?」
白矢はわざと肩を落とした。
「俺もこれくらいケガするけど大丈夫だぞ」
清太郎が無頓着に言う。
「あなたと一緒にしないでくださいな」
獬崎が涼しい顔で返す。
「まぁ簡単に死にそうなおっさんじゃないし、大丈夫だろ」
飾折は腕を組んで鼻を鳴らした。
「……好きに言ってろ」
ラグナは苛立ちを滲ませつつも、結局ため息をついた。
そのとき、路地の奥から荒々しい声が響く。
「へっ……紅蓮龍にやられたんじゃ仕方ねぇ。だが雑魚と違って、俺たちはやれる!」
声と同時に、暗がりから影が現れる。
三十人ほどのチンピラたちが、刃物や棍棒を手に路地を埋め尽くした。
ワーウルフが群れのように吠え、オーガが鉄パイプを担ぎ、リザードマンが短剣を舌なめずりしながら構える。
人間のならず者たちも混じり、剣を構えて不敵に笑う。
「紅蓮会を叩き潰し、この縄張りを一気にグレイブスのものにするぞ!」
群れの先頭に立つダークエルフの男が、冷たい笑みを浮かべて吐き捨てた。
赤提灯の灯りだけが揺れる路地に、不穏な空気が張りつめる。
三十の影がじりじりと前へ詰め寄ってきた。




