第四話 アーテル村 コアラファミリー
この日、アーテル国では雨が降っていた。
ココアウサギの獣人の女の子の史織は、珍しく学校へ行っていた。
コアラさん宅は来客もなく、雨で田畑もやる事がなく、お母さんは家の中に居た。
多少なりと暇を持て余しているが、今はお父さんと午前のお茶の時間をまったりと過ごしている。
上の子は幼稚園へ行っていて、下の子はゆりかごですやすやと眠っている。
お父さんはお母さんに趣味の話をふった。
お母さんは現在、活動的に過ごしている。
田畑も趣味範囲でやっているのだが、そのほかに最近、同じ幼稚園に子供を通わせているママに誘われて、ママさんコーラス部というのに入ったらしい。
お父さんは、そのママさんコーラス部の活動について、聞いてきたらしい。
お母さんは、「まぁ、場合によっては、上手くやっていけそう」と答えた。
コーラス部については、まだ、部としての設立が浅く、「歌を歌う」というより、「お喋り」というのが目的のように見える。
それでも小さな大会に参加しようと、リーダーが話を持ってきたが、付き合いで仕方なく、という人がチラホラしている部で、大半は「真面目にコーラス部の活動をしたい」というより、「ステータス」「暇つぶし」「お喋り目的」「付き合い」が多そうだ。
大きな大会というのは、夢のまた夢ってかんじだ。
それでもこれから、「付き合い」「お喋り」「暇つぶし」「ステータス」側の人はしばらくしたら、いなくなりそうだ。
「ステータス」の人は、多少なりと頑張ってくれそうな人もいたが、「大会に出た私」というのが欲しいらしく、「見栄え」的なものがチラホラしていた。そのうち、その人も「自分が頑張らなければダメなステータス」というのは、手放しそうである。
結局、「(楽して)大会に出る私」でないと、「自慢」出来ないかららしい。
リーダーは、『楽して大会に出る』なんて、そんなの無理よね。と言っていた。
確かにコーラス部は、歌を歌ってこそ「コーラス部」だ。
歌は自分で歌わなきゃならない。
お母さんが入ってすぐ、何人かがいなくなった。
お母さんは“これからまた、人が減りそうだ”と考えている。
それでも、残りそうな人は、真剣にやっていきたい人しか残らないだろう。
一旦、がっつり人数が減ったとしても、そういうのは活動してこその成果である、いずれ少しでも人が増えれば、また違ってくるだろう。
「まぁ、あまり無理しない程度にやってけばいいだろう」
「まぁ、あなたがそんな事を言うなんてね」
「君と一緒に生きている間に、考えが少しずつ変わったんだ。君のおかげだよ」
そう言ってお父さんは、コップに入っていた飲み物を飲み干した。
お茶の時間が終わり、お母さんが片付けをする、と言って席を立った。
お父さんは「じゃあ、頼んだよ」といって席を立ち、リビングへ向かった。お気に入りの音楽をかけて、一人用ソファーに座って目を閉じた。
お父さんは、昔の事を思い出そうと、記憶を探った。
お父さんこと、『ウィリアム・ウイルソン』は、アーテル国よりはるか遠くの国の出身者である。
気候もその土地に住む者達の性格も、まるで違う。
暖かな気候に、陽気な獣人達。
アーテル国では珍しいコアラの獣人も、この国では珍しくなく、むしろ沢山いた。
今では隣人になった、カンガルーの獣人も、コアラの獣人同様、アーテル国では珍しくとも、この国では珍しくない。
最初、隣に越して来たのが、カンガルーの獣人一家で、とても驚いたのと同時に、すごく嬉しい気持ちになった。
お互い、仲良くなるのは、時間がかからなかった。
今では、隣人としてもそうだが、友人としても、付き合っている。母国語で語れるし、同じ国の出身同士の会話も出来て、とても楽しい時間が過ごせている。
国は大きく同じ地域に住んでいなかったが、昔からの古い友人のように感じる時もある。今、母国は遠い存在になってしまっているが、思い出せばそこに、家族がいて母国のあの雰囲気が体にまとわりついているように感じる。
ウィリアムは、母国の実家で過ごしていた時の話を思い出していた。こんな悲しい事って、あるのだろうか、と思った。
子供が生まれる前、ウィリアムの両親は、立て続けに亡くなった。
孫の誕生を、待ちわびていた姿が、ウィリアムの記憶に蘇ってくる。
その両親に、今の生活はどう映るのだろう。
子供に「わたしのおじいちゃんと、おばあちゃんは?」と聞かれるたびに、「二人とも天国にいる、天国はお空よりも高い所にあって、みんなの事を温かく見守っているよ」と答えていた。
最近では、もう、同じ質問はされなくなった。
「あってみたかったなぁ」と言われれば、ウィリアムも同じ気持ちだった。
両親は「子は授かりものだから、焦ってもよくない」とは言ってくれていた。自分達も授かるのに時間がかかったかららしい。
いつも温かく微笑んでいた両親を失った時、絶望の中にいるように感じていた。
その後、娘を授かった。
どれだけ喜ぶのか。
想像の世界なら、両親はまだ生きていて、きっととても喜んで、うれし涙でも流す勢いだろう。
その姿はぜひともこの目で、自分の目の前で見たかった。
ウィリアムは一旦、目を開けて立ち上がり、音楽を止めた。
「ピアノでも弾くか」とアーテル語で言ったつもりが、母国語だったらしい。いつの間かソファーに座っていたウィリアムの妻、クロエが「珍しいアーテル語を使わないなんて」と言った事で、初めて気が付いた。
「あれ、そうだったか」
「夢でも見てたの?」
「いや、昔の事を思い出していたんだ。両親が死んで、娘が生まれて、おじいちゃんとおばちゃんの事を、娘に話していた時の事を思い出していたんだ。」
「優しいご両親だったわね。ピアノ弾くんでしょ?思う存分、弾いてきなさい。私はこの通り、ゆっくり雑誌でも読んでるわ」
「クロエ、ありがとう」
家の一階にあるメインホールは、学校へ通えない子や、学校の勉強に追いつけない子などのの為の部屋だ。
