第七百四話 騙し討ちの理由
「よく来ましたね」
暫定王都の西にある森。
そこに〝ノーネーム〟はいた。
同じ姿の者が二人。
先代と今代だ。
そして、先代の隣にはラファエルの姿もあった。
「エルナ・フォン・アムスベルグの様子は?」
「アルノルト皇子の死を知り、傷心状態です」
「好都合だね。さっさと三人で始末しよう」
ラファエルはそう言って笑みを浮かべた。
万全の状態のエルナを倒す。
それが一番だが、そこに拘りがあるわけじゃない。
最重要はエルナの抹殺だ。
「よろしいのですか? 〝お婆様〟」
今代ノーネームはラファエルの横にいた先代に問いかけた。
勇者と聖剣を超える。
それが〝ノーネーム〟の悲願。代を重ね、冥神を強化し続けたのもそのためだ。
その悲願のために、先代は焦り、その焦りを見かねた今代の両親は、自分たちを冥神の餌とした。
すべては悲願のため。
もはや後戻りはできない。それはわかる。
けれど。
「エルナ・フォン・アムスベルグは魔王に匹敵する悪魔を討った。初代勇者に匹敵するのは間違いありません。ならば、それを討てば悲願は成就する」
「聖剣も使えず、戦意もない相手を襲って……それで達成されますか?」
「もはや後には引けません。今を逃せば、機会はない。どれだけ戦意を失っていても、勇者は勇者。追いつめられれば聖剣を使うはず。それを超えるのです」
「……」
先代の言葉に今代ノーネームは押し黙る。
今を逃せば、機会はない。
その言葉の意味は理解できなかった。
先代はノーネームの名を今代に譲ってからは、闇に生きてきた。
多くの者と連絡を取り、非合法なことにも手を染めてきた。
わかっていても、止めることはできなかった。
一族の悲願。冥神にて勇者と聖剣を超えること。
それがノーネームのすべてだったから。
今までは。
けれど、多くの戦いを経験し、今代にも変化が生まれていた。
今までが自我のない人形ならば、今は自我があった。
「私は……反対です」
「……言っている意味がわかっているのですか?」
「いずれ、エルナとは私が決着をつけます。正式な場で、正々堂々と。この命に賭けて。ですから、卑怯な真似はよしてください。一族の悲願はそこまで安くはないはずです」
「やれやれ、仲間割れですか?」
「この子は何もわかっていないだけです。いいですか? すでに悪魔の侵攻は最終段階となっています。いずれ人類は悪魔に敗北する。これは決定事項です」
「そんなことはさせません」
「力でどうにかなる問題ではないのです。人類は病毒の権能に侵されています。これは成長する毒であり、すでに勇者の家系すら殺せる段階まで成長しています。この権能があるかぎり、人類側の強者は毒によって死んでいく。あなたもエルナ・フォン・アムスベルグもいずれ毒で死ぬのです」
「……ならばその悪魔を殺すまでです」
「殺せるならとっくに殺しています。その悪魔は魔界の奥で勇者が死ぬのを待っています。こちらから向こうに行くには門が必要であり、門を生成するには魔王クラスの力が必要です。万が一、こちらが門を生成できたとしても、敵地である魔界で悪魔を殺せますか? 情報がなにもない土地で、周囲は悪魔だらけ。強者を送り込んだとして、成功するとは思えません」
初代勇者が門に突入することを止められた理由。
それは魔界の情報がないから。
人類が生存可能な領域なのか? どれほどの広さなのか?
