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第3章 神様がわたしを招待した夜

中学3年生になった結は、受験勉強の日々に追われながらも、神様の気配をそばに感じていた。

文化祭、合唱祭、そしてハロウィンの夜――。

過去に出会った人々との再会や、新しい友情を通じて、「神様」と「白石くん」と「わたし」の関係は大きく変わっていく。

そして迎える卒業の日。

少年時代の終わりと未来への旅立ちを前に、結と白石くんと神様は、どんな答えを見つけるのか。

青春と祈りが交差する、シリーズ完結編。

第3章 神様がわたしを招待した夜


 5月9日(日)23時00分


(1)


「矢納さんこんばんは。お久しぶりです」


「よう、ごぶさた。随分と夜更かしなんだな」


「へへ、そうですね」


「じゃ、手短にお聞かせ願えるかな。青少年の睡眠時間を奪いたくないからな」


「キャンプのときのお話ですよね、白石くんに神様がのり移った」


「そうだね、乗り移られたらどうなるのか、なにをしたのか、なにを話したのか」


「うん……」


「とくに、そのときの所作や言動かな」


「えーとですね、まず……」


 わたしは、キャンプのときの白石くんの立ち振舞いや発言、運動や食事をしたときの反応なんかを、できるだけていねいに話した。矢納さん、大事な論文を書いているって言ってたからね。

 でも、夕方の丘でわたしの感情が昂って、ギュッとハグしちゃったことは言わなかった。ううん、言えなかった。ハルトとわたしだけの秘密で、誰にも言いたくはなかったんだ。



「ふんふん、じゃぁ、神様は自分から“ハルト”と名乗って、結さんもそう呼んでいたと。これは興味深いね。いっしょに行ったクラスメートの名前なんかも、わかっているようすだったんだね……。

 あとは、結さんとどんなやり取りをしたか教えてほしいな。どんな話をしたんだい? ハルトはそれまでにチャネリングで何回も結さんと会話をしていて、今回はきみに直接会いにきたみたいなものだからね」


「はい、ハルトはフリスビーで遊んだり、パウンドケーキを食べたりしたときに、伝わってくる情報、ううん、感触みたいなものに驚いていました。それもすぐに慣れちゃったみたいですけど。

 あと、ほかのひとと触れ合ったとき、たとえばテントを設営してるときにちょっと体がぶつかったり、肩をポンポンと叩かれたり、あと……、手をつ、つないだりしたときに、触感とは違うものが伝わってくるって言ってました。“感情”っていうか“情緒”っていうか」


「手? 手をつないだのかい、結さんと。あ、まぁそうか、体は白石くんなんだし、普段通りに手もつなぐわな」


「普段通りって、そのときはまだ手なんて……。ち、違いますよ、言いたかったのは他の人と直接触れ合うと“感情”がわかるって、言葉ではない“気持ち”が流れ込んでくるってことです」


「うーん、なるほどな。“感情”か……」


「肉体が朽ちてハルト――神様のところに還ってくる思考には、“感情”や記憶や名前の情報が残っていないって、言ってました。思考する枠組みっていうか、考えかたのクセっていうか、そういうものだけらしいです“魂”は」


「初期化された拡張ロジックボード、あるいはアクセラレータみたいなものってことかな」


「言葉がむずかしいよう、矢納さん」


「ごめん、ごめん。もともと人間の脳にある思考回路に付け足して、記憶容量を増やすと同時に、人間が生きていくために必要な考え方であるとか、群れを存続させるための方針であるとか、ひとがどう生きていくかを決める論理回路。そんなものが“魂”なのかなって思ったってことだ」


「うーん、そうかもしれないです」


「要するにアイデンティティみたいなものかな。名前を決めたことが大きく影響したかも知れないな。ハルトと名乗り、まわりから呼ばれることが、“魂”と肉体を強く結びつけるのかな。きみのお母様が去年のクリスマスに言っていたように」


「“名前は世界で一番短い祈り”


