⑤理想と現実
遅かった。
デルは近くに積まれていた蛮族の歪な木箱を拳で叩き壊す。
「くそっ………」
蛮族達の行いと、自分の無力さに怒りが込み上げ、拳を震わせる。だがそれでも気を静めようと、彼は大きく息を吐くと、そのまま息を止めた。そして苦しくなった頃に呼吸を再開させ、慣れてしまった匂いの中で、大きく息を吐き出した。
「副長。三人の遺体から、形見になりそうな物を集めてくれ。その後、この家と一緒に火葬する」
「分かりました」
バラバラになった子どもを親に見せる訳にはいかない。これらの光景が初めてではないが、いつ見ても辛いものだと、デルは目頭を押さえながら家を出た。
「バルデック、彼女達の様子はどうだ?」
デルは何とか気持ちを切り替え、副官に助けた村娘の容態を尋ねた。
「はい。今は女性騎士に任せてありますが、擦り傷や切り傷程度の外傷で済んでいるようです」
「そうか………」
未だ燃えている焚火の前で、女性騎士に介抱され毛布を掛けられた彼女達は、まだ一歩も動けていない。どれだけ恐ろしい目に合ったのかは分からないが、彼女達は目を大きく開いたまま放心している。後は時間が解決するしかない、そんな状態であった。
「これだけの力を持ってしても、俺は五人の村人すら助ける事ができないとはな」
デルが煙が舞い上がっていく夜空を見上げながら、声を漏らす。
必死に努力して上り詰めた先に、報われる結果や世界が必ずある。力の無い人々を助ける力になれると信じて戦ってきたデルにとって、何度も繰り返される屈辱的な戦い。いつでも上手くいくとは限らないと頭の中で理解しつつも、一向に理想に近付けないもどかしさは、少なからず彼の心に傷を増やしていく。
「これで当面、あの村は安全になるはずです。もし団長がこの集落を潰さなければ、明日も被害が出続けていた事でしょう。団長のしてきた事は決して無駄ではないと思います」
傍にいたバルデックが、悔しさをにじませるデルに精一杯の言葉をかける。その言葉はデルにとって現実と理想の間を通るもので、ありがたくもあり無意味でもあった。
「ありがとう、バルデック」
それでも、デルは彼への感謝を忘れない。
周囲を見渡しながら、デルは団長として毅然と振る舞おうと背筋を伸ばした。
「バルデック、全員に通達。この集落は調査後に全て焼き捨てる。森には延焼しないよう十分に気を付けろ。それと、ゴブリン達の死骸はこの集落を中心に、そこら中に放り投げておけ。奴らは仲間の死骸がある内は近寄らなくなる」
「承知しました。全員に伝えます」
さらに、デルは待機地点に戻り次第、全員に毒消しを飲むように指示する。目に見える傷がなくても、かすり傷から毒にかかる可能性がある為であった。
バルデックはデルの前で敬礼をすると、踵を返して副長の下へと駆けていった。
「タイサ。お前がいれば、もっと多くの命を救えるんだぞ………早く、こっちに来い」
デルが親友であり、この場にいない戦友の名を呟く。
調査を終えた家屋に、順次松明が放り投げられていく。昼間の様に明るくなった森の中に生まれたいくつもの煙の柱を、デルはじっと夜空の星と共に見上げていた。