第十話 アーテル村 カワウソファミリー
今日は一日、雨が降っている。
一ヵ月前に引っ越して来たばかりのカワウソファミリーは、一階は駐車場、階段を上がり、二階、三階が住居スペースとなっている。
普通の家の作りより、下に駐車場がある分、三階建てのように見える。
駐車スペースは、地下にあるわけではなく、道路からそのまま、車を入れる事が出来る。
この家は、白い壁の家で形は四角く、一階部分の窓が大きいのが特徴だ。
アーテル国では、昔ながらのデザインの家が沢山建っているが、そうでない形の家も増えてきている。
カワウソファミリーのこの家も、古いデザインの家ではなく、どちらかというと、新しいデザインになる。
そんな家に住むカワウソ夫婦の赤ちゃんは、男女の双子で、男の子の赤ちゃんの方は、家の中から大きな窓を見つめている事が多く、どうやら外の景色を見るのが好きらしい。
まだ産まれたばかりで、お母さんお手製のお魚のようなデザインのおくるみに包まれて抱っこされているか、ベビーベットにいる事が多いが、お父さんやお母さんに抱っこされている時は、大きな窓から景色を楽しめる為、お気に入りの時間だ。
今日はそんな大きな窓に、朝からの雨で、窓ガラスに滝のような雨がへばりついている。
大きな音がして、今日は男の子の赤ちゃんにとって、あまり気分がすぐれないようだった。
そんな時、男の子の赤ちゃんを抱っこしているお父さんが、「もう一ヵ月か、早く新しい仕事を決めないとなー」と、呟いた。
玄関が開く音がして、お母さんが「ただいまー」と言いながら部屋に入ってきた。
その声を聞いて、二歳の男の子は、お母さんに駆け寄った。
「聡君、ただいま」
聡君と呼ばれた子は、お母さんに抱き着いたが、この子はカワウソの獣人ではなく、白い毛に覆われたネズミの獣人で、スノーホワイトネズミという種族である。
短毛種で、種族名の通り、白い雪のような毛で、耳の中が、淡いピンク色で、“earheart”と呼ばれている耳が特徴的である。
その他にも、この家には、ペルシャネコの双子の赤ちゃんが住んでいる。
スノーホワイトネズミの赤ちゃんと、ペルシャネコの双子の赤ちゃんは、カワウソ夫婦の養子である。
自分達も男女の双子の子供が生まれたばかりだというのに、養子を育てているのには、ちゃんとした理由がある。
色々な人に、心無い言葉を言われたりしても、彼らはこの三人の赤ちゃんを養子に迎え入れ、育てていくしかなかった。
駆け寄ってきて抱き着き、離れない養子を、お母さんは慣れた手つきで抱き上げ、窓辺に立つお父さんに話しかけた。
「この村に、乳児院は一軒だけなんだけど、そこは一階が乳児院、二階が保育園らしいわ。それで今度、二階の保育園で、空きが出るみたい。とりあえず、上の子三人は、こことは違う別の保育園を探して来たから、その保育園に預けて、そこの乳児院と保育園がある施設で働いてみない?」
「そうか、それならそこで働くのも良いかもな」
「明日、早速行ってみましょうか」
「そうだな」
アーテル村の乳児院は、ハムスターの獣人が経営している乳児院一軒だけだが、一階と二階で経営者が異なり、今回空きが出るのは、二階部分の保育施設「青空クラス」の方で、四歳から六歳までの赤ちゃんを預かるクラスだ。
この国では、六歳までを赤ちゃんとし、乳幼児は一括りにされている。
カワウソ夫婦は元々、アーテル村の隣、グリューン村で暮らし、その村で二軒ある乳児院のうち、一軒を経営していたが、経営破綻し、仕方なく乳幼児院で面倒を見ていた子達の入れる施設を新しく探し、受け入れ先が無かった子だけ養子として育てる事になった。
乳幼児院は、乳児院+幼児(四歳から六歳)の子供をまとめて面倒を見ていた。
保育園ではなく、親のいない子や、行く当てのない子の面倒を見る施設だった。
そこに居た子で、どこも入る事が出来ず、養子になったのが、スノーホワイトネズミの男の子、聡君とペルシャネコの双子の赤ちゃんである。
このアーテル村の方が、まだグリューン村より栄えているし、仕事もあるかも知れないと、移住してきたのだ。
今までは、お父さん一人で経営した、こじんまりとした乳幼児院だったが、今回は、規模が大きい乳児院と保育施設となる。
乳児院、保育園とくっついている物は、全て「乳児院」と称される。
一般的に「親がいない子や、親と暮らせない子達の年齢に合わせた保育施設を、この国では「乳児院とひとくくりにしている。
七歳からの子は、「児童養護施設」で暮らすことになる。
その他の「幼稚園」と「保育園」とは別の施設である。