「そう、あの言葉は僕もよく覚えているんだ」


「ありがとう、うれしい。矢納さん」


「いやいや、りっぱなお母様だからな。

 それで、神様――ハルトはどうやって白石くんから抜けていったんだ? その様子も聞きたい」


「ハルトは、夢を見るってことを経験したいから、そのあとに帰るって言ってました。

 それで、次の朝になったら白石くんに戻ってました」


「夢……?」


「うん。ハルトは眠ったことがないから、それも経験したいけど、人間の見る“夢”に興味があるみたいだった」


「神様は好奇心旺盛だな、きみみたいだね」


「へへ、それでね、“夢”を見るっていう現象については、ある予測をもっているからそれを確かめたいって」


「その予測とは?」


「わかんない。ハルトそのまま帰っちゃったから」


「なんだ、気になるな」


「それでね、わたし白石くんに翌朝に聞いたんです、夕べどんな夢見た? って」


「なるほど、それで?」


 あっ、どうしよう。これ矢納さんに言えない。わたしと白石くんがギュッとハグした夢……。


「あ、あの。つまり、わたしとハルトがキャンプ場の丘の上で話ししているところの夢だったって、言ってました」


「白石くんが、きみとハルトが話しているシーンを見たと」


「うんと、そうじゃなくて、わたしと話している当人の視点の夢ってことです」


「ハルトの記憶が白石くんに残っていたってことか……」


「そういうことになりますね」


「なるほど、なるほど。いやー、参考になったよ。僕の仮説論文にだいぶ肉付けできそうだ。さすがに〈探る人〉である結さんの情報は濃いなぁ」


「いや、それほどでも……」


「もう、12時まわるぞ。そろそろ落ちるか」


「……」


「退室していいかい?」


「あ、あの、ちょっと待って、矢納さん」


「うん? なんだい」


「その、夢のことなんですけど……。

 わたしも変な夢見て。怖い夢なんです、とても。

 ま、またその夢見ちゃうと、なんかとても大変なことになっちゃう気がして。

 できるだけ夜更かしして、限界まで起きててパタッと寝ちゃうのがいいかなと思ってるんです、今夜は。

 なので、矢納さんさえよかったら、その、もう少しお話できませんか」


「なんだぁ、寝落ちするまでお話しましょってことかい? それは相手が違うんじゃないか? ふふ」



(2)


「違うんです、矢納さん。わたしの見た夢のことちょっと聞いてもらえませんか」


「わかった。でもちょっと飲み物持ってきていいかい? 待っててくれ」


 矢納さんが画面から出ていって、背景に自宅の様子が映る。本がいくつも山積みされてる。よく見るとその本の山の後ろにも、難しそうな本を満載した本棚が見えてて、ただ散らかっているという感じではなく、規則性が感じられた。とにかく本の量がすごい。


「やぁ、おまたせ。失礼して飲ませてもらうよ」


 そう言って矢納さんは、缶ビールを一口飲んだ。服も部屋着なのかスウェットに着替えていた。


「聞こうか、結さんの夢の話」


「はい、ありがとうございます。

 そもそも夜じゃないんです、その夢。うちのお母さんがふるさと出産で弟が生まれたんですけど、その弟を連れて昨日帰ってきたんです。それで家の中がバタバタで疲れちゃて、まだ3時くらいだったのにベッドでゴロッとしていたら、そのまま寝ちゃったんです、わたし」


「おー、生まれたんだね。弟さんか、おめでとう」


「はい、ありがとうございます。

 それで、夢を見たんです。

 わたしは真っ暗な空間にいて、宇宙空間とかそういうのじゃなくて、真っ暗な空間なんです、床も壁も天井もなくて」


「浮かんでるってことかい?」


「はい、そうなんです。そこにパパとママがいて、ふたりの間に弟が、宙って名前なんですけど、ぶら下がるみたいに手をつないで、3人一緒に歩いて遠ざかっていくのが見えたんです。