「広場」と呼ばれていて、いつもここで、勉強やピアノ、個別で語学も教えている。
長机が三列並び、ピアノが一台置いてある。それはこの家に勉強を教わりにくる、生徒用のピアノだ。
今、この部屋には誰もいない為、静かだ。
しかし、子供が集まると、とても賑やかになる場所だ。
その部屋で初めて来る人は、「それ」を見て驚く人ばかりだ。
「それ」というのは、メインホールに白いグランドピアノが置かれている。誰にも触らせていない、ウィリアム専用のピアノだ。
いつも触りたそうにしている子がいれば、外国語で叱ってしまうため、子供を怖がらせてしまう。その為、『呪いのグランドピアノ』と呼ばれている。
そのグランドピアノのカバーを外すと、屋根を上げ、突上棒をさし、譜面台を上げ、鍵盤蓋を開け、そして、椅子を引き座った。
椅子に座ると、呼吸を整えて、「いつも優しいコアラさん」から、豹変して「魔王のようなコアラさん」に変わるのか、何かに、とりつかれたように、ピアノを弾き始めた。
ウィリアムの目の前には、故郷の風景が広がっているようだ。とても懐かしい、そして心地良い。
昔、まだ子供だった頃、自分の祖父母が一組しかいない事を、同じ学校の子に指摘されたり、母親が異国の地から来た人だという事を、バカにされたりもした。
しかし、子供心にそんなことはどうでもよく、気にせず過ごし、大人になる階段を少しずつ上がっていった。
ウィリアムは母親が外国人であることは、知っていたが、祖父母はもういない、と聞いていた。それが当たり前だった為、青年と呼ばれるようになった頃、その事を聞いても自分の身に起きているとは、思えなかった。
その日は、朝から雨が降っていた。
ウィリアムは、家でピアノを弾いていた。
実家にあるピアノは、グランドピアノではなく、
アップライトピアノと呼ばれるものだったが、ウィリアムはそれでも充分、ピアノを楽しめたが、いつかグランドピアノを思いっきり弾きたい、とは思っていた、そんな時、母親からの言葉に、一瞬、自分の身に起きた事とは思えず、きょとんとしていた。
「ごめんなさい、ウィリアム、話すのが遅くなって。私達もずっと、いつ話そうか、迷ってたの。あなたの、もう一人のおじいちゃんとおばあちゃんには、結婚を反対されてたのよ。」
『もう一人のおじいちゃんとおばあちゃん』と言われても、実感がわかず、ただただ、雨音しか聞こえないような、静かな時が流れていた。
「でね、おじいちゃんとおばあちゃんは、今更ながら、あなたに会いたいと言ってるのよ。孫の顔も見れずに死ぬのは嫌だって」
「その、おじいさんとおばあさんは、どこに住んでるの?」
「アーテル国という所よ、お母さんの生まれ育った土地よ」
「あーてるこく?聞いた事が無いから、分からない」
「そうよね、一回も話した事無いから、分からないわよね」
そういって母は、世界地図を持ってきて、ウィリアムに見せてくれた。
自分が住む国とは、遠い場所にその国はあった。
アーテル国は現在、アーテル村とヴィオラ町二つの町村と新しくグリューン村という場所が出来、国王政権になったばかりの国らしい。
アーテル国が国王政権になったなら、国名も変わるのでは?と、ウィリアムが指摘すると、昔は国名など無かった。国王政権になってから、一番古い村の名前から取って、アーテル国になった。と母は説明した。結婚してからずっと、帰ってないから、詳しくは分からないけど。とも、付け加えられた。
大陸の森に囲まれた小さい国で母は生まれ育ったらしい。
母の昔話は、ほとんど聞いたことなく新鮮な気分で話を聞けた。
しかし、「私はあの村は大嫌いだった」と顔を歪めて言っていた。
知らない国に対してで、ウィリアムからしたら、良く分からないが、母から見た『アーテル国』は、
良い所じゃなかったらしい。
「あなたも、行きたくないなら、無理して行かなくていいからね」
「わかった、考えとくよ。」
その言葉を聞いて、母はウィリアムから離れていった。
ウィリアムはピアノを再び弾き始めた。
見知らぬ土地、見知らぬ村。
今まで、存在を隠され続けていたのに、今になって母の口から知らされた。そんな見知らぬ土地に住む祖父母の存在。
そして会いたがっている、という言葉。
ウィリアムは大学で教師になる為、勉強中だが、知らない場所に、いつか行きたいと考えていた。
一人旅をして色んな所へ行き、異国の文化を学びたいと思っていた。
有名な国、あまり知られていない国など、ウィリアムは調べられる範囲で調べたはずだったが、まだまだ、勉強不足だったとは。
しかも、身近な存在である母の出身地の事を、全く知らずに生きてきた。
大陸出身で、大きな国があり、その国の出身と聞かされていた。
しかし、それは母の嘘で、その出身地と聞かされていたのは、隣国の事だった。
実際、遠く離れたこの国では、大きな国の出身とはよく聞くし、世界的に有名な国で、周りに小国があったとしても、知らない人が多いだろう。
母が言うには、言った所で分からない人が多いから、説明をしなければならないし、めんどくさいとの事で、嫌な事を口に出したくもない、とも言っていた。
地図にも載っていないような国なのだろうか?
沢山の森に囲まれて、ひっそりとある村だったそうで、ウィリアムは「アーテル国」という場所が、少しずつ気になり始めた。しかし、それなりに調べていたが、全く存在を知ることは無かった。
あの場所は森が生い茂っているだけだと思っていた。
ウィリアムは途端に「アーテル国の事を調べようと思ったのだが、そんな場所の事など、どういう風に調べたら良いのか、分からなかった。遠い国の事を調べるには、図書館などが良いのだが、今までさんざん調べて、いつかは行きたい所を、ノートに書いては、暇な時に夢を膨らませていた。
その時、あの大陸の大きな国の事は、調べ上げていたのに、アーテル国の事は一切分からなかった。
歴史が浅いのか、国が出来て浅いのか…。
たぶん両方だと思うが、最新の情報など、掴めるのだろうか?
