9・いよいよスタート猫研修!
後ろ足をバタつかせてなんとかしようと隼人は焦るが、このままでは落ちてしまう。
「ふみゃあっ」
覚悟して目を瞑った隼人は、不意に首の後ろを優しく噛まれ、自分の力が抜けるのを感じた。
目を開けるとお玉さんが自分の首の皮を噛んで持ち上げ、屋根の上に運んでくれている。
「すみみゃせん」
屋根に下された隼人はお玉さんに詫びる。子猫みたいな情けない姿を見せてしまった。
「はっはっは。いやいや隼人くん、猫になって初めてにしてはようやったよ。君は飲み込みが早いようじゃな、頼もしいことじゃ」
そう言われて悪い気はしない。隼人は気分良く歩き出したお玉さんの後に続いた。
「あそこに非常口が見えるじゃろう?猫の時は屋上のドアはあけられんからの、こっちから出よう」
小屋の裏には、役場の外についた非常階段の出入り口があった。
そのドアに向かうため、改めて屋根から降りるお玉さんをみて隼人は愚痴をこぼす。
「にゃんだ、おりるんにゃら屋根に登らせる必要にゃかったんじゃにゃいですか?」
「猫の体を試す訓練じゃよ、訓練。君もたのしかったじゃろう?」
そうですかにゃ、とため息をつきながら隼人は屋根からエアコンの室外機に飛び降り、そこから床に飛び降りる。
扉の前でお玉さんが座って待っている。
隼人がやってくると、お玉さんは扉を顎で示して尋ねる。
「さて隼人くん、これをみて何か気づくことはないじゃろうか?」
「気づくことですかにゃ?」
言われて扉を見上げてみる。ごく普通の金属製の扉だ。人が通れるくらいの一畳ほどのサイズで外枠があり、中に柱が何本もある格子状。それが途切れたフェンスに接する二本の支柱に支えられている。扉の中ほどに鍵のついたノブがある。
「うにゃー、特にこれといってにゃにも」
「では、通ってみたまえ」
言われて隼人は前へ進みちょっと考えて、姿勢を思い切り伏せて扉の下の床との隙間を潜り抜けた。
「通りみゃした」
扉の向こうにいるお玉さんに声をかける。何がしたいんだろうか?と隼人は思う。
「隼人くん、君はなぜ扉のしたを潜ったのかな?」
「にゃぜ?にゃぜって、猫がよくこうしているのをみるからですにゃ」
「ふむふむ」
満足げにうなずいて、今度はお玉さんが扉を通る。お玉さんは扉の鉄格子の隙間を器用に体をひねりながら通り抜ける。
「どうじゃ」
「どうにゃといわれみゃしても」
戸惑う隼人に、お玉さんは二本足で立って胸を張り、自慢げにいう。
「これがワシたち猫室の仕事なのじゃ」
「ええ?」
隼人には意味がわからない。扉を通り抜けることが仕事?
小首をひねり尾をパタつかせて考える黒猫隼人に、お玉さんは目を光らせる。
「では、逆になぜ猫がこの扉の隙間を通れるとおもう?そしてこの格子の間を、なぜ猫がちょうどよく通ることができるとおもうかの?」
「え、そんなのただの偶然にゃんじゃ・・・」
得意げに笑うお玉を見て、隼人が思い立つ。
「え。これってみゃさか、猫のために決められているんですかにゃ!?」
「その通り」
改めて隼人は扉を見る。下の隙間、格子の間隔。下ギリギリまで詰めようと思えばできるはずだし、格子ももっと狭くすることもできるはずだ。
「君も街中で見かけて不思議に思ったことがあるんじゃないかな?家の格子塀の隙間や家の外扉に不自然にある下の隙間。公共施設の柵の間隔や、一枚で塞がれていても変に下に間隔の空いているドアのついた建物。そういうドアや柵の隙間を猫が器用に潜り抜け行き来しているのを何度も見たことがあるじゃろう?どうしてあんなに都合よく、猫だけが通れる隙間がもうけられていて、自由に行動できるのか」
お玉さんは二股の尻尾をひねるように機嫌よく動かし話す。
「夜道を歩いて前にいた猫が隼人くんにおどろいても、高い塀を頑張ってよじ登らずとも逃げられるようなちょうどいい隙間が民家の車庫のシャッターにはなぜついているのか」
唖然としている隼人に顔を近づけ、細い目を見開いて興奮気味にお玉さんはいう。
「これ全て人間と猫の密約によるものなり」
そして姿勢をただしかしこまり、きりりと顔を作ってお玉さんは言った。
「この密約を守らせることが、『猫室』の大きな仕事の一つじゃ」