⑧残業は良くない
バルデック自身は中々に大きな不安を抱えているようだが、彼の力量が足りない訳ではない。新しくできた小隊に新人ばかりが与えられる事はむしろ稀な方で、今回のように初めての小隊長には、相応の経験を積んだ騎士を当てて配慮する事が人事の通例である。
「そう簡単に慣れてもらっても困るが、必要以上に心配するな」
貴族が混ざった小隊を扱えてこそ、『色付き』の小隊長として一人前なのである。デルは最後にそう付け加えた。
「はい。部下に認められるよう、これからも努力します」
「ああ、その意気だ」
体格に似合わず肩を落としていた彼の肩を数回叩くと、デルはまだ自分には仕事があると言って先に席を立った。
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団長専用の執務室の中で、デルは二時間ぶりに見た置き時計に向かって溜息をつき、固まった首を回した。
鎧は執務室に入るなり、すぐに脱いでしまっていたが、固まった体からは石臼を引くような音を体の中で響かせている。
「そろそろ帰るか」
誰もいない部屋でデルは自分に言い聞かせる。
つい先程、彼の元に団長会議が開かれるという公文書が騎士総長の事務騎士によって届けられた。これで明日の午前中は、団長会議に時間を費やされる事が確定する。デルは今日の内に明日必要な事務作業を進めておいて正解だったと、疲れた自分を慰める為に笑みを作る。
早馬と物資の手配、王都に残留していた銀龍騎士団の招集に関わる命令書は既に作成し、発令もされている。残りは物資の振り分けのみで、デルは自分の騎士団の事務騎士に丸投げしてしまおうと時計と相談して決めた。
時刻は既に夜。
「さて、と」
デルは立ち上がると、もう一度肩甲骨を背中の中央に寄せるようにして体を鳴らす。そしてクローゼットの中から茶色く薄いコートを取り出し、それを身にまとって執務室を抜けた。
「悪いが、遠征用に調達した物資の振り分け作業を進めておいてくれ………あぁ、今じゃなくていい。明日の朝までで良いからな」
執務室を抜けた先の事務室で、デルは一人残って書類を整理していた不幸な事務騎士の青年に指示し、彼の困った顔を見る前に足早と事務室を出た。
残業は良くない、彼は見切りをつけて早く帰るべきだったのである。
デルは自分にそう理由を作り、同時に心の中で彼に手を合わせた。