そして、そんな所に住んでいる母方の祖父母とは、どんな人物なんだろうか?
謎ばかり残って、ウィリアムは思わずピアノを弾く手を止めた。
今まで一度もあった事が無く、「おじいちゃんやおばあちゃん」というのは、父方の方だけだった。
そんな祖父母でさえ、小さい時なら頻繁に会っていたが、時がたち成長すると共に、祖父母との距離が離れ、今では両親との距離も離れつつある。
大学に、遊びに、女に…。
ウィリアムの今の人生は、家族より仲間、友人、恋人といった、“他人”を求めていた。
何年か前に、父方の祖父が亡くなった時も、両親から「おじいちゃんがあぶない、ウィリアムに会いたがっている。」と言われても、「今は忙しい、会いに行ける時間があれば、会いに行く」と、返事をしただけで、結局会わずに、祖父は天国へ旅立った。
その時は“あまり重要じゃない”と思っていた。
しかし、『会えずに旅立ってしまった。』となった時は、言われた時に、素直に会いに行っていれば。と後悔した。
「おじいちゃんは、あなたの事をずっと待っていたのよ」という優しくも悲しい声で言われた祖母の言葉は、今も頭に残っている。
部屋で祖母の言葉が心に刺さり、泣いても悔やんでも、頭の中で後悔だけが、罪悪感となって、ウィリアムの中を渦巻いている。
あの時から、何年も経った今でも、ふと祖母の言葉がよみがえる。
ウィリアムはピアノから離れて、机に向かった。
本棚から、ありとあらゆる旅の本を取り出し、机に置き、ノートを本の上に置き、椅子に座った。
ノートや本が乱雑に置かれているが、やることは一つだ。
ウィリアムは見知らぬ土地の行き方を調べ始めた。
アーテル国のコアラさんの家の中では、ピアノの音が止んだ。
「あらあら、お父さん、大丈夫よ?心配しなくても」
そう言ったのは、ウィリアムの妻、クロエだった。
昔話を思い出しながら、ピアノを弾いていたが、現実に戻ると、なんだか変な気持ちになった。
時代が急に現在に戻り、愛する妻と愛しい我が子と今は暮らしている。
亡くなった父方の祖父の話を思い出していたからか、心がとてもせつない。
「クロエ、大丈夫か?あー、なんだか、幸せのような、悲しいような、変な気分だな」
「どうしたの?ウィリアム?今まで気持ちよさそうにピアノを弾いていたのに」
「子供の泣き声がふと、耳に届いてね、心配で」
「やっぱりね、大丈夫よ!」
そういわれてもウィリアムは、ピアノを弾く気にはなれなかった。
「じゃあ、お茶でも飲もうかな」
「あぁ、それならブラウンさんから、頂き物があるの、どう?一緒に食べない?」
「そうなのか。じゃあ、そうするよ」
「エヴァも泣いてるから、あやして連れてくるわ」
「わかった」
エヴァというのは、ウィリアムとクロエの子供の名前である。
泣いていたのは、末娘のエヴァだったのだ。
「エヴァは、なんの時間だ?」
「ミルクの時間よ」
「そうか、エヴァもお腹が空いたのか」
「そうね、さ、みんなで美味しい物でも飲みましょ」
ウィリアムは先にキッチンへ向かうと、いつも自分が座っている席に座った。
すぐにクロエはエヴァをおんぶして、キッチンに入ってきた。
「先にミルクから作るわね」と言い、粉ミルクの缶を手に取った。
ウィリアムは、その間にお菓子を出して、先に食べる事にした。
お菓子が入っている棚には、懐かしいものが入っていた。
「これ、昔からこの国にあるよな、じいさんが好んで食べてたっけ」
「えっ?あぁ、そうね、あなたのおじいさん、お茶菓子っていうと、それ出してきたわね、覚えてるわ」
クロエはふふっと笑った。
どうやらウィリアムの祖父の事を、思い出しているらしいが、クロエが会った事があるのは、母方の方の祖父である。
アーテル村に住み、孫の顔を長年、見ることが無かった祖父。
今はもう、いないのだが、思い出の祖父は色あせながらも存在していた。
そんな祖父との思い出は、ウィリアムがこの国へ来る事になった時から始まった。
母国で生活していたウィリアムは、祖父母の所へ行く事とした。
今は教師になる為の学校へ通い、学生生活だが、留学制度を使っていく事にした。
本を読んでも、図書館へ行っても、アーテル国の事はほとんど分からなかった。
仕方がなく母へ「アーテル国へ行く」と言い、情報を集める事となった。
母は嬉しそうな心配そうな顔をしていたが、アーテル国の事はしっかりと教えてくれた。
不安と期待と入り混じる中、ウィリアムは旅の準備を進めた。
そんな中、アーテル国から手紙が届いた。と母がウィリアムに伝えてきたが、言葉は全く分からない為、母に読んでもらう事となった。
手紙が届くのには驚いたが、相手は祖父母だった。母の話では、「おじいちゃん達も、手紙や電話をするのは、とても大変だ」と言っていた。
一生懸命、外国の住所を書いてくれたのだと言っていた。
そんな手紙の内容は、母の心配と、ウィリアムの事についてだった。一応父親についても書いてあったらしいが、外国で生まれ育った父に対しては、なんと言ったら分からないらしく、「元気ですか?」しか書いてなかったらしい。
父は無反応だった。
ウィリアムのアーテル国へ行く「留学」もなんとも思っていないのか、それとも何か言いたいのに何も言えないのか、分からないが、とにかく無関心を貫いていた。
手紙の内容は、アーテル国では街が開発され、空港が出来た。と書いてあったらしい。母はその事について、国はいつまでも、変わらないままではなく、変化していくのか、と言った感じで驚いていた。
そして最後に、ウィリアムが来てくれるなら、とても嬉しい、そこまで迎えに行きたい。
いつか会えることを願っている。と書いて手紙は終わっていた。
祖父母はそんなにも、自分と会いたがっているのか、とウィリアムは思った。
自分も会ってみたくはなったが、祖父母の存在を知る前は、興味すらなかった国である。
なぜ、そこまでして会いたいのか、ウィリアムには分からなかった。
しかし、父方の祖父を思い出すと、なにか会いたい理由があるのだろう。
今まで存在していたことは、知っているのだろうか?