主に、乳児院は個人経営で大きければ国からの補助も出るが、カワウソ夫婦の経営していたような「乳幼児院」は、少人数制の小さな施設が多く、経営破綻になりやすい。
基本的にこの国の乳児院と呼ばれる場所は、ニクラスもあれば大きい方だ。
お父さんは、今度こそ上手くやらなければ…と強い信念を抱いた。
この国の国民は結構な自由人である。
だからこそ、子供を育てられない環境になる人も多く、失踪も多い。
失踪した挙句、この国に流れ着くものもいるが、その分、出て行く人もいる。
まだ小さい子は足手まといになりやすい。
生活が困難で、食べていくのも大変な家庭もあり、子供にまともな食事を与えてやれない、という人もいる。
自由だからこその、良い部分もあれば、悪い部分もあるのだ。
結果、乳児院や児童保護施設が、欠かせないのである。
カワウソ夫婦は、この国が好きだからこそ、役にたてればと思っている。
この村に引っ越してきて一ヵ月、色々と周り、仕事を探したり、生活環境を整えたり、とても忙しかった。
最終的に再び乳児院の仕事を探しに、お母さんが車で走り回った結果、この村の乳児院が見つかった。
保育施設も調べてある。明日から入れるというので、入ってもらう事にした。
産まれたばかりの双子は入れないが、上の子三人を、保育施設で面倒を見てもらえるだけでも、ありがたかった。
翌日から動くことにしたが、まだ産まれたばかりの双子の受け入れ先が決まっていなかった為お父さんは昔からの知人に生まれたばかりの双子を預かって欲しいと頼んだ所、快く引き受けてくれた。
明日のこの時間に連れていくと告げ、受け入れ先を確保した。
これで、夫婦二人で出かける事が出来る。
明日は上手く行く事だけを願った。
翌日
お父さんは一旦、車でグリューン村に行き、知り合いの家に生まれたばかりの子供を預け、そこから家に戻り、今度はお母さんが、車でアーテル村の保育園まで行き、上の子三人の子供を預けた。
家に帰り、お父さんを乗せて、ハムスターさんの経営している乳児院まで行くと、駐車場へ車を停めて、建物内へ入って行った。
一階の従業員出入り口から入り、職員のいる場所へ入って行った。
ここは、「おひさまくみ」と書いてある方が、乳児園で、「あおぞらくらす」と書いてある方が、保育園である。
「おひさま組」は、ハムスターさんの経営する乳児院で、「青空クラス」が、ラッテラパンという
種族のウサギの獣人が経営している保育園だ。
保育園という名前であるが、中身は一般的な保育園とは違い、乳児院の一種だ。
【せんせいのへや】という所を、ノックして扉を開け、中に入った。
「失礼します、川瀬です」とお父さんが声をかけると、ラッテラパンの獣人の男性が声をかけてきた。
「川瀬さん、ようこそいらっしゃいました、こちらへどうぞ」
そう言われて男性の後を付いていくと、職員室の中をを抜け、応接室に通された。
「ささ、そちらへ」と男性は手を広げ、その手は、応接室のソファーを指していた。
カワウソ夫婦は言われた通りにソファーへ座り、男性も向かい合うように、ソファーへ座った。
簡単な挨拶をし、今回の仕事内容を説明され、急な事でこちらも慌ただしく、あまり時間がない。という事を言われ、そちらの都合が合えば、直ぐにでも働いて欲しい、との事だった。
それならカワウソ夫婦も、条件を呑み込めそうだ。
ただし、一つ条件があり、「青空クラス」というのは、音楽に力を入れているクラスで、簡単なコンサートも開けるくらいの実力らしい。
それで今回、本当なら次回のコンサートがあるので、それまで辞めたくはないのだが、事情が事情であるゆえに、辞めなければならないらしい。
「コンサートの為に、今はみんな、歌と演奏を練習中でして…」と男性は肩を落としながら話してくれた。
別に指導してくれている者は来てくれているが、自分達が抜ける事で子供達の精神面が心配だとも話し、仕方ないが決断をしなければならなかったという所で話は終わった。
カワウソ夫婦の方は、産まれたばかりの子供は、預けられなくて困っている事を伝えると、ハムスターさんも自分の子をこの施設へ連れてきているから、連れてきても良いですよと、あっさりと言われた。
「ここは子供の為の施設ですから、もちろん身寄りのない子ばかりで、普通の保育園とは違い、子供の扱いはとても大変ですが、赤ちゃんのいる環境は慣れていますよ。」との言葉に、どうしようか考えたが、「なんならハムスターさんに面倒見てもらう事も可能です。ここは助け合いの精神でやっていますから」との言葉に心打たれ、それならここで働かせてもらいたいと返事することにした。
