シャンプーとリボン
あらすじ:
「雄牛の角亭」の大浴場には各人に合わせたシャンプーが用意されている
「雄牛の角亭」の大浴場。
男衆はともかく、女性陣の使用率は大変高い。一番使っているのはおそらくアイラだろうか。毎日どころか日に数度は入っている。
一応、このハンブロンの町には公衆浴場みたいなものもあるが、時間が経てばぬるくもなるし汚くもなる。それでもないよりはマシで、それ以外で一般人はどうしているかと言えば、お湯を沸かしてそれで身体を拭くくらいが精いっぱいある。家に風呂の設備があるのは余程の富豪か貴族くらいであろう。
この世界の至る所にある魔法の素である魔素から電気を作る、ならともかく、家庭用反物質ジェネレーターという世界観を無視したシロモノにより確保した膨大な電力で二十四時間温度と水質を保たれた大浴場なんて、それこそ王様でも簡単ではない。
最近は小さいながらもサウナも併設されて、これもアイラが毎日のように通っている。
設備に関して言えば、この「雄牛の角亭」に隣接する騎士団用宿舎の方が人数が多いので大きさはそちらの方が上なのだが、作りこみは比較にならない程である。
「あ、シャンプー切れそう……」
赤いリボン(防水)がついたシャンプーのボトルを傾けてアイラが呟く。あとニ三回くらいだろうか。
「ジュラ―ドさんに言わないと……」
風呂に浸かっている間に忘れてしまうと大変だ。とはいえ、別に大惨事になるわけじゃないので、その辺は気楽だ。ただ、ジェラードが各人の髪や肌質に合わせて調整してあるので、始めて使った時の衝撃は忘れられない。
もともとコンディショナー入りシャンプーなんて使ったことがなかったわけだが、一度使っただけで今までにないサラサラになった。その時のシャンプーは汎用の物だったのだが、鏡の前で「これが…… わたし?」と思わず呟いてしまうほどだった。それ以前に鏡に映る姿が鮮明すぎて驚きだったのだが。
鮮明に映る鏡があると、今まで以上に身だしなみに気を使うようになり、ラシェルやリーナにヘアケアやスキンケアの方法を教えてもらったりした。
思い返せばシャンプーには思い出があった。
「アイラさん、ちょっといいです?」
まだジェラードがアイラのことをさん付けで呼んでいたころ。
「はい、なんでしょう?」
昼食を下げようとしたところで、ジェラードが彼女を呼び止めた。そこで何も言わずに立ち上がると彼女の頭に手を伸ばす。
「?!」
髪をさわさわ撫でると、ふむ、と今度は同じテーブルにいたラシェルに向き直ると、こっちにもさわさわとする。いきなりのことに驚くアイラ。ただ良いか悪いかといえば、恩がある相手だし、時折やりすぎな感はあるが、自分を含めて女の子には優しいというか甘いところもあるが、それすら好意に値する。アイラとしてはプラスマイナスを集計すると、密かに大きくプラスであった。ただジェラードの分かりづらい表情を読み解いたところ、特に深い意味は無かったようだ。
ラシェルはある意味慣れたものか、ちょっとだけ嬉しそうな顔をしつつも、すぐに少し据わった眼をしてジェラードにチョップを落とす。
「何をしたかったか分からないけど、デリカシー!」
「むぅ。」
自分がその辺をすっ飛ばした自覚はあったようで納得したように唸ると、解説を始める。
「ご存じだと思いますが、ラシェルとリーナは調整したボディソープやシャンプーを使っています。他の方々は汎用のを使ってもらってますが、今までそういうものを使ったことが無かったので、肌質や髪質も改善が見られますが……」
もう一回触りますよ、と今度はちゃんと断ってから、肩くらいまである髪の首のあたりに手を伸ばす。
「本来の髪質、というものもありますが、もう少し艶が出るかと思いまして。」
「……これ以上、ですか?」
生まれてから始めて手にしたツヤツヤの髪。それまでは手間を考えてあまり長くしていなかったが、少し伸ばすのもいいかな、と思い始めている。
ちょっと気になる人の隣にいつもいる少女。彼女のように後ろに尻尾を作れるくらいに伸ばしたら……
「他の人たちの分も作らないとですねぇ。」
そんなアイラの気持ちを知ってか知らずか、この店の従業員になっている幼馴染の女の子や、毎日のように来ている女領主さまのことも口にして、ちょっとばかりポイントダウンしてしまう。それでもまだまだ内部ポイントはたくさん有り余っているが。
その後、色々な器具を用意したジェラードがそれぞれから髪の毛のサンプルや、肌のデータを採取すると、ふと手を止める。
「そうか。高分子合成装置はグリフォンまで戻らないと無いか。持ってきてもらうのもなぁ……」
ブツブツ言ったかと思うと、いつものように唐突に立ち上がって「出かけてきます」と「雄牛の角亭」を出ていくのだが、ラシェルが同じくいつものようについていって、二人で出かけていくのはなんか羨ましい。
アイラが夕飯の準備をしていると、ジェラードたちを含めて外に出ていた面々が戻ってきたので、夕食となる。
夕食が済んだところで、いつものまったりタイム。
そこでジェラードがテーブルの上のいくつかのポンプ付きボトルを置く。
「とりあえず、先ほど収集したデータからアイラさん、リリーさんの分をボディソープとシャンプーを調整しました。」
「おや、私の分は無いのかね?」
「後ほど、髪の毛と肌のサンプルをいただきたいと思います。」
「了解だよ。」
鷹揚に頷いた領主のジェニファーから視線をボトルに戻すと、説明を続ける。
「こっちがアイラさんので、こちらがリリーさんので……」
「ねぇ、ハカセー、どっちがどっちか分からなくない?」
リリーの言葉にジェラードがふむ、と呟くと、ポケットからリボンを取り出すと、ボトルの首に巻き付ける。
「赤がアイラさんで、緑がリリーさん、ということにしておきますね。」
「はーい。」
「って、偶然かなぁ?」
ボトルの首に巻き付いた赤いリボンをツンツンする。
赤はアイラの好きな色だ。
でも意外とそういうところには気を遣いそうなところがあるので、考えてのことだったのかもしれない。
「……そういうところなんですよー もう。」
ツンツン。
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