Step.13 緑の石
伊能羅磨の指摘に、場が凍る。
阿弓歩乃歌の顔は青ざめていき、伏せ目がちに麗子社長を見る。神足麗子は唇を震わせながら、言葉を絞り出した。
「な……、何よ。私が阿弓を土下座させて蹴ったって、そんな証拠動画でもあるの? それとも、阿弓がそのように言ったの?」
「いいえ」
「じゃあ、何でそんなこと言うのよ」
「あの時は、数時間前まで雨が降ってました。阿弓さんの両膝の汚れは恐らく、雨に濡れた土がついたのを手で払った感じのもの。ド派手にこけたわけでもない。意図的に両膝だけを地につけた……、いや、あの雨上がりの濡れた地面なら、自分の意図ではなく誰かに命令されて膝をついた。
そして前髪の土を見た感じでは、自ら地面に頭をつけたわけでも、上から踏みつけられたわけでもなく、靴の爪先で蹴られたのではないかと」
「そんなの、邪推の状況証拠じゃない!」
「そうかもしれません。でも、そのように阿弓さんの土下座を疑ってみたら、次第に会社全体の問題点が見えてきたんです」
歩乃歌はうつむいて震え、じわりと涙を浮かべている。伊能は淡々と説明を続けた。
「もし、麗子社長のそんな暴力行為が日常的になってきているならば……。それは、唯一社内で麗子社長と対等の立場だった追川副社長の影響力が消えたからだろう、ならば追川副社長が校長を務めていたスクールにも異変があるだろうと考えて、スクールの視察をさせてもらいました」
「私が……、暴力行為ですって……?」
「ご自覚されていないんですか。現にそちらの伊丹さんの後ろの床には、お使いのものとは別の高級万年筆が転がっています。投げつけられませんでしたか?
そちらの木津さんにいたっては、左足に女性用靴のヒールを押し付けられたようなアザが見えます。伊丹さん、木津さん、いかがですか?」
伊能が突然話を振ってきたので、若いアシスタントの伊丹と木津は首をすくめてうつむいてしまった。事実を言ったら怒られるからか、二人のアシスタントは無言で震えている。アシスタントデスクはいずれも幕板のないタイプで足元や床が隠れないもので、伊能は社長室に入った時から見逃してはいなかった。
神足麗子はバンと机の上を叩いた。怒りの形相だ。
「私だって、追川さんと同じ。時には厳しく指導する時もあるわよ」
「追川校長の厳しさは、マナーへの厳しさです。そのような社長のパワハラ、追川さんが副社長の時であれば絶対に見逃さず許さなかったでしょう。しかしあなたは追川さんがいなくなって、暴走し始めた」
「……」
「いや、あなたの暴走で、追川さんが去ったのかもしれませんが」
「言ってくれるじゃない、伊能くん。暴力に加えて、暴走ですって?」
神足麗子は目をヒクヒクさせている。今にも怒気が爆発しそうな雰囲気である。全く動じていない伊能は、顔面蒼白中の歩乃歌に告げる。
「阿弓さん。アレを社長に見せてください」
「……アレ?」
「ええ。棄てていなかった、アレです」
伊能の言葉にハッとして、歩乃歌は何度か強くまばたきをして滲んでいた涙を隠す。手にしていた靴の箱をとりあえず応接机に置き、ポケットからある物を取り出して、麗子社長のデスクの上にコトリと置いて見せた。以前に伊能から受け取った、チェーンのついた謎の緑色の石だ。
「……これは?」
神足麗子は眉をひそめて、その石を見る。伊能が訊く。
「これ、見覚えはないのですか」
「ないわ」
「本当に、ご存知ないんですか?」
「ないわよ! なんで私が、こんなダサいアクセサリーを知ってんのよ」
「ですよね。アクセサリー類を身につけていなかった阿弓さんにお渡しした時でさえ、センスゼロのババアも買いそうにない得体の知れないアクセサリーなんて勘弁して、って突き返されました」
(いや、言ってないでしょ! 思ったけど!)
歩乃歌はつい心の中で伊能にツッコミを入れた。しかし、この緑の石と麗子社長に何の関係があるのかは、いまだに全く分からない。
麗子社長も本当に覚えがないようだ。
「知らないわ。私とこんなワケの分からない石、何の関係があるの」
「大いに関係ありますよ」
「絶対ないわよ。これが、私が暴走してるっていう証拠なの?」
神足麗子は声を荒げて伊能に反論する。だが伊能は、冷静に告げる。
「この石、二万三千円です」
「高っ! 二束三文の間違いじゃないの。こんなセンスのない石がそんな値段で、どこで売られてんのよ」
「ピエトラ・スプレンデンテ銀座店ですよ。上岸輝也店長の」
「……!」
「しかも、店頭では『カリカリ麗子社長イチオシ!』のポップ付きです」
「何ですって……!」
神足麗子は眉を吊り上げ、ギリギリと歯軋りを始めた。
ピエトラ・スプレンデンテ……。
株式会社ピエディ・ディ・ディオの関連会社が銀座に出店している、パワーストーン販売店の店名である。
(つづく)
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