名前や性別、ウィリアムの顔は、見た事あるのだろうか?
写真を送るとは、言われたことが無い。存在を隠されていたのだから、当たり前だが、向こうはどのくらい、ウィリアムについて、知っているのだろうか。
『孫に会いたい。』
そう願う、祖父母の思いに答えてあげたい。
そして、見ず知らずのアーテル国がどんな所なのか、見てみたい。
ウィリアムは母が持っている手紙を見せてもらった。
手紙を受け取り、中を見ると、見慣れない文字が書いてある。
全くなんと書いてあるのか分からないが、ウィリアムは「これは自分が持っていたい。」と母に言った。
母は「分かった、大事にしてね?」と言い、その場を去った。
「…うさん、お父さん、全く…ウィリアム!」
目覚めるとそこは、いつものキッチンだった。
「…mother…ん、あぁ、母さん、じゃなかった、クロエ!」
「お母さんの夢でも見てたの?椅子に座って居眠りなんてして、珍しいわね」
「ん?あぁ、寝てたか、そうか夢を見ていたよ。飛行機、そう、mo…母と一緒にいつか、母の故郷へ行けたらと、考えていたんだ」
「そう…。」
クロエはそこで言葉を止め、ウィリアムを見つめた。
雨はまだ降り続き、家に当たる雨粒の音は、部屋の中に響いている。
「ねぇ、あなた、今日のお昼は何にする?」
「あぁ、まだそんな時間か、なんだか時間の感覚が変だな」
「しおりちゃん、今日は来てないからね」
「しおりちゃんか、今日は学校へ行っているんだっけ?」
「えぇ、そうよ、お姉さんになりたいとかで」
「お姉さん?」
「なんだか、あの子の中で、ここ最近、意識が変わってきたそうよ」
「へぇー!」
「年下の子達が成長して、自分もこのままではダメだ。と思い始めてきたみたい」
「年下?」
「カーラよ」
「あぁ、同じ学校の子と距離を縮め始めたんだっけ?彼女も確かに変わり始めたな」
「子供は成長速度が速いわね」
「なるほど、しおりちゃんとカーラは、この家で会話はしなくとも、会っていたからな。それなりに気にかけてたのか?」
「話はしなくとも、ライバルとか、やけに気になる子っているものね、しおりちゃんもそれとなく、気付いたのよ、カーラの変化に」
「なるほど、たしかにここ最近のカーラは少しずつ言葉を覚える速度も速くなってきたし、笑顔が増えたし、しおりちゃん、なんとなく自分も変わらなきゃって思えたのかな?変化も良い方に行っているなら良い事だ。」
「そうね」
自分が見ていない所で、子供たちは日に日に成長していた。
ウィリアムは、その事が何より嬉しかった。
子供が大好きで、いつでも子供の味方になっていたいと、昔から思っていた。
“だから教師になりたかった。”
そして今、学校へ行けない子達の面倒を見たり、勉強やピアノを教えたりしているのは、とても楽しいと思っている。
子供たちの成長は直に感じてこそ、感動が増えたりする。
ウィリアムにとっての天職だと思っている。
そして、この地について知ることが出来た事も、この場所に住んでいる今、思い返せば幸運だったのだろう。
あの日、この土地に来られたのは、ウィリアムにとって、運命の出会いを果たすための、序章だったのだ。
ウィリアムは目が覚めた時、長い間生活している家で目が覚めた事に、安心感を覚えた。
アーテル国へ行く事が決まってから、色々と準備はしてきたものの、不安と戦う日もあった。
しかし、今日を迎えてしまった。
いつもより早く目覚め、空港へ向かう今日、母国はまだ、闇の中にいるような感じだ。
この国の人たちは、朝早くから活動はしないが、今日、ウィリアムは無理して早起きをしたせいで、ものすごく眠たかった。
朝食を食べる習慣はないが、母がご飯を食べてから出かけたら?というので、まずは支度をして、朝ご飯を食べるべく、自室を出た。
ウィリアムの自室は二階にある為、眠い目をこすりながら、階段を転げ落ちないよう、ゆっくりと降りて行った。
母は、昔から「朝ご飯」という物を用意するのを、習慣にしていた。
母の国では、『朝ご飯を食べる』のが、普通なんだと説明していた。
しかし、この国ではそんな習慣はなく、父は戸惑い、食べなかった。
母も「食べれるときは、食べた方が良い」と言っていた為、ウィリアムは食べれる時だけ食べていた。
今日も食べる日と決めていた。特別な日だからだ。
一階では、珍しく父も早起きで、母が作る朝ご飯を待っていた。
「おまえを妻にした時、後悔が大きかった。しかし、おまえは私についてきてくれた。すまない、そしてありがとう。おまえの作る朝ご飯をほとんど食べて来なかったな、なんだか、変に意地を張らずに、少しくらい食べれば良かった。」
「習慣は人それぞれ、無理してほしくないから、何も言わなかったのよ」
「そうか…。」
父の初めて聞く後悔だった。
そうか、父はこんな事を考えていたのか、それもそうだよな、母はこの国出身の女性ではない、アーテル国という小さな国の出身者だったんだ、遠くにいた母を、この地に連れてきてしまった父。
父なりに、考えていたのか。