 それで、違う方をみたら、わたしと白石くんとハルトが同じように手をつないで歩いているのが見えました」


「白石くんとハルトって?」


「あの、見た目は同じ白石くんなんで、白石くんがふたりいるんです。真ん中にわたしがいて両手を白石くんとハルトとつないでるっていう……」


「ほぉ」


「不思議なのは、それを見ているわたしの視点はもっと高いところにあって、わたしを含む6人をわたしが見下ろしているんです

 それでもっと不思議なのは、見下ろしているわたしはこれが夢だってわかってたことです。ベッドでゴロゴロしてて寝ちゃったこともわかってましたし、この変な夢について、その場でいろいろ考えることもできました」


「……」


「手をつないで歩いているわたしのほうにも意識があって、どんどん離れていっちゃうパパたちを見て、「そっち言っちゃダメ、みんなもっと集まって」って思ったりしました。

 見下ろしているわたしと、歩いているわたし。同時にふたつの意識がありました。

 それで、今度は見下ろしているわたしのほうの意識に戻って切り替わって、離れていくみんなをかき集めるみたいに手を延ばそうとしたら、わたしには手がなかったんです」


「……」


「手ばかりか、足も頭も何もなかった。そのわたしは意識だけ、思考だけの状態だったんです。

 でも、わたしは考えることができたから、その状況をみて、わたしは今ハルト――〈万物の正体〉と同じ世界にいるんだと思いました。思考だけで肉体がない世界。

 目を覚まさない限り、永久にここで考え続けられる世界。そう思ったらとてつもなく怖くなって、さっきまで見えていた人たちも、もう遠くて見えないし、さびしさと恐怖で押しつぶされそうな、そんな圧迫感があったんです」


「どうやって目覚めたんだい?」


「パパが……お部屋のドアをノックしてくれて、それで」


「うーん……」


「目が覚めても、「あっ、夢だったんだ」みたいな感じではなくて、「よかった戻ってこれた」っていう安堵感がありました」


「そうか、それはおもしろい体験だったね」


「面白くなんかないですよぉ、ものすごい怖かったんだから」


「いや、悪い悪い。さぞ、怖かったろう。

 だが、興味深い体験でもある」


「矢納さん、そういうスピリチュアルな話も好きですもんね」


「まぁな。学者の興味をそそるジャンルではある。

 それで言うと、結さんの体験したのはまず[幽体離脱]ではないだろう。

 金縛りとかの前兆現象はなかったんだろう?」


「はい。金縛りになったこと無いです」


「では、夢を見ていることを自覚できる[明晰夢]かと思ったが、そうでもなさそうだ。

 まず舞台が現実の場所ではない。それに意識が複数存在しているというのも聞いたことがない」


「明晰夢って知らなかったけど、じゃぁ、この夢はなんなんですか?」


「おそらく、アセンション――次元上昇といわれている現象かな。しかしローカルな規模のものだ。“次元”とうのは概念だけで、科学ではまだ証明されたりしちゃいないけどな。


 結さんだけが高次元に移動したんだよ、神様と同じ次元にな」




(3)


 5月10日(月)6時30分


 人生で初めて、徹夜というものをした。

 あのあと、矢納さんとZOOMで話していたのは、たぶん夜中の三時すぎくらいまでだったと思う。

 あの場だけで結論の出る話じゃなかったし、話の内容は、もうあまりはっきり思い出せないな。

 ゆうべの矢納さんは、途中からお酒を飲みはじめたので、画面の中で顔が赤くなってたし。

 真剣な相談をしていたはずなのに、いつの間にか同じ「不思議好き仲間」同士で話してる感じで、暗かった気分がとても楽しく変われたんだ。

 でも、寝ようとするとやっぱりあの暗い空間に飛ばされてしまうのが怖くて、起きたまま朝になっちゃった。

 朝になって顔を洗いにいったとき鏡を見たら、わたしは目が赤く腫れぼったくて、ひどい顔だった。


(どうしよう、悠翔くんに見せられないよ、こんなひどい顔)


 目薬をさしたり、お湯で顔を洗ったりしたけどあまり変わらない。どうしよう。


「おはよう、結。早いわね」


 ママがリビングに出てきて、わたしに声かけてきた。


「おはようママ……」


 ふとママを見ると、ママも目が腫れぼったくて寝不足の顔だ。


「おはよう、結。

 美沙、宙はしばらく起きなさそうだぞ」


 そう言って部屋から出てきたパパの顔もひどい。目の下に隈ができてる。


「結もごめんさいね。宙が夜泣きして寝られなかったんでしょう?

