2・研修到着。なのに俺だけ場所が違う?
「斎藤隼人くんね」
研修先の伊那鹿町役場は駅から数分の街道沿いに立っていた。かなり年季の入ったいかめしい建築様式の建物で、後からつけられた手すりや車椅子スロープがチグハグだ。息を切らせてやってきた隼人は役場の入り口受付で聞いて二階に上がり、辿り着いた部屋の前にいるメガネの中年女性に身分を説明した。部屋の中では研修生と思われる同い年くらいの男女が数人椅子に座っている。まだ始まってはいないようだ。
間に合ったとホッとした隼人が中に入ろうとする、と
「あ、君はそこじゃないの。そこは普通の新人の研修部屋だから」
「え?」
女性に呼び止められ隼人はぎくりと動きを止める。『普通の』?
一瞬言っている意味が隼人にはわからなかった。
え?ということは俺は普通じゃないの?部屋のなかにいた研修生たちにもそれが聞こえたらしく、遠慮がちながらみんなこちらを見る。
隼人の顔が思わず赤くなる。やめてくれ、まるで俺が『変』みたいじゃないか。部屋をのぞいて最初に可愛いと思ったショートボブの狐目美人と目が合う。笑ってる、絶対俺を笑ってる。
「どういうことですか?」
かすれた声で隼人は尋ねる。
「君は、この通路の奥にある階段を上がって、屋上に行ってくれる?そしたら一人いらっしゃるから、その方に話せばわかるわ」
「屋上?」
意味不明さと恥ずかしさでパニックになりそうだ。聞きたいことはたくさんあるがこれ以上この場にいたくない。ともかく逃げ出したい隼人の目に、最後にチラッと、ショートボブの女の子が自分から目を逸らし正面を向くのが見えた。ううっ。絶対かわいそうな子だと思われて呆れられてる。
駆け出しそうな勢いで、隼人は一目散に廊下を進んで行った。
登庁初日、正確には研修だから出勤初日ではないけれど、希望に膨らんでいた隼人の胸はすっかり萎んでしまった。廊下の端にたどり着く頃には足取りが重くなり、階段を上がるのにも一苦労だった。
確かに自分は試験の成績は良くなかったとおもう。いや、間違いなく悪かった。
大学に入ったときは生意気にも作家志望で、絶対売れっ子になってやると意気込んでいたのも最初の半年。いわゆる三流大学の文学部だったが、先生方や先輩方の読書量、語彙、記憶力、知識にすっかり打ちのめされて、自分には作家なんて絶対無理だ、と早々に尻尾を巻いた苦い記憶。
しかし簡単には諦められず、友人たちと二次創作やオリファンの同人誌をつくる学校外のサークルに精をだしてそれなりに楽しんだ。成績はあまりよくなかったし、書いた作品を先生や同級生に見せることもなく、なんなら友人以外に知られるのも恥ずかしいと思っていた始末。
サークルの別大学の一人は自分の好きなジャンルなんだからと胸を張って活動し、在学中に商業デビューしたのが眩しかった。自分にはやっぱり作家になれる才能や度胸はない。そう気付かされたのもその彼を見ていてだった。
就職を考え、資格も他に興味のある分野もない自分が生き残るには、公務員になるしかない、と四年生の半年間をそれこそ人生で一番勉強した。それでも予備校の先生には確率は低いといわれ、友人にもお前は無理だと言われていた。
だから合格通知が届き、この伊那鹿町役場の採用通知が来た時は、飛び上がるほど嬉しかったし誇らしかった。俺も一端の人間になれたと初めて思えた。
それがこんな目にあうなんて。
俺はやっぱり『普通』以下なのだろうか。
重い足取りで階段を上る隼人は、ほとんどやけくそになっていた。まあ最初からそうやって見てくれた方が気楽でいいや。どうせ俺にたいしたことは出来なかったし。
階段を上がった先に屋上に通じるドアがあった。
こんなところで何をさせられるのか、いざとなると不安でしかたなかったが、大きく息を履いて隼人はドアを開けた。