Step.02 工房の人たち
歩乃歌が仕事の苦労を語ってもまるで無関心な親友の灯里と凛咲は、職場の人間関係の話になると、待ってましたとばかりに耳を傾けてきた。
「もう……。私の苦労話も聞いてくれたっていいじゃん」
歩乃歌は二人の反応に苦笑して、話を続ける。
ボッテガ・ロマーナは初めて歩乃歌が訪れた時に見た接客用スペースだけではなく、さらにその奥にはもう少し広い工房があった。クライアントたちから預かった靴を修理したり、保管したりするための場所だ。
ボッテガ(工房)を名乗っているのは、そのためである。伊能羅磨は靴磨き用のフロントスペースをアトリエ、修理や保管のバックスペースをボッテガと呼んでいるようだ。
工房にはたくさんの靴や道具が棚に陳列され、なぜか楽器のサキソフォンも飾られている。歩乃歌はそんな空間の中で、靴磨きの練習と勉強を重ねている。
助手としての技術的なことは、第一助手の由良愛友美が優しく教えてくれる。三十代前半ぐらいの超美人で、スタイル抜群。いつも良い香りがしていて、毎日の服装も超セクシー。同性の歩乃歌もその色気についクラッとしてしまう。子持ちの人妻らしく、豊満な胸は出産を経験したからだというが、ウェストは引き締まり、子持ちにしては凄まじいプロポーションだ。まさに魔性の女。雇い主の伊能のことは全く好みではないと言ってはいるが、歩乃歌はこの愛人キャラの由良先輩と伊能の肉体関係を疑っている。
「それはあれだね、伊能さんの愛人だね。歩乃歌が帰った後に、裏で堂々とやってるね」
凛咲がノートパソコンを見つめながら、安楽探偵気取りで言う。ただ彼女はリサーチ能力には長けているが、なぜか妙な妄想癖があり、彼女の妄想による推理はたいていハズレだ。愛人説は思い過ごしのようである。
ちなみに伊能は由良愛友美のことを、以前は下の名前でアユミさんと呼んでいたそうだが、阿弓歩乃歌が来てからはその苗字と混同するからと、今は由良愛友美を「由良さん」、阿弓歩乃歌を「歩乃歌さん」と呼び分けている。自分の参入のせいでややこしい事態になってはいて仕方のないことだが、歩乃歌は伊能に下の名前で呼ばれることが正直、馴れ馴れしく感じて気持ちが悪い。
歩乃歌は当初「二級助手」と聞いていたので、由良先輩に続く二番手助手かと思っていたが、違った。工房にはもう一人、若い男性スタッフがいて、自分は三番手だった。一級二人と二級一人らしい。
その男性スタッフの名前は、足立進道。年は23歳ぐらいの寡黙なメガネ男子。イタリア語で靴修理人のことらしいチャバッティーノという役目で、クライアントから預かった革靴を黙々と修繕している。作業に没頭してあまり話してくれないので、どういう人なのかはよく分からないし、新人の歩乃歌に何かを教えてくれるという様子もない。あれだけセクシーな由良先輩が常に近くにいながら何の反応もないようで、本当に男なのかと疑ってしまう。
歩乃歌は優しい姉弟子の由良先輩の指導で、靴磨きの基本的な作業の練習に打ち込む毎日だが、由良先輩は夕刻になると保育園に子どもを迎えに行って帰宅してしまう。歩乃歌はいつも居残りで必死に練習をし、伊能がクライアント相手に作業をしている時はその助手を必死に務めている。
歩乃歌の話が、またいかに自分が大変かという同情を誘うような話になりかけた時に、凛咲が唸りながら言った。
「うーん。ネット上では何も出てこないねー、伊能羅磨さん。よっぽど限られた人だけを相手にしてるお仕事みたいだね」
凛咲がパソコンの画面を見ながら言う。
歩乃歌がリサーチ上手の凛咲にお願いしたのは、伊能羅磨が一体何者なのかを調べてほしいということだった。しかしネット上では一切の情報がなく、得意の洞察をもってしても何の情報にも行き当たらないのだという。
「文字情報では何も出てこないなあ。その伊能さんの写真とかはないの?」
「あ、確か……」
歩乃歌はスマホを取り出す。チャットアプリでの由良先輩とのトーク。確か以前にみんなでイタリアンレストランへ打ち上げに行ったとかで、お店で珍しく伊能と足立と撮ったというスリーショットを見せてくれていた。
その写真を見せると、凛咲も灯里も驚く。
「なに、この超美人でナイスバディなお姉様。めっちゃ色気ある」
「そうなのよ。そのお姉様が、私が仕事を教わってる由良さんね」
灯里が美しい由良先輩の容姿に惚れ惚れしているのを見て、なぜか歩乃歌がエヘンと自慢げに胸を張っている。
凛咲がスマホを奪うように手にして、写真を眺める。
「うわぁ。こんな美女と一緒にお仕事できるなんて、いいなー歩乃歌。そのセクシーさで鼻血が止まらず仕事が手につかない刑に処されるがよいよ」
「やだよ」
「それにこっちの男の子。アダチっちじゃん。私の大学のゼミの後輩。中退したらしいけど」
「え、えー?」
歩乃歌は驚く。凛咲は国内随一とも言われる難関国立大学の出身である。あの寡黙な技術職の足立進道は、そんな学力を持った人物だったのか。
だが凛咲の目は、もう一人に釘付けになっている。
「じゃあ、こっちのブラックスーツのお兄様が、伊能さん?」
「そう」
「んー……。この人、どこかで見たことがあるような……」
「え?」
凛咲の指摘に、歩乃歌は呆然とする。凛咲は妄想の推理はなぜかハズレまくるが、観察眼は超一級だ。冗談を言っているようでもない。
灯里は写真の中の彼らには見覚えがないようだが、何やら講談のネタになりそうな因縁のようで、明らかに目をキラキラとさせている。
凛咲は画像をコピーさせてもらい、持ち帰ることにした。結局はこの日は思い出せず、ふと思い出して歩乃歌に告げたのは、これから数日も後のこととなる。
(つづく)
※読者の皆さんの感想を聞かせてください!
また面白いところがあれば、高評価いただけると嬉しいです。(作者)