 こっちの家で夜寝るのは初めてだから、ものすごくグズっちゃって」


「30分ごとに交代して仮眠していたら、もう朝になっちゃったよ。

 これはあれだな、宙はものすごい大物になるな。あれだけ泣き続けられるエネルギーは大したもんだ」


 そうだったんだ。宙の泣き声はわたしの部屋にもうっすらと聞こえていたけど、眠れないほどじゃなかったよ。ヘッドホンしてZOOMしてたからかな。


「そうだったんだ、大変だったんだねパパ、ママ」


 パパは「I’ts not a big dealたいしたことないよ」って言いながら、朝食の支度を始めた。



「おはよ、白石くん」


「おはよう、結ちゃん。あれどうしたの、寝不足?」


 やっぱり気付くか……。ギリギリの時間まで顔をマッサージしたり、蒸しタオルを目に当てたりしたんだけどな。


「やっぱ……、ひどい顔だよね、ごめんね」


「そ、そ、そんなことないって! きょうの結ちゃん、なんか疲れて見えたから心配なだけ」


「うん……」


「結ちゃんは、今日もかわいいです」


 白石くんがわたしの耳に口を近づけて、小っちゃい声でそう言うから、自分でもわかるくらい顔が一瞬で真っ赤になった。

 なんか……、なんか意味はわからないけど、わたし今すごく心がニヤニヤしてる。いやきっと顔もニヤニヤしてるに違いない。


「さっ、行こ」


 白石くんがわたしの手をとって歩き出す。

 ほんのちょっとの間だけだけど、他の生徒がいる登校路に出るまでの短い距離だけど、白石くんとわたしは手をつないで歩き出した。

 昨日ショッピングモールから帰るときは、手をつなぐのが怖いと思ったんだけど、今日、白石くんがこうして手をにぎってくれたら、そんなことはなかった。すごくうれしいし、心の温度が上がってくる。


 (ありがとう、白石くん)


 わたしはうれしくてその場にしゃがみこんじゃいそう。でもまた心配されちゃうから、がんばって歩いた。



 寝ちゃいそうになるのを必死に耐えながら、6時限目の終業のチャイムを聞いたとき、わたしはもうクタクタだった。

 帰りのHRで担任の先生から、今朝提出した「進路希望調査票」に基づいて、明日から放課後に面談をするっていう話をされた。

 

(そうだ、それも考えなくっちゃいけないんだった。でも今はそれどころじゃないよ、わたし。夢の件でも白石くんに相談したいし……)