なにもわからないのだ。
そこに魔王にすら対抗できる唯一の戦力、勇者を向かわせるわけにはいかなかった。
そして、それが悪魔に時間を与えた。
詰みの盤面。
先代はそのことを良く理解していた。
「失敗するかどうか試してみなければわかりません。どうせ死ぬならば、賭けに出るべきです」
「今なら人類は存続できます。悪魔の大参謀、ダンタリオンは人類を支配下に置こうとしています。その支配を一時的に受け入れれば、病毒からは解放されます。そうなれば支配からの脱却もできます」
「悪魔がそんなに生ぬるいとでも? 支配下に置いたならば、決して反抗できないようにするはずです」
「だとしても、逆転するには状況が悪すぎます。一矢を報いれば、滅ぼされる。ならば未来に望みを繋ぐしかない」
「そう言いながら……エルナを攻撃すると?」
「今しか悲願を果たす機会はないのです。毒で死ぬくらいならば、我々の手で」
言いながら、先代は炎神を構えた。
ナイジェルの死により、回収された炎神は先代に回ってきていた。
本気であることを理解した今代ノーネームは静かに目を瞑る。
「あなたは……それでよいのですか? 元近衛騎士団所属第十近衛騎士隊長、ラファエル」
「僕は勇者の血さえ消し去れればそれでいいさ。エルナを討ったあとは、勇爵を。そしてその後は分家の者たちを。すべて抹殺する」
「……」
どちらも退く気はない。
できるならば対話にて、退いて欲しかった。
自分に任せてほしかった。どれだけ状況が悪くても。
初代勇者と剣を交えた先祖も、状況を考えなかった。
これから魔王に対して人類が一丸となって戦おう、というタイミングで勇者と一騎打ちをしたわけだ。
それでも。
それは正々堂々としたものだった。
恥ずべきところは何もない。
では、今は?
魔王に匹敵する悪魔と戦い、多くを失い、傷つき、疲弊しているエルナに挑む。
どこに誇れる部分がある?
勝てばいいのか?
勝てばなんでもいいのなら、大真面目に勇者と聖剣を超えるために五百年をかけた先祖たちがあまりにも馬鹿らしい。
一体、何のために自分の両親は冥神の餌になったのか?
騙し討ちでいいなら、いつでもできたはず。
しなかったのは、それでは誰にも認められないから。
いや、誰かに認められるなどという領域ではない。
自分や先祖が納得できない。
それは大いなる自己満足かもしれない。
それでも。
「……これは最期の忠告です。どうかやめてください。私は反対です」
言いながら今代ノーネームは冥神を構えた。
暫定王都を守るように。
それを見て、先代は目を細めた。
「一族の悲願を阻むと?」
「お婆様……あなたの考える悲願と私の考える悲願は違います。私は勇者と聖剣を超えたい。それは傷ついた勇者を騙し討ちして達成できるものじゃありません。どうか退いてください」
「状況は説明したと思いますが?」
「理解しています。それでも……その困難を打破して、私はその後にエルナとの決着をつける。私は……アーヴァイン・ノックスの子孫として、勇者に正々堂々、打ち勝つ」
「交渉決裂ということですね」
ラファエルは剣を抜く。
二対一。
いくらノーネームとはいえ、不利といえた。
「愚かな真似はやめなさい。勝てると思えるほどあなたは愚かではないはず。私との勝負で勝ったことがありますか?」
「昔の話です。それに……今は友人もいます」
風が吹く。
ラファエルと先代の後ろで軽やかな着地音。
二人が振り返ると、黒髪の剣士がそこにいた。
「冒険者ギルド所属、S級冒険者のクロエ……シルバーの弟子と言ったほうがわかりやすいですか?」
「彼女が友人ですか?」
「はい。これで二対二です」
「馬鹿にされたものだよ。S級冒険者程度で足止めになると?」
ラファエルはクロエに視線を向けながら鼻で笑う。
そんなラファエルにクロエはニコリと笑いかけた。
そして。
「いやぁ、正面からじゃ勝てないから騙し討ちしようとしている人の言うことは、たいへん説得力がありますね」
笑顔のまま毒を吐くクロエに対して、ラファエルは静かに剣を向けた。
それに応じるようにクロエも双剣を抜き放ったのだった。




