第七百六十話 それでも
魔奥公団は組織としてほぼ壊滅したが、その構成員がすべて死んだわけではない。
元々、魔法を研究する組織として存在しており、表向きの理由だけのために所属していた者もいた。
その一人、ジーモン・ザクサーは焦っていた。
三十代後半の赤髪の男。背は高く、しかし体は細い。
黒いローブに身を包み、大きな杖を握っている。
ジーモンは魔奥公団に所属していた魔導師であり、幹部ではないがそれに準じるレベルの魔導師だった。
とはいえ、特に思想があるわけじゃない。
ただ、古代魔法文明時代の遺物を使えるから、反皇太子派の誘いに乗った。
専門は魔導具であり、自分で作ることも可能。
そのため、金に困ってはいなかった。
けれど、魔奥公団が壊滅してからというもの、貴重な魔導具に触れる機会はなくなった。
安定しているが、どこか刺激のない日々。
そこに飛び込んできたのがこの話だった。
魔奥公団の残党とも呼べる者たちを通じての誘い。
やばい話だとはわかっていた。
けれど、どうしても好奇心を抑えられなかった。
ジーモンはすでに三十代後半。
その人生のすべてを魔法に捧げてきた。
今更、引き返すことはできない。
好奇心、探求心。
それらを抑えることをせず、好きなように研究して暮らしてきたのだ。
三年という歳月は、ジーモンに危険な橋を渡らせるには十分すぎる禁欲期間だったのだ。
だが。
「どうして連絡がない……!?」
すでにジーモンは帝都に潜入していた。
けれど、帝都で自分に接触してくるはずの者たちからの接触がない。
連絡もない。
そろそろ結婚式は終わり、皇太子たちはお披露目のために開放型の馬車で帝都を回る。
そこを狙う計画のはずだ。
だが、何もない。
そういう場合、考えられるのは一つ。
「邪魔が入ったか……」
中止の合図もない以上、想定外なことが起きているということだ。ジーモンに残された選択肢は二つ。このまま決行するか、それとも逃げるか。
すぐに後者の考えを捨てる。
逃げられるほど帝国は甘くない。内部の貴族の協力者がいたからこそ、帝都に入ることができたが、普通ならこの厳重な警備だ。入ることすらできない。
おそらく脱出は困難。
運よく帝都から脱出できたとしても、執拗な追跡が始まるだろう。
二度と安全な生活は戻ってこない。
では、決行か?
しかし、帝都を混乱させて警護を薄くしてからの襲撃の予定だった。
ここで召喚獣を召喚したとして、万全の警護体勢を突破しなければいけない。
それができるだろうか? ジッとジーモンは杖を見つめた。
杖の名は〝ケーリュケイオン〟。
召喚に特化した杖であり、素早くゲートを作成する杖だ。
本来なら複雑な召喚も、この杖ならば簡単に行える。最短の道を構築できるのだ。
そして伝承が正しければ、使用者次第で強力な召喚獣も召喚できる。
おそらく異界の竜も。
それならば厳重な警護も突破できるかもしれない。
最大戦力であるエルナ・フォン・アムスベルグとSS級冒険者のクロエは帝都にはいない。
強力なモンスターを召喚できさえすれば、どうにかなるだろう。
帝国の近衛騎士団は強力だが、SS級冒険者が担当するようなモンスターが相手では持て余す。
ここで皇太子への襲撃を成功させれば、ジーモンの評価は上がる。
それこそ現状、最強の魔導師と認識されるだろう。
魔導具ばかりをいじっていた自分が、最強の魔導師と呼ばれる。
そう、あのシルバーのように。
「やるさ……やってやる……やるしかないんだ……!」
■■■
「皇太子殿下万歳! 皇太子妃殿下万歳!!」
帝都は歓喜にわいていた。
馬車でゆっくりと帝都の大通りを進むのは、先ほど結婚式を終えた皇太子レオナルトと、正式に皇太子妃となった聖女レティシア。
二人の結婚は帝国の慶事だった。
かたや帝国を救った英雄であり、かたや王国を救った英雄。
誰も文句のつけようがない二人の結婚は、帝国の未来を明るく照らすものだった。
それから少し間隔をあけて、今度は別の馬車がやってくる。
「リーゼロッテ殿下万歳! 宰相閣下万歳!!」
その馬車に乗るのは白いドレスのリーゼロッテ・フォン・ラインフェルトと宰相のユルゲン・フォン・ラインフェルトだった。
すでに殿下ではない。
ラインフェルト公爵夫人となったのだから。
けれど、親しみをこめて皆が殿下と呼ぶ。
特に年配の者たちは、あのリーゼロッテ殿下が、と涙を流す者もいた。
帝国のために東部の守りについていた皇女がようやく結婚し、その役目から解放された。
申し訳ないという気持ちはあったのだ。
だからこそ、皆が祝った。
相手に不足はない。そのことをユルゲンはこの三年間で証明してみせた。
前任の名宰相フランツと肩を並べる存在であると。
こちらも文句はない。
祝福の言葉だけならこちらのほうが多いほどだった。
姫将軍の結婚は、帝国が平和になった証。
帝国の武威の象徴は剣をおくことができた。