 教室を出て、昇降口のゲタ箱のところに白石くんが待っていてくれた。

 今まで眠くてしょうがなかったのに、白石くんの姿を見たら目が覚めた。勝手に口角が上がってしまうのを止められない。


「悠翔くーん」


 近くに誰もいなかったので、下の名前で呼んじゃった、ふふ。白石くんはちょっとだけびっくりした様子で、まわりを確認してる。


「結ちゃん、帰ろっか」


「うん」


 さすがに校内で手はつなげないから、わたしたちは並んで歩き出した。


「白石くんの5組は、なにか宿題出た?」


「うん、数学と英語だけだけどね」


「わたしも少し宿題出たんだ。だからさ、ね?」


「うん? なーに」


「なーにじゃないよ、悠翔くん。悠翔のおうちでいっしょに宿題しよ?」


「あぁ、う、うん。いいよ、もちろん」


「じゃ、帰ったらすぐに行くね」


 通学路からいつものお花屋さんの方に曲がると、まわりには誰もいなくなった。

 わたしは白石くんの手をギュッとにぎった。白石くんはビクッとしてたけど、わたしは気にしない。

 ほんの数十歩、手をつないで歩くことで、すごく満たされた気分になる。

 分かれ道でもう一度ギュッと手をにぎって離す。


「じゃね、悠翔くん。後でね。すぐ行くから」


 白石くんは少し呆気にとられたような顔で、手を振ってる。



「ただいまー。白石くんの家で宿題やってくるね」


 リビングを走り抜けようとすると、


「おかえり、結。どうしたんだい? すごくうれしそうな顔だね」


 ママはソファで宙を抱っこしてる。宙は寝てるみたい。


「宙くんはおねんねしてるのー、気持ちよさそう。よかったでちゅねー」


「抱っこされたまま寝ちゃったのよ。ベッドに移すと泣き出しちゃうから、こうしてるの」


 って言いながら、ママはパパと顔を見合わせている。


「結はものすごい上機嫌だな。昔パパが、寝ないで仕事した次の朝みたいだ」


「そうね、徹夜明けの高揚状態のジョーのようですね」


 大急ぎで着替えたわたしは、勉強道具をつめたリュックをもって、玄関へ急ぐ。


「じゃ、行ってきまーす。遅くならないから心配しないでねー」


 実は私自身も気が付いていた。


(わたし、すごいハイテンションだ。どうしちゃったの?)



(4)


「悠翔くん、進路調査票何て書いた?」


「え、進学希望って書いたよ。結ちゃん違うの?」


「ううん、わたしも進学希望。志望校ってもう決まってるの、悠翔くん」


「うん、大阪市か大阪府の公立でまぁまぁ上の方がいいかなって、今のところ考えてる」


「文理学科があるようなトップ校ってこと?」


「いやいや、それは無理だよ」


「そっか。でも公立なら共学だよね、わたしも同じところ入れるかなぁ」


「お母さんは、自分のいる私立に推薦とって行きなさいっていうんだけど、やっぱり親のいるとこはちょっとなぁって。そもそも偏差値高くて推薦とれるかどうかも怪しいし」


「わたしもさぁ、公立目指すことにする。悠翔くん、どこ受けるか決まったら教えてね」


「えっ」


「わたし、悠翔くんと同じ学校に行きたい。だから行けるように勉強がんばる」


「結ちゃん……」


「だから、まずは宿題しよっか。それでね、宿題終わったら悠翔くんに違うお話っていうか相談があるんだ。だから早く終わらせちゃおっか」


「わ、わかった」


 わたしたちはそれぞれの宿題を始めた。

 白石くんは数学のワークプリントで、さっそくカリカリと書き込み始めてる。

 わたしの宿題は国語。教科書に掲載されている長文の随筆を、原稿用紙1枚に要約せよというもの。まずは教科書を読む。

 ……読むんだけど、頭に入ってこない。目の焦点も集中が切れるとぼやけてくる。朦朧とした視界に本棚の埴輪が揺れて見える。


(眠い……。まずい、な……こ…れ……)


 わたしは椅子ごと横に倒れ、机の横のベッドの上に投げ出された。



 わたしはまたあの空間に来た。来ちゃった。

 来たくはなかった。全然来たくなかった。

 今度は本当に何も見えない真っ暗な空間。宙に浮いているのか、落ちている途中なのか、それさえも感じない。というか体がないから、そもそも重力は関係ないのかも知れない。


 なにも見えず、なにも聞こえず、肉体の実感がない。今自分が存在している証拠が何もない。

 それでも自分は存在しているという、強いアイデンティティがないと、すぐにも消えてしまいそう。


 わたしはどういう人間だったかを強く考える。わたしが確かに存在していたことを確かめるために。

 わたしのまわりの人間のことを強くを考える。わたしを知っていたという証人を得るために。

 わたしの現在を考える。わたしが確かに生きていた痕跡を探すために。


 思考だけの存在のわたしには、考えることしかできない。

 自分が存在し続けるために、わたし自身のことを強く考えた。わたしがいた時間、わたしがいた場所のことを。


 ふいに空間が光を帯びた感じがして、そこに人影が生まれた。

 わたしがベッドの上で倒れてるのが見えた。

 上半身がベッドの上で、腰がねじれて足は床についてる。スカートがベッドの角で捲れて、太ももがけっこう出ちゃってる。

 その横には白石くんがいて、床に散らばったわたしの教科書やシャーペンを拾ってくれている。


(白石くん! わたしはここにいるよ)


