Step.14 靴底は語る
伊能羅磨が言ったピエトラ・スプレンデンテの名前も、上岸輝也の名前も、阿弓歩乃歌は一応知ってはいた。
様々な事業を展開する株式会社ピエディ・ディ・ディオが、一年ほど前に関連会社を設立して銀座エリアに出店させたパワーストーンの販売店の店名が、ピエトラ・スプレンデンテだ。イタリア語で「輝く石」という意味らしい。確かその関連会社は神足麗子が社長、その上岸が副社長兼店長だったと記憶している。
また歩乃歌は、店長だという上岸輝也の外見は知っている。ピエディ・ディ・ディオ本社で何度か、その姿を見たことがあるからだ。20代後半ぐらいの若さで、茶髪で派手なデザインのスーツを纏う、ホストのようなチャラチャラした感じの男だというイメージだった。
しかし歩乃歌にとっては別会社の事業だし、カリーナスコーラのように「カリーナ・カリーナ」の名前を冠している店でもないので、自分とは無関係なその店のことを詳しくは知らなかった。
伊能がそこで売られた石を持っていたということは、伊能はわざわざピエトラ・スプレンデンテに足を運んだのだろうか。
神足麗子がデスクを力強く叩いて立ち上がった。デスクの机に置かれたセンスゼロの緑の石がコロリと揺れる。
「これが、私のイチオシですって……? こんなヘンテコな石、私が人に勧めるはずがないじゃない」
「私もそう思います。でも実際に、店頭のポップには大々的にそう書かれているんです。麗子社長の写真が貼られて、『私の成功はこの石のおかげ!』という吹き出しまでついてます」
「……輝也、あいつ!」
神足麗子は何度も拳を机にコツコツと叩き続けている。商売に名前と顔を勝手に利用されているのを、初めて知ったようだ。
歩乃歌は不思議に思い、横から伊能に訊いた。
「どうしてパワーストーンのお店に? 今回の話と関係があるんですか」
「そこに思い当たったのは、工房で麗子社長の靴を見た時です」
「あ……」
伊能の言葉を聞いた歩乃歌は、あの日の工房ボッテガ・ロマーナでのことを思い出す。麗子社長の靴を磨きながら、伊能は何やらいろいろ質問をしていた。
伊能は指で靴の形を宙に描きながら、解説していく。
「麗子社長の靴を見ると、アウトソールもトップリフトも以前に比べて片側だけとても摩耗していました。最近はかなり身体の重心が傾いたまま歩いていたのだろうと推測できます」
「だから麗子社長に、足を怪我したかどうかを訊いてたんですね」
「ええ。片足を怪我した時などには片側で身体の重心を支えようとするので、摩耗が偏ることがあるんです。しかし怪我はされていないと。そしてご両親様やご祖父母様も既に他界されているとのことで、介護で誰かを支えていたとかでもない」
確かに伊能は麗子社長に、両親や祖父母が息災かどうかを尋ねていた。歩乃歌はつい伊能に尋ねる。
「横でずっと介護の付き添いをすると、身体の重心が寄ってソールの片側が擦り減ることがあるということですか。そんなことが分かるんですか」
「他の同業者はどうか知りませんが、私は大抵分かります。介護でそのように靴の底が擦り減っていた方も実際に過去にいらっしゃったんです」
「何か重い物を片側に担いでいた、という可能性はないですか」
「阿弓さん、良い着眼点ですね。例えばコントラバスやチューバといった大型の楽器を始めたばかりという方にも、楽器の持ち運びの時の重さで身体が傾いて摩耗に偏りが出るという時もあるんです。でも、その楽器などの可能性も恐らくないでしょう」
「え、なぜですか? 麗子社長だって、エレガントに楽器を始められるかもしれないじゃないですか」
「楽器を始める可能性は、もちろんあります。しかしあの日も、麗子社長は同行したあなたにバッグを持たせていました。ご自分で重い楽器を運ぶことはないだろうなと思います」
「……」
「……」
歩乃歌も麗子社長も、伊能の観察眼に絶句している。そこまで見ていたことにも驚きだが、では何に気づいたのかは、全く予想できない。
伊能は続ける。
「そうなると他に、女性が身体の重心を傾けたまま歩き続ける理由は何か。一つだけ予想できました」
「な、何ですか……?」
麗子社長よりも先に、歩乃歌が身を乗り出してその理由とやらを尋ねてしまった。伊能は笑みを浮かべて容赦なく言った。
「恋仲の人です」
「えっ」
「麗子社長。この一年ほど、ずっと男性に入れ込んでますよね。べったり相手に身を寄せて、長時間歩き回って靴を擦り減らすほどに」
「……」
「お相手はもちろん、ピエトラ・スプレンデンテの上岸輝也店長ですね?」
「……!」
(つづく)
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