第24話 杏奈
今朝はこちらの手違いで25話を先に投稿してしまい、本当に申し訳ございません。
25話は、本日の17時ごろに再度投稿するので、よろしくお願いいたします。
2022/03/15
「えっ、アンちゃん帰ったんじゃないの?」
「その人誰ー?」
「ほら、アンちゃんの彼氏だよ」
中華喫茶仕様に飾り付けされた教室には、数人の女子が溜まってお菓子をつついていた。
廊下ですれ違ったことくらいはあると思うが、当然この中の誰とも話したことがない。ひとまず会釈して、「彼氏じゃない」と訂正しておく。
「見てみて! これ、佐伯がやってくれたの。めちゃ上手くない?」
「へー。うわ、確かにっ」
「男子なのにすごーい!」
五、六人に囲まれ、僕は一歩後ろに後退った。
コミュ障というわけではないが、大勢からの視線を浴びることに慣れていない。しかも相手は異性、家族か天城にしか耐性の無い僕は、今すぐ逃げ出したい衝動に駆られる。
その気持ちを察してか、天城は僕の手首をギュッと握り締めた。
どこへも逃がさないように。
「いいでしょー。佐伯、手先器用なんだよね」
握った手首を引っ張られ、後ろへ下がった分だけ前へよろめいた。
好意的な奇異の目を浴びながら、「ま、まあ、ははは」と我ながら気持ちの悪い笑みを零す。もっとスマートに流せよ、僕。
「へぇ、いいなー。わたしも彼氏がやってくれたら毎朝楽なのに」
「佐伯さん、だっけ? 私にも綺麗に結ぶやり方教えてよ。こういう髪型普段やらないし難しいんだよね」
一人の女子の提案に、「あ、ワタシも!」「わたしも教えて!」と他の女子も手を挙げた。
想定外の展開に、天城へ視線を送って意見を仰ぐ。
「いいじゃん! 教えてあげなよ、佐伯先生!」
天城はニッと笑い、僕の背中を強めに叩いた。
◆
天城には耐性があるため平気だったが、それ以外の女子の髪を触るのはとても緊張した。髪が切れないかとか、痛くないかとか、あれこれ考え過ぎて頭が痛い。
ともあれ講習会は無事終了し、お礼として中華喫茶で振る舞う烏龍茶とゴマ団子を出してもらった。男子は僕一人、残りは全員女子という吹奏楽部のような男女比でお茶会を行う。
「アンちゃんの彼氏ほんとすごいねー」
「彼氏じゃない」
「料理もできるんでしょ? いいなぁ、わたしもそんな彼氏欲しー」
「だから、彼氏じゃ――」
「へへへ。あげないよ、あたしの佐伯だから」
褒められるのは嬉しい。嬉しいのだが、彼氏彼氏と呼ばれては素直に喜べない。
大体何なんだ、こいつらは。僕がこれだけ否定してるのに、何で頭に入らないんだよ。天城は天城で、デヘデヘとアホな顔で照れてるし。
……まあ、仕方がないか。
祭りより前の日、何てことわざもある。文化祭前日で、当たり前のように夜の学校を満喫できるこの時間にはしゃいでいるのだろう。正直僕も、退屈だとは思ってないし。
「んで、二人はどこまでいってるの?」
一人の女子が、僕に向かってそう問いかけた。
「だからぁ」と僕はため息まじりに零して、
「僕たちは付き合ってないんだって。天城が一方的に付きまとってくるだけで」
「なんで? アンちゃん可愛いし付き合えばいいじゃん。他に好きな人がいるとか?」
「そういうわけじゃないけど。……そこのとこ説明すると長くなるんだよ。とにかく、僕と天城はそういう関係じゃない」
キッパリと言い放つと、女子たちは夢から覚めたように目を開いて閉口した。
まずい、空気を壊した。不快な思いをさせたかもしれない。
……い、いやいや、そんな心配してどうする。いつまでも勘違いされてる方が問題だろ。
でも、僕の心配性という悪癖がビンビンと反応している。
