第21話 勝った
天城に先導されながらしばらく歩いたところで、彼女は「星を見に行こう」と言い出した。
まさか今から、電車かバスに乗って山奥にでも行くのか。不安に思いながらも抗えないのは、繋いだままの手から伝わる熱に理性を焼かれているからだろう。
「ここだよ」と立ち止まったのは、古びた雑居ビルだった。地下へと続く階段を降りると、扉にはオープンの看板がかかっている。
「ちょ、ちょっと待てよ。ここはまずいだろっ」
「何で?」
「いや、だって……」
店名に思い切り、BARと書かれている。
言うまでもなく、僕たちは未成年だ。酒を飲める年齢ではない。
「未成年がBARとか居酒屋に入っちゃいけない法律はないから、店側がダメって言わない限り、お酒さえ飲まなかったら大丈夫だよ。夜の十時までに帰ればいいんだし」
「そういう問題か……?」
「一緒にホテルに入った仲なんだし、BARくらい何てことなくない?」
と言って、天城は扉を開いた。
彼女に引っ張られる形で店に入った僕は、静かで薄暗い大人の空気に息を飲んだ。
星を見に行くのにどうしてここなんだ、とは思ったが、なるほどこれはすごい。プラネタリウムのように、壁や天井に星が映し出されている。
バーテンダーに星がよく見えるソファー席に案内してもらい、右も左もわからない僕に代わって天城が適当に注文。よく来るのか、メニュー表すら見ていない。
「な、なあ」
「ん?」
「いい加減離せよ、手」
「あっ。ご、ごめんね」
ポケットから手を抜くと、汗でぐっしょりと濡れていた。
お互いに出されたおしぼりで汗を拭って、苦い笑みを交わす。
「佐伯、緊張してたね」
「何が?」
「あたしと……手、繋いで」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、ゲシゲシと肘で突っついてきた。
「悪かったな、初めてで。天城だって、顔赤くしてたくせに」
「当たり前でしょ。好きな人と手を繋ぐなんて、あたしだって初めてなんだし」
ここは店の中、僕たちの他にも客はいる。
周囲に配慮して、天城は声のボリュームをかなり絞っていた。そのせいか、普段よりもずっと真剣な声音に聞こえる。照れ臭くて、背中にじんわりと汗がにじむ。
「でも、知らなかったな。佐伯って手汗すごいんだね」
天城はテーブルへ手を伸ばし、お通しのナッツを一粒摘まんだ。
「……意識されてるってわかって、嬉しかった」
それを口へと運び、チュッと唇で指に残った塩気を攫う。
BARという特殊な空間のせいか、天城の横顔がやけに色っぽい。大人に誑かされているような、妙な感覚に襲われる。
そんな空気を一新してくれたのは、バーテンダーが運んで来たドリンクだった。
アイスキューブにライトが埋め込まれており、液体の中で輝きを放っている。BARのコンセプトである星をイメージしているのだろう。店内の暗さも手伝って、ただのLEDの光が宝石のように美しく見える。
「乾杯しよ」
「お、おう」
「あたしたちのラブホテル記念日を祝って」
「んなもん祝うなよ」
「じゃあ、初恋人繋ぎ記念日ってことで」
「……」
「嘘はついてないでしょ?」
「まあ、そう、だけど……」
僕が持っていたグラスに、天城は半ば強引に自分のグラスを近付けて、小さくカンと鳴らした。
アイスキューブが放つ淡い赤色の光に頬を照らされながら、余裕ありげに口の端を持ち上げる。
「念のため聞くけど、これは酒じゃないんだよな?」
「正真正銘、ソフトドリンクだよ。美味しいから飲んでみて」
「…………確かに美味いな」
ライムとミントの爽やかな香りに、炭酸の清涼感。シロップを入れているのか、ほんのりと甘いのも舌が楽しい。真夏の暑い夜に、ぐいっと一杯飲んだら気持ちいいだろう。
「ここにはよく来るのか?」
「一学期の頃はね。週二か三くらいで来てたかな」
「高校生でそのペースでBAR通いって、もっとまともな趣味あるだろ」
「あたしだって別に、好きで来てたわけじゃないし」
その台詞に、僕は一つの回答に辿り着いた。
なるほど、彼氏の趣味か。男と一緒だったなら、好きで来ていたわけではないというのも納得だ。
……と、僕が想像したのを見透かしたのか。
天城は焦ったように、「彼氏とかと来てたわけじゃないからね!」と言い加える。
「何て言えばいいのかな。大人になった、って思いたかったんだよ」
「大人に?」
「モデルの仕事は不安ばっかりだし、学校では嫌がらせされるし。こういう所に一人で来てセンチメンタルに浸ってたら、大人になった気分に酔えるでしょ。あたしは大人だから大丈夫って、そう思えたら大抵のことは耐えられたの」
「……」
「でもね、九月に入ってから一度も来てないんだよ。佐伯の前だったら、我慢しなくてもいいってわかったから」
そう言って、やわらかな笑みを浮かべた。
薄闇の中で、青い瞳が蝋燭に灯る炎のような輝きを放つ。吹けば飛ぶように弱く、しかし確かに熱い視線に、思わず顔を逸らす。口で好きと言われるより、素肌に触れられるより、こういう視線の方が胸に刺さる。
「今度は本物の星を見に行こうよ。電車に乗って、バスで山奥まで行ってさ」
「別にいいけど、しばらく金ないから期末終わった頃にしてくれ」
「あ、あれ? やけにあっさりおっけーしてくれるんだね」
「友達と遊びに行くくらい普通だし、変なとこ以外なら付き合うよ。……今日は何だかんだ、楽しかったし。お前と一緒にいるの、嫌いじゃないから」
不本意ではあるが、ホテルで駄弁ったのはここ最近で一番楽しかった。このBARだって、天城がいなければ存在すら知らなかった。二十歳になっても、僕一人なら絶対に足を踏み入れないだろう。
彼女との時間は、掛け値なしに楽しい。
そこを否定するほど、僕の根性は曲がっていない。
「嫌いじゃない、じゃなくって……好きって言って欲しいなぁー」
身体を傾けて、僕の肩に頭を乗せた。
僕を見上げ、甘い笑みを唇で描く。
「こんな感じでさ――」
そう言って。
両手をソファーに着いてほんの十センチ弱身体を持ち上げ、僕の耳元に口を近付けた。
「すぅー……きっ」
吐息混じりのノイズがかった声に、僕はあまりにくすぐったく仰け反った。
壁に後頭部をぶつけて悶絶する僕を見下ろし、天城はニッと歯を覗かせ「勝った」とピースする。
何の勝負か、まったくわからないが。
何故だか僕の胸の中で、敗北感が熱く揺らめいていた。
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