母も母で、母国を捨てて、この地に来た。
お互い、様々な事を考えて生きてきたのか。全く、何も知らなかった。
ウィリアムは、小さくため息をついて、ダイニングへ入って行った。
「おはよう」
「ウィリアム、おはよう」父が答えてくれた。
ウィリアムは父の顔を見る。
「ウィリアム、起きたの?おはよう、もう少しで朝ご飯も出来るわよ」と、母。
「おはよう、良い匂いだね」
「ありがとう、今日はお父さんも一緒に朝ご飯食べるって」
「そうなんだ」
「ウィリアムが旅立つ日だ、お父さんにも、お母さんの朝ご飯を味あわせてくれ」
「わかった、三人で一緒に食べよう」
ウィリアムは、笑顔を作ってダイニングテーブルの自分の席へ座った。
別に、これが最後っていう訳じゃない、留学という名の旅に出るだけだ。
遠く離れている土地へ行くだけだ。
しかし、なんだかこれが最後のような気がしてしまう。全くそんな事は無いのに…。
ウィリアムは、弱気になっているだけだ、自分にとって、未知の世界へ足を踏み入れるんだ。
誰だって弱気になったり、莫大な不安を抱いたりするだろう。
しばらく、父や母とは会えず、長年住み慣れた家を出て、別の家で暮らし、見慣れた景色を見ることはなく、別の景色の中で生活する。
その出発点が今、この家だ。
母の作る朝ご飯は、相変わらずのものが出てきた。
この国の食材で作られた家庭料理で、メニューもこの国でよく食べられるものだ。
母はウィリアムに対して、「おじいちゃんやおばあちゃんが食べるものは、ウィリアムに合うか分からないわ、この国の食材に食べなれているから、最初は少しずつ食べなさい、そうすれば食べなれてくると思うわ、お母さんも最初は食に関しては苦労したから」
「確かに、あの時はとても大変そうだった、見ていたこっちも辛かったよ」
「ウィリアムがお腹にいた時も、とても大変だったわ」
「懐かしいな、君は母国の食材を欲しがって、手に入れるのが難しかった」
「わざわざ、隣国から取り寄せたのよね」
「あの時は、ほんと、食費だけで給料が消えるんじゃないかと、常に不安だったよ」
「そうね、今思えば、あの時が一番困難だったわ、でも、今はあの困難さえ、幸せになる為に、必要だったんだと思えるの、ウィリアムが生まれたら、全て吹っ飛んだわ!」
「ウィリアムは私達にとっての最初のプレゼントだ、それがもう、こんなに大きくなったなんて!信じられない」
「きっと、おじいちゃんやおばあちゃんも、大喜びするわ、ウィリアム、決断してくれてありがとう」
「ウィリアム、君にとってとても大きな決断だ。よく、アーテル国へ行くと決めてくれた。
しばらく会えないが、父さんと母さんはここで君の旅路が上手く行く事を願っているよ」
「ありがとう」
ウィリアムは、それ以上言わなかった。
本当なら、色々と言いたい事は、山ほどあるのだが、涙が出てきてしまう気がして、言えなかった。
沢山の愛情に包まれた日常は、一旦、お休みになる。
これからは、新しい日常が待っているのだ。
留学という旅が終わり、また、この地に帰って来た時、ウィリアムは何を思うのだろうか…。
人生において、初の飛行機旅行は、まさかこんなに遠くまで行く事になろうとは、思いもしなかった。
アーテル国までは、だいぶ時間がかかり、乗り継ぎも必要だった。
初めての飛行機旅行、初めての国外旅行。
不安で押しつぶされそうだが、とりあえず前へ進むしかない。と強引に考え直し、ウィリアムは歩みを止めないように進んだ。
公共機関を利用しながら、空港へ向かう間、赤信号でバスが止まったり、駅に着くたびに止まる列車には、不安に押しつぶされそうになっているウィリアムにとって、心臓が騒がしかった。
ソワソワとドキドキが止まらず、必要以上に辺りを見渡してしまう。
手の震えが病人のようになっていないか、そんな事さえ気になってしまった。
しばらく移動すると、とうとう空港までついてしまった。
今まで何回、バスや列車を乗りついただろう。
普段だって大学へ行ったり、遊びに行くときに、公共機関を使って行く事は、多々あるのだが今日のように、長時間使って移動するのは、初めてだった。
しかも、空港に来るのが目的ではない。
これからが本番だ。
ウィリアムはこれから、空を飛ぶ飛行機に乗って、国外へ行くのだ。
飛行機に乗るのでさえ、初めてなのに、さらに国外へ行くのは本当に大丈夫なんだろうか?
何度も何度も、同じ事を考えてしまう。
飛行機に乗る前には、長い時間が必要だった。
搭乗手続き、荷物検査…。
聞いてはいたが、確かに空港内で、待たされるか、動かされるか…。
何十人、何百人、沢山の獣人が移動したり椅子に座っている。
これだけの獣人が、飛行機を使って移動したり、出迎えたり…または、お別れをしたり。
空港内にいる獣人は、飛行機に乗る獣人だけじゃなく、お見送り、お出迎え、実に様々な人がウィリアムの近くにいる。
平日であっても、利用者は沢山いるようだ、主にサラリーマンの姿が目につくが。
いったいどれだけの時間がたったのだろう?
