焼失
薄闇の中をトーマスは走っていた。左脇に絵を抱え、右手にはジェイの手を引いて。
シャルナも兵士も、まだ絵から出てきてはいない。ということは、まだ戦闘が終わっていないか、決着はついたが出られないかのどちらかだ。
前者であればまだいい。後者ならば、最悪の事態を想定しておく必要がある。シャルナならば脱出方法の見当はつくだろう。何らかの事情があって出られない可能性もあるが、それよりも出てこない理由として妥当なのは、兵士がシャルナを倒したが、出方がわからないという説だ。
追手が来ていないとも限らない。どこか落ち着ける場所に移動して、そこで絵の様子を見よう。
とはいうものの、子供の足では走るのにもそろそろ限界がきていた。
不思議な力を持っていても、しょせんは子供だということか。
そもそも、この子は本当に理外の力を有しているのか? さっき兵士から掴まれた際に、その片鱗を垣間見た気もするが、兵士が単に驚いただけのようにも見えた。
いや、詮索するのはよそう。シャルナもあんなに必死だったんだ。きっと理外者に違いない。
ちらりと絵に目をやって、トーマスは異変に気が付いた。
絵画は大きく様相を変えており、全体が赤っぽいような色に染まっている。
――血か? いや、それにしては明るすぎる色だ。これは、火……?
その単語が頭に浮かんだ瞬間、トーマスの足は止まった。
再度、絵の様子を見る。
燃える丘、燃える家、そして、燃える人影。一人は全身が黒く塗りつぶされるほど火に包まれて、誰なのか判別できない。もう一人の方は――。
白っぽいローブに身を包んだ姿で描かれている、渦巻く火の中心で祈る女性。間違いなくシャルナだ。
よかった。無事だったんだ。そしてこの様子だと、戦いは終わったんだ。
「よし、今出してやるからな」
そう言って、トーマスが絵を手放そうとした時だった。
「理の番人がそこまで執着するとは……。やはりその子は特別なのだな」
嫌な汗が背中を伝う。
ダメだ、今この絵を離してしまえば、出てきたシャルナは格好の標的だ。
再び脇に絵を抱えるトーマス。
肩越しに振り返ると、馬に乗った数人の騎士が後方で槍を構えている。そして恐らく、中央のローブの男が声の主――ギルダラ・エル・ダラムーダだろう。
このまま走り去ってしまうか。
そう思って前を見るが、すでに遅かった。こちらも同様、数人の騎士によって行く手を阻まれてしまっていた。
なんてことだ……。
トーマスは心臓が握りしめられる感覚に陥った。
八方塞がりだ。このままではジェイを奪われてしまう。かといって無駄に状況を長引かせてぐずぐずしていたら、今度はシャルナが焼かれて死んでしまうかもしれない。
「その子供を寄越せ。そうすれば、お前に危害は加えないでおいてやろう」
馬に乗って近寄るダラムーダが、トーマスに暗い影を落とす。
「――ッ!」
振り返って何事か言おうとしたトーマスの後頭部を、強い衝撃が襲う。
意識を失いかけ、その場に倒れるトーマス。
その様子を鼻で笑ったダラムーダは、兵士に指一本で命令を下した。
「声を出されると厄介だ。しばらくはそのままでいてもらおう。なに、悪いようにはせん」
兵士はジェイに猿ぐつわをはめると、脇を抱えて馬に乗せる。
「聖女と焼かれる騎士、か。趣味悪い絵だ」
倒れたトーマスが手放すまいと握りしめていた絵を見て、ダラムーダは言い放った。
彼が指を鳴らすと、絵の端がジリジリと燃え始める。
「や、めろ……」
かろうじて意識はあるものの、体が言うことを聞いてくれない。
気が済んだのか、ダラムーダは兵を率いて闇の中へと去っていった。
「やめろ……。やめろぉ……!!」
顔を歪ませて声を振り絞るが、徐々に焼失する絵画を前に、どうすることもできない。
目から滲み出た涙が、顔の下にあるキャンパスの生地を濡らしていく。
「シャルナ……! ああ……。シャルナ……!!」
焼けていく最後の一片に、こちらに微笑みかけるシャルナの姿が見えた。




