第12話 こんなに好きだし
程なくして、佐伯は寝息を立て始めた。
ベッドから身を乗り出し、こっそりと寝顔を確認する。……うん、寝たふりじゃない。
「……ほんとに、しないんだ」
女と男が家族のいない部屋で二人っきり。
今までの経験からして、そういうことが起こらなかった試しがない。
まあ足を捻っているわけだし、あまり動いては欲しくないけど。
触りたいとか触って欲しいとか、楽しみ方は色々あるわけで……。
はぁー、残念。
お風呂でどこを触られてもいいように手入れしたり、とっておきの下着を出したりしたのに。あたしって、魅力ないのかな。
……でも、これはこれで嬉しい。
たぶん、今までがおかしかったんだ。
こっちの事情なんてお構いなしで、半ば強引にやられたり。求められるのは嫌いじゃないし、好かれるのも気分がいいから、何されても我慢してたけど。
佐伯の前では、我慢しなくてもいい。
触らせなくても、求めに応じなくても、あたしのことを受け止めてくれる。
でも、そういう人だから、触って欲しいって思うわけで。
「何もされないなら、素直に鍵渡しておけばよかったな……」
独り言ちて、枕に頭を戻した。
佐伯の鍵は、今、机の引き出しの中。
捜索に出た際、実は発見していたのだが、一緒にいて欲しくて嘘をついた。あの時間帯なら大家さんに連絡しても無駄だし、あたしの部屋に泊まる以外の選択肢が無くなると思った。
罪悪感はあったが、佐伯もあたしに触るだろうしこれくらいはいいよね、くらいに考えていたけど。
結果はこのざま。
触りたかったのはあたしだけで、得をしたのはあたしだけで、救われたのはあたしだけ。……ただ佐伯に、迷惑をかけただけ。
「……天城、なんで、まだ待ってるん、だよ……っ」
ハッキリとした声に、まさか起きたのかと見下ろしたが、ただの寝言だった。
どうやら夢の中で、昨日のことを思い出しているらしい。
あの時は、あたしも驚いた。
ぶっちゃけ、あれだけ待っても学校から出て来ないわけだし、一人で帰ったのだろうと勘づいてはいた。それでも誘ったのはあたしだし、一抹の可能性にかけて待つほかない。
雨が降って来て、最悪の気分。
相手が嫌がってるって理解しながら近付いて、了承も得ずに一緒に帰る約束を取り付けて、来るはずもないのにバカみたいに待って、ほんと何してるんだろうって思った。
でも、佐伯は来た。わざわざ家から、息を切らして。
申し訳なさで死にたくなったけど。
それ以上に、嬉しかった。
あたしのために、あんなに必死になってくれる人がいるなんて知らなかった。
初めての〝好き〟は、まぎれもなく本物の〝好き〟だって気づいた。
「うぅーもぉー好きぃいいいい……!!」
ばたばたと、両足でマットレスを叩いた。
ひと通り発散し、はふーっと息を漏らす。
付き合いたい。好きって言われたい。この胸のもだもだを、佐伯にも感じてもらいたい。手を繋いで歩きたいし、強めに抱き締められたいし、キスだってしたい。
そのためには、一体どうすればいいのか。
昨日から考えてはいるが、皆目見当がつかない。
そもそも、向こうは彼女を必要としていないのだ。そんな男を落とすには、ただ気を引くだけでなく、実家に戻らないという強固な決意を打ち崩す必要がある。
いっそ裸で迫れたら、どれだけ楽か。
そんなことしたら嫌われそうだし、絶対にしないけど。
「……こんなに、好きなのに」
自分は恋愛経験豊富だと思っていたが、そんな自信はとっくに崩落した。
今までのあたしは、好かれることが好きだっただけ。特定の誰かに好かれようなんて考えたこともない。
どうにもならない。どうすればいいか、わからない。
苦しくて恋しい。欲しいのに手に入らない。
好きになってもらうって、難しい。
◆
「ごめんなさいっ!」
翌朝。
二人で朝食を食べて、大家さんに連絡しようとした佐伯を引き留め、あたしは深々と頭を下げた。隠していた鍵を差し出しながら。
チラリ、と佐伯を見た。