自分達の目が届く範囲に子供がいてくれるというのは、非常にありがたい事だった。
夫婦で働けるというので、それもありがたいと思えた。
カワウソ夫婦は、説明を聞いた後、ラッテラパンの獣人の男性と、もう一人、ハムスターの獣人の男性も加わり、四人で一緒に、一階と二階を見て回った。
建物内は子供の声が響いている。
元気な声が、そこら中に響き渡り、カワウソ夫婦は自分達が経営していた小さな乳幼児院の事を
思い出していた。
翌日
カワウソ夫婦は、色々と準備をしていた。
正式に保育園へ入れる事となり、その準備に追われていた。
三人用の物を準備しなければならず、お金もかかり大変だったが、何とか準備が間に合った。
お父さんの方は、お母さんの手伝いをしながら、子供達の面倒をみていた。
夫婦そろって、くたくたになってしまったが、新生活の不安と期待が膨らみ、心穏やかにはいられなかったが、夜はあっという間に訪れ、夫婦は寝室に入り、二人の時間に色々な話をして、眠りについた。
疲れていたのか、ぐっすり眠って、朝は一瞬で訪れてしまった。
朝から大忙しで準備して、二人は下の子を連れ、職場に向かった。
職場では、ラッテラパン夫婦とハムスター夫婦が職員室で迎えてくれた。
ハムスター夫婦からは、しばらく私達も手を貸しますから、「何かあれば声をかけて下さい」と言われ、ラッテラパン夫婦からも、「大変だと思いますが、全力でサポートさせていただきます」と言われた。
そのラッテラパン夫婦の横に、見知らぬ獣人が立っていた。
「初めまして、私、ウィリアム・ウィルソンです」
挨拶したのは、グレーの毛並みで大きな耳と特徴的な鼻を持つ、コアラの獣人だった。
「コアラさん…で、合ってますか?」
「はい、コアラですよ、初めて見ましたか?」
「えぇ、初めて見ました、この国では珍しいですよね?」
「はい、私も見たことないので、珍しいかと思います」
「あぁ、なんだか嬉しいな。珍しい獣人に会えるなんて、思ってもみなかった」
「改めまして、皆さんからはコアラさんと呼ばれています、これからここで、ピアノの指導をさせてもらいます、よろしくお願いします」
「一昨日、ラッテラパンさんから聞いていましたが、指導者って、あなただったんですか。よろしくお願いします。川瀬です。皆さんからはカワウソさんと呼ばれています。」
コアラさんとカワウソ夫婦は、握手をしてもう一度コアラさんの顔を見た。
ハムスターの男性によると、コアラさんは長くアーテル村に住んでいて、ハムスターさんもそれなりに知っている人物らしい。
ラッテラパン夫婦は、隣のヴィオラ町の人で、コアラさんをハムスターさんから紹介されたらしい。
ラッテラパン夫婦も最初は驚いたが、腕は確かであると確信し、今では指導者として、迎え入れているらしい。
カワウソ夫婦は、驚きつつもコアラさんの人柄に少しだけ触れ、暖かく優しそうな人という印象を受けた。
(ピアノを弾く前までは…。)
コアラさんとラッテラパンの夫婦と一緒に、二階へ上がり、教室を入ると、子供達からものすごい視線を浴びた。
コアラさんというより、自分達に興味があるようで、カワウソ夫婦を見ながら固まっている。
ラッテラパンの奥さんの方が、子供達に向かって説明をして、ようやく子供達の視線は剥がれた。
みんな、今の時間は思い思いにオモチャで遊んだりして過ごしている。
コアラさんは、子供達から、「コアラの先生」または「ウィルソン先生」など“先生”と呼ばれるのを嫌がり、「オカマ」はやんわり指摘する程度であるが、子供達は大半がラッテラパンの奥さんが説明した呼び名「コアラさん」と呼んでいる。
コアラさんは、子供の事が好きなのは直ぐに分かった。
子供もコアラさんに懐き、コアラさんの周りには子供達のハーレムが出来ている。
ラッテラパン夫婦はカワウソ夫婦に、ここが我々のと説明してくれている。
一旦、子供達をラッテラパン夫婦の方に、注目させ、子供達にカワウソ夫婦の事を紹介した。
その後、ラッテラパンとカワウソの夫側二人は、下に戻り、妻側の二人は教室に残り、それぞれの仕事の説明を受けた。
やり方など、所々に違いはあるものの、基本はあまり変わらなかった。
大変なのは、お父さんの仕事の方で、基本はあまり変わらなくても、規模などが違えば色々と変わってくる。
それを覚えるのが大変そうだった。
経営が上手く行かないなんて、二度とごめんである。
カワウソのお父さんは必死になって覚える事となった。
二階で子供たちの相手をしながら、カワウソのお母さんは、今度のコンクールの話を聞いていた。
