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Step.01 靴磨き師


挿絵(By みてみん)



 コツ、コツ、コツ……。


 二人の靴音が不揃いに、薄暗い通路に響く。



「しゃ、社長……。本当にこんなところにいるんですか、その”例の人”」



 黒いビジネスバッグを大切そうに抱えるスーツ姿の若い女性が、暗闇の中でキョロキョロしながら、前を颯爽と歩く女性社長に怯えた声をかける。



「もう少し先よ。なによ、怖いの?」


「だって、こんな寂れてて薄汚れた感じの場所、麗子(れいこ)社長は普段行かれないじゃないですか……」


「人無きところに人あり、ってね。こういうところにも異能な人はいるものなの。外面だけ見て内側を解ったつもりにならない。ビジネスの鉄則よ、阿弓(あゆみ)



 この雑居ビルの幽暗さには似つかわしくないパリッと決まったジャケットにトラウザーズを身に纏う女性社長の神足(こうたり)麗子(れいこ)は、背中越しに後ろの鞄持ち女子に言葉を投げて、足を進めていく。


 阿弓……アユミと呼ばれた彼女の名前は、よく下の名前だと間違われるが、苗字である。阿弓(あゆみ)歩乃歌(ほのか)。年齢はもうすぐ二十五。麗子社長の部下で、入社二年目。顔立ちは聡明そうで愛らしくスタイルもいいが、無造作に後ろで束ね垂らした髪、ややくたびれたパンツスーツは、前を行く完全無欠タイプの麗子社長とは対称的だ。ただただ、大事に両手に抱えた麗子社長のバッグの光沢だけが輝いているかのよう。



 薄暗い通路を抜けると、中庭のような場所に出た。イタリアでいうコルティーレ、スペインでいうパティオのような、四方を建物に囲まれた場所。頭上には雨上がりの夕刻の空が見える。その荒れた中庭の一角に一つだけ、少し重厚感のあるような扉があった。


 扉を静かに押し開けた麗子社長に続いて、歩乃歌は足を踏み入れる。中の雰囲気を見て目を見開き、感嘆の息が漏れた。



(わぁ……、何、ここ)



 そこはまるでヨーロッパのカフェやバールのような、重厚感のある空間だった。心地良い音量で、クラシック調の曲が流れている。


 すごく広いわけではないが、貴族や芸術家が集まる隠れサロンのような雰囲気、外国制作の推理ドラマで見る探偵事務所のような雰囲気と言えばいいだろうか。少なくとも、今歩いてきた雑居ビルの通路や中庭からは想像できない場所だった。



 シュッシュッシュッ……キュキュキュッ……。


 奥から摩擦音のような音が、まるで音楽のリズムのように連続して聞こえてくる。



「いらっしゃいませ。しばらくお待ちを」



 音のほうから声がした。歩乃歌が目をやると、そこにはスリーピースのダークスーツに蝶ネクタイを身につけた男性が、膝をついて作業をしながらこちらを見ていた。見た感じは三十歳前後だろうか。麗子社長に目で挨拶をすると、すぐに手元の作業に目を戻す。


 先客がいた。ブラウン系の高価そうなスーツを身にまとう、小太りの男性。歳の頃は六十ほどで貫禄がある。レザーチェアに腰を下ろして腕を偉そうに組んでいる。右足を台の上に乗せ、先ほどの声の男性に靴を磨かせている。靴は見るからに高級そうな鮮やかに輝く一枚革のもの。靴磨きの男性を見下ろしながら何やらぶつぶつと話している。


 部屋の端に順番待ちのためと思われる来客用ソファがあるが、神足麗子は座らずに立ったままだ。靴を磨く男性の作業に興味があるらしく、その様子をじっと見つめている。歩乃歌はサッとその横に立つ。



(超多忙で有名な今をときめく麗子社長を、目だけで合図して待たせたままにするなんて。何なの、ここは)



 歩乃歌は息を呑む。仕事にスピードを求め立ち止まることを知らない麗子社長が、こうやって人をゆっくりと待つ姿など、入社以来見たことがない。


 腕を組んで立つ麗子社長が、肩だけを歩乃歌に寄せてきて耳打ちした。



「阿弓。よく見てるといいわ。彼が、”例の人”よ」


「え……、あの膝をついている若い男性が、ですか……?」



 歩乃歌も首を寄せて小声で返すと、麗子社長はこくりと静かに頷く。


 確かに先ほど社長は、


「天才靴磨き師のところに行くから、ついてきて」


と言って、歩乃歌にバッグを持たせて同行させた。「天才靴磨き師」と言われても、靴磨きに天才も凡才もないだろうし、傀儡師か何かと聞き間違ったんだろうと思っていた。本当に靴磨き屋だとは思わなかった。


 しかし歩乃歌にとっては靴磨き屋さんと聞くと、幼児向けの絵本なんかでよく見た、寒空の街中で新聞を読むビジネスマンからチップをもらいながら磨いている見すぼらしいエプロン姿のおじさんのイメージがあった。こういう高級感のある空間にいるスーツ姿の若い男性だとは、不思議な感覚だ。



 確かに靴を磨く作業音はリズミカルで、プロのものだとは感じる。白い手袋をした両手の動きも手早くて流れるようだ。だが、何が「天才」なのかは、歩乃歌にはよく分からない。


 歩乃歌が目を凝らしていると、どうも険悪な雰囲気になってきた。靴磨きの男性の表情は変わってはいないが、靴を磨かれている小太りなオジサマが、怒声を浴びせ始めている。室内に流れている優雅なクラシック曲に似つかわしくない、荒れた大声である。



「何だと!? もう一度言ってみろ!」


「一度でご理解ください」


「じゃあ何か? うちの会社が不調なのは、ほぼ俺のせいだとでもいうのか!」


「ほぼというより、全て社長の責任です」


「なにぃ!?」


「現場に全く足を運んでおらず、遊び回られていることぐらい、靴を見れば分かります。社長の行動がお変わりにならない限り、会社がしっかり立ち直ることはないでしょう」


「こ……この、靴磨き屋風情の若造が、調子に乗るな!」



 足元から皮肉を言われた中年社長は逆上してチェアから立ち上がると、靴を磨かれていた右足を一旦引いて、膝をついている若き男性の顔面に向けて蹴りを入れた。


 歩乃歌はアッと声を上げてつい前に一歩出たが、踏み止まる。


 膝をついたままの若い男性は全く動じず、中年社長の渾身の蹴りを顔の前で、白い手袋をした左手一本だけで、靴ごとつかんでいた。




<つづく>




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― 新着の感想 ―
読みやすく、西洋の世界観が醸し出されています。今後の展開が楽しみです。
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