Step.12 土の記憶
スクールの指導力の低下と新規サロンスタッフの技術力の乏しさ。その伊能羅磨の指摘に、神足麗子は希望的な話で返す。
「確かに、華恋はカリーナスコーレの校長としてはまだまだ実力不足かもしれない。でも、華恋はこれからもっと経験を積んで、威厳もカリスマ性も身につけていって、会社全体の技術力を回復させていくと信じているわ。今はその雌伏の時。本番はこれからよ」
「そう願いたいですね」
伊能はにっこりと微笑む。だが、それを含み笑いととらえた神足麗子は反論をかわされた気がして、身を乗り出して尋ねる。
「でも教えて、伊能くん。あなた、スクールの入口を見ただけだよね。スクールの授業や卒業試験を見たわけでもないし、各地のサロンでスタッフたちの施術を見たわけでもないでしょうから、全体の技術力なんて分からなかったはずでしょ。何度かプライベートでサロンを利用したりした?」
「いいえ」
「じゃあ、どうして靴磨きの時の私の話だけで、スクールに問題があると目星をつけることができたの? 私、スクールの話はしてないよね。おかしなところに気づいたのは、いつ?」
神足麗子は疑問をぶつけた。阿弓歩乃歌もそれを疑問に思っていたので、うんうんとうなずいている。
伊能は片手を横に差し示した。その指の先は、阿弓歩乃歌だ。
「最初に違和感があったのは、あの時私の工房で、阿弓さんと名刺交換をした直後です」
「ええええええっ!?」
驚きの声を上げたのは、歩乃歌である。ここで自分の名前が出てくるのは完全に予想外である。自分に何か非があったのだろうか、と焦る。歩乃歌がすぐに気になったのは自分の靴だった。伊能ならすぐに靴を見るはずだ。
「も、も……、もしかして、私の靴が問題ですか? 今日もあの時と同じ靴ですけど……。私の靴の手入れがリフレ事業者にしては行き届いていない、とか……」
「いえ、阿弓さんの靴は手入れ以前に、見るからにその辺の靴販売チェーンの定価五千円前後のもので、この話とは関係ありません」
おいこら。歩乃歌はカチンと来て、伊能を睨む。何で話に関係ない靴をわざわざディスったんだ。しかも定価六千八百円だっつーの。失礼にもほどがあるわ。あっ、でも閉店セールで半額だったっけ……。てへ。
肝心の麗子社長は、怪訝そうに首を傾げている。
「どういうこと。あの日は確かに、阿弓を工房には連れて行ったけど、今の阿弓は店舗やスクールとは関係のない立場よ」
麗子社長は指摘し、歩乃歌はついうんうんと頷いてしまう。本社勤務だもん。私のせいじゃないもん。
伊能はすぐに返す。
「最初に気になったのは、阿弓さんの前髪です。あの時、土か砂のようなものが付着していたんです」
「あ……」
伊能に言われて、歩乃歌はあの日のことを思い出す。
確かにあの時、伊能は初対面なのにいきなり顔を近づけてきて、驚いて目を瞑ってしまっている間、指先でこめかみあたりを触れてきて、「汚れを払った」と言っていた。その汚れのことなのか。
「阿弓さんの前髪の土を見て、ちょっと気になったので、阿弓さんの全身に目を通しました。すると、膝の辺りにも少し土らしい汚れが見えました」
伊能の言葉に、歩乃歌の記憶はさらに蘇る。あの時の伊能は、前髪の汚れを払ったと言った後、確かに全身をじろじろと品定めをするような目つきで見ていた。こいつめちゃエロい野郎だなと危険を感じたが、そんな汚れをチェックしていたのか。勝手にエロい野郎認定をしたことを反省する。
神足麗子が声を上げた。
「それが何よ、伊能くん。阿弓が汚れ社員ということと、うちの会社とは、関係ないことじゃない」
(いや、汚れ社員とは言ってなかったと思いますが……)
歩乃歌は言いかけたが、この緊迫した空気はそれどころではなかった。若い女性アシスタントの二人も、地獄のような雰囲気にオロオロしている。
「社員の外見の汚れも、社長の私の管理責任とでも言いたいわけ? 汚れ社員の土も払ってあげられなかった社長だから、経営者失格ってこと?」
「いいえ」
「じゃあ、何よ。言ってみてよ」
次第に厳しくなっていく神足麗子の挑発の言葉に、伊能は一つ息を吐いて間を置いた。果たしてここで言っていいものなのかどうか、という確認をしているようでもある。そして意を決したように、伊能は口を開く。
「申し上げてもよろしいんですね?」
「何よ、もったいぶって。何か分かったんなら、教えてよ」
「では、麗子社長。あなたはあの日……」
伊能は少し躊躇して言葉を止めた。ちょっとの間があり、麗子社長は何かを思い出したのか、ハッと目を見開いた。
だが遅かった。神足麗子が制止の言葉を放つ前に、伊能は挑発に応えて、見解を口から発していた。
「ボッテガ・ロマーナに来られる前に、どこかで阿弓さんを土下座させませんでしたか?」
「……!」
「そして、さらにその阿弓さんの顔を、靴で蹴りませんでしたか?」
(つづく)
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