ラッテラパンのお母さんは、先程とは変わって、とても真剣な表情で説明している。
その顔を見ているだけで、真剣さが伝わってくる。
お母さんも釣られて真剣な表情になってしまった。
いつだって真面目に仕事はしているが、それ以上の気合の入っている表情である。
子供達は相変わらずコアラさんの周りにバリアでも作る用にハーレムを作っている。
子供達は楽器が扱えるらしいが、今回は歌の方に力を入れているらしい。
コアラさんは自宅でピアノ講師をしているが、歌も上手く、奥さんはママさんコーラスに入っているなど、夫婦揃って音楽が大好きなのだと説明してくれた。
ハムスターさんから聞いた話が大半だが、ここ何日か一緒に仕事をしていると、彼の凄さに驚かされるらしい。
「とにかく凄いのよ。迫力もあるし、私の求めているものそのままだわ」とのラッテラパンさんのお墨付きで、カワウソさんは、早く聞いてみたくなった。
カワウソさん達は、とくにこれといって音楽の趣味を持っている訳ではないが、今回は音楽の方はコアラさんがほとんど教えてくれるから、徐々に慣れてくれれば良いですよと言われ、それを鵜呑みにしてしまったが、お母さんは後でその気持ちに後悔してしまう事となる…。
子供達の様子は、四歳から六歳くらいの子供ならごく普通の子供に見えた。
しかし、ラッテラパンさんが一言「さ、練習の時間よ!」と大声で言うと、皆、目が変わり、おもちゃなどのお片付けをテキパキとし始めた。
一部の子は、怯えた表情で片付けている。
コアラさんはそんな子供達に寄り添い、優しく声をかけながら、子供達のお片付けを手伝っている。
いざ、お片付けが終わり、簡単な清掃をし、終われば子供達は整列した。
四歳から六歳の子供、十二人が前後六人ずつ、二列に横並びし、前列の子の間から顔が見えるように後列の子が並んでいる。
コアラさんもピアノの椅子に座り、準備万端だ。
ラッテラパンさんが指揮棒を手に取り、上へかざして、指揮棒を振り始めた。
コアラさんが豪快なピアノ演奏を始め、子供達は指揮棒と演奏を聞いて、しっかりと歌い始めた。
子供である以上、大人のようには歌えてないが、随分と力強く、また豪快な歌い方で、中学生レベルくらいありそうな歌い方だった。
しかも外国語の歌である。
カワウソさんは、その場で立ち尽くし、何も考えられなくなってしまった。
耳は演奏と歌をしっかり捉えている為、ただ茫然と立ち尽くしているが、意識はハッキリしているらしい。
驚いて声も出せずに固まる、といった感じは、恐怖心からきたりするものだと思っていたが、そうでは無かったらしい。
こんな、子供達の歌声を聞いただけで、体が動かなくなるとは…思ってもみなかったようだ。
カワウソさんは、ただ黙って聞いていただけだが、指揮者、演奏者、歌う子供達、どの人もふざけたりせず、真剣に取り組んでいる。
カワウソさんは、力を入れているって、こういう事だったのかと、今ようやく気付かされたようだ。
一曲の練習を終えると、休憩に入った。
三十分間の休憩時間を挟み、もう一曲練習するらしい。
休憩と聞いて、子供達は自由に動き回り、今までの事が嘘みたいに、その年齢らしい子供の動作となっていた。
“なんだか何かに取りつかれていたみたい”
カワウソさんは、一瞬そう思ったが、そんなことは無く、あれが事実だった。
休憩中は比較的穏やかだったが、休憩が終わり、再び練習が始まると、スパルタ教育になった。
さっきの出来は、ここが悪い、ここをこうするようにと、ラッテラパンさんが指導し、子供達も「はい」と頷いている。
泣き出したりする子はいないが、よく見ると部活の部長みたいな子が存在していて、率先して皆をまとめているらしい。
コアラさんもピアノを弾かない時は、優しいお父さん、といった感じなのに、ピアノを弾き始めると厳しくて怖いお父さん(というより先生や指導者、または鬼)になる。
先程のイメージとは大違いだ。
“まさか、こんな人だったなんて”とカワウソさんは心の中で思っていた。
再び「整列」と言われると、子供達はキチッと整列し、二曲目の練習をするそうだ。
二曲目は二曲目で、少し難易度を下げるのかと思ったら、一曲目と大して変わらない難易度だった。
先程同様、こちらも乳幼児レベルがやる曲ではなく、せめて中学生くらいになってから挑戦するような曲である。
なぜここまでレベルが高いのかは分からないが、一つの事に気付いた瞬間、カワウソさんは青ざめそうになった。
“これ、今後は私が指導していくの?このレベルで?”
