誘拐事件
外でキャンパスを広げて絵を描いていたトーマスは、シャルナが出てきたのを見て片付けを始める。
「どうして中に入ってこなかったの?」
「なんとなく、僕の出る幕はなさそうだと思ってね」
「どうして? 子供は嫌い?」
「嫌いじゃないさ。次に来ることがあったら、この絵を贈るつもりさ」
トーマスがシャルナに見せたのは、プランツ一家が住む家の風景画だ。水彩のタッチで描かれたその絵は、どこか儚げで、それでいて温かみを感じさせる。
「きっと喜ぶわ」
アンナの笑顔を思い出したシャルナは微笑んだ。
「それで、どんな様子だった?」
帰路に就いたタイミングでトーマスは問いかけてきた。
「ジェイっていう男の子が問題の子らしいんだけど、大人しい子で、特に変わった様子もなかったわ。お母さんのアンナもいい人そう。この近辺じゃロド教を信じていない、少数派の人よ。教会はジェイくんの噂を聞きつけて連れ出そうとしたらしいんだけど、アンナさんが断ったみたい」
「へえ、素直に諦めるなんて、らしくもない」
トーマスはわざらしくと感心したように言う。
「私、しばらくはあの子とお母さんのところに通おうと思うの。何か変わったことがあるといけないから。トーマスの言う通り教会のことも心配だし」
「仕事熱心だな、シャルナは」
彼の言葉が少し皮肉っぽく聞こえたのは、きっと気のせいだろう。
特に気にも留めずに歩いていると、トーマスが耳打ちしてきた。
「クラド聖騎士団だ」
シャルナも、進行方向にこちらへ向かってきている人物がいるのは見えていた。
銀の甲冑に、ところどころ赤い装飾が施されている。この辺りでそんな仰々しい格好をしている人間は一種類だけ。トーマスの言う、クラド聖騎士団。ロド教会お抱えの兵士だ。
ただ、シャルナには違和感があった。騎士団は通常、警備の任務にあたっていたとしても二人以上で行動するはずだ。だが、見えているのは一人だけだった。
とはいえ引き留める理由もないので、何食わぬ顔ですれ違う。頭を覆うヘルメットを着用しているので、相手の顔までは見えない。
通り過ぎてしばらく経ったあと、シャルナは言った。
「物騒なものね。最近まで武器を持った人がうろつくことなんてなかったのに」
「まったくだ」
トーマスも同意する。
その時だった。
「きゃああああっ!」
背後で女性の叫び声がして、二人は反射的に振り返った。
顔を見合わせ、示し合わせたかのように引き返す。
プランツ夫妻の家まで走ると、ちょうどそこから出てくる人影があった。クラド聖騎士団の兵士。恐らくはさっきすれ違った兵士と同一人物だろう。
そして、その兵士は小脇にジェイを抱えていた。
「その子を放せ!」
トーマスが声を荒げる。
しかし、兵士は無視して走り出した。
「銀の甲冑、雷鳴を纏い、拍動のもとに轟雷を伝えん。唸れ、唸れ、大地を揺らして唸れ」
シャルナが詠うようにして言うと、兵士の足がピタリと止まった。
兵士が頭を抱えて苦しみだしたので、抱えられていたジェイが地面に落ちる。
すかさずトーマスがジェイを抱え上げて兵士から離れた。
兵士は頭を抱えたまま、足取りも重くその場を去って行ったのだった。
「いつ見ても恐ろしいな、君の力は」
足にすがるジェイの頭をなでながら、トーマスは引きつった笑みを浮かべる。
「どうもありがとう」
シャルナは礼を言うと、彼の後ろに見えたアンナに笑顔を向けた。
トーマスもそれに気がつき、ジェイを引き渡す。
「あなたたちは、さっきの――。ああ、ジェイ。ありがとうございます。ああ、本当に良かった」
涙を浮かべてジェイを抱きしめるアンナ。
その姿に安堵しつつ、シャルナは次の行き先を決めていた。
「トーマス」
アンナと話していたトーマスを呼ぶと、彼も何かを察したかのようにうなずいた。
「行ってくるといい。僕は二人と一緒にいるよ。また誰が来るともわからないからね」
「ええ、お願い」
シャルナが見据えていたのは、遠くにそびえる教会の尖塔だった。




