7・隼人、猫になる!?
「おい、隼人くん。大丈夫かな」
気がつくと緑に囲まれていた。その奥には真っ青な空。どうやら草原に仰向けに倒れているらしい。少しふらつく頭を振りながら起き上がる。あのお茶、やっぱりろくなものじゃないな。
体を起こしても妙に草が高い。半身を起こした隼人がすっぽり隠れるくらいの高さだ。いつの間にこんなところに来てしまったのだろう。
「よかった、無事なようじゃな。多少違和感はあるかもしれんが、すぐ治るはずじゃ、安心せい」
声のする方を見て隼人は腰を抜かしそうになる。自分よりも大きい白猫が青い瞳で覗き込んでいる。毛はふさふさで艶があり、目元や鼻元の桃色具合が目の透き通る青さと相まって吸い込まれそうなほど神秘的で美しい。
だが、それよりもでかい。人間の自分と同じくらいある。口元に覗く鋭い牙で噛みつかれたらひとたまりもないだろう。
こんな生き物がいるなんてまだ夢の中じゃないのか、と隼人は自分の頬をつねろうとするが、どうも指がうまくうごがず頬を撫でることしかできない。その頬の感触も奇妙だ。毛むくじゃらというが、毛皮のような感触に長いこわばった髭が飛び出している。
これほんとに自分か?
思わず目を向けた自分の手の平は、黒い毛に覆われ薄ピンクの肉球が付いていた。
「!?」
たまげた隼人がギュッと拳を握りしめると、指の先からにょきっと爪が飛び出した。
「にゃんだこれ!?」
間違いない、猫の手だ。自分の手が猫の手になっている。もしかして、と慌てて全身を確認すると、体も足も毛に覆われ、お尻には見事な尾っぽが付いている。
「はっはっは。うまく行ったようじゃな。人間に試すのは初めてだったが、ちゃんと変化させられたようだ」
隣の白猫が愉快そうに笑っている。頭を抱えた隼人は必死で今日の出来事を思い返し、泣きそうになりながら相手に聞く。
「おたみゃさん?」
「その通りじゃ。いかにもワシは龍造寺お玉。その真の姿じゃ」
ぴょんと飛び跳ねくるりとバク転し、二本足で立って歌舞伎のように見得を切って見せるお玉さんに、隼人はたまらず鳴き声を上げる。
「真の姿じゃ、じゃにゃいですよ!にゃんにゃんですか一体!?僕『猫』ににゃっちゃったんですか?おたみゃさんがやったんじゃにゃいですか!?もう、ふざけるのもいい加減にしてくださいにゃ!!僕は、僕はこれから一体どうにゃっちゃうんだにゃあああ!!」
泣き出した隼人をあわてて慰めながらお玉さんはいう。
「落ち着くんじゃ、そうにゃんにゃん鳴かんでも大丈夫じゃもちろん。これはの、ワシが煎じたあのお茶による一時的な効果じゃ。時間がたてば元どおり人間に戻るんじゃよ」
「本当にゃんでしょうね」
「本当じゃ本当、のはずじゃ」
「はずってにゃんですか、はずって!」
「すまんのう」
と言ってお玉さんは拗ねてしゃがみ込んだ黒猫隼人の涙をペロペロ舐めながら説明する。
「人間に試したのは初めてなんではず、と言ってるだけじゃよ。ワシの秘術に間違いはない。その証拠にこうして君を猫に変化させられたろう?この大妖怪猫又の龍造寺お玉がいうんじゃから間違い無いぞ」
お玉さんのざらついた舌でほっぺたやおでこ、耳などを舐められるうち、隼人の気持ちは落ち着いてきた。
「本当にゃんですね。にゃったく。だいだいあのお茶にはにゃにが入ってたんですか」
「あれか?あれはの、またたび木の葉を煎じたものに、秘術のもとになるネズミの尻尾、かえるの・・・」
「わー、聞きたくにゃい聞きたくにゃい。やめてくださいにゃ。ネズミやカエルなんて飲みたくなかったにゃ」
隼人は顔の横を両手ならぬ両足で抑えてから、おやと気づいて頭の上についた耳に持っていきふさぎなおす。
「ん?そうかの?猫の世界ではご馳走とされておるんじゃが」
「僕は人間にゃんですよ!」
ひっこんだ涙が再び出そうになった隼人は、立ち上がり草原からぴょんと飛び出す。
その先には広い緑のペンキの床が広がっている。なんのことはない、小屋の前の花壇にいただけだったのだ。
改めて猫の目線で見ると世界はなんとも広い。小屋はまるで壁のようにそそり立ち、その前に立っている木も天をつくほどの大木だ。花壇の草は視界を遮るほどにしげっているし、その先に見えるフェンスもそっくり返って見上げるほどの高さだ。
「おたみゃさん」
問いただすような口調で隼人がいう。
「一体こんにゃことをして、にゃにが目的にゃんですか?」
ふわりと花壇から飛び上がり、木の枝を伝わってあっという間に小屋の屋根に降り立ったお玉さんが、隼人を見下ろし、人間の時の面影のある細い目を光らせて言う。
「何のためじゃと?隼人くん、君もおかしなことを言う」
「にゃ、にゃに?おかしにゃことないでしょう」
お玉さんの雰囲気に飲まれまいと必死に言いかえす隼人に、白猫お玉は、はっはと笑う。
「君は今日、ここに何をしに来たのかな?」
「え?にゃにしにって、役場の新人研修ですにゃ」
と、答えて隼人は思い当たる。隼人に笑いかけ大きくうなずいたお玉がいう。
「その通り、君に猫になってもらったのは、もちろん研修のためじゃよ」