そう考えたらとてもじゃないが、自分にこのレベルの事を教えられるか不安になった。
ラッテラパンさんがいる間は、彼女にコツをお教えてもらわないといけないようだ。
“大丈夫かしら?私…”とカワウソさんは不安に押しつぶされそうになってしまった。
一日目が終わり、全員が家に帰ってきた。
家でゆっくりとした時間を過ごしていると、思ってはいたが、結構、気を使い、体が疲れていた。
お父さんもお母さんも同じ思いだったらしく、二人の顔は、お互いがお互い、顔に疲れが張り付いているのが分かった。
「お父さん、疲れてるのね」
「お母さんもな」
お母さんは、お父さんに今日あった出来事を話し、やってけるか心配だし不安だと話した。
するとお父さんも、「実は…」と話し始めた。
二度も同じ過ちを犯すまいと、必死になりすぎて、手に汗をかきながら、仕事をしていたらしい。
「お腹が痛くなって、心臓が破裂するかと思ったよ」と疲れた顔ながらも笑顔を見せた。
「お互い様ね」
「そうだな、まぁ、あまりゆっくりは出来ないだろうけど、彼らがいてくれる間に、仕事を覚えて徐々に自分達の仕事として慣れていこう、必ず上手く行くさ、そう信じよう」
「そうね」
翌日
お父さんとお母さんは、上の子達を保育園に預けて、仕事場に来た。
二人は一旦職員室に行き、ハムスターさんが来ているのを確認すると、ハムスターさんの所を訪ねた。
下の子は一緒に連れてきて、ハムスターさんが面倒見てくれるという事で、お願いすることにした。
ここにいてくれれば、後で様子を見に行けるのが良かった。
お母さんはそのまま、二階の青空教室に行くと、子供達が迎え入れてくれた。
「きのうのあたらしいせんせい」と呼んでくれる。
子供達に挨拶して、リーダー格の子に話しかけた。
「きたはら あおいです」とラッテラパンの赤ちゃんはカワウソさんに自己紹介した。
この青空クラスの先生もラッテラパンの獣人だが、先生の子供という訳ではない。
別のラッテラパンの獣人の子供だ。
「きたはら あおいさんね」
「はい、あおぞらおんがくたいのりーだーです」
「あなたが、リーダーなのね。あおぞらおんがくたいというのは、あなた達のチーム名かしら?」
「はい、せんせいがいってました」
「そう」
「せんせいがいってました。あたらしいせんせいがきてくれるまでにいっしょうけんめい、れんしゅうしましょうって」
「そうなの」
「はい」
「昨日の歌、すごかったわね」
「はい、れんしゅうのせいかです」
「そうね、大変だったでしょう?」
「はい、でも、みんなおんがくがすきなので、たのしいです」
「そう」
「あたらしいせんせいは、おんがくすきですか?」
「そうねぇーラッテラパンさんや、コアラさんよりは、あれかも知れないけど好きよ」
「そうですか、よかったです」
そこへ、ラッテラパンの女性が教室へ入ってきた。
「川瀬先生、おはようございます。職員会議の時間ですので、ちょっといいですか?」
「あっ、おはようございます。はい、今、行きます」
カワウソさんは、ラッテラパンさんの後に続いて教室を出て、廊下を歩いていた。
その時、前から声がかかった。
「昨日は、驚かれたでしょう。私も最初はどうすれば良いのか迷った物です。子供達に音楽を教えたかったんですが、なんせまだ、年齢が低いから、どんなことから始めようかなって…。でもハムスターさんの教室見に行ったら、赤ちゃんが楽器の音に興味を示していて、これだ!って思ったんです。子供って楽しい物が好きでしょう、音が鳴る物とか…それで閃いたんです、楽器を教えてみようと、そしたらまんまと私も子供達もハマりまして、今ではみんな、音楽や楽器が大好きになり、それで色々とやっていくうちに、ここまで上達しました。でも、これには秘密があるんですよ、コアラさんの存在が大きかったんです、彼にはホント、感謝してます」
「へえー!すごい方なんですね!」
