飢えをしのごう
あらすじ:
王都コンラッドからハンブロンに戻ろうとするジェラードとラシェルだったが、ふと忘れていたことがあって……
「ん~ なんか今日はよろしくないですな。」
王都の用事も大体済ませたので、ハンブロンに戻ろうとしたのだが、昼前に何も考えずに出てしまったため、そういやぁ昼ごはんないなぁ、という残酷な事実に気づいてしまった。ジェルの白衣にもエナジーバーの一本も無く、なかなか事態は深刻であった。
「珍しいことも。」
「誰かのせいにするわけじゃないですが、おやつ代わりにたまにリリーにねだられまして。補充のタイミングが。」
何種類か白衣のポケットに入っているが、リリーはチョコ味がお好みらしい。
「リリー、飢えてないといいね。」
「そうですね。」
ううっ、お喋りして紛らわそうとしているが、空腹はさすがに誤魔化せない。思い返せば、行った宿の朝食のパンがあんまり美味しくなかったので食があまり進まなかったのもある。
まぁ我慢できない程ではないのだが、やはり切ない。
〈車内にも多少は飲料はありますが、食料は無いですね。〉
「一度気になると、誤魔化すのも忘れるのも難しくなりましたねぇ……
ラシェル、」
ん?
ぼんやり前を見ていたところで名前を呼ばれたので、何? と言いかけながら振り返ったところで口に何か押し込まれる。なぬ?! と思ったが、それが歯で半分に割れた感触で正体が分かった。
「ポケットにチョコがありましたので。」
一口サイズの板チョコってとこか。
まぁ、お腹の足しにはならんけど、気は紛れるかなぁ? って、ジェルは口が動いていなようだから、ホントにこの一枚だけだったのか?
唇でくわえたままの残り半分をつまんで、
「ジェル、ちょっと。」
で、なんですか? と言いかけた口にチョコを押し込む。
「?!」
驚いた顔をするが、自分でもやったことなので諦めて口の中で溶かしたようだが、途中で何かに気づいたのか動きが止まる。
ん? なんだ?
別にあたしの食べかけの…… って、そうよね。さっきまで唇で挟んでいたのをジェルの口にポイっと。うん、まぁそれっていわゆるアレだ。間接なんちゃらだ。
いやいやいやいや、ちょっと待て待て。
その、なんだ……
「パンサー! 『薔薇の下』モード!」
〈了解。〉
特殊コードを出したので、淡々とした声でパンサー2が返す。基本、車中での会話は当然のようにパンサーも聞いているし、コンピュータである以上、基本記録されている。
が、この「薔薇の下」を発動すると、内部で何が起きてもパンサーは感知できない。通信とか一部の手段は可能だが、内緒話からそれこそ何でもできるわけで。
「ラシェル?」
「ジェル!」
まずは勢いが大事だ。どうせパンサー2は自動運転なので、放っておいても大丈夫。
あたしの強めの声にさすがのジェルも身体ごとこちらを振り返る。
「…………」
とはいえ、今から言うことを冷静に考えると、実にハズい。まぁ、でもこれくらい言ってもバチは当たらんだろ。
「まず、あたしとジェルはキスしたことがあります。」
うん、ある。正味五回ってことまで言うのはさすがに恥ずかしい。その内、ある意味「緊急事態」が四回で、最後の一回は、まぁ、その、あたしから、ってわけで。
「……ありますね。」
ちょっと視線を逸らして答えるジェル。
「嫌だった?」
ちょっとズルい聞き方になるが、実は嫌がっていたら…… ちょっとヘコむ。
「女の子がですね、そういうことを……」
「分かってるけど聞きたい。
そうじゃないと…… その、困る。」
自分で口に出して、なんか頭の中がグルグルしてきた。もし、本当はジェルがあたしのことを何とも思ってなかったとしたら、それどころか…… 色んな意味で怖い。
伏せて足元しか見えないところで何かが動く気配がした。あごに手をかけられ、視界が上を向く。
そこには寂しげな瞳をしたジェルがいた。
「私はあなたたちにそんな顔をさせたくはないのですよ。」
余程の顔をしていたらしい。そして、ジェルにとっては「たち」とつけるほど、みんなを大事にするつもりはあるみたいだ。
「あんまり言いたくないですが、憎からず思ってる素敵な女の子たちに迫られて嬉しくないわけないじゃないですか。」
これでも一応、健全な男なんですよ、とどこか乾いた口調で。
「これでも結構我慢しているんですよ。やはり筋は通したいですし、嫌われたくはないですし。でも……」
あたしの髪を撫でながら、ジェルがゆっくりと顔を近づけてくる。眼鏡の奥の目は複雑に彩られている。……怖いんだね。でもいいよ、ジェルなら……
二人の距離がゼロへと収束して、
〈えっと、空気を読めなかったら申し訳ございません。探知内にトラブルの発生をキャッチしました。指示をお願いします。〉
急に聞こえたパンサーの声に弾かれるように離れて、お互い外に目を向ける。あ~ 雰囲気に流されたとはいえ、その、なんだ、ほら、ちょっと…… 残念、だったかも。
気になって運転席のジェルの様子をそっと覗き見る。背中しか見えないが、普段のジェルにはあり得ないほどうろたえているようにも見える。……ちょっとスッキリした。
〈あの、博士……?〉
「状況を説明しろ。」
正面に向き直ったジェルはいつものジェルだった。
……勢いならともかく、流されてはなかなか厳しいものだ。
ホンの少しだけど、こんなオチになる予感もしていて、そして、どこかホッとしていた
お読みいただきありがとうございました
正月挟んで1回休みでしたが、それほど中身が無くて切ない