 白石くんがビクッと反応した。部屋の中を見渡している。その視線の先にはあの本棚の埴輪があって、なんか、さらに自体が悪くなる予感がする。


(白石くん、ダメ! その埴輪見ちゃダメ)


 なんか、その埴輪がきっかけで、白石くんまでこっちに来ちゃう気がする。まずいよ、白石くん。帰れなくなっちゃうよ、白石くんは私のこと起こしてくれないと。


「えっ、なに? 結ちゃん」


 白石くんはベッドに倒れてるわたしの顔を覗き込んでる。


(白石くん、こっちだよ。わたしはこっち)


 振り向いて埴輪を見てる。


「どういうこと? どうなってるんだい、結ちゃん」


(落ち着いて、白石くん。わたしの声が聞こえるのね?)


「うん、でも結ちゃんはここで寝てる。急に倒れちゃったから心配で、救急車呼ぼうかどうか迷ってるんだ」


(救急車は呼ばなくて大丈夫。わたしちゃんと息してる?)


「うん、でも変な態勢だから苦しそうかも」


 白石くんはねじれた格好のわたしを仰向けに直そうとして、わたしの腰に手をかけようとしてる。だめ、スカートが……。


(あっ、ダメ! 触っちゃダメ)


「えっ、じゃあ……」


(……ダ、ダメ…だ…よ。そのままでいい)


「わかった。

 それでどういうことなんだいこれ? どうなってるの」


(わたしは多分神様のいる世界に来てる。でも誰もいないし、何もない。そして今は、白石くんがわたしとチャネリングをしているってことなんだと思う)


「チャネリング、結ちゃんと?」


(そうだと思う。もともと神様と直接接触できるチャネラーは、わたしじゃなくて白石くんなんだし。そして、わたしを起こしてくれたら、きっとそっちに戻れるはず)


「じゃ、起こす? さ、触ってもいい?」


(待って。戻る方法はわかっているんだから、こっちで試してみたいことがあるの。だから少しだけ待ってて)


「な、なんで? 大丈夫なのそんなことしてて。起こしたら本当に戻ってこれるの?」


(うん、きっと大丈夫。昨日も同じことがあって、目が覚めたら戻ってこれたから。きょうはその話を白石くんに打ち明けて、相談したかったんだよ)


「わかった。でもあんまり長くなったら、結ちゃんを揺り起こすからね」


(うん、お願い。じゃちょっと待ってて)


 わたしは何もない空間に向かって叫んだ(体も口もないけど)。


(ハールートー! いるの? 結だよ。姿を見せて)


 しばらくは何も起きなかった。

 やがて空間の一部が揺らいだ感じがして、その空間がかすかに淡く発光しはじめた。

 そこから言葉ではなくイメージが伝わってくる。

 そのイメージはわたしの思考の中で翻訳されて言葉になった。


(ははは、だから、姿はないんだよ、ここでは。いらっしゃい結ちゃん)


 ハルト、〈万物の正体〉はやっぱりここにいたんだ。



(5)


「ハルト、これはどういうことなの? なんでわたしをここへ?」


「結ちゃん、それは違うよ。ぼくはなにもしていない。

 きみの方でここに来る条件がそろってしまったんだよ」


「条件? わたしはここに来ようと思っていなかったし、なにも特別なことはしていないよ」


「なにかきっかけがあっただろう、わからないかい?