「昔は、小学校の先生をやってたみたいですよ。直ぐに辞めてしまったそうですが、それでもピアノは好きで、家でピアノ教室とか学校へ通えない子のケアをしたり、語学を教えたりしているそうです。先生という職業が、どんな形であろうと彼には合ってるんですね。とても教えるのも上手ですし、ホント助かっています」
「学校の先生だったんですね、なるほど」
カワウソさんは、なんだか納得出来た。
「なので、あまり音楽に関りが無くても大丈夫ですよ。音楽に関しては、コアラさんにお願いしてますから。ちょっとびっくりさせ過ぎたかもしれませんね、ごめんなさい。」
「そうなんですね。それを聞いて安心しました」
「もちろん、音楽の方は、続けて欲しいとは思ってますけど、無理しないようにしてくださいね」
「分かりました」
そう話している間に、二人は職員室へ着いた。
中に入り、自分達の席の所へ向かった。
職員会議が終わると、二人はまた教室に戻ってきた。
教室には相変わらず、子供達が楽しそうに過ごしていた。
「きたはら あおい」と名乗った子が、カワウソさんの方に近付いてきた。
「あたらしいせんせいに、みんなをしょうかいします、ついてきてください」そう言って手を差し出してきた。
その手を掴み、一緒に歩いて説明を受けた。
「あのこがさくらい あい、がっきをえんそうするときは、もっきんたんとうなの。あの子はよしだ かえで、とらんぺっとたんとうだよ」
目先には、ラブラドールドッグの赤ちゃんと、クリョーンキャットの赤ちゃんが一緒にいた。
ラブラドールドッグの赤ちゃんが、さくらい あい、クリョーンキャットの赤ちゃんが、よしだ かえでらしい。
「つぎはこっち」と言われ、またお目当ての子の方へ連れてかれた。
それが何分か続き、カワウソさんはようやく一人に戻った。
一人に戻り、ようやく先生の仕事に取り掛かれた。
その後、しばらく平穏だったが、声がかかり、「音楽の時間です」と言われ、作業していた手を止めた。
今日の練習は楽器を使った練習らしい。
先程説明を受けた事を頭の中で反復した。
“リーダーで太鼓を演奏する、ラッテラパンの赤ちゃんが、きたはら あおいさん”
“木琴担当、ラブラドールドッグの赤ちゃん、さくらい あいさんと、同じくラブラドールドッグの赤ちゃん、ももい さきさん”
“トランペット担当、クリョーンキャットの赤ちゃん、よしだ かえでさんと同じくクリョーンキャットのめいさん、めいさんは名前なのか、苗字なのか分からないわね”
“ピアノ担当、フリントキャットの赤ちゃん、わかまつ はるさん”
“アコーディオン担当、トイプードルの赤ちゃん、いちかわ ひかるさん”
“タンバリン担当、リスの赤ちゃん、くりはら なのはさん”
“シンバル担当、クマの赤ちゃん、たけしとしか、言ってなかったわね、たけしさんね”
“バイオリンは二人、ココアウサギの赤ちゃん、あかばね しゅりさんと、同じくココアウサギの赤ちゃん、しらいし みくさん”
そして、きたはら あおいさんの横が、同じく太鼓担当で、ラッテラパンの赤ちゃん、うしぬま みずきさん“
計 十二人が青空音楽隊のメンバーである。
同じ種族の子が同じ楽器を演奏させるのは、特に理由がないらしいが、服などで見分けないと、どちらがどっちなのか、分からなくなりそうだ、とカワウソさんは思った。
後でこっそり先生に見分け方を教えてもらう事にした。
楽器の演奏も、やはり随分と激しかった。
しかし、力を入れているのはもう、前回で良く分かった為、あまり驚きはない。
次のステージでは、歌を披露するらしいが、これはまた別のステージ様に練習しているらしい。
練習というより、今はまだ、楽器に慣れさせている段階で、歌ばかりだと飽きてしまう子もいるから、日によって変えているらしい。
子供、とくに、このくらいの子供に物を教えるのは、結構工夫がいるらしく、先生は頭を悩ませた結果らしい。
カワウソさんは、グリューン村の乳児院でも、こちらと同じような年齢の子達とアウトドアに行く先生がいる事を思い出した。
その先生とは仲良くしていて、思い出も沢山ある。
カワウソさんの心の中に思い出は沢山眠っている。