まだ、全然時間がたっていない気もするが、ウィリアムは時計すら、あまり見なかった。
それよりノートを見て、乗り換えを間違えないように、飛行機の乗り方の確認などをしていた。
ずっと移動やらなにやらしているせいで、時間の感覚が鈍くなっていた。
ようやくウィリアムは、飛行機内の自分の席に座っていた。
窓側の席になり、隣はウィリアムでも読める文字が書かれた新聞を持った男性だった。
という事は、この獣人は自分と同じ国か、または同じ言語を扱う別の国の者か…。
旅に慣れているようで、余裕たっぷりのように見える。
世界を飛び回りながら仕事している感じに見えて、ウィリアムはそんな仕事もカッコイイと思った。
今は教師になる。としか考えてないが、教師がダメだったら、隣の獣人のように「世界を飛び回る男」というのも良い、と考え始めた。
朝は普段より早く、また疲れていたらしく、眠っていたらしい。
眠っては起きてノートを確認して、また別の飛行機に乗って、また眠って…。
飛行機を乗り継いで、何時間立ったのだろう。
ウィリアムは、目的地に到着していた。
空港は母国の空港よりも小さく、そして新しかった。
まだ、本当に「できたばっかり」といった空港で、必要最低限の施設しか無く、閑散としていた。
祖父母が迎えに来ているらしい。
見間違える事は無いと母は言っていた。
アーテル国には、一世帯しかコアラファミリーは住んでいない。との事で、探す手間が省けそうだ。
母がおばあちゃんになった時の顔、なんて想像したことも無かったが、そこにその「知っている顔」があった。
初めて会ったはずなのに、こんなにも分かりやすいなんて!
ウィリアムは、感動なのか疲れなのか、達成感なのか、分からないが、涙を流しそうになっていた。
なんと呼んだら良いのか、分かっているはずなのに、初めて言葉にするような衝撃がある。
「Grandpa,Grandma,no お、おじ、ちゃ、ん、お、ば、ちゃ、ん」
今まで使った事の無い言葉は、とても使いづらかった。
ハッキリ「おじいちゃん、おばあちゃん」と発音できず、とても苦労した。
まだ、少し距離があるが、お互い、その存在に気付いているようで、目が離せないでいた。
赤子が歩くかのような足取りになってしまったが、何とか彼らの目の前まで行く事ができた。
「は、ぞ、め、はぞめ、ますね」
「初めましてね!こっちの言葉、分かるの?」と祖母は泣きながら、声をかけてくれた
「お、ば、ちゃ、ん」
「おばあちゃんて呼んでるの?うぃ、ういりあむ?」
「yes,わたし、William」
「ばあさん、あまりこっちの言葉は分からないだろう、急に来ることになったんだから」
「そうね、ゆっくり会話できるようになったら良いわ」
「ういりあむ、わたしは、おじいさんだよ」
「お、じ、ちゃ、ん」
「そうだ、おじいちゃんだ、遠くからよく来たな!分かるか?あー、うえるかむだ!」
“うえるかむ“
いらっしゃいという意味だ。
お互いに片言でしか、会話が出来ないが、なんとなく言われている言葉の意味は、分かるような気がした。
母からそれなりに言葉を教わってきたのもあるのかも知れない。
全ては分からないが、とにかく今はそれで良いと思えた。
言葉より、心で通じ合っている気がした。
祖父母は、とても喜んでいるように見える。
ウィリアムも同じだ。
この場所に来られた事が、とても嬉しかった。
“無事についた、やった、アーテル国へ来れたんだ!そして、目の前にいる人が、母方の祖父母、自分のもう一人の”おじいちゃんとおばちゃん“だ!ウィリアムも涙を堪える必要は無かった。
空港があった場所から、農業用トラックに乗り、だいぶ移動してきた三人は、お互いに少々疲れたような顔になっていた。
初めてみるアーテル国は、自分が今まで住んでいた国とは、全然違う部分ばかりだった。
本当に自分は、アーテル国へ来てしまったのか、夢ではないか?と思ったが、途中からのあぜ道で、すこし舌を噛んでしまい、痛い思いをして、現実であることは、確かだと思えた。
車でも数時間かかり、ようやく祖父母の家に着いた。
祖父母が降りたので、自分もトラックから降りて、祖父母の後を歩き家の中に入った。
アーテル国では靴を脱ぐ所があるから、そこで靴を脱いで、部屋の中に上がるのよ。と母に言われていた通り、ウィリアムは祖父母の姿を見てから、自分も靴を脱ぎ、上がった。
荷物は祖父母が持ってくれ、部屋に運ぶと言われたが、言葉が伝わっておらず、ウィリアムは祖父母に荷物を持たせたまま、そこで立ち尽くしてしまった。
すぐに祖父母はその場所へ戻ってきて、ウィリアムに家の中を案内した。
片言の言葉で、一生懸命、説明してくれている。
その意味は、半分以上分からなかったが、祖父母が一生懸命、説明してくれる姿が、ウィリアムにとって、とても嬉しかった。
祖父が「こっちへ来い」と言って、ウィリアムに向かって、手招きをした。
祖父の方へ行くと、祖父は少し離れて、「ついてこい」と言った。
訳が分からずに、祖父の手招きに合わせて動くと、急だが階段があり、そこを上る事となった。
二階に上がり、とある部屋へ祖父が入って行く
と、部屋の中で歩みを止めた。
「おまえの、お母さん、あー、ママ、部屋、あー、るーむ、おーけー?」
ウィリアムは祖父が入った部屋に入り、ようやく言葉が理解できた
「a-,motherroom」
「そ、そんなんだ、そうそう、ママ、の、部屋、おまえのママが使ってた部屋だ」
その部屋は女性が使っていた痕跡がある。
母の趣味の物が沢山置いてあった。
祖父は、「おまえのママが、結婚して外国なんて行っちまうから、そんな結婚、駄目になると決まってる、すぐ帰ってくると思って、そのままにしといたのに、全く…」とまで言うと、涙ぐんだ。
ウィリアムは、なんとなく見て見ぬふりをした。
その方が良いと思ったからだ。
男の涙なんて、人に見せつけるもんでもない、と思ったからだ。