 気持ちの昂り、肉体のつかれ、意識を集中する対象

 ほら、白石くんがチャネリングを始めるときの条件と似通っている」


「意識を集中する対象……。埴輪、埴輪ね。

 あとは徹夜明けのハイテンションと疲労。

 そういうことなの?」


「そうだね。

 結ちゃんは本当に理解が早い。

 あとは、きみの“知りたい”欲求が人一倍強いというのもあるかもね。

 ここでは“強い意志”はなによりも力を持つからさ。

 だから、ぼくは何もしていない。

 きみがここへ来たこともさっきまで知らなかったんだよ。

 きみが呼びかけたから、この次元に来ただけ。

 だから、いらっしゃいと言ったんだよ」


「ここは……、高次元の世界なの?」


「まぁ、そういうことだ。きみたちのことばで言えばね。

 きみたちのいる3次元の世界の、どの時間、どの場所でも

 強く願えば接触できる。

 もっとも、今のきみの状態はもっと限られている。

 きみのまわりだけで“次元上昇”が起きたから。

 結ちゃんの近所、身近な人にしか接触できないだろう。

 ぼくを呼んで、ぼくがここに来たということは

 結ちゃんにとって、ぼくは身近な人ってことだ。

 うれしいよ」


 以前、応神天皇陵の石室をめぐるできごとの中で、PEO(宮内庁非公開部署)のデータベースを見たとき、矢納さんはこんなことを言っていた。

「国にはおそらく、日本人だけでも、世界に先駆けて思考の融合を果たし、高次元の存在にシフトして、人類滅亡の危機から逃れようという計画がある」

 “思考を融合して高次元へシフトする”っていう、その“高次元”がここってこと?


