理外の影
家と呼ぶにはいささかお粗末な気もするが、仮にも扉が付いているのだからと、崩れ落ちた壁の間ではなく、扉を開いて中に入る。
押して開いたと思った扉は蝶番が取れて、床に倒れてしまった。
殺風景な世界に似つかわしくない重たい音が響き、舞い上がった砂埃がフランダルの視界を遮る。
口元に手を当てて進んでいくと、奥に扉のない部屋が一つ繋がっていた。どうやら寝室のようだ。
ベッドは長らく使われていない様子で、薄く積もった砂埃に覆われている。戸棚が一つあったが、食器の類などは見当たらない。この家の主が出て行くときにすべて持って行ったのだろう。
ふと、ベッドの脇に妙なものを見つけてフランダルは足を止めた。
・・・藁? 床に敷いてあるところを見ると、寝泊まりはここでしているのか?
「こっちのベッドでは寝ないのか?」
空虚な室内に語り掛けると、背後から返答があった。
「寝心地が悪いので。僕には床の方がいいです」
振り返ったフランダルの前に立っていたのは、褐色の肌をした背の高い青年だった。薄緑の瞳に、短く刈り上げた白髪。
フランダルは探していた人物に笑顔を見せた。
「なら、俺が座ろう」
「汚いですよ」
構わずに腰掛ける。
「それで、どんな様子だ、ラダンカは」
一瞬、不満そうな顔を見せたドグだったが、すぐにその表情は真剣なものに変わった。
「動きがあったのは十日前です。トルネリアの担当者から、ラダンカが今年のホロウトーナメントにエントリーしていると連絡がありました」
ホロウトーナメントとは、各国の代表者が一名ずつ集って開催される闘技大会のことだ。競技者は一対一で各々が自分の得意とする武器を使って戦い、最後まで勝ち上がった者が勝者となる。試合は実戦形式で行われ、相手の命を奪っても不問とされることから、例年血生臭い死闘が繰り広げられるのだが・・・。
「あの大会には人間しか出られないはずだが?」
フランダルは念のために言った。開催国であるトルネリアが誤って魔物のエントリーを許したのだとすれば、他国から反感を買うこと間違いなしだ。ラダンカとの密約が裏で交わされていたなら話は別だが、現状、ラダンカに友好国はいない。非人間が治める国に与して、何かメリットがあるとは思えない。
「出場者は、確かに人間だそうです」
「どこの誰だ? 突き止めたのか?」
「いえ・・・。そこが僕にもわからないんです。ホロウトーナメントに出場できるような逸材を、王はどこから仕入れてきたのか・・・」
ラダンカに入国しようとする人間がいれば、恐らくは国境で捕らえられて国へ帰されるだろう。最悪の場合、その場で処刑ということもあり得る。
逆に、フェベム王がホロウトーナメント出場に見合った人材を手に入れようとしても、各国の王や代表がそう易々と引き渡すとは思えない。
そして、優秀な潜入工作員であるドグでさえ、魔物の中に紛れる人間の存在に気が付かなかった――。これが意味するところはつまり、理外の者が紛れ込んでいる可能性があるということだ。
「ところで、ホロウトーナメントの今年の優勝賞品はなんだ?」
フランダルはふと思ったことを口にした。いくら大会出場に適した人物を手に入れたとしても、わざわざ各国の強者が集まる場所に送り込んで無駄死にさせるとは考え難い。フェベムがそこまでして欲しているものは何なのか、知る必要があった。
「今年の賞品はブラトニカの錫杖だと聞いています」
なるほど・・・。それなら理に適っている。
ラダンカの先代の王、ブラトニカ。彼が持っていた杖には強力な魔力が込められていると聞く。フェベムにしてみれば、自分の父の形見の一つでもあるわけだ。それを取り返したいと思うのは必然だろう。
「トルネリアもまた、とんでもないものを引っ張り出してきたな」
「まったくです」
事情を知るドグも、これには呆れた表情を浮かべた。
ブラトニカ王が亡くなった原因は、百年ほど前にあった人との戦争にある。人と魔物の世界中を巻き込んだ大戦は、戦争を起こした張本人であるブラトニカ本人が戦死したことによって幕を下ろした。
同時に彼の持っていた錫杖の行方もわからなくなっていたが、まさかトルネリアが持っていたとは。きっと戦いの混乱に乗じて、こっそりくすねて保管していたのだろう。
それをこんな形で表に出すのには、それ相応の理由があるはずだ。勝利を確信できるだけの材料が揃っており、且つ他国に錫杖の所在をあえてバラすことで、抑止力にでもするつもりなのだ。
人と魔物との関係が悪いのは周知の事実であるが、人同士の国家間でも対立している国は多くある。人種や宗教、思想の違いなど、理由は様々だ。世界情勢は一概に良いとは言えなかった。
「やれやれ・・・」
フランダルは両肩を少し上げて困り顔をして見せた。
「ラダンカがホロウトーナメントに出場してはいけない理由はないし、仮に出場する選手が他国から拉致してきた人間だろうと、それは一向にかまわない。しかし、だ。ドグ、お前はこれがきな臭いって思うんだな?」
「僕にも感付かれずに、国内に人間を隠してるんですよ? その正体はおろか、影も形も見えない。何か変だと思いませんか?」
「見えない・・・? 透明人間だったりしてな」
わざと冗談めかして言うと、ドグは口を尖らせた。
「茶化さないでください。僕は真剣に言ってるんです」
「悪かったよ」
フランダルは立ち上がり、ドグの肩をポンポンと叩いた。
「さて、フェベムが人間を隠すなら、どこを選ぶと思う?」
「えーと・・・、城ですか?」
「そうだな。確かに城内なら、変な輩が入ってくる心配もない。管理もしやすいだろうしな」
「もしかして、これから城へ向かうんですか?」
ドグは少し慌てた様子で言った。
フランダルを呼んだのは自分だが、彼がここを訪れたその足で直接フェベムの居城へ向かうとは思いもしなかったのだろう。
「もちろんだ。古い友人に、挨拶していかないとな」
そう言って、フランダルはドグの傍らを通って隣の部屋に行き、振り返りざまに悪びれた。
「そうそう、ドアを壊してしまったんだ。悪い」
呆気にとられた表情で口を開けるドグを尻目に外へ出ると、フランダルは再び荒野を歩き出した。