祖父は鼻をすする音を出して、「ういりあむが好きに使っていい」と言った。
『ういりあむ』は、自分の名前を呼ばれたんだろうと、思ったが、それ以外は良く分からなかったが、ウィリアムの荷物が置かれているのを見て、ここを使えと言われているような気がした。
それにここは、母の部屋だ。
ウィリアムの知らない時代の母の思い出を見ているようだ。
ウィリアムは「あー、ありがと」と言った。
「良いんだ、良いんだ、好きに使え、さ、下に戻るぞ!」
そうして祖父は、また手招きをした。
それはついてこいという事だと、ウィリアムは覚えておく事にした。
その日は、「ごちそう」と言われて、ものすごく沢山の食事が並んだ。
『ごちそう』はおもてなし料理、と教わっていたし、『気をつけろ。』とも教わっていたが、なるほど、こういう事か、とウィリアムは思った。
たしかにこれは、色んな意味ですごかった。
祖父母は、「遠慮しないで食べてね、お口に合わなければ、残しても良いからね」と言ってくれた。
時折、何かを見ているように見える。
小声で何かしゃべりながら、二人で会話している時もある。
たぶん、言葉が分からないから、必死に孫の言語を学んだのだろう。
それでもまだ、完璧じゃなくて、あたふたしているのだろう。
祖母の周りに、本が置いてある。
チラ見すると、それが何なのか分かった。
“使い古された外国語の教科書”だ。
それ以外も沢山の本がチラホラ。
子供向けの本、学生向けの本、大人向けの本。
それと、母の字で書かれた手紙…。
なるほど、母は手紙で祖父母とやり取りしていたのか。
内容は、言葉についてのような気がした。
まだ、届いて間もないようにも見える。
祖父母はそれを読んだりして、孫と会話しようと思っていたらしい。
ウィリアムはますます嬉しくなった。
テーブルの上にある、「ごちそう」と呼ばれた料理を見つめ、少しずつ食べてみる事にした。
詳しい料理名は分からないが、どうやら沢山の種類があるそうだ。
なんとなく手前の料理を皿に分けて、食べてみた。
…以外と食べれる味だった。
それもそのはず。母は祖母の作る料理を、たまに食卓に出していた。
父は食べなくても、母が食べていたので、ウィリアムも幼い時から食べていた。
それでも、食べれる料理は限られていて、母国の料理の方が、美味しく感じたし、好物も多かった。
なるほど、母の料理は、祖母の料理でもあるのか。
これなら、知っている料理が出てくるかもしれないし、難なく食べられるかも知れない。
そう思うと、なんだかんだ言いながら、母国の料理を作ったり、祖父母に言葉を教える為の手紙を送ったりしていた母は、忘れたふりして本当は、しっかりと覚えているし、結構好きなのかも知れない。と思い始めた。
「嫌いよ、あんなとこ」と言っていた母の顔を思い出す。
確かに嫌な事もあっただろう、それでも、母の心の中には、故郷の風景や祖父母との思い出も残っていただろう。
そうじゃなきゃいちいち料理など作らないはずだ。
食材だって手に入りにくい、と父が言っていたし。
本当は、母もまたは父も、アーテル国に来て、祖父母に会いたかったのでは?と思った。
ちらりと見えた机の写真は、アーテル国にいた頃の母と、並んで立っていたのは、若かりし頃の父だ。
二人は幸せそうな笑顔をカメラに向けていた。
「娘の結婚さえ、許してあげられない親なんて、私らは、親失格だよ」
「そんな事を言ったって…まぁ、孫もこうして会いに来てくれたんだ。」
「そうね」
二人は、ウィリアムを見つめた。
父と母。両方の良いとこ取りしたような顔立ちに見える。
ウィリアムは間違いなく、自分達の血縁者だと分かる。
一回しか、見た事無い婿の顔…。
忘れられない面影が、ウィリアムの顔に刻まれていた。
娘を外国へ連れてった張本人の憎たらしいと思っていた顔は、意外に良い顔を、していたようだ。
孫はとてもハンサムに育っていた。(祖父母目線だが)
「ういりあむ、君は両親にとても似ている。
君の両親には、ほんとすまない。帰ったらじいさんが、ごめんと言っていたと伝えてくれ。
あと、君のお父さんにも、良かったら遊びに来てくれと、伝えてくれ。」
「お父さん、ういりあむには、こっちの言葉じゃ、分からないわよ!」
「そうか、えーっと」
ウィリアムには、確かに言われた意味は分からなかったが、悪い事は言われてない、というのは分かった。
ウィリアムにとって、初めて会った祖父母だったが、この時の出来事は、忘れられない思い出となりそうだ。
その日は、ご飯を食べて、汗を流して就寝した。
汗の流し方は、家と随分違い、戸惑ったが、祖父に教えてもらいながら、なんとかこなした。
ベッドは無かったが、布団という物にくるまれると、不思議と眠りが襲ってきて、そのまま眠ってしまった。
気が付くと朝だった。
見慣れない部屋で目を覚まし、少々戸惑ったが、すぐに頭が冴えてきた。
下の階へ降りると、祖母の声が聞こえてきた。
キッチンだと思われる場所から、顔を出している。
「おはよう、あっ、えっと、ぐっと、ぐっと」
「goodmorningおばちゃん」
「そうそれよ、ぐっともーにんぐ!ういりあむ」
祖母は笑顔になった。
キッチンの方から、不思議な匂いがする。
頭の上にクエスチョンマークを付けていたら、「ご飯、えーっと、もーにんぐらんち、食べる?向こうでは、あまり、朝ご飯は食べないのでしょ?無理しないでね」
Morninglunch?
朝と昼食?
もしかして、朝は昼食を食べる?と言いたいのか?
ウィリアムは「yes」と答えた。
「あら?通じた?えーっと、とりあえず、無理なら良いけど、食べられそうにないなら、無理しないでね、向こうの部屋に置いとくわ」
身振り手振りで、祖母は何かを伝えようとしている。
ウィリアムもそれを目で追う。
なんとなくだが、昼食は昨日ご飯を食べた部屋にあるのだろうか?