「そうだよ」


 まだしゃべってないのにハルトの答えが聞こえた。


「声に出してしゃべる必要はない。結ちゃんの思考とぼくは、今直接接続されているからね。

 さて、きみが今考えたように、ここが彼らの言う“高次元”だよ。

 ここに避難すれば、きみたちの星の危機をやりすごすことは、まぁできるだろう。

 その後もし、人間が生き残っていれば、またそこに戻ることもできたかもしれない。

 でも、この世界では人間が持ってきた“感情”や“記憶”は消えてしまう。

 危機を回避できたところで、以前のままで地球に戻ることはできない。

 それは、“助かった”とはいわないだろう」


「でも、わたしは今、感情と記憶を持ってここに来てるじゃない。これはどういうことなの?」


「結ちゃんのような状態で、この次元で存在できることは、とてもめずらしい。

 いろんな条件を同時に満たしていないと無理だと思うよ。

 強い意志、“感情”を“情報と理論”に置き換えることができる認識力、残してきた肉体とつながり続けられる限定された地域、とかかな」


「ハルトが言っていた“夢に関する予測”ってそういうことなの? 人間は夢を見ることで高次元に行くことができるってことなの」


「その通りだよ、結ちゃん。

 どうやら予測はおおむね当たっていたみたいだね。

 こうやってきみがやって来たんだもの」


 わたしはある程度納得した。ハルトの言葉が腑に落ちたという感じだ。

 どうやらハルトがなにか企んでいるわけではないらしいし、人類に何らかのピンチが迫っているわけでもないようだ。


「わかったよ、ハルト。ちょっとだけあなたを疑ったことごめんなさい。

 わたしはもう元の世界に帰りたいけど、また会いたくなったら、夢で会えるってことだよね?」


「ここにくるのはもうやめたほうがいい。

 きみがここからさらに別の次元に行っちゃう危険がある。

 きみは知りたがりだからね。

 そうしたら元の場所、時間には戻れなくなるだろう」


「ええ、じゃもう会うことはできないの?」


「あぁ、そのほうがいい。

 きみがまたここに来てぼくを呼んでも、ぼくは来ないだろう。

 これ以上人間に干渉をするのはよくないと思うんだ。

 これからは、ただ“観察”するだけにするよ。

 結ちゃんと行ったあのキャンプで、ぼくは“感情”をぼくの思考に取り入れて持ち帰ることができた。

 ぼくは今、この“感情”というフィルタを通して、今まで見てきたあらゆるものを見直しているんだ。

 新しく知ることができるなにかが、あるかもしれないからね。


 きみもこの世界を体験してみてわかっただろう。ここでは考えることしかできない。

 考え続けることが自分の存在を維持している。

 もっと考えたい、もっと知りたい、それがぼくの自我――アイデンティティなんだ。


 結ちゃんにはわかるだろう?」


「さびしくはないの? 誰かとお話したくならないの」


「だから、“夢の正体”がわかってとても喜んでいるんだよ。

 きみたちの星の誰かと、夢で接触できるからね」


「わたしの夢にも来てくれる?」


「さぁ、どうかな。

 ……わからないよ。

 そういうときが来るかも知れない、無性にきみに会いたくなるときがね」


「ハルト……」


「きみの帰りを待ってる、白石くん……。

 彼の名前は悠翔はるとっていうんだね。ぼくと同じ名前だ。

 これはきっと偶然じゃないよ。

 わかるかい、結ちゃん?」


「ハルト……。わたしあなたとお話ししていろんなことがわかったけど、わからないこともいっぱい増えたよ。わたしは、またハルトに会いたいよ……」


「……。じゃぁ、もうさよならだ、結ちゃん。ぼくは消えるよ」


 わずかな残光を残して、あっけなくハルトのいた空間がもとの真っ暗な闇に戻った。


 ハルトが行っちゃった。ハルトが行っちゃった、もう会えないかも知れないのに。

 わたし、さよならって言えてないのに。


「結ちゃん! 結ちゃん! 結ちゃん」


 白石くんがベッドの上のわたしの肩を揺すっている場面が見えた。そしてその映像と白石くんの声はだんだんとフェードアウトしていった。



「結ちゃん! 結ちゃん! 結ちゃん」


 わたしは強く肩を揺さぶられていた。

 白石くんの部屋のベッドの上だ。両足は床に落ち、腰がねじれた不自然な態勢のわたしは、たちまち腰の痛さで目を覚ました。

 腰の筋肉が攣りそうだ。


「痛たたたたっ」


 目を大きく見開くと、10センチくらいの距離に白石くんの顔があった。

 わたしにまたがって顔を覗き込んでいる。


「あっ、結ちゃん。起きたかい、結ちゃん?」


 肩を揺さぶり続ける白石くんの息が、私の顔に吹きかかり、心臓の鼓動が急激に早まってくる。

 パパとママがキスする光景が浮かぶ。わたしは開いた目をまたゆっくりと閉じた。


 白石くんは再びわたしの肩を揺さぶってきた。


「悠翔くん、痛い、痛いよ」


「あぁー、よかった。また目瞑っちゃったから」


 私は顔を真赤にして白石くんの肩につかまり起き上がる。腰を伸ばしたら「グキっ」って音が鳴った。

 何よりもまず、捲れかけてるスカートを直して太ももを隠す。


 わたしの肩にかけた手はまだそのままだ。だからふたりの距離はすごく近くて、白石くんの顔は真っ赤になっていた。そして、多分わたしも……。


「……ありがとう、悠翔くん。無事戻ってこれました」


「心配だったよ。びっくりしたし」


「悠翔くん、ち、近い……で、す……」


「ご、ごめん」


 白石くんがやっとわたしの肩から手を放してくれて、動けるようになったわたしはスマホの時計を見た。


「えっ、もうこんな時間になってる。こんなにあっちに行ってたんだ」


「だから、すごい心配だったんだって」


「ごめん、悠翔くん。ありがとうね、でも帰らなくっちゃ」


「えっ、えっ、宿題は?」


「もういい、帰んなきゃ、ごめーん」


「えー」


 本当にごめんなさい、白石くん。

 ここにいるとドキドキ続きで考えをまとめられないんだ、ごめんなさい!





(つづく) 8月27日 07:00投稿予定

最後まで読んでいただきありがとうございます。完結まで、毎日朝7時に投稿しますのでお楽しみに。

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