いまいち状況が理解できていないようで、「え?」と頭上に疑問符を浮かべる。
「じ、実は、昨日の夜探しに出た時……鍵、見つけててさ」
「……は?」
「一緒にいたくて、その……う、嘘をつきました。本当にごめんなさいっ」
本当は、こっそり鞄に戻すつもりだったが。
できなかった。本当にただ迷惑をかけただけなのに、更にそれを隠蔽するなんてできない。そんなあたしを好きになってもらおうなんて虫が良すぎる。
「あぁ、そうだったのか」
と言って、鍵を取った。
「……っ」
「いつまで頭下げてるんだよ。もういいって」
「……お、怒らないの? 騙したんだよ?」
「これでお前が、僕を篭絡しようと裸で迫ってきたりしてたら怒ってたけどな」
よかった、やらなくて。
「ちゃんと普通に泊めてくれたし、マジで助かったから怒ってないよ。でも、こういう嘘はもうやめてくれ。何度も言ってるけど、実家にバレたらまずいから」
「う、うん。もうやらない、絶対にしない!」
あたしの宣言に佐伯は頷いて、立ち上がろうと床についた手に力を込めた。
当然、足はまだ治っていない。咄嗟に肩を貸すと、佐伯は頬を染めて「悪いな」と零す。
うわぁ、照れてる照れてる。可愛いなぁ、佐伯は。
嬉しい。すごく、すっごく嬉しい。今、あたしのこと意識してくれてる。
「部屋戻ろうと思って。昨日の下着まま、学校行くわけにはいかないし」
「そっか、じゃあ隣まで送るね。……あ、変なとこ触ってもいいんだよ?」
「触るなって言うもんだろ、普通は!」
「『真理を探求する前に、疑えるだけ疑う必要がある。』ってデカルトが言ってたの、もしかして知らないの? 普通かどうかなんて、まだわからないじゃん」
「知らないし、こんなくだらないことで知的キャラアピールするなよ。反応に困るから」
やれやれとため息を垂れて、玄関に向けて歩き出す。
「そういえば、鍵はどこで見つけたんだ? 落とした場所の見当がつかないんだけど」
「アパート出てすぐのとこに落ちてたよ」
「ふーん、そっか。……って、あれ。でもお前、三、四十分くらい部屋に戻って来なかっただろ」
「そんな早く戻ったら見つかったのバレちゃうし、適当に散歩して時間潰して――」
「危ないだろ! このへん、夜は変質者とかも出るんだから!」
嘘を打ち明けた時とは打って変わって、佐伯は怒気の孕んだ声を張り上げた。
まさかここで怒られるとは思わず呆気にとられていると、彼はハッと口元を隠して必死な表情を隠す。
「……い、いや、あんな時間に外に出して心配してたから。鍵を探すためだからって割り切って考えてたけど、不必要にほっつき歩いてたなんて知らなかったし」
ブツブツと、苛立ち混じりに呟く。
本当にこの人は、どうしようもなく優しい。
とことん悪態をついて、適当にあしらって、勉強だけ教わっておけばいいのに、そうしない。
そういうところが、好き。
受け止めてくれて、褒めてくれて、想ってくれるから、好き。
「何笑ってるんだよ。僕はマジで怒ってるんだぞ」
「えへへ。うんうん、わかってるって」
「……」
呆れた表情。
どうにか真剣な顔をしたいが、唇のにやけがおさまらない。
「ねえ佐伯」
「ん?」
「今日も大好きだよ」
「……あぁそうかい」
「明日も明後日もね」
「先のことなんてわからないだろ」
あたしが好きと言うと、佐伯は嬉しいような困ったような顔をする。
ずっと見ていたいが……本当は、その口で好きと言って欲しい。好きと言葉にするたびに見返りを求めてしまうあたしは、どうしようもなくガキでワガママなのだろう。
「わかるよ。……だって、こんなに好きだし、今日一日じゃ使い切れない」
ギイッと、玄関の扉を開いた。
半分寝ぼけたやわらかい太陽光に顔を逸らすと、タイミングが重なり佐伯と目が合う。
わずか数十センチの間で絡んだ視線。
不意の出来事に、つい目を伏せてしまう。佐伯ではなく、あたしが。
知らなかった。
好きになるほど、直視できなくなるなんて。