③良妻には逆らわない
翌朝。
デルは眠い目を擦りながらテーブルから顔を起こす。座ったまま寝ていたせいで体が硬く、まるで故障しかけた絡繰り人形の様にぎこちなく背もたれに体を預けた。
毛布がすっと床に落ち、デルは昨夜のことを朧げに思い出す。
「おはよう、あなた。朝食の用意ができているわよ」
ほんの僅か前まではテーブルにチーズと葡萄酒、夕食の残りが広がっていたが、今は目玉焼きと塩胡椒で炒めたベーコン、そしてエルザの趣味で作っているパンが湯気を出しながら乗っている。
まるで連続で食事をしているかのような奇妙な記憶に、デルの胃は驚きを隠せなかった。
「………昨日の俺は、どこまで話したんだ?」
デルが寝ぼけた目を擦りながら、エルザが準備を終えて正面に座るまで、ナイフとフォークを両手に持ったまま止まっている。そして彼女はエプロンを取ると誰もいない椅子の背に掛け、昨夜の事を思い出すように顎に指を置いて天井を見つめた。
「そうねぇ、冒険者から騎士になった辺りかしらね。入団試験が終わった話」
少し、水増しして彼女が答える。
「そうか………やはり記憶にないな」
デルは目玉焼きの黄身をフォークで突き、半熟の黄身が白身の上を滑り落ちるのを待ってナイフで等分する。そしてその切れ端を焼き立てのパンの間に挟み込み、大きな口で頬ばった。
「………んまい」
「お風呂も用意できてるわ。時間はまだあるから、騎士団に向かう前に入ってしまってくださいね」
朝の準備が完璧に支度されている事に、デルは口の中をパンで一杯にさせながら大きく頷き、理解と感謝を同時に伝える。王城の文官であった彼女の実力は家庭でも色褪せる事はなく、あらゆる準備が既に済まされていた。
もしかしたら、結婚も彼女の計画の内ではなかったのか。デルは時々そんな事を考え、その度に彼女に聞いてみようかと興味が湧くが、それ以上は自分の為にならないと、踏み込もうとしなかった。世の中には知らない方が良い事もある。冒険者や騎士団で学んだ処世術である。
時刻は朝の五時。デルは窓を覗くと、二匹の犬も朝食にありついて尻尾を振っていた。
「散歩も既に終わっているわ」
「………そうか」
本当によくできた妻である。デルは口の中のパンを牛乳で流し込んだ。