分からないがとりあえず後で、その部屋に入る事にした。
今はトイレや顔を洗ったりしたい、昨日教わった場所に目指して歩いて行った。
母に、「朝、昼、晩と食事をする。」と、聞いていた。
もしかしたら、先ほどの会話は朝ご飯をさしているのか?と思い直した。
母がたまに「こっちのはあまり美味しくないわね」と言いながら、すすっていたスープの匂いの気がしてきた。
なんだかんだ言いながら、朝にはそのスープを飲んでいた。
「これはお母さんにとって、朝飲むスープよ。お父さんやウィリアムには、お口に合わないと思うわ」とも、言っていた。
本場の味は、飲んでみたいと思っていた。
合わなくても、とりあえずなんでも口にしてみよう、とウィリアムは旅に出る前に決めていた。
昨日もそれなりに食べられるものもあった。
“今日も大丈夫だろう。”なんだかそんな気がしている。
祖母はいそいそとご飯を運んでいた。
ウィリアムも祖母の後ろを歩いて、部屋に入って行った。
祖父はすでに朝食を食べて、出かけているらしい。
祖母はまた、部屋を出て行ったが、フォークが置いてある場所に座れ、という事なのだろうか。それならここへ座るかと座った。
テーブルとイスではなく、座卓と座布団というセットで、ご飯を食べるため、座布団という物の上に座り、胡坐をかいた。
すぐにまた祖母がやってきて、手を合わせて「いただきます」と言った。
ウィリアムもその言葉は分かった。
「いただきます」
ウィリアムも真似して手を合わせて言ってみた。
祖母はニコッと笑い「はい、どうぞ」と言った。
この生活はすぐには終わらない。
その間に言葉を覚えたり、祖父母と今まで会えなかった間の溝を埋めたり、アーテル国の事を知る事が出来れば。と思っている。
昼食後に祖父が帰ってきた。
昼食は祖母と食べたが、朝と昼は簡単な物を食べた。
そのおかげで、ちゃんと食べ過ぎたりせず、ほどよく腹にたまっている。
祖父は出先で知り合いと食べてきたらしい。
その事は全て祖母が身振り手振りと、ごちゃまぜの外国語で説明してくれた。
午後三時前、祖父母宅にお客さんが来た。
ウィリアムは二階へ行っててくれ。という事で、母の部屋でのんびりしていた。
しばらくして、階段を上がってくる音が聞こえた。
「William?」
「?」
「ういりあむ?ちょっといい?」
声の主は、一人は知らないが、もう一人は祖母だった
知らない声の主は、「ちょっといいか?話がある」と流暢な外国語が聞こえた。
「どうぞ」と言うと、扉が開いた。
顔を出したのは、茶色い顔だった。
相手は「初めまして」と言うと、部屋に入ってきた。
モグラの獣人らしく、全身茶色く、体がちょっと小さく感じた。
モグラの獣人は村長さんらしく、外国語が喋れるのも、勉強したかららしい。
村長と名乗るモグラの獣人は、今現在のアーテル国についての話がある、との事だった。
現在、国王政権による国になり、国自体の面積も広がり、外国からの旅行者が少しづつ増えているらしい。知る人は少なくとも、興味がある人は増えているらしく、どんな所か見にくる人がいるらしい。
ウィリアムは祖父母に会いに来た身だが、それ以外は、受け入れ態勢が間に合ってないらしい。
そこでこの家でもう一人受け入れて欲しい子がいる、ウィリアムと同じ国の子で、同じく大学生の女性らしい。
「留学生だ。」との言葉に、自分自身も留学生の身だという事を思い出した。
自分のように、この土地へ興味が湧いた学生がいたのか、と少々驚いた。
自分は祖父母と会うために、留学という道を選んだが、その子は本格的にこの地について、勉強したいという事か。
それなら自分がサポートしても良い、と思い始めた。
それに女の子と聞いて、どんな子か興味が出た。
村長と祖母に「手伝える事があれば手伝う」と伝えた。
その子は、来るとしたら早くて一週間後に来る。と村長はウィリアムに伝えた。
それを祖母にも説明すると、二人は部屋から出ていった。
少し時間を空けて、ウィリアムは一階に下りると、お客である村長は、もう家に帰ったらしい。
祖父はのんびりとお菓子をかじって、お茶を飲んでいた。
ウィリアムもひとつ貰うと、口に入れた瞬間、随分歯ごたえのあるお菓子だと思ったが味はそれなりに食べれる味だった。
お茶は美味しいと感じた事は無いが、それを食べると、少しだけお茶が美味しく飲める事に気付いた。
なるほど、確かにこれは良い。
ほどよく菓子が柔らかくなって食べやすくなる。
ウィリアムは「緑茶」と「せんべい」の味に目覚めた。
その日の夜
ウィリアムは母の使っていた部屋で、考え事をしていた。
留学生の女性、同じ国の出身、大学生。
その彼女が、この家に来るかも知れない…。
もし、美人だったらどうしよう、自分の好きなタイプだったらどうしよう、獣人はどの種族だろうか?
カンガルーの獣人か、自分と同じコアラか…または別の種族か。
考えれば考えるほど、楽しくなってくる。
しかし、油断は禁物だ。
ブスだったり、魅力的じゃない場合もあるのだ。
希望を持ちすぎても、残念な結果になった場合の落胆が激しい。
ウィリアムは、気を紛らわそうと、本を読むことにした。
アーテル語を学ぶために父から借りた本がある、それを読んで学ぼう。そうすれば祖父母とより会話を楽しめる。
そうだ、そうして時間をつぶして、寝るまでの時間を有意義な時間にしよう。
そうすれば、祖父母ともだが、留学生の助けにもなる。
自分が間に立ってやらなければならないのだ。
どんな子か分からないが、それくらいは出来るようにならなければ…。
勉強は嫌いではない、むしろ好きな方だ。
やる気が出てくると、すぐに本を開いて、読み始めた。
早くて一週間。
その間に、少しでもこちらの言葉を覚えなくては!
ウィリアムの情熱は、心の中一杯に広がった。
第五話へ続く。