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理の王 ~転世者を裁く者たち~  作者: 鹿竜天世
第二章 花冠の王
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商人

 隣国のクルータノからやってきた行商人が自分に献上したい物があるとかで、ヘイレスは書斎を行ったり来たりしていた。


 クルータノはただでさえ不穏な噂が絶えないというのに、この上商人の来訪とは。あるいは暗殺の類ではないかと、心中穏やかではいられなかった。


「ヘイレス卿、いやはや、この度はお話をお受けいただき、誠にありがたい。光栄の至りです」


 えらく口から出まかせをぺらぺらと話す男だ。ヘイレスはそう思った。


 頭に白い布を巻き、口には髭をたっぷりと蓄えている。着ているものはどれも厚手で動きにくそうだ。


 商人を装ってはいるが、商人ではない。ラナゼアに来るのに、そんな重装で来る必要があるか? 移動には馬車を使うだろうし、大して虫や蛇の心配をする必要もないはずだ。


 ここらの蒸し暑さでそんなものを着ていたら、半日も経たないうちに倒れてしまうだろう。


「聞けば、そちらはバルツェンから来たとか。あちらの情勢はどんな感じなんだ?」


 平静を装って、貫禄ある領主を演じる。


「ああ、そういう話でしたら、そうですね…」


 どこか話しづらそうな雰囲気を察したヘイレスは言った。


「ここは安全だ。誰に聞かれる心配もない」


「ええ、ああ、そうですか…。少しお話されるのでしたら、どうかまずは、こちらをお納めください」


 気のせいか落ち着きのない商人がそう言って肩から下げた大きなカバンから取り出したのは、一本のワインだった。


「あ、ああ…」


 ヘイレスはうろたえた。嫌な想像ばかりが頭をよぎる。どうもこの頃、物事をよくない方向にばかり考えてしまう。


「あまり体調がよろしくないようですな。…ああ、毒など入っておりませんよ。どうしてもご心配でしたら、わたくしもご一緒に」


「そうだな、そうしてくれ」


 間髪入れず答えてしまったが、余裕のなさを見抜かれてしまっただろうか。


 しかし、商人はそんなことは気にも留めずにワインの栓を開ける。


「グラスは、そこのものを」


 ヘイレスは壁際の戸棚を指さして言った。


「ああ、これですね。ほう、よいものをお持ちで。さぞ、よい審美眼をお持ちなのでしょう」


 どうでもいいお世辞など耳に入りもしない。


 行商人がワインを注いだグラスを一つ受け取り、二人は乾杯した。


 すぐには口をつけず、相手が一口飲むのを待ってから、ヘイレスも喉に流し込む。無論、味などわかろうはずもない。


「さて、あちらの様子が気になるようで。バルツェンはいつも通りといった雰囲気ですよ。特に変わったことはございません。北方ではなにやら暗殺騒ぎがあったようですが、こちらはいたって平和なものです」


「軍備を増強しているという話を聞いたことがあるのだが…」


「ああ! ご存じでしたか。いやはや失礼、わたくし、実はヘイレス卿にお話ししたいことがございまして…」


 商人はわざとらしく大声を出して言った。


「話…?」


「ええ、というのも、わたくし実は、こちらへ伺ったのは行商以外にも理由がありまして。クルータノからの使いで来たのですよ」


 なるほど、今までのはフェイクでここからが本題というわけか。


 ヘイレスははやる鼓動を抑えようとワインを飲み干した。


 彼の話はこうだ。


 近々クルータノは、内戦から復興中のイルドラに大規模攻勢をかける。その際、国境付近であるラナゼア近郊には多数のクルータノ軍が集結することになる。ラナゼアに駐屯する兵力では到底太刀打ちできない数だ。


「それをわかっていながら、ここで専守防衛に努めるのも悪くないでしょう。ですがこちらも無駄な犠牲は出したくない。こちらとしては、王都さえ攻め落とせればそれでよいのです。そうすれば、被害は最小限に抑えられるでしょう。もちろん、事はそう簡単には運ばないでしょうが…。いたずらに犠牲を増やさないためにも、まずは先立って、こちらにお伺いに参ったというわけです」


「俺に、裏切り者になれ、と?」


 心臓の鼓動が早まるのを感じる。


「その表現は敗北した側にいた人間にこそ相応しい。ヘイレス卿はお若いながらも立派に領主を務めていらっしゃる。民もあなたの英断を支持してくださることでしょう」


「その見返りは? 我が領地をクルータノの軍勢が通っていくのを見過ごせと言うのだろう? それ相応の対価がなければ、応じることはできない」


「無論です。見返りに、我々が勝利を手にした暁には、ラナゼアに加えてクルータノのバルツェンを、ヘイレス卿に献上いたします。イルドラがクルータノの一部となれば、その中央に位置するバルツェンは要の場所。決して悪い条件ではないと思いますが」


 彼の言う通り、悪い条件ではない。


 しかし、ここは冷静に判断しなければならない。最後に勝つ側についていた者が勝者となる。当たり前のことだが、戦が起き、目の前に選べる選択肢がある以上、それは重要な意味を持つのだ。負ける側にいたとき、自分の身に起きるであろうことなど考えたくもない。


「すぐに返答はできない…。少し、時間をくれ…」


 期待していた答えが返ってこなかったことに落胆したのか、行商人は腑に落ちないながらも了承した。


「わかりました。ですが、軍が配備されるまで、残された時間はわずかです。返答は行動を以てお示しになるよう、よろしくお願いします」


 つまり、クルータノ軍がやってきたときにどうするかを、俺の意向とするわけだ。


 商人を帰し、椅子に深く座り込んだヘイレスは溜め息をついた。


 彼はああ言っていたが、権力者の言うことなど当てになるようなものではない。それは以前、身をもって知ったところだ。


 実際、イルドラが民衆の手に渡ったときも、革命軍に降伏すれば領地を拡大してやるなどと言っていたテムザとかいう男からは、何の音沙汰もないままだ。それどころか、土地は民のものだと言い張って蜂起した農民たちに屋敷を燃やされかけたこともある。そのことを王宮に報告したものの、あちらからの返答が何もないということは、あわよくば民衆の手に落ちればよかったとさえ思われているのではないだろうか。


 元はと言えば、前国王が民を奴隷のように扱っているとして、一部の平民が暴動を起こしたことが発端となり、今回の内戦に至ったのだ。当初こそ、イルドラ軍が優勢だったものの、どこから出てきたのかテムザという男が先頭に立って指揮を執り始めたころから、形勢は逆転した。


 この国ではもはや、領主と領民の関係は不要とされているのかもしれない。


 そんな中で、自分はどうすればよいのか。クルータノに下ったとして、その先の展望はあるのか。いずれにせよ、一領主のできることなど限られている。


「こんな時に母上がいてくれたら――」


 ヘイレスは不安で胸が押し潰されそうになっていた。

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