ふと思い出す思い出は、どれも懐かしく、暖かいものだらけだった。
今日の仕事が終わり、帰る直前、カワウソさんはラッテラパンさんに呼び止められた。
少し、話をしないかと言われ、「女二人で行きたい所があるの」と誘われた為、カワウソさんはラッテラパンさんについて行った。
一旦、建物から出て、喫茶店へ行こうという話だった為、二人は外に出た。
ラッテラパンさんの車に乗り込み、ラッテラパンさんの運転で、女二人はアーテル村を出て、隣のヴィオラ町まで来た。
ラッテラパンさんの家は、こちらのヴィオラ町にあり、その町の病院と歯科が義実家らしい。
そこで、今度は病院を夫が継がなきゃならないという話を、車の中で聞いた。
その話を聞いてから喫茶店に着くと、駐車場へ車を停め、喫茶店の中へ入って行った。
「ここはよく、夫と来るの。今日は夕飯前だし、飲み物飲んで話をしましょう?」
「えぇ、分かりました」
席に案内され、メニューを開く。
メニューは分厚い表紙にビニールがかぶせられている。
茶色い色した表紙はいかにも古びた喫茶店のメニュー表といった表紙だ。
店内も落ち着いた雰囲気で、どこか茶色と深緑の色合いの店だったが、妙に落ち着くのは、なんだか昔ながらの感じがするからだろう。
来たことも無いのに「懐かしい」と口走ってしまいそうになってしまった。
メニューもやはり昔ながらだ。
手でビニールをなぞり、古ぼけた味わいを感覚としてとらえると、妙に嬉しくなってくる。
「なんだか、良い雰囲気のお店ね」
「落ち着くでしょ?」
「えぇ、とっても」
「オススメは…メロンソーダ頼む?美味しいわよ?」
「良いわね、私、メロンソーダ大好きだったの!」
「私もよ、まだこんな小さい時から学生時代はずっとメロンソーダばかり飲んでたわ。甘くてシュワシュワして!」
「私もよ!なんだか少女の時代に戻った気分!」
二人で若かりし頃に戻った気分で、メロンソーダを飲むことにした。
店員に注文すると、ラッテラパンさんは、「早速だけど、私の話を聞いて欲しいの」と話しかけてきた。
「えぇ、どうぞ」
「今の練習、私、途中で抜けなきゃならないの、コンサートも、日にち的に無理だし…」
確かに聞いている話では、練習の途中で退職の日を迎えてしまうだろう。
「夫が病院を継ぐとき、私も看護師の仕事を始めなきゃならなくて…。
義母が手伝ってはくれるんだけどね、新たに仕事を覚えなきゃならないし、不安で一杯なのよ。」
この国では、人手不足から、資格持ちの人は、多数資格を持っていてもおかしくない。
ラッテラパンさんも、初めは看護師の資格を取り、その後、教育関係の資格を取ったらしい。
仕事に合わせて、そうやって多数の資格を取る事になってしまうらしく、そのサポートは充実しているからこそ、やっていけるらしい。
『変動が激しい国のやり方』というのが、この国にはあるらしく、他国とは違ってくる。
それはこの国で生まれ育ったカワウソさんも、ある程度、理解ある事だった。
「あなたもこの乳児院に来たばかりで、大変だと思うけど、私はあなたに思う存分サポートしてあげたくて…でも自分の事もあるからなかなか、上手くサポート出来てない気がして、なんか申し訳ないわね」
「いえ、大丈夫ですよ」
「北原 葵ちゃんは、クラスで一番の年上で、青空音楽隊のリーダーなの。自分で率先してリーダーになってくれたのよ。だからその色々と任せちゃって、でもあの子は、大人の為になる事が好きみたい。だからその、どんどんあの子の好きなように任せちゃって、あの子、そうするとものすごく喜ぶから、無理しなくて良いのよって言うんだけど、全然聞いてくれなくて…。後は、コアラさに色々と頼んであるから、コアラさんにも聞けば、親切に教えてくれるわよ。後は下の階のハムスターさんね。あの方もとても親切よ、私がこの仕事を退職しても一人で悩まずに、皆の力を借りてね。皆はサポート役に回るの好きだから、大変だと思うけど、私はあなたを信じたいわ、だからコンサートを成功させたいの、託して良いかしら」