これからはそういう時代なのだ、と。ようやくそういう時代が来たのだ、と。
誰もがそう思っていた。
そんな二人の馬車の後ろ。
今度は大きな馬車が進んでいた。
皇帝ヨハネスと第六妃ミツバ、そしてクリスタやルーペルト、フィーネやシャルロッテがそこには乗っていた。
「あのリーゼロッテが……これほどの祝福を受けて……」
「またですか? 一体、何度泣けば気が済むのです? 陛下」
「よいではないか……娘の晴れ舞台なのだから」
「まったく……」
結婚式前に泣き、結婚式で泣き、お披露目で泣き。
このあとも泣くだろう。
今日一日で涙が枯れてしまうのではないかと思えるほどだ。
最初は微笑ましそうに見守っていたミツバだが、ここまでくると呆れが先に来てしまう。
「クリスタの結婚式が心配です」
「まだクリスタはどこの男にもやらん!」
「はぁ……その時は一緒に説得してちょうだいね? フィーネさん」
「お任せください」
「誰に説得されてもワシは納得せんぞ!」
わいわいと騒ぐ姿にフィーネは微笑む。
ここには家族の団欒がある。
アードラーには求めてはいけなかったもの。
けれど、誰よりも求めた人がいた。
その人はいないけれど。
その人の望んだ空間がここにはある。
「アル様は……今、どこにいるのでしょうね?」
小さな呟きは風と共に消えていく。
その瞬間。
空に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
次の瞬間、そこには赤い巨竜が出現していた。
帝都の厳重な防衛態勢。
空には自慢の航空戦力が待機していた。
近づけばすぐにわかるはずだった。
だが、その内側に竜は現れた。
「防御陣形!!」
近衛騎士団の団長、アリーダの行動は早かった。
近衛騎士団が総力を投じて、一枚の結界を作り上げる。
そこに竜のブレスが襲い掛かった。
灼熱の炎は結界によって防がれるが、同時に結界も砕け散る。
幸い、周囲に被害はない。
「第二撃!!」
「結界準備!」
大戦以降、アリーダは近衛騎士団の改革にあたっていた。
各隊長の戦力をあてにした体制を改め、それぞれの近衛騎士が連携して護衛する体制へと。
それは後悔。
守るべき主君の腕を奪われた後悔。
体を張って倒れた同僚への後悔。
それらは一枚の結界として結実する。
「決して攻撃を通すな!!」
数百の近衛騎士によって先ほどよりも巨大な結界が出来上がる。
だが、竜のブレスも先ほどより巨大だ。
二撃目も防いだ。
けれど、結界の外に火が飛んでいく。
「きゃぁぁぁっっ!!」
「家が燃えているぞ!!」
「逃げろ!!」
民がパニックになり、逃げ惑う。
このままでは民の被害が増える。
そんな中、フィーネは馬車を降りた。
逃げる群衆の中で、少女が倒れていたからだ。
「大丈夫ですよ!」
すぐにフィーネは少女を助け起こす。
泣きながら少女はフィーネに縋る。
「ママは……?」
「大丈夫、すぐに探しますから」
「三撃目! 来ます!!」
「フィーネ! 戻れ!!」
結界は保っている。
けれど、三撃目は二撃目よりもなお大きい。
周囲への被害はさきほどよりも大きいだろう。
結界の範囲外にいる者たちはまずい。
だからこそ、皇帝ヨハネスは声をあげた。
だが、間に合わない。
フィーネは咄嗟に竜へ背を向けて、少女を抱きかかえる。
すべて守るべき命だった。
どんな人でも、どんな立場でも。
あの大戦で救われた命は守るべきものだった。
残された者の使命。
この国を幸せで満たす義務が自分にはあった。
あの日、見送ったのだ。
必ず帰ってくると信じて。
だからこそ、帰って来たときにガッカリされないように。
良い国にしようと誓った。
それはレオナルトもシャルロッテも同じ。
誰もがそう思っていた。
この少女を見捨てるのは簡単だ。
守れるほどの力もない。
庇うことで守れるとは思えない。
けれど、それでもここで抱きしめることに意味がある。
見捨ててはいけない。
誰もが見捨ててしまう命でも、それでもと拾い上げることを諦めなかった人がいたのだから。
それを傍で見てきたのだから。
自分は絶対に諦めない。
「アル様……!!」
声が響いた。
帝都に。
フィーネの声ではない。
≪その盾は神の大盾・誰もがその名を知っている・それは守護の代名詞・すべての弱者のために創られた・ゆえに神すら破ること能わず・ゆえにその盾は無敗無敵・その名は――イージス≫
帝都全体を覆いつくすような巨大な盾。
それが三撃目を受け止める。
周囲に被害はない。
この規模の魔法を使える者は数えるほどしかない。
顔をあげると黒いローブの人物が近づいてきていた。
杖を突いているが、けれど決して弱弱しく見えない。
その杖の音はまるで死神の足音。
突然の魔法によって帝都は静寂に包まれた。
そんな中、少女がつぶやいた。
「あ! 皇太子殿下!!」
少女の言葉を聞いて、黒いローブの人物はニヤリと笑うのだった。




