【番外編】雪割草の真実 前編 刹那の彼方に
雪深い地域に、シルクのベールに包まれているようなネコの獣人がいた。
彼らはこの国では、キヌネコと呼ばれているがその名の通り、絹のような毛色である。
短毛種で、口の周りに薄っすらと雪のように白い毛が生えているが、それはよく見てみなければ気付かない程度だ。
キヌネコの獣人男性は、山や自然が好きで、良く一人で山、川、海などに出かけた。
そこでとある女性と出会い、話をしたり一緒に出掛けるようになるたび、少しずつその女性を好きになっていった。
相手の女性もまた、その男と同じ想いだった。
何年か一緒にいると、男の方から告白し、付き合うようになり、そして結婚した。
その男は、とある島にキャンプ場を建てたいと妻に言い、荒れ果てた土地だが、何とか手を加えれば、キャンプ場として運営できる。金なら貯めた、と妻に貯金額を見てもらう為、通帳を見せた。
「昔から夢だった」そう男は妻に向かって口にした。
妻も了承して、二人でその島に行き、キャンプ場を設営した。
手持ちのお金では足らず、だいぶ借金をして島にキャンプ場を作る事となってしまったが、男は夢が叶い、幸せを手に入れたと思っていた。
その後、一年、二年は物珍しさから客が来てくれた。
落ち着いた辺りで、夫婦には二人の子宝に恵まれた。
女の子二人だが、天使のように可愛い我が子だ。男は娘二人を可愛がった。
キャンプ場も繁栄して、順風満帆といった日々が続いた。
しかし、いつからだろう。
子供が大きくなり、また子育ても落ち着いてきた頃、少しずつキャンプ場に来る客が減っていった。
キャンプに対して、興味を持つ人が減ったのだろうか、客足が遠のく日が続いた。
これから子供達はもっと大きくなり、金が要る。
借金も少しづつだが返済はしているが、金が足らなければまた借りてしまい、また、借金が増えてしまった。
しかし、思うように客は来ない。
さらに苦しくなる生活。
男は、いつの間にか山や自然には興味を抱かななくなり、いつも金の事しか考えらなくなっていった。
次第に何も考えられなくなり、妻と子を置いて、どこか遠くの世界へと旅立ってしまった。
行方は今も、分からないままだ。
妻もどうして良いのか分からない。
子供二人を施設に預け、二度と戻ることはなかった。
施設に預けられた子供二人は、一人はお金持ちの道楽と言わんばかりの人に、養子として引き取られた。
いつしか、大きなクルーズ船でチェロ弾きとなった。
同じ船で働いていた男と結婚し、子供も産まれて、今はどこかで暮らしている。
今は船には乗ってないようだが、時よりその時の事を思い出している。
大柄な男がピアノを弾いていたことが、彼女の脳裏に焼き付いて離れないようだ。
大柄な体とは裏腹、繊細な曲調を奏でて人を魅了したり、その体にイメージピッタリなダイナミックな演奏をしたりと、ピアニストとしての仕事をしっかりとこなす男だった。
その男は仕事に関しては、真面目で良いのだが、いざ仕事から離れると、酒とタバコ、それから女とギャンブルにも手を出すような男だった。
常に「金だ。俺は金で動く」という言葉が男のセリフだった。
と思えば、女には甘い言葉で囁き、何人もの女とベッドを共にしたりする。そんな男が一番彼女の記憶に刻まれている。
船でチェロを弾いていた時の仲間の事は、とても懐かしく思えるが、記憶は時に、彼女の顔を歪ませる時がある。それは施設に残った妹の存在だ。
施設を出る前、置いて行ってしまった妹の事は、長年、彼女の記憶を縛り付けている。
妹は今、どうしているのだろう。
頭に浮かぶのは、そんな言葉ばかりだ。
あまり口に出して言いたくは無かったが、ふと妹の影を思い出し、口にしてしまう時もある。
あの時、自分と一緒にと頼みこんだ。それが無理ならせめて、自分ではなく妹にしてくれと言ったが、聞き入れてもらえなかった。
その、運命の日、彼女は妹を見ないようにして施設を出た。
その話は誰にもしなかったが、あの大柄なピアニストの男にだけは、その事を話した。
普段、そんな他人の過去なんて、真面目に聞かない男は、珍しく真面目に聞いてくれたのだ。
なぜ、こんな話を?と男に思い切って聞いてみたが、「なぜってそんなの、おまえが愛おしい存在だからだ」と、聞いたこっちが恥ずかしくなるようなセリフを聞かされた。
その後はもう、考える必要はなかった。
男に唇を奪われ、ベッドに誘われ、すんなりと「良い」と答えた。
その一回だけだったが、力強く、また繊細に女性の体に触れる手を持つ男に、まんまと呑み込まれた夜だった。
あの男のテクニックは、女を甘い蜜だけで酔わす力がある。
男の噂しか聞いてなかった時、好きでもないのになぜ?と思っていた時もあったが、自分がいざその立場になると、すごく良く分かる。
惑わすのが上手いのだ。
そしてあとくされなく何事もなかったように振舞い、また別の女と、乗り換えるのだ。
彼はそういう乗り換えが得意な男だったのだろう。
そう思うと、彼は今も金と女を追いかけているのだろうか?
あの男の事だ。ピアノを弾きながら、甘い蜜を女に含ませながら、金に酒にタバコにと生きてる事だろう。
相変わらず、強さと繊細さで…。
彼女はそう思う事にした。
今の人生は、穏やかな時を過ごし、記憶の片隅に、キャンプ場の事を思い出しているが、両親の事はどうすることも出来ない。
もう過去の事であるが、ふと妹の現状さえ、知る事が出来たら…と思うのだが、それも難しいようだ。
家の中で、古い日記帳を開き、思い出にふけっていたのだが、ふと、窓辺の方を見ると、女性は驚いて「あっ」と声を上げ、体を立たせた。
今まで座っていた椅子が、ガタガタッと音を立て、床に転がった。
知らぬ間に外は雪景色になっていた。
部屋を出て行くと、「Mrs.Sanae?」と声をかけられたが、彼女の耳には届かなかった。
雪の気配を感じようと思い、出てきたのだが、細雪は彼女の手のひらに落ちると、そっと消えてってしまった