「分かりました、やってみます」
「ありがとう、嬉しいわ」
メロンソーダが来ると、二人は途端に少女のようになった。
話が弾み、帰る頃には夕飯時間ギリギリになっていた。
乳児院に戻ってきた二人は、それぞれ自分の用事を済ませ、家に帰って行った。
改めて、家に帰り、今日の喫茶店での話を思い出すと、自分が託された事は、とても大きい事だと実感したが、サポートは充実しているらしい、あまり考え過ぎず、やっていく事にした。
明日から指揮者の練習して欲しいと頼まれた為、やったことは無いが、見よう見まねで腕を動かした。
スパルタで教わるのだろうかと思うと、ちょっと恐怖心が出てくるが、やると決めてしまった以上、後戻りは出来ない気がした。
生活の為に、働かなくてはならない。
赤子を連れての生活は、とても大変である。
しかし、子供達をかわいそうな目に合わせたくない。
カワウソさんは、やる気に満ちてきた。
前回の失敗から学んだ事はただ一つ。
「何が何でも、子供と生活を守る事!」
新しく住み始めた家でカワウソさんは、大きな声で、その言葉を口にした。
子供達はビックリした顔をしていたが、お母さんが元気な顔をしている事で、普通の顔に戻った。
鼻歌交じりに家事をこなし、お母さんは、「今日はごちそうよー」と言いながら、キッチンに立ち食事を用意した。
今日はカワウソさん夫婦の大好物、魚料理だ。
子供達には子供が喜ぶメニューを簡単に用意した。
子供はシンプルな物を好んで食べる分、時間がかからなくて助かった。
問題は大人の方の料理だ。
大人のは手の込んだ料理ではあるが、ごちそうを食べれると思えば、手間なんてなんとも思わない。
(実際は多少、面倒と思う事もありながらの作業だが)
お母さんはあまり料理は苦にならない方だ。
美味しい物を食べれるなら、それで良いのだ。
美味しそうな匂いがすると、より料理が楽しくなってきた。
しばらくすればお父さんも帰ってくるだろう。
きっと今夜のごちそうを見れば、嬉しく思うだろう。
お母さんは、そんなお父さんの顔を思い浮かべながら、料理を進めた。
ラッテラパンさん夫婦が、退職する日は、彼らにとって特別な日だろう。
今まで仕事してきた職場である。
それを辞めて、また新たな職に就かなければならない。
それは数日前の自分達と重なる部分がある。
若干の違いはあるものの、子供達との別れを惜しみ、職場から離れなくてはならない時の気持ち…。
その気持ちは充分理解できる。
新なスタートを切らなきゃいけない恐怖や不安。
それは誰もが抱えるものだ。
ラッテラパンさん夫婦も、夫はその家の息子らしいが、奥さんは新たな家族になった人物である。何年前に結婚したのかは分からないが、奥さんをしてれば分かる物がある。
義実家で義母と新たに仕事いていく事は、気を遣うだろうし、必要以上に疲れるだろう。
お互い様ではあるだろうが、これからの事を考えると、ラッテラパンさんの複雑な気持ちが、自分の事のように思えてきた。
だからこそ、ラッテラパンさんの意思をちゃんと継ぎたいとも思えた。
「コンサートを成功させる!よし、やるぞ!」
お母さんは改めてやる気を出した。
明日からまた、彼らが退職する日まで彼らとの時間を大切にし、また、彼らが職場を去ってしまった後でも、しっかりと子供達と歩んでいく…。
お母さんはやる気と希望が満ちた所で、手を止めた。
「さ、料理をお皿に盛らなきゃね」
魚料理は、美味しく出来上がったようだ。
皿に盛られて、食卓へ運ばれた。
次々と出来た料理を運び、食卓へ並べていると、お父さんが帰ってきた。
お父さんは、食卓をみて大喜びだった。
お母さんに理由を聞き、納得すると、食卓に座る前に手洗いやうがい、着替えを済ませてダイニングへ戻ってきた。
子供達も席へ座り、お父さんが最後に座ると、夕飯の時間が始まった。
賑やかなダイニングルームの背に、大きな窓からは、月明かりがのぞき込んでいた。
明日は、この国では珍しく晴れてくれそうだ。
第十話 終わり