第七百十八話 怨嗟の毒
空に現れたゴルド・アードラーは各地から確認することができた。
それを見て、皇帝ヨハネスは思わずつぶやいた。
「まさか……エリク……」
黄金の鷲は守護神鳥。
才ある者が命を捨てて召喚する自己犠牲の魔法。
帝都に残る皇族の中で、誰かが命を捨てたのだ。
自分の家族が命を捨てたのだ。
けれど、直感的にエリクだとわかった。
「陛下!! お下がりを!」
自然と馬を進ませていた。
戦いはレオナルトに任せ、自分は西部諸侯と共に後方へ下がっていた。
けれど。
もはやそういうわけにはいかない。
皇帝の傍にいた勇爵は止めようとするが、ヨハネスは剣を抜いた。
「もはや一刻の猶予もない! 続け!!」
正面に立ちふさがる軍を突破し、早く帝都へ。
ヨハネスの突撃により、西部諸侯連合軍も戦いに加わり、敵の戦線は崩壊。
ヨハネスたちは真っ先に帝都へたどり着いたのだった。
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「閣下! あれは!?」
「ゴルド……アードラー……」
東部にて指揮を執っていたリーゼロッテは、天上に現れた黄金の鷲を見てつぶやく。
名前だけは知っていた。
アードラーの守護神鳥。
かつて。
リーゼたちが幼い頃、アードラーに伝わる伝説をヨハネスは語った。
アードラーが困難な時、必ず守護神鳥は現れる。
黄金の鷲は常にアードラーの味方なのだ、と。
けれど、同時にヨハネスは告げた。
凶鳥だ、と。
アードラーを助けるため、アードラーの命をもって召喚される神鳥。
その姿が現れたということは、家族の誰かが命を失ったということ。
見ないに越したことはない。
それが現れた。
「……どいつもこいつも……」
勝手がすぎる。
勝手をするのは自分の専売特許だったはずなのに。
気づけば皆、勝手にいなくなっていく。
次代に託すだなんて、勝手なことだ。
重荷は共に背負うのが大人の役目だろう。
勝手に期待し、勝手に後を託す。
なんて自分勝手なのだろう。
結局。
「大人なのは私だけか……」
どうせ、子供のように淡い夢を抱いて逝ったのだろう。
強く歯を食いしばり、リーゼロッテは剣を掲げた。
「アードラーの守護神鳥が現れた!!!! 我らの勝利は揺るぎない! 全軍!! 突撃!!!!」
号令をかけながらリーゼロッテは馬で戦場を駆けたのだった。
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魔界。
その奥地にあるとある城。
瘴気に包まれ、日が滅多に当たらない魔界にて、ウェパルは長く待ち続けていた。
「もうすぐね……」
女性型の悪魔であるウェパルはフッと微笑んだ。
長かった。
勇者に受けた一撃により、ウェパルはあともう少しで殺されるところだった。
瀕死の重傷をおい、どうにか魔界へと逃げ帰った。
それからずっと、ウェパルは魔界の奥地にいた。万が一、勇者が魔界に来たとしても見つからないように。
慎重を通り越して、臆病といえるほどだ。
悪魔のプライドなどない。
人外といえる勇者を恐れた。
その子孫を恐れた。
奴の子孫が奴の剣を使う。
いつ魔界に乗り込んでくるのか?
それを恐れながら、ただ待った。
自分の病毒が勇者を殺すのを。五百年間も。
だが、毒が勇者を殺すよりも先に決着はつきそうだ。
魔王亡きあと、魔界の一大勢力であったアスモデウスと、辛くも生き残っていたダンタリオンが手を組み、人類を追いつめている。
自分の毒でトドメを刺せないのは残念だが、勇者の血脈が途切れるなら、それはそれでいい。
この身に刻まれた痛みと恐怖は消えない。
怯え続け、潜み続けた。
それもあとわずか。勇者の血脈さえ潰えたならば表舞台に出て行ける。
ダンタリオンと主導権争いをするのも一興。
腹いせに大陸の人類どもを虐殺するのも一興。
なんでもできる。
「あと少し……あの光をまた……」
空に手を伸ばす。
灰色に濁った魔界の空。
当たり前だと思っていた。
空はそういうものだと。
けれど、大陸の空は違う。
青く、そして太陽の光がある。
あの美しさは一度見たら忘れない。
見てしまったら、魔界ではもう満足できない。
あの光を手に入れたい。
光をこの手に。
「やっと……」
そうウェパルがつぶやいた時。
空に光が溢れた。
かつて見た太陽のような光。
憧れた光。
それがウェパルの視界一杯に広がった。
そして。
『――ようやく見つけたぞ』
光の中から巨大な鳥が現れた。
それはウェパルにとって予想外なことだった。
魔界と大陸との門は監視していた。
何者も侵入していないはず。
なにより、万が一に備えて門からは距離を取っていた。
刺客が自分の下にやってくるなど、万に一つもないはず。
そのはずだった。
「馬鹿な……」
『転移で送り込んでくれて助かった。門を抜けて探し回っていたら時間がなくなっていたかもしれぬ。さすがはアルフォンスの子よ』
門が開いたことにより、大陸と魔界は繋がった。それにより転移が可能になったわけだが、ゴルド・アードラーならば門をくぐって魔界に行くという手段もあった。
けれど、奥地に隠れるウェパルを探していては時間切れになる可能性もあった。
しかし転移のおかげで、その心配はない。
存分に罰を下せる。
人類をあと一歩まで追い詰めた悪魔に。
「くっ……!!」
ウェパルは水の膜を城に張り巡らす。
ウェパルが持つ病毒の権能は、本質的には〝水〟だ。
他者を攻撃するために水に毒の性質を付与しているだけ。
今、城に張ったのは腐敗の水。
触れれば最後、体を容赦なく溶かす。
あらゆる毒水がウェパルの手にはある。人類にとって、水は必須。ゆえに天敵。
あと少し。
もう少し。
ここを切り抜ければ。
そんな淡い期待を抱くウェパルに対して、ゴルド・アードラーは光を強めて対応した。
それはあっさりと腐敗の水を蒸発させ、どんどん城を溶かしていく。
「そ、そんな……」
『貴様を殺すのは余にあらず。アルフォンスの子の執念と知れ』
魔を許さぬ黄金の光。
聖剣に似た性質の光を発しながら、ゴルド・アードラーは上空に飛び立つと、そのまま降下し始めた。
殺される。
そう察したウェパルは城から逃げ出し、猛スピードで走り出した。
ここを脱すれば。
「もうすぐ……もうすぐなのよ!!」
『余から逃げ切れると思うのは不遜というものだ』
徐々にゴルド・アードラーとの距離が縮んでいく。
逃げきれない。
追いつかれる。
ウェパルは恐怖で引きつった表情で告げた。
「許して……! 待ち続けたの! もうすぐなのよ!!」
『そなたの排斥は人類の望み。そなたの望みは人類の排斥。互いに仕掛け、そなたが敗れただけの話。我が愛しきアルフォンスの子らを……甘くみたな』
告げると同時にゴルド・アードラーはウェパルに追いつき、嘴にてウェパルを貫き、そして切り裂いた。
そしてその身は聖なる光で焼けていく。
『想いは果たしたぞ。アルフォンスの子よ』
ウェパルの消滅を確認し、ゴルド・アードラーは静かに消えていく。
役目は果たした。
五百年に渡る怨嗟の毒は途切れ、消え去った。
人の世が続くのか、それとも終わるのか。
あとは――残された者たち次第。




