第七百三十六話 頑張りなさい
『あとは頼んだぞ、アルノルト』
声と共に肩に手が置かれた。
しかし、誰もいない。
だけど、わかった。
爺さんが逝ったのだ。
「……」
爺さんは普通の人とは違う。
体を奪われ、本に閉じ込められた思念体。
半分生きてて、半分死んでいる存在だ。
そんな爺さんが逝った。
無理をしなきゃ、逝くわけがない。
自分の命を賭けるものがあったんだろう。
同時に多数の民が帝都の外に転移してくる。
帝都を恐怖に陥れた狂帝。
それは爺さんにとって心残りだった。
防げなかった。民を傷つけた。
どれほど悔やんでいたか。
せめて、俺がシルバーとして活躍することで、その気持ちが落ち着けばよいと思っていた。
爺さんが体を奪われなければ、シルバーは存在しなかったのだから。
悪いことばかりじゃない。そう思ってほしかった。
「悔いはなさそうだな……」
愉快な人だった。
その人が人生最期の魔法として、民を助けたのだ。
悲しむのはやめよう。
俺の師匠が民を助けたのだ。
今はその民を全力で守ることを考えるべきだ。
「アルノルト? 平気?」
空から援護をしていたザンドラ姉上が声をかけてくる。
そちらに視線を向けると、俺はゆっくりと頷いた。
「大丈夫さ……」
「泣きそうな顔しているわよ?」
「……」
「頭を撫でてあげてもいいわよ?」
「……いらないよ」
冗談めかしたザンドラ姉上の言葉に俺はため息を吐く。
そんな俺を見て、ザンドラ姉上は笑う。
「それならいいわ。エルナの下に敵の新手がくるわ、止めにいくわよ」
「ああ」
悲しみは止まない。
けれど、止まるわけにいかない。
それに。
ここで悲しんで、足を止めたら。
俺の姉が心配してしまう。
ザンドラ姉上やゴードン兄上にはタイムリミットがある。
だから、心配はかけられない。
最後に見た弟が不安だらけでは、安らかに眠ることはできないだろうから。
俺たちは帝都へ突入する部隊への援護を一時やめて、エルナの下へ向かった。
そこでは悪魔たちが足止めされていた。
それを見て、新手が加わってくる。
「数が増えたって一緒よ!」
エルナは聖剣を振るって悪魔たちを討っていく。
だが、数が減らない。
門から出てくるからだ。
「もう! キリがないわ!」
「そう愚痴るな」
「アル!? 帝都はいいの!?」
「西門までたどり着いた。しばらく援護は必要ない」
「そういうことよ。加勢するわよ、エルナ」
「ザンドラ殿下……」
「アルノルトが迷惑ばかりかけてごめんなさいね、エルナ」
「いや、どっちかという俺の方が迷惑をかけられているというか……」
「弟は口答えしない」
「……リーゼ姉上みたいなこと言い始めた」
不満そうにザンドラ姉上を見つめるが、どこ吹く風だ。
そんな中、父上の声が聞こえてきた。
『戦域にいるすべての勇者たちに告ぐ!! 我が息子たち、エリク、コンラート、カルロスの命を捨てた攻撃により、人類を蝕む病毒は亡びた! 意味のわからぬ者もいるだろう! わからなくてもいい!! ただ、光の当たらぬ戦いがあった。その結果、人類は救われた。危機はまだ去っていない。しかし、目の前の危機を退ければ、人類は勝利する!! 我らが人類に後顧の憂いなし!! 全軍!! 進め!! 悪魔と人類の争い! 今日こそ終わらせる!!!!』
それはエリク兄上たちの功績を周知するものだった。
やっぱり、ゴルド・アードラーはウェパルを討つためのものだったか。
門が開いた時点で魔界への侵攻を考えていたが、エリク兄上はその一つ先を行っていた。
先にウェパルを討った。
おかげでこちらは目の前のことに集中できる。
「……そういうことなら配置換えが必要ね」
「そうですね。エルナ、門を任せても平気か?」
「構わないけれど……私が離れるとどんどん悪魔がやってくるわよ?」
そんな会話の最中、悪魔が突撃してくる。