この空気を何とかしろと、耳元で囁く。
「そ、そういえば!」
特に何も思いつかないまま、無駄に大きな声を出した。
集まる視線。どうしようと頭を必死に回し、一つの話題を生成する。
「アンちゃんアンちゃんって、何で天城のことそんな風に呼んであるんだ? どっちかっていうと、アマちゃんだろ?」
天城だからアマちゃんなのはわかるが、アンちゃんとはどこから来たのか。
教室に入った時からずっと気になっていたこと投げかけると、女子たちは顔を見合わせ「えーっ」と声をあげる。僕を非難するように。
「な、何だよ。知らなく当然だろ」
「酷いよ佐伯。あたしのこと、そんなに興味ないの?」
「はぁ? だから、何の――」
言いかけて、はたと口を閉ざした。
あぁ、なるほど。天城という呼び方が馴染み過ぎて、頭から抜け落ちていた。
「……天城杏奈だから、アンちゃんか」
「そうそう! しっかりしてよ佐伯先生、彼女の名前くらい覚えてあげなきゃ!」
「だからそういう関係じゃないって」
「っていうか、佐伯さん、何でアンちゃんのこと苗字呼びなわけ?」
「え? そ、それは……」
「下の名前で呼んでくれた方が嬉しくない? アンちゃんもそう思うよね?」
女子たちに同意を求められ、天城はほんのりと頬を染め小さく頷いた。
クラス内で天城がこういう顔をすることはないのか、女子たちはゴクリと唾を飲み「ちょー可愛い……」と漏らす。複雑な気持ちだが、僕もそう思う。
「あ、あのな、天城だって僕を佐伯って呼ぶんだぞ。それなのに、僕がこいつを下の名前で呼んだら変だろ?」
と、嘘をついた。
本当の理由は、恥ずかしいからだ。
天城に告白されるまで、僕はモテない人生を突き進んできた。女子からは平太にラブレターを渡す郵便係くらいにしか思われておらず、当然、下の名前で呼び合う異性なんて家族以外に一人もいない。
天城とはかなりのスキンシップを経験したが、しかしそれら全ては向こう主導のもの。
彼女を下の名前で呼ぶには、僕自身が決断して口に出さなければならない。それは僕にとって、かなりハードルが高い。
「――真白」
リンと、天城の声が鳴った。
横へ視線を流すと、彼女は真っすぐに僕を見つめていた。
「ほら、あたしは呼んだよ。そっちも呼んで」
顔を真っ赤にして顔を逸らし、口早にそう言った。
「そ、そうだよ!」
「男を見せなきゃ!」
「アンちゃんがここまでやったんだから!」
女子の結束力がここまで恐ろしいとは知らなかった。
矢継ぎ早に投げかけられる声は僕の退路をどんどん切り崩してゆき、もうどこへも下がれない。
「わ、わかった。わかったから……!」
逃げられないと観念し、大きく息を漏らす。
覚悟を決め、腰を上げた。一歩、二歩と進み天城の前に立つと、彼女は一瞬僕を見上げてすぐに俯き、耳を羞恥に染め上げる。
「あ……あ、んな」
声にならない声を紡いで、流石にこれではいけないと反省した。
小さく深呼吸し、拳を握り締める。
「杏奈っ」
馴染のない音に、舌は違和感でいっぱいだった。
これでよかったのだろうか。――という不安は、顔を上げた天城がとけるような笑顔を咲かせていたことで吹き飛ぶ。
「なに、真白?」
そう言って、ちょいちょいと子犬がちょっかいをかけるように僕の胸を指で突っついた。
女子たちは、「ひゅーっ!」と下手くそな口笛を披露したり拍手したりと大はしゃぎ。文化祭前でテンションが上がっているのもありその祝福は盛大で、鬱陶しいことこの上ない。
でも、悔しいことに。
天城に……いや、杏奈に名前を呼ばれて。
僕はとても、嬉しかった。




