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病院のホールにある座席に正晴はうなだれて座っていた。時刻は午後8時になってしまっており、あたりに人は少ない。あの後、銃撃犯が出て行ってすぐに刑事の望が訪問してきた。彼女が博士に応急処置を施したおかげで医療隊が来るまでなんとか命を繋ぐことができた。
自分一人だったら果たしてどうなっていたか、正晴は思案した。多分、現実より悪いことになっていただろう。とはいえ今でも博士の容体は安定せず安心などできない。
「元気出せっていうのもなんだけど、まあ受け取ってくれ。」
横から誰かに声を掛けられて振り向くと友人の祐が缶ジュース2本を手に立っていた。正晴を心配して病院まで来てくれたのだ。
「ありがとうな。ここに座れよ。」
自分の真横の席を指さした。缶を握った時、自分の手が震えていることに気づいた。
無理も無い、と正晴は思った。生まれて初めて誰かが殺意を持った相手に傷つけられるのを直視したからだ。とはいえ、銃撃を目撃したショックは彼が想像していた以上に軽かった。今も不愉快な気持ちであることに変わりはないがまるで悪い夢から覚めてばかりのようだ。
これも人間に生まれながら備わった自己防衛機能、この場合だと精神を守る麻酔剤のようなものが働いているのかもな。その効力が切れてトラウマにならないといいが。そこまで思って正晴は気まずい気分になった。一体どうして僕は知り合いが今まさに生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれている時だというのに冷酷に自分の精神的容体を案じるんだ。
気を紛らわせるため缶のタブに指を掛けたその時、タタタという足音が聞こえた。
正晴から見て左手から1人の看護師が走ってきた。
「透望さん、雨島さんが危篤です。今すぐ救急治療室に来てください。」
「おい、それって...。」
思わず目を見開いた祐と顔を合わせた。正晴は立ち上がった。
「分かりました。すぐに向かいましょう。」
ガラスのスライドドアを超えて救急治療室に入ると、部屋の一角にカーテンで隠れたところがあった。
「中に入ってもいいんですね。」
看護師が頷いた。
正晴はやりたくはなかったが退くわけにもいかずカーテンの端を掴み、手を右から左に動かした。
博士は体中にチューブを繋がれてベッドに寝かされていた。顔はすっかり真っ白になってしまっている。誰がどう見ても瀕死の人間だ。正晴は何も言えなかった。
「なんとか出血を抑えることはできましたがあまりにも多くの血を失ってしまったようです。」
横にいた医者が説明した。
「輸血を今も続けていますが容体は悪化の一途をたどっています。内臓に傷が入ったのかもしれません。」
「そんな...。」
その時、意識を失っていたかのように思えた博士が目を開けた。最初にそれに気づいたのは医者だった。
「見なさい。起きたぞ。」
唇が震えた。何かを言おうとしているようだ。
「無事だったのか....正晴君...。」
正晴はのぞき込んだ。
「しゃべらないでくれ。身体に無理を強いている。」
「分かっている...でも...もう僕は助からない...知っているんだ...だから...話してしまおう...。」
「どういうことだ。」
「君は...母子家庭だね...考えたことは...あるかい...どうして...父親がいないん...だろうと...。」
「僕の父親は交通事故で死んだ。そう母さんに言われてきた。」
「それは違う...いいか...心して聞いてくれ...君の父親は探偵だった...そして僕の師匠だった...。」
正晴はそれを聞いて唖然とした。父さんが探偵だったって?
「ある日...2人で犯人の...隠れ家を訪れた...今思えば無謀な試みだった...僕たちは犯人に...不意打ちされ君の...お父さんは亡くなった...当時君はまだ...生まれたばかりの...赤ん坊だった....僕と君のお母さんは君に探偵としての...才能があるのでは...ないかと...思った...。」
目の半分くらいにまで上げられていたまぶたが下がり始めた。
「そう...深刻に考えていた訳では...ない...将来の可能性を...潰さないよう...君には何も言わなかった...だが17歳になった時...君に適性があるのか...確かめようと...思った..話は変わるが...実は...君の家がひもじい...思いをしないように...お金を振り込んでいた...のも僕だ。」
つまり僕が初めて博士と会った日、あれは偶然ではなく最初から仕組まれていたのか。それに博士が僕の家に資金援助をしていたなんて。正晴は頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
「そして...君は見事...合格した...やっと本題だ...正晴君...どうか...僕の跡を...継いで欲しい....。」
まぶたがほぼ閉じかかっている。
「そんな、僕には才能なんてありませんよ。」
「いや...君..は...きっと...僕...を...超えられるはずだ...。」
正晴は博士の肩を掴んで揺らした。だが何も変わらなかった。傍にいた医者が告げた。
「残念ですが...。」
手に触れる。そこには生命の動向も温かみも感じられなかった。案外あっけないものだと正晴は思った。人の死というのは。だが誰かの死というのは重大なものであるし、それに人の臨終に立ち会うというのは正晴にとって初めてであったため、彼は現実から浮遊した夢の中の世界にいるかのようなそんな感覚に囚われた。
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