それをエルナは聖剣で斬り伏せて、ほかの悪魔たちの動きを鈍らせた。
「それでも根本を断つべきだ。可能なら門を聖剣で攻撃して閉じろ」
「門を開いた奴はまだ健在よ?」
「それは俺とレオでなんとかする。こっちに合わせる必要はない」
「そういうことなら任せてもらおうかしら」
そう言うと、エルナは門へと向かっていった。
これで門からの新手はエルナが引き受ける。
「アルノルト、姉として忠告するけれど、もっとエルナに優しくしなさい」
「十分、優しくしてますよ」
「あんたは……一人で門に行くエルナに頑張れくらい言えないの?」
「エルナに必要とは思えないので」
「必要かどうかじゃなくて、女の子はそう言ってもらえたら頑張れるのよ。どうしてこんな子に育っちゃったのかしら」
「恋愛テクニックの披露は結構です。ザンドラ姉上だって相手はいなかったじゃないですか?」
「私は選べたけど、選ばなかったの」
「本当ですか? 見せる相手もいないにもかかわらず、派手な下着を持っていたのに?」
「次にその話題だしたら、弟だって容赦しないわよ?」
「そっちから仕掛けてきたのに、理不尽だ……」
呟きと同時に悪魔たちが動き出した。
数は六。
それに対して、ザンドラ姉上は禁術を使用した。
真っ黒な球を生み出すその魔法は、破壊に特化した禁術。
あの球に触れたら消滅する。あまりの破壊力に禁術とされたものだ。
けれど、速度が足りない。
悪魔に当てるのは不可能だ。
「どこに撃っている!」
「あんたの死に場所に撃ってるのよ!!」
ザンドラ姉上は即座に無数の魔法で、近づいてきた悪魔を迎撃する。
それらを悪魔は弾きつつ、回避をしていく。
その魔法は仕留めるための魔法じゃない。
相手を誘導するためのもの。相手を任意の場所に動かすことが目的だ。
けれど、普通はそんなにうまくいかない。
未来でも見えないかぎりは。
「詰みよ」
呟くと同時にザンドラ姉上は魔法を放った。
それは炎の魔法。
悪魔はその魔法を避けることはしない。ザンドラ姉上の企みを看破しているからだろう。
最初に放った黒い球体の傍へ追い込む気。
それがわかったから動かない。
だけど、それこそザンドラ姉上の思うつぼ。
ザンドラ姉上はニヤリと笑うと、指を弾く。
その瞬間、炎の魔法と黒い球体の位置が入れ替わる。
短距離の物体転移。
高難易度の魔法だし、人間を転移させることはできない。
縛りが多い魔法だ。
けれど、使い方次第。
まさか入れ替わるとは思っていなかった悪魔は、黒い球体をまともに食らってしまう。
すると、悪魔は跡形もなく消滅してしまった。
「こっちは終わったわよ? アルノルト」
「こっちも終わります」
そういうと、俺は右手で握りつぶす動作をする。
残る五体の悪魔は結界で確保していた。
その結界を圧縮することで、ほかの悪魔たちを肉塊へと変えた。
「……影響を考えながら戦うのも不便そうね」
「だいぶ慣れてきましたよ。けど、そろそろ気を遣っていられないかもしれませんね」
空。
門から一体の黒い竜が現れた。
巨大な竜だ。
魔界のモンスターは大陸のモンスターとはわけが違う。
竜なら特にだろう。
「とんでもないのが出てきたわね……」
「あのレベルの奴が出てきても平気ということは、それを抑え込む自信があるということ。ダンタリオンには何か手があるんでしょうね」
「なら、行きなさい。レオナルトの下へ」
「……わかりました。ここはお願いします」
門をエルナが抑えているとはいえ、悪魔たちはまだまだやってくるだろう。
ザンドラ姉上の負担は大きい。
それでもザンドラ姉上は先に行けという。
それを無下にするわけにもいかない。
「アルノルト」
「はい?」
「頑張りなさい」
「……はい!」
帝都へ向かおうとした俺を呼び止め、ザンドラ姉上がそんなことを言う。
たしかに、やる気は出るものだ、と納得しながら俺は帝都へ向かったのだった。




